ファースト・ストライク
凍った道をひたすら歩く。交易路となっている関係上、町から村に至るまでのこのルートは雪が積もる端から踏み固められ、道と呼べるだけのものとはなっているものの当然、滑りやすい。
けれどクロードたちはまったく足を取られることもなくしっかりと確実に、そして淡々と進んでいた。
「そろそろ件の怪生物が発生した地点だ。ヘル、ここからは冗談は抜きにしろ……貴様もな、負け犬」
「ハァ……どうせ俺なんか、普通に喋ってるだけで冗談扱いされるんだ」
「そういう鬱陶しいのを止めろと言うに」
もはや突っ込むのも面倒くさそうにリムルヘヴンが言い放つ。道中散々と自虐に走る変態を目の当たりにしてきたため、心底からのため息が出る。
どうでも良いとは言ったものの、いざ戦闘に入ったとてこの様で拗ねられっぱなしでは、下手をせずとも自分や妹の命にも関わりかねない。それを危惧するからこそ、リムルヘヴンは嫌々でもクロードに注意を呼び掛けていた。
それでも態度を変えない男の姿に、舌打ち一つして忌々しそうに呟く。
「カスが。死ぬのは勝手にすれば良いがな、こちらに危害が及ぶようなことになってみろ。怪生物より先に貴様を殺してやるからな」
「あー……それも良いなぁ。あの日の介錯をてめえにさせるのも悪くはねえ。贅沢を言えば、アインかセーマだったら百点満点なんだがな」
「……っ。始末に終えん、まったく!」
ああ言えばこう言う。何をどうしてもまったく動じず傷付かずのクロードに、いよいよ苛つくものを覚えてリムルヘヴンは頭を掻いた。
彼女としてはこの際、別段言葉通りに殺してやっても良い気分ですらあるのだが……如何せん実力的に難しいのは認めざるを得ない。
半年前に入手した水の魔剣を、今では更に使いこなしているリムルヘヴン。当時は第一段階機能『ウォーター・ドライバー』及び第二段階機能『タイダルウェーブ・ドライバー』までを習得しており、魔剣騒動最終局面におけるクロードとの決戦においても大いに活躍してみせていた。
それが現在、その先の最終段階にまで到達しているのだ。その実力たるや魔剣騒動の時とは比べ物にならない程に向上している。
それでも──クロードを見やる。単なる死にたがりに過ぎないがこの男を一人で相手にするならば、今の自分でも厳しいのだろうとリムルヘヴンは冷静に判断していた。
そもそも最終段階に到達したアインでようやく風の魔剣士に対抗できたのだ。その上でリムルヘヴンの加勢でようやく打ち勝てた相手を、一人でどうにかしろというのが無理がある。
風の魔剣がなくなり弱体化しているならばまだしも、そこまで弱っていないというのがこの男の質が悪いところだ。『攻勢魔剣』とやらがどれ程の力を秘めているかは不明としても、間違いなく当時に近いかそれ以上の実力を保持しているものと彼女は見立てていた。
つくづく厄介な奴めとため息を吐きながら、リムルヘヴンは諦めて周囲の『気配感知』に集中する。
「……周囲におかしな反応はなし。動物がいくらかいるようだが」
「ピピピーッ! ヘルちゃんも感知しちゃうみゃあーっ! ──ぬぬぬ!?」
続けざまにリムルヘルが、おどけた様子で両耳に耳を翳して『気配感知』を行う。一人よりは二人、より正確に周囲の情報を読み取るにはありがたい助力だと、リムルヘヴンも続けていたのだが……不意に激しい反応を示した妹に、姉もすぐさま反応した。
「どうした、何かあったか!?」
「何もねー! がっくし!」
「そういう冗談を止せと言っとるんだ馬鹿者!!」
思わず足元の雪を蹴飛ばす。生真面目な性質のリムルヘヴンには、たとえ最愛の妹にせよ洒落にならない冗談は許しがたい。鋭く怒鳴り付けて黙らせると、今度はクロードが呟くのを耳にした。
「何もねえ、か。まったく悪い冗談だな、マジでよ」
「何だ負け犬? 何か文句でもあるのか」
「てめえらが揃って漫才してるんじゃなけりゃ、つまりは『気配感知』を掻い潜ってるってこった──当たりかもな、こいつは」
「何、っ!?」
その言葉の意味を図りかねて一瞬。考えて理解して一瞬。そして──雪に埋もれた大地から、突然何かが飛び出てきたのも一瞬。
咄嗟にリムルヘルを抱き寄せて横に飛び退くリムルヘヴンの、元いた場所を食い破るように現れたそれを、代わってクロードが攻撃した。
「死ね」
神速の抜剣。背にした『攻勢魔剣』を亜人の目にさえ留まらぬスピードで引き抜き、何物かを斬りつける。腐食し切れ味など皆無でありながらなお、ゴブリンやハーピーを一太刀にて殺し尽くした大斬撃が、寸分違わぬ精確さで以て敵を襲った。
しかし。
『ぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎち──!』
「何? ……ちいっ!」
