遭遇
大陸北部の万年凍土、連邦領。いくつかの小規模な国家や集落が寄り集まって形成されたこの国は、一年の大半を雪に埋もれて過ごすという極めて過酷な環境にある。日照時間すら短く、人々は常に厚着して屋内での暖を確保しなければ生活できないのだ。
加えて戦後においては亜人たちによる襲撃やテロリズムなどもひっきりなしに起こされている。町から一歩出ればその途端、死地に足を踏み入れるも同然の状況であった。
「……暑い、な」
そんな中、平然と町を出る半裸のクロード。上半身を裸に、そこから黒いコートを羽織っただけの恐ろしく奇抜な薄着で、けれど寒さではなく暑さを感じると言ってのける。
『半裸の奇行士』、そう呼ばれるだけのことはある、常軌を逸した言動であった。
ゴブリン退治の依頼を受けて、彼は北西へと向かった。連邦領は北部、中でも比較的海に近い彼の住む町は、そこから北西に進んだところに砂浜へと辿り着く。
ごく一般的なゴブリンの習性だ──海沿いに群れを成して住み着く。亜人の中でもヒエラルキーの最下位にあるらしいかの種族は、他の亜人種に長い時間をかけて追いやられていく内に、海沿いの岩礁などにしか住めなくなっていったというのだ。
「嫌われ者の種族……か。俺みてえな奴らだな」
独り言ちる。敗れ破れた果てにこのような場所にまで流れ着いた、自分とゴブリンはひどく似ている気がした。聞けばゴブリンとは、他の亜人種ならば嫌悪するような行為──たとえば人間を食べたり、あるいは女に無体を強いたり──を好んで行った末、今のように追いやられたという。
そこもある意味、似通っているとクロードは思った。かつての己も、他者からみて唾棄すべき行為に手を染めていた。だからこうしているのだろう、と。
しばらく歩いた先に見えてきた、海。薄暗い雲に覆われた波打つ光景は、ひどく不穏で落ち着かない。これがたとえば雲一つない青空ならばきっと印象も変わるのだろうが、クロードにはそんなことはもう、どうでも良いことだ。
「……さて。今日はどのくらい、殺れるか」
ぼそりと呟いて、彼は砂浜に立ち尽くした。背に負った鉄塊を放り投げ、適当に足で砂を蹴り、見えなくする。これで傍目には手ぶらの変態が一人、立ち尽くしているようにしか見えない。
遠く海を見る。氷河めいて流氷がちらほら流れていくのを呆と眺めつつ、クロードは誰かしら、亜人が『食い付く』のをただ、待っていた。
これが彼の狩り方だ。亜人は『気配感知』という、発達した五感を駆使して周囲の気配を探知する能力を誰しもが備えている。であれば、あえてこうしてぽつねんと一人立っていれば、誰なりと何なりと察知してやって来るのは必然だ。
その上で武装していないとカムフラージュして、相手を油断させ慢心させる。『馬鹿な人間だ、殺して鬱憤晴らしにしてやる』とすっかり殺る気にさせ、襲い掛からせるのだ。
まさしく己自身を餌とするやり口。ここまでリスクが高い方法など、普通の人間ならば絶対に取ることはない。そういった意味でクロードは間違いなく、普通の人間ではなかった。
「あぁー……? 何だぁ人間が、んなとこいやがるぜ」
「しかもトンチキな格好してやがる。何だこいつぁ」
「くそ寒いのによくやるなぁ、おい。色んな意味で命知らずな人間だぜ」
──早速餌に食らい付いた馬鹿が現れたと、錆び付いた心にわずかな嘲りが浮かぶ。
振り替えればそこには亜人。痩せ細った子供程度の体格に、ぎょろついた目に高過ぎる鼻と醜悪な顔付きをしている。ゴブリンだ、三人いる。連邦に住まう知的生命体のご多分に漏れず、異様な厚着をしている。
にやにやと嗤いながら、すぐさまクロードを取り囲む。この時点で既に常人ならば死を確信する程の状況だが、しかして彼は静かに沈黙したままだ。
「へっ、へへへ……たまには散歩してみるもんだぁな。こんなところでご馳走にありつけるなんざついてるぜ、俺ら」
「人間食うのもしばらくぶりだなぁ……腸が酒に合うんだ」
「俺ぁやっぱり脳味噌だな。ありゃあ絶品だ、他の亜人どもが食わねえってのが信じられねえぜ」
