第十条(初めての感情)
舞踏会の大広間まで移動したレオとパトリシアは、周囲に流れる曲に合わせて共に手を取り踊り出した。
始めこそ仮面を付けたパトリシアの姿に周囲の目は訝しげであったが、洗練されたダンスの技術に皆が息を呑んだ。
「ダンスの腕前は相変わらずだな」
「わたくしの唯一の取り柄ですので……」
記憶を取り戻す前のパトリシアが得意だったのが社交ダンスだった。
見栄え良く振る舞うことが好きなパトリシアは、誰よりも社交の場で輝くためにダンスだけは必死に練習した。
が、結果は上達しすぎてあまりダンスを得意としない男性に遠慮されるというおまけつきであった。
「よくご存知でしたのね。わたくしがダンスを得意としていることを」
「アイリーンの友人という令嬢から聞いた。まあ、それぐらいしか取り柄が無いとも言われてたけどな」
一言余計すぎると思いつつもダンスは続く。
「アイリーンは強かだぞ。その上性格もいいわけじゃない。レイド傭兵団が敵うような相手じゃないってことは言っておく」
「妹のことですのに辛辣ですのね」
「事実だからだ。あいつはお前への嫌がらせでクロードと婚約したんじゃない。自分への利や見返りが誰よりも多いと判断したからだ」
手を取り、くるりと回りながらパトリシアは黙った。
確かにクロードは王都でも屈指の商会の跡取りだった。唯一持っていないものは貴族としての称号。それだけのためにセインレイムの婿となろうとしたのだから。
しかし実際のところ、爵位が上であったとしてアイリーンと繋がれば血の結束が強いガーテベルテとも繋がりを持てる上に、子爵まで手に入るという。没落しかけで名前だけが売りのセインレイムと比べられては敗北するも当然だった。
「アイリーンがパトリシア令嬢の存在に気付くとこちらにまで面倒が来そうだ。くれぐれも顔を出すな」
「分かっております……」
ダンスの曲が終わりを迎え音楽が小さくなっていく。
パトリシアとレオは互いにお辞儀をした。
「続きはネピアに戻ってから」
そう告げるとレオは背を向けて知人であろう男性と話し始めた。
彼の姿をじっと、パトリシアは見つめていた。
顔を隠したガーテベルテの三男、レオの相手を気にしつつも周囲はこれといってパトリシアに話しかけたりしなかった。
これ幸いとばかりにパトリシアはシャンパンを片手に持ちながらバルコニーへと向かう。
人の少ない場所を探してから周囲を見回した。ヒースを探しているのだ。
しかし見当たらない。
レオの傍にはドレイク傭兵団から雇った者がついているため、レオの護衛ではないだろう。
ようやく見つけたヒースは見知らぬ女性と会話をしていた。
顔見知りなのか、親しげに話す女性とヒースの姿を見てパトリシアの胸が痛んだ。
ヒースが話す相手は、ヒースより少し歳下らしい大人の女性。
(わたくしよりもずっとお似合いね……)
日頃はそこまで悲観的な考えをしないパトリシアだけれども、こと恋愛になると臆病な気持ちが芽生え出す。
ヒースとパトリシアの歳は離れている。お嬢さん呼ばわりされるぐらいには子供扱いされている自覚はあった。
初めて抱いた恋心だった。
クロードの時には持っていなかった恋煩い。
(これほど苦い想いをするものなのね……)
グラスに入ったシャンパンを一口飲む。
苦くてパトリシアにはまだ美味しさが分からない。
ようやくお酒を飲める年齢になっても、パトリシアは紅茶の方が好きだった。
ヒースに似合う女性になりたいと思う。
今のままではきっと、子供扱いされて見向きもされないだろう。
(けれど……)
パトリシアは首を振った。
必死にヒースへ合わせたところで、所詮付け焼き刃。綻びが見えて余計に惨めになるだけだ。
何が出来るかなど分からない。
ヒースにこの感情を知られていいものか、それすらも分からない。
芽生えたばかりの恋は、何処に向かえば良いか分からないままパトリシアの中で彷徨っていた。
「踊らないのか?」
バルコニーの片隅で広場を眺めていたパトリシアにアルトが声を掛けてきた。
先ほど会話をして以来だ。
「ええ。わたくしを誘うような方もいらっしゃいませんし」
わざとらしく仮面を持ち上げれば、アルトは苦笑した。
「その仮面があって良かった。アンタが別の奴と踊るところは見たくない」
恥じらいもなく堂々と言いのけるアルトの言葉にパトリシアの方が赤くなった。
告白されてから、アルトは隠すことなくパトリシアへの好意を表に出していた。
パトリシアには無い真っ直ぐさに憧れた。
「……アルトさんは踊らないのですか?」
「馬鹿。傭兵の俺が踊れるわけないだろ」
そんな風に返されてパトリシアは驚いた。
顔立ちが整った騎士のようなアルトが、まさか踊れないと思わなかったのだ。
顔に出ていたらしくパトリシアの様子を見たアルトが苦虫を噛み潰したような顔をする。
「お前まで意外とか思ってるのか? あのな、俺は平民だぞ。ダンスなんて貴族だけの教養だ。俺には関係ないもんなんだよ」
「それは……そうですね……」
「踊れてたらとっくにお前を誘ってたさ。パトリシア」
そんな風に言われてパトリシアは平静にしていられず俯いた。
俯くパトリシアを見て、アルトは笑う。
「意識されるってのは悪くないな」
「アルトさん……揶揄わないでください」
「揶揄ってねえよ。本気だし。俺自身、何でお前なんだろうなって思わなくもない」
腕を組みながらアルトが告げる。
「女嫌いとか言われてましたね」
「そう。今も好きじゃない。臭い香水の匂いを撒き散らして寄ってくる女なんざ吐き気がする」
酷い言いようだ。
アルトは顔が良いために、それだけ面倒な思いをしてきたのかもしれないとパトリシアは思う。
「お前は何も態度が変わらなかっただろ? 俺が何者だろうときっと態度を変えてこない。それどころか対等な視線で物事を見てくれる。それだけで十分だった」
「……アルトさんの本質を見てくださる女性は、きっと他にもいらっしゃいますわ」
「それ、遠回しに振ってんの?」
アルトに睨まれパトリシアは黙る。
小さな溜め息を吐かれてしまった。
「分かってるよ。お前が俺をそういう対象で見てないってことぐらい。でもさ、俺としては初めての感情だ。大事にしていきたい」
「……アルトさんのお気持ちはわたくしにも覚えがあります」
ヒースを好きだと分かった時の自身の感覚は、アルトが言う初めての感情と全く同じなのだ。
「覚えがあっても相手が俺じゃないとなぁ〜」
目元に手を置いて空を仰ぐアルトの溜息にパトリシアは苦笑した。
告白されてから緊張してしまっていたが、今は緊張が解れていた。
「わたくしも……アルトさんと同じなんです。この気持ちを大切にしたい」
ヒースを想う気持ちを諦めきれない。
似合わないとも思う。
子供扱いされていることだって分かっている。
けれどそれでも、好きなのだ。
諦めたくない。
「アルトさん、わたくしはヒースが好きなのです。ついこの間知ったばかりの感情を……わたくしも大切にしたい」
「…………分かってるよ」
怒るでも悲しむでもなく、アルトはパトリシアの言葉を受け止めた。
アルトとパトリシア。
どちらも抱く感情を大切にしたい。
その想いだけは同じだからこそ。
二人はそれ以上言葉を続けず、バルコニーから外を眺めていたのだった。
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