第十三条(告白)
涼しい風が吹き渡る。
空を見上げれば遠くに広がる青い空。そろそろ寒い季節が訪れる前触れを感じさせる空を見つめながらパトリシアは馬車を待っていた。
今日、パトリシアはヴドゥーを離れネピアへと戻る。
『またヴドゥーに来てください!』
『お手紙書いてもいいですか……?』
気づけば団員や事務官の女性達に囲まれるほど人気となっていたパトリシアとの別れには、沢山の団員が惜しんでくれた。色々な餞別品を渡され、これは巡回する移動馬車に運ぶのも大変だなと思うほどに。
ドレイク傭兵団で過ごした日々は短くなく、パトリシアにとっても愛着ある場所になっていた。
今まで起きていた蟠りは解消され、事件があって以来仕事場はとても仕事もしやすい良い環境になった。
意識を変えてくれた事務官の女性達が、これからも諍いが無くなるようにするにはどうすれば良いか。
そんな悩みを、リンダと一緒に話し合って決めたこともパトリシアにとっては良い仕事だと思っている。
(前世で全く参加しなかった事を、まさか今になって企画するとは思わなかったけれども……)
パトリシアがドレイク傭兵団の女性達との諍いが起こらないように提案した内容は、前世でいわゆる「お見合い」や「紹介」と呼ばれる機会を設けてみてはどうだろうか、といったものだった。
あらかじめ相手に望む条件や自身のプロフィールを紙にしたため、時間を設けて顔を合わせる機会を行う、といったものだ。
企画の時点では節度の問題や諍いが本当に起きないかと懸念する声もあった。正直、この企画に関してはパトリシアもうまく進められなかった。前世で全く興味が無く利用していなかったので、かじった程度の知識ではどうするべきかと悩んでいたところで、まさかのモンドが協力姿勢を仰いでくれたのだ。
「事務官の女性には希望に応じて一定の時間を会う時間に設けよう。数時間程度であれば仕事の間にも行えるだろう? 団員の奴らは……希望に応じて、あとは実力に応じてだな」
そんな事を発案してくれたものだから、モンド団長やリンダの協力のもとでドレイク傭兵団内でうまく運用ルールを決めてくれた。
その事により、互いの考えや条件が一致する相手同士で決まる機会を設けられたと、男女共に喜ばれた。今までは接点を持つ機会を得ることに必死だった女性にとっても良い結果となった。さらには特に結婚する意志もない団員や、すでに恋人がいる団員についても言い寄られることがなくなったので安堵しているという声もある。
パトリシアも勉強になった。こういった仕事も、もしかしてビジネスになるのでは? なんて思った……やめておいた。人間、向き不向きがあるのだから。
そんな事があってから暫く。ついにパトリシアはネピアに戻る。
多くの者たちと別れを告げてから、一人ヴドゥーにある移動馬車の待合所で馬車を待っていた。
「懐かしいわ……」
初めて訪れた時もこうしてネピアに向かう馬車を待っていた。以前は泊まった宿の前で待っていたことを思い出す。あの頃のパトリシアはまだ平民としての生き方も手探りだった頃だ。今ではこうして馬車をわざわざ借りるのではなく、街を巡回する馬車の存在を知った。少ない金額でネピアに向かうことが出来るようにもなった。調理は未だに苦手だけれども、それでも初めてヴドゥーに来た頃よりもずっと生活は出来るようになった。
そういえばカイルに手紙を出すと言っていたのに忙しさから出せていなかったことを思い出す。帰ったら今度こそ出そう。そんな風に思っていた時。
「懐かしいな」
気配無く隣に立ったアルトの姿に、パトリシアは驚いて声が出なかった。そういえば別れの挨拶を皆としていた時にも彼の姿はなかった。
「アンタとこうして馬車を待つのは二度目か」
「はい。あの時はお世話になりました」
ヴドゥーでアルトと出会った頃を思い出す。
いきなり喧嘩腰だったアルト。けれど彼のおかげでパトリシアは傭兵団という仕事を知った。思えば、すべての切っ掛けは彼から始まったのかもしれない。
「紹介状も助かりました。遠慮なく使わせて頂きました」
「あ? そういえば渡していたな。ルドルフの奴には効果があっただろう」
「いえ、前領主に使いました」
「はあ?」
驚くアルトの様子にパトリシアは笑った。詳しいことを説明していなかったので、馬車を待つ間に経緯を説明すれば。
「お前はどうしてそんなに無鉄砲かね」
と、諦めたようにため息を吐かれた。
「今度からは…………」
「はい?」
「今度から何かあれば俺を……俺達を頼れよ。もう、アンタはドレイク傭兵団の仲間だから」
「……はい。ありがとうございます」
アルトと知り合ってから随分経ったけれど、パトリシアはようやく彼の性格が分かった気がした。