背筋も凍るようなおぞましいことを語り合うゴブリンたち。食人の文化がある彼らにとり、目の前のクロードはまさしく降って湧いたご馳走も良いところだ。既に殺した後、酒の肴にすることを夢想して涎など垂らしている。
一頻り妄想に浸ってから、三人はゆっくりと近付いてきた。当たり前のように漲る殺意が、クロードの肌を刺す。
「おし、じゃあとりあえず殺すか」
「賛成賛成……死ねや人間。美味しく食ってやるからよぉ」
「……かく言うてめえらは、食い出が無さそうだな。つってもゲテモンだ、そも食うつもりもねえが」
あからさまに虚仮にしてくるゴブリンたちに、ぼそりと呟く。思わぬ反抗的な言葉に、三人の歩みが止まった。
絶望していない。震えてすらいない。静かに暗く、こちらを見据える人間。その様子が不気味にも生意気にも思えて、苛立ちが込み上げてくる。
「てめえ……! な──」
何様のつもりだ──そう叫ぼうとした瞬間、クロードは動き出した。思い切り大地を蹴り上げて、隠していた鉄塊を跳ね上げたのだ。刹那、その柄を彼は握りしめた。露になる全貌。
巨大な剣だ。長身のクロードをも超える長さの刀身で、黒く鈍い輝きを秘めている。しかし刃の部分は著しく腐食しているようで、とてもではないが切れ味に期待ができそうな代物ではない。そう言った意味でやはり、鉄塊としか言えないだろう。
「くたばれ──死人に、殺されろ」
それを片手で軽々と、横凪ぎに振るう。切るというよりは殴り付ける、叩き抜けるというような威力の斬撃が即座に、ゴブリンたちの顔面を弾けさせた。あまりにも早い、光にも似た一閃。
首から上がすっかり失くなり果てた亜人たちの、首から下が痙攣したまま立ち尽くす。そこから吹き出る血なども何一つ気にせず、クロードは鉄塊を背負った。
「おまけに殺し甲斐もねえ……所詮、俺にはこんな程度のが似合い、か」
討伐した証にゴブリンたちの身体の一部を確保する。これでギルドからの依頼は達せられたことになる。あまりにあっけない話だが、クロードの実力ならばこうなって然るべきものではあった。
実際、ことあるごとに自嘲する彼だがその実力は突き抜けている。とある事情から亜人並みの身体能力を得ていることに加え、生まれもった戦いの才能、とでも言うべき素質がこの数ヵ月で完全に開花しているのだ。
半年前と比べても、今現在の彼は数段高みにいる。もっとも当人からしてみれば今更のこと、それがどうしたと濁った瞳で嗤う程度のものでしかないが。
「……さすがにこれじゃあな。もう少し、彷徨くか」
はあ、とため息を吐いてクロードは歩きだした。今しがたの戦闘とも呼べない瞬殺劇を以て、死地というには安易に過ぎる。もっとまともな相手と殺し合わねば、彼の目的は達せられそうにない。
砂浜を出て再び雪積もる原野へ。ふらふらと、適当にさ迷う彼の姿には凡そ生気らしい気概を感じられない。まさしく死人同様で、それだけに不気味さが醸し出されていた。
「俺は……どうせ俺なんて。俺なんか、俺なんか」
ひたすらに己を蔑む言葉。痛め付けるような呟きには、救いにも似た慰めが込められている。結局のところこうして彼は現実に向き合い、しかもやり過ごそうとしているだけなのかもしれない。
「俺なん──」
『────!!』
「……あ?」
雪にまみれた足音ばかりの中に、突如異音が聞こえて足を止める。耳を済ませば今度はたしかに、はっきりと感知できる。
『──けて! たす──! たすけて、誰か──!!』
悲鳴だ。必死に助けを求める、誰かの声。高い声から女、それも若い少女のものと推測し、クロードは声の方に足を向けた。
人間以上の視覚が、遠く先にいる誰かを認識した。一人の少女が犬そりに乗って必死に逃げている。そしてそれを追うのは、腕に生えた翼で自在に飛行する亜人。翼の生えた『有翼亜人』というカテゴリに属する種族、ハーピーだ。やはり厚着してはいるものの、軽快に宙を舞っている。
「ハーピーか……まあ、ちょこまかするなら殺り甲斐はあるか」
