第十条(処罰)
音一つ無い暗闇の部屋。埃が宙に舞っているであろう部屋の臭いは酷くかび臭い。
「イニスさん!」
パトリシアはとにかくここから出たくて固い扉を強く叩く。何度も何度も。
けれど扉の向こうからは何一つ反応が無い。もしかしたら別の誰かが、という希望は持てなかった。歩いてきた道がどれだけ皆のいる外から距離があるか、実際に歩いてきたパトリシアは理解していたからだ。
どうにかしなければ。
今いる状況を回避するために周囲を見渡す。部屋は窓ひとつ無い小さな部屋だった。何に使われていたのかは分からないが、あるのは椅子一つだけ。
生憎常に持ち歩いていたパトリシアの荷物は外の団員に預かってもらっていた。せめて持っていれば多少は役に立ったかもしれないのに。
身一つで付いてきた自分を悔やむ。
まさか、こんな仕打ちを受けるだなんて思ってもみなかった。
パトリシアは唯一の出口である扉に目を向ける。固く重い扉なのは分かっている。それでも、どうにかして外に出たい一心で、まずは距離を取って体当たりしてみた。
結果は勿論、パトリシアの肩を痛めただけだった。
分かってはいた結果だけれども、今のパトリシアにはとにかく行動するしかなかった。
この場でイニスが戻ってくるのを待つことも考えたが、薄暗く灯り一つ無い暗闇でいつ来るか分からない助けを待つなんて。気が狂いそうだ。
「それなら……」
パトリシアは唯一残されていた椅子を手に取った。見かけよりは重い木製の椅子を、震える腕で持ち上げながら勢い良く扉に叩きつけた。
衝撃で激しい音と共に椅子が砕け散る。
「あっ……!」
突然の衝撃はパトリシアにも被害が及んだ。力一杯叩きつけたために腕を痛め、更には壊れた椅子の破片が体にぶつかり、足を縺れさせその場に倒れ込んだ。
「痛い…………」
倒れた拍子に手のひらを木屑で切ったらしくジクジクと痛む。手も足も満身創痍状態だ。
こんな無茶なこと、普段だったら絶対にしないだろう。
けれど今のパトリシアは平静さを失いかけていた。
黙ってこの場で大人しくしていても待ち受けるものは恐怖しかない。
「…………っ」
体が竦む。
パトリシアは暗闇が好きでは無かった。
独り寝していた幼い頃を思い出す。
一人で泊まった宿で現れた泥棒を思い出す。
暗闇の中から急に掴まれ、ルドルフに乱暴された夜を思い出す。
暗闇は、パトリシアにとって恐怖だった。
「誰か…………っ! 誰か、助けて!」
扉の前に縋り大声を出した。
恐怖を打ち消すための術はもう、叫ぶしか無かった。
「誰か! ここにいるわ!」
ドンドンと、痛む手を無視して滲む血を無視してひたすら叩く。
イニスが同情して戻ってくるでも構わない。
「誰か! お願い!」
誰でもいいから助けて欲しい。
誰か、誰か。
涙が滲み出したパトリシアの脳裏に浮かぶのは。
『お嬢さん』
たった一人の男性だった。
「助けてっ……ヒースさん……!」
悲痛な叫びと共に求める人の名を呼んだ時。
無情に閉じ込めていた扉の向こうから戸を叩く音がした。
「パトリシア!」
くぐもった先から聞こえる声はアルトのものだった。
一瞬、思い出していたヒースが来たのかと錯覚していたパトリシアは慌ててアルトの名を呼んだ。
「アルトさん! 助けてください!」
「分かった……下がってろ!」
パトリシアは言われるがままに痛む足を堪えながら後ろへ下がった。
「下がりました!」
アルトに分かるように叫ぶ。
すると扉が激しい音を立てて何度も叩きつけられる。四度、五度。六度目でついに扉の鍵が壊れる音がした。
最後の一撃とばかりに足で蹴られた扉がパトリシアの目の前で倒れた。
急に現れる微かな光と共に現れたアルトの姿に、パトリシアはズルズルとその場に座り込んだ。
「大丈夫か!?」
パトリシアの様子に驚いたアルトが駆けつけてパトリシアの両肩を掴んだ。
「すみません…………安心したら腰を抜かしてしまって……」
アルトの姿を見た瞬間、パトリシアは全身から脱力した。溜まっていた眦の涙が一筋落ちる。
「………………」
アルトは黙り、パトリシアが落ち着くまでの間ずっと肩に手を置いて待っていてくれた。
「すみません、落ち着きました」
「大丈夫か?」
「はい」
涙を拭い呼吸を整えたパトリシアが立ち上がろうとした。が、うまく足が立たない。
「どうした?」
「すみません。まだ本調子ではないみたいです……」
「……じっとしてろ」
するとアルトはパトリシアの膝裏に手を置くとそのままパトリシアを抱き上げた。
「アルトさん!?」
「早く戻るぞ」
いわゆるお姫様抱きをされ恥ずかしかったがパトリシアは黙って従うことにした。残念ながら腰は回復していないし、先ほど痛めた足を考えるに元の道を歩くにも時間が掛かると思ったからだ。
「アルトさんはどうしてこちらに?」
「それは俺が言いたい。何だってアンタはあんな所に一人で居たんだよ」
「それは……」
イニスの事を思い出す。