始めの頃は貴族だったパトリシアを嫌悪していた彼だけれども、知れば不器用な青年のようだった。仲間想いで、仕事熱心で、それでいて女性が苦手。
知れば知るほど、優しいということも知った。
「色々ご迷惑をおかけしました」
「構わねえよ……」
そんな会話をしていると、遠くから蹄の音が聞こえてきた。
馬車にしては随分と足早い蹄の音に二人で顔を正面に向ければ、それが馬車ではないと気付いた。
一頭の馬が軽やかにパトリシアへと向かってくる。
「え…………?」
パトリシアは信じられないと、口元を手で覆った。
馬に跨りパトリシアの前に立ち止まったヒースの姿に、驚くしかなかったのだ。
「ヒースさん……」
「久しぶりだな」
馬から軽やかに降りるヒースの姿には何も変わりがない。相変わらずの緩い表情、少し癖の付いた髪。パトリシアに向ける眼差しはとても優しかった。
「馬を買ったついでに迎えに来てみた」
「馬を買ったのですか!?」
「前にロバが欲しいって話をしてただろう? 荷物を運ぶのにって。せっかくロバを買うなら馬もついでにな」
確かにミシャの仕事で必要という話をしていたけれど、まさか馬も買っていたとは。
「なんだよ。レイド傭兵団には馬もいなかったのか?」
棘のある発言に、何処か懐かしさを感じつつもアルトを見た。彼の顔は、とても不機嫌そうだった。
ヒースは暫くアルトを眺めていたが、少ししてから人の好い顔で微笑んでみせる。
「そうなんだよ。今までは世話する金もなかったんでね。でも、パトリシアのお陰で商売繁盛中につき、ようやく買えたわけ」
「…………あっそ」
「…………?」
何だろうか。
パトリシアは、何処か寒々しい空気を感じるこの場に口を出すことが出来なかった。考えてみればアルトとヒースは互いの顔は知っているものの知り合いというわけではないのかもしれない。紹介すべきか悩んでいたが、アルトに呼ばれ意識を元に戻す。
「荷物沢山あるんだろ? そこのおっさんに頼んで馬に乗せてもらえよ」
「あ、はい……そうですね。ヒースさん、お願いしてもよろしいでしょうか?」
鞄以外に沢山の贈られた物を傍に置いていたことを思い出し、慌ててヒースに確認する。ヒースはすぐに反応しなかったものの、承諾すると荷物を乗せ始めた。手伝おうと声をかけたが制された。
「パトリシア」
荷造りが終わるまでの間、ヒースの姿を見つめていたパトリシアにアルトが声を掛ける。
視線を向けた先のアルトは随分と真剣な眼差しでパトリシアを見ているものだから、パトリシアは思わず固まった。
「モンドのジジイがあんたと俺をどうにかしようとしていたことも聞いた……変なことに巻きこんで悪かった」
「いえっアルトさんが謝ることでは……」
事件があった別の日に、改めてモンドから謝罪された。その時にモンドの頬が赤く腫れていたのだが、聞けば「息子に説教された」と苦笑するだけだった。もしかしたらアルトに話した結果に叩かれたのかもしれないとその時に思ったけれど、どうやら正解だったらしい。
「あのジジイは自分がうまくいかなかったからって俺に早く結婚しろだの煩かったんだ。アンタには迷惑かけたな」
「謝らないでください。アルトさんに責任はありませんよ」
そう。あれはモンドによる親心というものなのだろう。過度で自己中心的すぎるけれども。
「いや、違う」
パトリシアの言葉をアルトはすぐに否定した。
「あれは、俺の責任だ」
「…………? そんなことは」
「あるんだよ」
その時、急に腕を掴まれた。
何が起きたのか分からないうちに、パトリシアはアルトの胸元に飛び込んだ状態になっていた。
驚いて身体を引き離そうと顔を上げてみれば、怖いほどに整ったアルトの顔が間近にあった。
綺麗な水晶のような碧い瞳。その眼に映る自身の姿が近づいてきて。
ちゅっと。
額に唇が押し当てられた。
途端、隣で荷造りしていたはずの荷物が馬から落下し馬の嘶きが響いた。
パトリシアは慌てて腕を伸ばしアルトから距離を取る。
「あ、あ、アルトさん!?」
一体、彼は何をしたのだろう。混乱する頭で、分かっている答えに対し現実が追い付かず上擦った声で彼の名を叫んだ。
飄々とした意地の悪い態度を見せるアルトの姿に既視感が浮かぶ。この態度、初めて会った時にも見せていた彼の姿。
あの時は意地悪をされたのだと思った。今回もきっとそうなのかと思ったけれど。
「アンタが好きだよ、パトリシア」
意地悪にしては冗談が過ぎるその言葉に。
常に平静な態度を良しとしていたパトリシアは。
その場で卒倒しかけていた。
ようやく恋愛模様を展開していきます……!今後は恋愛ターン&終盤に向けて進めていきたいと思いますが、更新ペースが遅くなると思います。