鉄塊がヒットした瞬間の、あまりにも固すぎる手応えにクロードは舌打ちを一つした。正体は雪に塗れて依然不明だが、少なくとも今の攻撃では何らダメージを与えられていない。即座に判断して彼は、身を翻して真下から直上へ、打ち上げるように何物かを切り上げて吹き飛ばした。
あまりの剣圧に巻き起こる風。跳ね上がる雪と併せてまるで吹雪のようにすべてが白く染まる刹那、クロードもリムルヘヴンもリムルヘルでさえも、弾き上げた『それ』の正体を見た。
「何だ!? ……カミキリ虫?!」
「面構えはな……そっから先は滅茶苦茶じゃねえか。蛇の胴体、カラスの翼。てんでゴテゴテだ」
『ぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎち──!』
唖然としてリムルヘヴンとクロードが言うように、それは滅茶苦茶な造形をしていた。口先に鋭い鋏を備えた、昆虫の頭部。けれど胴体部は蛇のもので、長く蠢きうねっている。そこから更に烏を連想させる黒い翼を生やし、アンバランスなその身体にも関わらず自在に宙を飛んでいた。
凡そ自然界にはあり得ない姿をした、まさしく異形の怪生物。これが人を襲い拐っているのだと、嫌でも確信を抱かせる風貌。
震える唇で、リムルヘルが呟いた。
「カミキリ虫? 蛇? カラス? ……カミヘビカラス? カミヘビラス? ……カビラス! カビラスちゃん!!」
「略しすぎだろう、それは」
「これにちゃん付けか。つくづくイカれてやがる」
あくまでマイペースにいつもの調子を崩さないリムルヘルに、リムルヘヴンもクロードも呆れ返る。とは言え、それが却って二人のにわかな緊張を解したようだった。適度に弛緩し余裕を持たせた心身にて、クロードが構える。
「どうあれ確定したってところか……こいつが『魔獣』だな。ミシュナウムのババアが主導で動かしていた、『オペレーション・魔獣』の中核。その骨子」
「これがか。またずいぶんと悪趣味なものを造る……奴らのセンスはどうなっているのだ」
「知らねえよ。バルドーは人を見る目が無かったようだが、ミシュナウムは美的感覚がなかったんだろうよ」
魔剣騒動の首謀者、ワーウルフ・バルドーを引き合いに出してミシュナウムを扱き下ろす。軽口を叩きながらもクロードは、明らかに戦闘態勢に入っている『魔獣』に向けて切っ先を向けた。
リムルヘヴンがその横に並び、水の魔剣を手にして告げる。
「加勢してやる。まずは『ウォーター・ドライバー』でアレの身動きを封じ込め、その隙に──」
「いらん、邪魔すんな。てめえから先に叩っ斬るぞヴァンパイア」
「──何だと? 負け犬、貴様一人でやるつもりか」
思わぬ拒絶に怒り半分困惑半分に問い返す。クロードはこの場にて一人、魔獣と相対することを望んでいた。
一歩前に出る。手にした『攻勢魔剣』に力を込めれば、単なる鉄塊であるそれが不思議と想いに応えるように、秘めたる力を引き出していく。
「き、さま……その力、そのエネルギー」
「こいつと最初に斬り結んだのは俺だ。だから俺が仕留める。てめえの出番は次にとっとけ、客観的に見た『魔獣』のデータも欲しいだろう」
「……良いだろう。だがあまり手際が悪いと後ろから貴様ごとぶち抜いてやるからな。精々気張ることだ」
鉄塊から放たれる力の波動。そしてクロードの理屈にリムルヘヴンは、彼女にしてはひどくあっさりと頷いて後方へと下がった。
たしかに観察が必要なようだ──魔獣だけではなく、クロードと『攻勢魔剣』についても。かつて同様に凄まじいまでのエネルギーを纏い扱うこの男の、真なる力量を見定めねばなるまい。あるいはいずれ、戦うこともあり得ると想定して。
リムルヘルの傍にて防御体勢を整える。そうして静かに眺めるリムルヘヴンの眼前にて、クロードはついに、動き始めた。
「半年経ってようやくか、まともに闘えそうな奴なんざ……!」
『ぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎち──!』
空を飛び回り翻弄せんとする魔獣に、けれど迷いなく斬りかかる。先程の一撃にて、クロードの斬撃には己の防御を貫く威力がないと学んだのか、魔獣は何ら回避しない。むしろ受け止めて、その返しに致命打を放つつもりらしい。膨れ上がる殺気。
果たして二撃目が打たれた。カミキリ虫の頭部を両断するべき軌道は、やはり先と同様に防がれる。恐るべき硬度を誇る皮膚が、エネルギーを纏ったとは言え未だ切れ味のない鉄塊を止めていた。響き渡る金属音。
「今度は逃がさねえ。確実にその皮、断ち斬ってやる」
だがここからだ。瞬間的にクロードは、魔剣に宿るエネルギーを引き出した。
青く燃えるプラズマが、『攻勢魔剣』を纏っていく。腐食した刀身が赤熱化して、元あった切れ味をほんの刹那の際、取り戻させる。極限まで刀身に集中させたその力は、リムルヘヴンの魔剣に宿るものと同じ──星の無限エネルギー!
