第八章(引き抜き)
「失礼します」
「ああ、忙しいところに悪い」
数日ぶりに訪れる団長の執務室に呼び出された。
パトリシアはモンドに案内され、来客用のソファに座った。どうやら既に用意されていたらしい茶菓子に紅茶の入ったポットまで用意されていた。
モンドがわざわざ用意をしたにしては、随分と丁寧なおもてなしに何処か疑問を感じながらもパトリシアはモンドが口を開くことを待った。
「呼び出した理由はいくつかあるんだが……そうだな。まずはアンタからの依頼の話をしようか」
「はい」
予想していた呼び出しの理由にパトリシアは気を引き締めた。
「アンタが教えてくれたレーヌ郊外で暮らすセインレイム伯爵にお会いした。娘からの依頼で、死亡届を出して欲しいという事情も伝えておいた」
「はい……」
自身の身元を無くすのに最も手っ取り早いのが死亡届により自身を死んだことにする。
貴族は貴族名簿と呼ばれるものが帝国によって管理されていた。その名簿に記された者だけが、貴族であることを名乗れる。
逆に言えば、たとえ貴族の血を引いていようとも、名簿に名が記されない限り、その者は貴族として認められないのである。
「葬式を上げることも出来ないため、修道院に行く途中で行方不明となり、傭兵により遺体を埋葬された……そう言う筋書きに関して承諾した。念のためアンタが用意した書面にも署名をしたよ」
モンドにより手渡された誓約書には、久し振りに見る両親の名があった。
「最初は反対していたが……」
モンドは言葉を選んでいるのか続きが出てこない。パトリシアには彼が何を言いたいのか分かっていた。
「お金を渡して承諾したのでしょう?」
「…………ああ」
パトリシアは今回の依頼に少なくない自身の貯金を使った。モンドへの依頼料、そして両親への口止め料だ。
「死んだことにすれば帝国から弔意金も与えられますからね……両親なら納得したことでしょう」
パトリシアはこれで本当の意味で、両親と離別をしたのだと理解した。特に悲しみは感じなかった。
「アンタは…………いや、何でもない。あとは死亡届が受理された後に報告を受けることになる。帝国にいる団員に確認もさせる。それが済んだら今回の任務は終わりだ」
「はい。ありがとうございます」
今回の考えについては、ドレイク傭兵団へ向かうことになった時からヒースと共に話し合って決めたことだった。
自分達で動いては不利益になる可能性もあるから、ドレイク傭兵団に依頼するべきだと言い出したのはヒースだった。
両親への対策や修道院への手紙は全てパトリシアが行った。あとは、平民としてのパトリシアとしての戸籍が必要となる。
平民は貴族と違い、そこまで明確に名簿は存在していない。町役場に行き届け出ることはあるものの、身元などを詳しく確認することもない。
ただ、名と住処だけはしっかりと明記されることになっている。住んでいる地で子供が産まれ、家族としてその地で暮らすことになった時初めて戸籍と呼ばれる物が作られていた。
「……この依頼が完了したら、アンタはネピアに戻るのかい?」
「はい。勿論です」
当たり前のことを聞かれたことに、パトリシアは少し不思議に思った。そもそもドレイク傭兵団団長であるモンドとヒースが交わした約束は、パトリシアから仕事の依頼をしたい。時間を要するために一時ドレイク傭兵団で預かって欲しいという内容だったはず。
暫く黙りお茶を啜ったモンドがカップを置くと姿勢を正しパトリシアを見据えた。
「パトリシア。アンタが良ければこのままドレイク傭兵団に入団しないか?」
「…………え?」
それは、思ってもみなかった言葉だった。
なおもモンドは続ける。
「アンタの話は団員からもリンダからも聞いている。仕事も出来るし度胸もある。アンタなら将来傭兵団の事務官筆頭として団員達を引っ張っていくことが出来るだろう」
事務官筆頭として団員達を引っ張っていくことが出来るだろう
「買い被りすぎです」
「儂は人を見る目だけはあるぞ?」
「ですが……」
「ああ、そうすぐに断らんでくれ」
モンドは慌ててパトリシアを止める。
穏やかな笑みを浮かべながらも、何処か有無を言わせない強さがモンドにはあった。
「アンタはネピアに居づらい事情がある。だから貴族としての身分を捨てるために死んだことにした……だが、そんな事をしなくてもドレイクに入れば心配するようなことは無い。困ったことがあれば別の地にある拠点に身を潜めることだって出来るんだ」
「…………」
「悪いが、いくら死んだと証言してもアンタはアンタだ。やむを得ない事情があれば、貴族の奴等は死んだ事だって無かったことにするだろう」
「そんな……」
パトリシアには分からない。そんなことが本当に出来るのかなど。
ただ、モンドの話す言葉には一つ一つに重みがあった。
ヒースとパトリシアで考えた作戦だとしても、貴族であるレオ・ガーテベルテによってパトリシアの素性がバレでもすれば。
家族どころかパトリシア自身にすら何かしら罪を被せてくるのかもしれない。
少なくとも、パトリシアの知るアイリーン・ガーテベルテは優しい人間では無かった。
アイリーンという女性は、笑顔を振り撒きながらも人の不幸を喜ぶような人格だったはず。
彼女にもし、パトリシアの今を知られることになりでもすれば。
「………………」
滲む汗。何も言い返せず、ただ黙って俯いた。
「結論を出すにはまだ早い。報告が来るにはまだ時間も掛かる。どうかゆっくり考えてもらえるかな」
「…………」
パトリシアは何一つ答えることも出来ず。
ただ、黙ってその部屋を退室した。
「嫌な役だな」
重々しい溜息を吐いたモンドは、机に置いてあった葉巻を掴み口に咥えた。
懐にしまっていたマッチで火を付け葉巻を味わう。臭いの強い葉巻の煙が部屋を満たす。
モンドは考えれば考えるほど胸糞の悪い己の行為に顔を顰めた。事務官の女性から人気高いアルトをけしかけて女性の和を乱し、その上で彼女の働きを確認した。
モンドの予想通り、パトリシアは優れた女性だった。
他の女性であれば嫌になるだろう境遇を気にもせず対処し、更には仕事の改善案まで提案してくるほどだった。
そして何より、モンドはアルトの様子を見て己の勘が命中したと思った。
アルト自身が気付かなかった感情をいち早くモンドは嗅ぎつけた。
アルトはパトリシアに惹かれている。
本人は認めなかろうと、顔に、行動に、態度に表れている。
アルトはモンドにとって我が子のような存在だった。
ある事情により小さい頃から共に傭兵団で過ごし育ててきたアルト。気付けば成長し、今では肩を並べるほどに実力を備えた自慢の息子。
そのアルトに対し、ただ一つ心配していたことがあった。
アルトは女性が嫌いだった。憎んでいるのではと思う時期さえあった。
それが、彼の生い立ちに関わるため何も救うことができずアルトを静観してきたモンドだったが。
パトリシアと出会ってからアルトの表情が変わった。頑なに拒んでいた女性への嫌悪が、パトリシアにだけ無かったのだ。
きっとそれはアルトですら気づいていない機微な変化。けれどモンドはそれを見逃さなかった。
「悪いな、ヒース」
友である傭兵の名を口にしながらモンドは窓の外を眺めた。
恐らく自身の行為を知れば、大切な人は自分を恨むのかもしれない。それでも構わない。
「アルトには……俺のように不幸になって欲しくねぇんだよ」
それはきっと。
大きなお節介とも言える、モンドの我儘な親心だった。




