附則
2話目(最終話)です
ヒース・ウィンドウェイは冷めた青年だった。
誇り高きエストゥーリ傭兵団に所縁ある家柄に生まれた彼には、生まれつき優れた身体能力と並々ならぬ努力により十代の頃には誰一人としてヒースに勝てる者がいないほどだった。
剣術は右に出るものはおらず弓の腕前も良い。
智略もあり、何より気配を消す仕事もうまくこなせた。
出来過ぎるが故に周囲はヒースを頼り、ヒースもまた己の力を奮うことに生き甲斐を抱いていた。
力ばかり過信し、肝心な心を鍛えられなかった。
そんな愚かな若い頃の自身が。
ヒースは嫌いだった。
「お前、本当にいいのか?」
ヒースにそう声を掛けてきたのはヒースの歳の離れた兄、ジェイクだった。
ジェイクは現在のエストゥーリ傭兵団を取り纏めている総指揮者でもあった。団長という役職に就いてからは結婚し子供もいる。
当時二十代だったヒースは兄の言葉に笑う。
「いいもなにも……仕事だよ」
「そりゃそうだが」
言葉を濁すようになった兄を見て、ヒースは愚かにも「弱くなったな」と思った。
守りたい存在が出来てから兄は保守的になった。
危険な仕事が降ってくることもある。時には人の命を奪いかねない仕事もあった。
傭兵を生業としているが、犯罪者である者を捕縛するためにやむを得ず命を奪うことだって日常茶飯事だ。こちらも命をかけている。相手の命を奪うのも致し方ないと、当時のヒースは本当にそう思っていた。
だから今も、反王都派の人間を捕らえてほしいという、極秘裏に命じられた帝国の仕事をヒース一人で行うことに、彼の兄は心配したのだ。
「俺が失敗することがないよう、祈っててくれ」
手をヒラヒラと振りながら、なんて事はない仕事だと高を括ってヒースは王都へと出向いた。
ユーグ大帝国は世間に傭兵の存在を公に公表していないが、その実彼らはよく傭兵を頼った。
直接手を下せない仕事の依頼は数えきれず、お陰で資金は潤沢である。
フューリー・ウィンドウェイという、エストゥーリ傭兵団では知らぬ者がいない創設者の血を継ぐヒースは、傭兵として優れた人物ではあった。
幼い頃から兄を手伝い、大人に磨かれた腕前に今や誰も敵無しとまでされた。
最近では周囲を脅かしていたヴィアンズ盗賊団を先陣切って壊滅させた。
ヒースにとってみれば、困難な仕事であろうと何も変わりはしない。
ただ、言われた仕事をこなすのみ。
そんな、まるで人の心を持たないような弟を。
ジェイクは何処か寂しそうに見送っていた。
王都での仕事依頼は簡単だった。
反国王派として声明をあげている若い貴族に対し、彼の行動を止めてもらいたいという依頼だった。
兄は止めた。
それは傭兵の仕事ではないと。
渋る兄を止めてヒースが単独で行動することにした。
下手に帝国の依頼を断れば傭兵団として当たりがきつくなるかもしれないし、帝国に一つ貸しを作るのも悪くない。
何より、ヒースが単独で行うのだから傭兵団には責は無いよう動いたのだ。
だからその日、ヒースは薄暗い路地裏でフードを被り、男の出入りを待っていた。
いつもこの場で反乱の会議をしているのだという情報は仕入れている。
(どうするかな……暫く動けないようにって言われてもなぁ)
要約すれば命を奪えとも言われる依頼だが、生憎傭兵団は暗殺集団ではないため、精々出来ることは足止めだと再三伝えている。
足止めという時間稼ぎの間に帝国にはどうにか頑張ってくれと。
だから、足止めできれば良いのだ。
(悪いけど足を折るか……それとも、誤情報を渡して遠方に行かせるか? 他にも仲間がいただろうし……別の人間と思わせて攫う方向にするか)
そんな事を考えていた時だ。
目的の男が現れた。
そして、ヒースの姿を見るや突然剣を突きつけてきた。
「ーー!」
条件反射に、ヒースは剣を抜いた。
エストゥーリの紋章が刻まれた鋭利な剣が、男を斬る。
「かっあ…………!」
男が剣をヒースに振り下ろすより前に男は絶命した。
何故。
ヒースの表情に困惑が浮かぶ。
(ー姿は隠していたはずだ。誰にも知られるはずがない! ならどうして……)
内通者がいる。
そう悟った。
いるとするならばーそれは、誰か。
エストゥーリには敵も多いが、それでも表立って攻撃を仕掛けるような者はいない。
更に今回の依頼は国が絡んでいる。
余程足がつかないと思っているのか。
舌打ちし、周囲を警戒するが他に人の姿はない。
もしかして自身は嵌められたのではないか。
血が広がる中倒れる男を呆然と見下ろしていたヒースは、どうにか動揺を抑え剣を納めた。
男の生存を確認するため、首元に手を添えるが血の通う気配が無い。死んでいた。
「…………」
正当防衛だと言えばただの言い訳だ。
急な襲撃に対し、手が勝手に動いたのは確かだった。
ヒースとて人を殺したいわけではない。
真相を調べなくてはと立ち上がったが。
「おとうさん……?」
幼い少女の声に、ヒースの思考は止まった。
路地裏の手前で幼い少女が倒れている男を見つめていたのだ。
手にはお菓子を持っていた。
(ああ……そうだ……)
調べた情報から男には子供がいることを知っていた。そして、週に一度子供と共に出掛けているのだと。
それが、今日だったのだ。
「おとーさん……おきて……?」
少女は、ヒースの存在など気にもせず倒れる父に駆け寄った。
何度も父を呼ぶけれど、少女に答える声は無い。
お菓子を地に落とし少女の声が震え出す。
幼い少女にも分かったのだ。
父が答えてくれないことを。
(俺は…………)
少女の眦に涙が膨れ上がり。
大きな声で泣き出した。
それをきっかけにヒースは走った。
ひたすら遠くまで、息が切れても、町を離れ森に入っても。
走って走って。
そうして初めて悔いた。
(俺は……何をした……!?)