「虫だか蛇だが烏だか知らねえが──!」
『ぎちぎちぎち、ぎ──!?』
ここに至り魔獣は気付いた。先程とは違う。今回のこれは、自分を殺してしまえる。
咄嗟に回避行動に移らんとするが、『攻勢魔剣』のエネルギーを引き出したクロードがそれを見過ごすはずもない。逃げようとするよりも早く、まさしく煌めく刃にてその一閃を放った。
「──まとめて死人に殺されろッ! 『ストライクドライバー』ッ!!」
刃が走る。それを追って光が駆けて、次いで音が鋭く響く。それからのことだった──魔獣の頭部から胴体まで完全に両断され、血飛沫をあげて雪原に堕ちてゆくのは。
深紅に染まり行く雪を詰まらなさそうに眺め、クロードは力を抜いた。消えていく無限エネルギー、鉄塊に戻り行く『攻勢魔剣』。また背負い直して、彼は呟いた。
「こんな程度か。まあ、そこらの亜人よりかは期待できるな。こいつ一匹だけじゃねえんなら、上位種もあると願うか」
「負け犬……貴様」
「あぁ……?」
独り言ちているところにかけられた声。振り向けばリムルヘヴンが、警戒心も露に距離を起きつつこちらに向いていた。
予想以上の強さだったことに、恐らくは危機感を抱いたのだろうとクロードは察した。何をするでもなく見つめていると、彼女は静かに尋ねてくる。
「何が弱体化しただ……今の一撃、過去の貴様とは比べ物にならん。その魔剣とてそうだ。瞬間的に放たれたエネルギーは、風の魔剣の最終段階『ハリケーン・ドライバー』にも匹敵している」
「続けて二度も放てやしねえがな。得物も使い手もガラクタだからよ、一発打つとしばらく『ストライクドライバー』は使えねえ」
あっさりと手の内を晒す。戦士としてあり得ない言動だが、それは恐らく自暴自棄ゆえのものだろうとリムルヘヴンは推測した。今ここでこちらが仕掛けてよしんばクロードを殺したとして、それはそれで彼にとっての本望なのだろう。
殺しはしないにしても、と先程の一撃を考える。控えめに言っても出鱈目な威力で、半年前の決戦時に彼が用いていた風の魔剣、その最強機能たる『ハリケーン・ドライバー』にさえ十分に匹敵しているレベルだ。
恐ろしい力を手にしているものだと戦慄を禁じ得ないまま、リムルヘヴンは更に問うた。
「『ストライクドライバー』……何段階目だ、それは」
「ねえよ、そんなもん。マッスル曰く、試作品だからなこのガラクタは」
「……そのマッスルとやらの居所に案内しろ。聞かねばならないことがあるらしい」
どうやら『攻勢魔剣』の内実について、当のクロードはほとんど何も知らないらしい。そう感じてリムルヘヴンがドクター・マッスルの居所を聞けば、彼はまったく面倒なことだと澱んだ瞳を更に暗くさせ、けれど頷いた。
「昨日の今日でかよ、めんどうくせえ……が、魔獣についても色々と、知らせなきゃならんのはこちらも同じか」
「案内するんだな?」
「するわけねえだろ、勝手に付いて来い。何聞くんだか知らんが、死人には関係ねえんだよ」
吐き捨てて魔獣の亡骸を回収し、歩き出す。その背に続けて、リムルヘヴンはリムルヘルを伴い追いかけるのであった。




