第十六条(自己紹介)
ネピア湖のほとりまでヒースとパトリシアは並んで歩いていた。
特に会話もなく、水がチャプチャプと鳴る音だけを聞きながらゆっくりと湖を歩く。
話す時間が欲しいと言われ、パトリシアは頷いた。
そして打ち合わせが終わった後、ヒースに言われ一緒に歩いている今。
ヒースは黙ったままだった。
「…………」
パトリシアも一言も喋らなかった。
先ほど抱いた小さな不安、罪悪感が胸に潜んでいたからだ。
ヒースはエストゥーリ傭兵団の一人だった。
それは事実だ。
けれど、彼はそれを知られたくなかった筈なのに、今回の件で素性を露見した。
彼が今、常に帯剣しているそれが確かな証拠だった。
(…………)
パトリシアにとってヒースは大切な人だ。
その大切な人の望みを、紆余曲折あるとはいえ壊してしまったのであれば。
「ヒース……ごめんなさい」
謝罪したかった。
そう思うや否や、パトリシアは足を止めてヒースに謝った。
けれど当のヒースは全く見当がないらしく。
「……何が?」
と、聞いてきた。
「あの……本当は素性を公表したくなかったのではなくて? わたくしを助けることでエストゥーリ傭兵団に在籍していた過去を知られることになってしまったので……そのことを……申し訳ないと」
「ええ? いやいや、それはないから」
慌てた様子でヒースが否定してきた。
そうなのか、とパトリシアは顔をあげる。困った様子でパトリシアを見るヒースがいた。
「いや、正直……そのことでアンタが悩んでるかもなーとは思ってたんだけど……まさか当たるなんて。気にすんなよ? 俺がエストゥーリに居たことを隠してたのは俺の我儘だし、きっかけさえあれば別にいつでもバレていいって思ってたよ」
「…………本当?」
「本当。もし領主が気付かなきゃ多分誰も気付かなかったんじゃないか? そういう意味じゃ責任はガーテベルテの領主にあるな」
確かにレオが第一にヒースの素性に気付き、敢えて彼にエストゥーリ傭兵団の名を言っていた。パトリシアもレオの言葉で気付かされた一人だった。
「むしろ謝るのは俺の方だ……だから時間を貰って、改めて説明したかったんだけど……」
「謝るって……何にですか?」
申し訳なさそうな瞳を見せるヒースだったが、パトリシアには思い当たる節がそれこそ無かった。
「俺の剣で……アンタを怖がらせたんじゃないかって……」
「…………それの何処に謝るところがあるのでしょうか」
やはりパトリシアには分からない。
「エストゥーリにいらしたのならそれだけ実力があることは事実でしょうし、わたくしを助けて下さるために力を使って頂いた方を、どうしてそのように思うでしょう? それに……責があるのでしたらわたくしこそ謝罪すべきですわ」
何しろパトリシアは貴族であることをひた隠しにしていた身で、更に今回最も迷惑を掛けたと思っている。
アイリーンの言葉に流されず止めるべきだったのだ。
「過去という意味では死人になっているわたくしの方が、ご迷惑をお掛けするかもしれないのに。ヒースがエストゥーリにいらしたからといって、その剣を恐れることも、困ることもありませんわ」
「ははっ確かに」
ヒースが笑う。
その表情に先ほどのような困った様子は一切見られないかった。
「……うん、そうだな。パトリシアの言う通りだ」
そうして改めてヒースはパトリシアを見た。
「過去のことは……俺にとっては些細なことだよ。ただ……アンタにはちゃんと俺という人間を見てもらいたいし、アンタを守りたい……」
剣を手に取ると胸元に当てた。
その仕草は畏まっていて、急に空気を硬くさせたように思えた。
「元エストゥーリ傭兵団、ヒース・ウィンドウェイ。俺はアンタにだけ絶対の忠誠を誓うよ。騎士でも何でもない俺だけど、どうかこれからも守らせてくれ」
パトリシアは大きく瞳を開いた。
ウィンドウェイと言えば、エストゥーリ傭兵団の団長や統治者として名を馳せていたからだ。
けれどパトリシアはそれを言葉にせず、質素なドレスの裾を持ち、ヒースに向かって穏やかにカーテシーを見せた。
「元、セインレイム伯爵家息女、パトリシア・セインレイム。貴方の忠誠を受け取りましょう」
「…………ははっ」
「ふふふ」
まるでごっこ遊びのようで、二人で笑った。
改まって二人で話をする間に、草原の上に座り込んだパトリシアが、ふと隣で寝転がっているヒースに顔を向けた。
「そういえば、わざわざアルトや町の方にもお伝えしてもよかったの? 口外しないように言えばガーテベルテ様も仰らないでしょうに」
アルトら傭兵にはレオもわざわざエストゥーリの事を口にしていなかった。ただ、ヒースの持つ剣に刻まれた印章で気付いていたのだ。
この間のような大事がなければ、彼が愛用する剣を使用する機会などないのに、何故かヒースはあの日以来、常にその剣を身に付けていた。
眠っているように目を閉じていたヒースが薄目を開き、パトリシアを眺める。
見下ろしてくるパトリシアの銀色の髪が太陽の光と重なり輝きを見せる。
まるで女神のようだと、恥ずかしい考えが浮かぶヒースだったが勿論口にはしない。
「牽制だよ」
パトリシアの問いに対し、ヒースはそれだけ言って目を閉じた。
パトリシアにはきっと分からない。
日々、輝かんばかりに人を惹きつけるパトリシアを引き離さないために。
決して利用するつもりなど無かった過去の経歴すら見せて牽制していることなど。
男のつまらない嫉妬など。
きっと美しい彼女には分からない。