仕事だからと、依頼されたからだと理由をつけて。
挙句一人の人間を殺し。
幼い少女から父親を奪った。
少女の泣き顔が。
父を呼ぶか細い声が。
ヒースの脳裏に焼き付いて離れず。
夜も更けた森の中で、ヒースは声を殺して泣いた。
泣く価値など何一つないことは分かっている。
それでも、初めて後悔した。
自身の力が人を悲しませる事実に絶望し。
「………!」
それでも尚、自分には剣で生きるしか道がないことに。
今になって悲しんだ。
その日以来、ヒースはエストゥーリ傭兵団から姿を消した。
冷静になった後、ヒースは兄に手紙を書いた。
事の顛末と、内通者の疑惑。
そして自身の後悔を。
幼い子供を持つ父でもある兄ならば、きっとヒースの行いが非道であることを、きっとずっと分かっていたのだ。
けれどもヒースは、そんな兄に聞く耳を持たなかった。
その結果が今だ。
ヒースは暫く何をする気も起きず、生気の抜けた生活を送っていた。
そんなある日、兄から手紙が届いた。
ヴドゥーにあるドレイク傭兵団のモンドを頼れ、と。
これからのヒースを導く手掛かりを探せと兄は手紙に書いていた。
自身の行為を悔めとも、お前は悪くないとも書かない兄の思いが、ヒースには有り難かった。
兄の便り通り、ヒースはヴドゥーにいるモンドの元へ向かった。
暫くモンドの傍に身を置きつつ、彼の率いる傭兵団の姿を見て、漸く傭兵の仕事がどうあるべきかと学んだ気がした。
街を、人を守ることが傭兵団の在り方。
今までのヒースは、依頼された事を力で果たすという認識だったが、それこそが間違っていたのだと今更ながら知った。
モンドにはドレイクで働かないかと聞かれたが、ヒースは断った。
ならばせめて同盟の町ネピアの傭兵団になってくれと、モンドから頼まれた。どうやらレイド傭兵団という組織が問題だらけなのだというのだ。
せめてもの静止力になるのならばと、モンドの紹介ということでヒースはレイド傭兵団に入った。
問題だらけと思っていたが、問題しかなかった。
名ばかりの団長は権力だけを誇示し好き放題。彼の親戚だという領主は横領している。中にいた事務官も彼らの取り巻きでいいように行動するばかり。
酷い状態の傭兵団にヒースも言葉を失ったが、それでも彼は動かなかった。
動きたくなかった。
それでも、彼らの行動によって町に被害が及ばないよう、陰ながら活躍していたことは一部の町の民にしか知られていない。
表面から見るヒースの姿は怠けた傭兵団の一人でしかなかったからだ。
それでもいい。
自身の力を使うことに未だ抵抗あったヒースは、そんな日常の中で一筋の光を見つけた。
パトリシアという女性が、ヒースの前に現れた。
彼女は初対面にも関わらず、ヒースと堂々交渉し、対処に困っていたレイド傭兵団の団長どころか領主さえもどうにかしてしまい。
ミシャの心を解し、閉鎖的だったネピアを活性化させ。
そして、ヒースの心を解放した。
働く喜びを。
相手のために、何かをしたい……自身の力を使いたい。
守りたい。
その感情を、何と呼ぶのかヒースにも分かった。
10年以上振りにヒースは手紙を書いた。
送られてくることはあっても返さなかった手紙。
ヒースを騙した当時の事件は既に解決し、息絶えた男の娘が、今は母親の元で明るく暮らしているという報せを読んでも、何一つ返事をせずモンドを通して娘へ金銭を送るぐらいしかなかったヒースは、改めて便箋を前にして何を書くべきか迷ったが。
伝えたいことはひとつだけ。
『守りたい人ができた』
それはとても小さく辺境な傭兵団団長の、マニフェストであった。
長い間読んで頂きありがとうございました!