「っ! そこの人、助けて、助けてぇっ!!」
そりの少女がクロードを視認して、こちらに向けて走ってくる。当然それを追いかけてハーピーも飛来してきて、異様な格好の剣士が現れたことに怪訝な表情をしている。
少女とすれ違う。その瞬間、端的に彼は告げた。
「知るか。勝手に助かれ」
「へ──」
「俺なんてどうせ、殺すしかできねえっつってんだ……!!」
虚を突かれた様子の少女に構うことなく、クロードは飛んだ。尋常ならざる脚力で一息に、空高くへと駆けたのだ。同時に背に腕を回して鉄塊を引き抜く。即時攻撃の態勢である。
ハーピーも突然のクロードの乱入、そして攻撃に驚きを示した。致命的な動揺──才気溢れる剣士を前に、決して生じさせてはいけない一瞬が生まれる。
「道連れだ。死人に、殺されろ──!」
「ひ──」
そして当たり前のように隙を見逃さず、クロードは鉄塊を振り下ろした。剣圧にて空気が震える程の冴え渡る斬撃。天賦の才能と異質なる肉体とが噛み合わさった、神域の剣。それが、ハーピーの肉体を両断する。
「か、け──」
「雑魚しか相手にしてねえのか。まるで俺みてぇな屑だな……だからこうなる」
自由落下しながらも、真っ二つにされたハーピーを見下ろして言う。どうあれ己への罵倒は欠かさないのが今のクロードだ。
常人ならば手足の一本は折れていてもおかしくない高度を、何ら苦もなく着地する。そしてそのまま鉄塊を背に戻し、歩き始める。少しは期待したがやはり敵には成り得なかった、そのことにため息さえも吐きながらも。
「は、ぁ……どうせ俺なんて、ろくに戦う相手も見つからない」
「あ、あのー……」
「『奴』はもっと酷かったのかもな……ふん。今更になって気付くんだ、やっぱり俺は塵ってわけか」
「あの、あのう! すみませーん!」
「……ああ?」
一人、自分の世界に没頭しかけているところに割り込む声。うろんげにそちらを見れば、クロードの眼前に先程逃げていた少女がいた。そりを牽いていた犬二匹と寄り添いながら、安堵に緩んだのか泣きそうになりながら彼を見ている。
白みがかった金髪がさらりと風に揺れる長さと煌めく青の瞳、そして雪めいた肌を持つ美少女だ。町を歩けば誰しもが息を呑みかねない程の、絶世の愛らしさを放っている。
「……何だ。用は済んだろ、どっか行け」
とはいえクロードの錆び付いた心には何一つ響くことはない。泣かないだけ、俺よりも上等な生き物だ……などとずれたピントで感心していると、彼女は優雅に一礼して名乗ってみせた。
「私はミスティ。近くの町の、商家の娘です。先程は危ないところを助けてくださり、まことにありがとうございました。このご恩は決して忘れません。我が家の誇りにかけて、必ずお礼をさせていただきます」
「ずいぶん安い誇りだ……放っとけ、俺なんか。どうでも良いんだよ、何も」
「え……そ、そんなわけには」
「めんどうくせえ。忘れろ」
深く息を吐いて、クロードはまた歩きだした。慌てて犬二匹と共にそれを追う少女、ミスティ。彼女にとり、初めて見るタイプの人間だった彼がひどく興味深い。
まさか礼さえ断られるとは思っていなかったので、それが新鮮な興奮と覚めたばかりの死の恐怖の感覚と交じって強い衝撃となり、彼女の胸を高鳴らせた。
どうにかこの人と一緒にいたい。もっと近くで見ていたい──そんな、正体不明の執着。それを隠すことなく前面に押し出し、ミスティは精一杯に喋る。
「わ、忘れません! お礼ができるまで、離れませんから!」
「…………」
「付いていきますから!」
そう言って、犬そりに乗って懸命に付いてくる。本気なのが知れて、クロードは濁った瞳を更に曇らせた。
面倒な拾い物をしてしまった。町まで届けても良いが、この近くには知人の家がある。鉄塊を拵えた物好きで、少なからず世話になったからには多少、気にかけている女だ。
少しばかり考えて、彼は無言で歩き始めた。その後ろを付いていく、犬そりのミスティ。
アンバランスなコンビはそのまま、町とは異なる方角へと進んでいくのだった。