彼女はパトリシアを閉じ込めてどうしたかったのだろうか。イニスに呼び出された事はアルトだって知っている筈だ。明らかに犯人だと追及されるような行為をしてまでイニスは嫌がらせをしたかったのだろうか。
「……アルトさん。イニスさんはどちらにいらっしゃいますか?」
「イニス? ああ……あんたと一緒にきた事務官のことか? 特に見ていないが」
「そう、ですか」
少しばかり不安に感じながらパトリシアは黙ってアルトに掴まっていた。アルトもパトリシアが次に言葉を放つのを待った。
今の彼女は、普段のような毅然とした態度が無く、とても弱っているように思えたからだ。
そして一つ。ずっとアルトの中で蟠る想いがあった。
『助けてっ……ヒースさん……!』
「………………」
アルトは、パトリシアが何処にいるのか分からないという団員の声を聞き、すぐに彼女を探していた。同じ事務官の女性と共に使用されていない建物の方向へ向かったことだけは見ていたため、後を追うようにそちらへ向かった。
薄暗いこの建物は、既に盗賊か何者かに家財は全て奪われていたため、今回の対象には含まれていない建物だった。
辺りを見回してよく分かったが、随分と老朽している。この場に長く居ては危険かもしれない。そう思うとアルトのパトリシアを探す足も早まった。
奥まで入った時だ。何処かでドンドンと音がした。
音のする方へ向かえば次第にパトリシアらしき声が聞こえてきた。まさか、と思いつつ目星をつけた扉の前に立つ。
パトリシアの名を叫ぼうとしたその瞬間。
彼女がヒースの名を呼んだのだ。
ヒース。
レイド傭兵団の新しい団長。ドレイク傭兵団団長であるモンドとも知己の仲である得体の知れない男。
ろくに仕事をしている姿を見たことがないが、アルトは彼が並々ならぬ実力の持ち主ではないかと思っている。それでも、日頃不真面目に見えるヒースにアルトは興味の一つも持っていなかった。
けれど今、はっきりと確信して嫌いだと認識した。
(俺の名を呼べよ。パトリシア)
腕に抱き締めた女性に想う。
別の男の名を呼んだ彼女に対し抱いた感情に名をつけるのなら。
それはきっと、嫉妬だ。
パトリシアが団員達の元に戻り治療を受け終えた頃、イニスが戻ってきた。
彼女の目は涙で泣き腫らした後で、まるでボロ雑巾のようにボロボロだった。
「イニスさん」
「ごめんなさい……パトリシアさん…………」
パトリシアの怪我した姿を見て青ざめたイニスはその場に膝を突いて謝った。
「ずっと…………パトリシアさんが羨ましかった…………私よりも仕事が出来る貴方が羨ましくて……悔しくて……」
「それで、あんな事を?」
すぐにでもバレてしまうような嫌がらせ行為だった。日頃パトリシアに嫌がらせをする女性達よりも稚拙で、それでいて純粋に悪意のある行為。
「少し怖がらせたら、謝って戻そうと思ってた……でも、憎くて憎くて……!」
「…………」
「ずっと貴方みたいになりたいと思ってた。貴方がいなくなれば、みんな私を頼ってくれるんだって思って……」
はあ、とパトリシアは小さく溜め息を吐く。
「感情的に行動してみて、怖くなったの? 貴方がしでかしたことを。認めたくなかったのかしら?」
「…………」
イニスは答えない。日頃嫌がらせなどしないイニスが行ったパトリシアへの嫌がらせは、どうにもエスカレートし過ぎである。真面目な分、おかしな行動をさせると随分変な方向に向かうようである。
「それではわたくしも、たまには感情的に行動してみましょう」
そう告げるとパトリシアはゆっくりと立ち上がり、足が痛まないようにイニスの側に寄った。
その様子を警戒しながら見つめるアルトとイニス。パトリシアは優雅に微笑みながら、痛まない方の手で思いきり空を切って。
イニスの頬を強く引っ叩いた。
バシンッという痛々しい音。
パトリシアの手もジンジンと痛む。なるほど、感情的に行動してようやく、自分も痛みを知るのだ。
「実力で負けるのが嫌でも実力で向かってきなさい。嫌がらせ行為をして自分を貶めているのは貴方自身よ? 貴方だけは、あの子達と違うのでしょう?」
あの子とは、いつもパトリシアに対し嫌がらせをする女性達だ。
彼女達に比べれば、イニスはとても真面目で仕事熱心だった。きっと、彼女にとってそれが誇りであったのだ。
その誇りを踏み躙られると思った末の愚かな行為を、パトリシアは態度と言葉で罰した。
「貴方への処遇は団長が決めることでしょうけれど、わたくしは貴方を許さないわ。正々堂々と立ち向かってくるまで許さないですからね」
だからさっさと這い上がってこい。
そう、受け止めたイニスは。
「ごめんなさい……パトリシアさん…………」
彼女にはきっと永遠に敵わないと。
心の底から後悔で涙を流したのだ。
誤字報告いつもありがとうございます!
感想もありがとうございます……!色々とツッコミどころも多いかもしれませんが、楽しんで頂ければ何よりです!




