第七章(法令遵守)
「パトリシアさん。ちょっといいかしら」
机に座り今日の仕事をこなしていたパトリシアの前に一人の女性が立った。
パトリシアは手に持っていたペンを机に置いてから目の前に立つ女性に顔を向けた。
彼女の名は確かエリスだったはず。
「何でしょうか」
「これ。間違ってますけど」
出された書類は先日パトリシアが処理した異国の要人警護を務めた傭兵団に関する詳細の書類だった。
「ここ! 帝国への税額が違うわよ?」
ピシリと指で指し示した箇所には、帝国に納めるべき税関への税額を記載している箇所であった。
「依頼人が帰国する際に関所で支払った税で間違いないと思いますが?」
「全然違うじゃない! 必ず一人当たりの入国に関する金額は固定で決まっているのよ? 今回は二人だったけれど、この金額だと一人分しか払っていないじゃない! 困るのよね……間違えられると」
揚げ足とったように勝ち誇るエリスを見て、パトリシアは物凄く白けた顔をしながら溜息を吐いた。
「そちらの資料……二枚目をご覧になりました?」
「えっ二枚目?」
「はい。今回の依頼人は友好国……ローザレイ国です。ローザレイはユーグ大帝国と国交も多く友好国であるために税に関しても優遇されていることはご存知ですか?」
「え……え?」
パトリシアは目の前の女性が本気で理解していないことと悟り、引き出しから一枚の書状を取り出した。
「いいですか? ユーグ大帝国と友好契約を締結している国に関して商売を行う場合、その国の許可証があれば優遇した税率で取引をして良いとの法律が定められています。今回のローザレイ国との友好契約が結ばれたのは一年前です」
渡した一枚の紙には友好国の一覧表と許可証に関する説明、そして優遇される税率が記されている。
今回の傭兵は要人の仕事を行うに際し、依頼人から許可証を受け取っていたため、パトリシアは内容を確認した上で計算をしたのだ。
しかしエリスはその事を知らなかった。彼女が何処まで知っているのかは分からない。
ただ言えることは。
「エリスさん」
パトリシアの冷ややかな声色にエリスはビクつきながら顔を上げる。そして震えた。パトリシアの顔が美しいまでに怖かった。
整った顔立ちが冷たい表情になると、美しさも相まって恐ろしく見えるのだ。
「困りますわ……間違えられると」
先ほどエリスがパトリシアに向けて言った言葉をそのまま彼女に返せば。
エリスは言葉の意味に気付き、真っ赤になって憤慨したまま、何も言えずにその場を走り去った。
そしてパトリシアは姿勢を元に戻し。
引き続き仕事に取り掛かった。
「鋼の事務官」
「はい?」
仕事を終えて帰宅しようとしたところで突然声を掛けられた。しかも、変な呼び名で。
「アンタのあだ名だよ。その髪色から鋼の事務官って呼ばれてるぞ」
「あら……まあ」
何てことだ。
前世では鉄だったのが、どうやら今世では鋼になったらしい。鋼の方が強そうに思えるから、ある意味ステップアップしたのだろうか、などと考える。
「今日もエリスって女とやりあったって?」
現れたアルトは何も言わず、そのまま私の隣を歩き出す。
「やり合ったというのは人聞きが悪い言葉ですわね。相手から仕掛けてきましたので適切に対処しただけです」
「適切ねぇ……」
アルトが聞くに、パトリシアに嫌がらせをされたのだと泣き喚くエリスとかいう女性がアルトに救いを求めにきたが、勿論アルトは一蹴した。
自分の事を自分で解決出来ないような奴は、男だろうと女だろうとドレイク傭兵団には必要無いとだけ言えば、女は大人しく引き下がった。
そんな事があったせいだろうか。アルトは気になり、こうしてパトリシアが帰っている姿を見かけたためつい声を掛けたのだ。
「傭兵達の中では評判が高いよ、アンタ。仕事も出来るし顔もいいってよ」
「ありがとうございます。褒め言葉として受け取っておきます」
澄ました態度のまま何一つ反応せずに帰路へと向かうパトリシアに、アルトは小さく舌打ちした。
「おい」
突如肩を掴まれる。
驚いて振り返れば、夕暮れの中で立ち尽くすアルトの顔があった。金色の髪が夕陽の光と重なり、どこか神々しさを感じる光景だった。
「……悪かったな。この間は」
「……え?」
何かあっただろうか。
彼に謝罪されるような事に心当たりが全くなく、パトリシアは首を傾げた。
「だからっ……その……ああっクソ!」
夕陽のせいなのか、それとも顔が赤らんでいるのか分からない。ただ、言いづらそうなアルトの様子にパトリシアは謝られる理由が一つ該当した。
足、である。
「この間のことでしたら……わたくしが悪いのです。こちらこそはしたない格好をして申し訳ございません」
改めてパトリシアは頭を下げる。
いくら人気が無かったからと言って、いくら下に敷物をしいていたからといって、靴を脱いで横たわるのは恥ずかしいことだ。
「…………いや……」
どうやら正解だったらしい。
アルトは暫く黙った後、小さく咳払いをした。
「今度からは気をつけろよ? ここは男ばかりだから……変な気を起こす奴だっていないわけじゃない」
「はい……」
アルトの言う通りだった。次第に恥ずかしさから頬が赤らんだ。アルトからは夕陽のせいだと思って貰えれば良いが。
「…………」
「…………」
互いに気まずい面持ちのまま隣を歩く。
別れるにも別れづらい状況。
黙って歩いていく中で、あっという間に宿舎へと辿り着いた。
「ありがとうございました」
「え?」
パトリシアが礼を告げるとアルトは不思議そうに聞きかえす。
「送って下さったのではないのですか?」
パトリシアは不思議そうに聞き出す。暗い道だからこそ着いてきてくれたのだと思っていたが違うのだろうか。
「いや、そう……だな」
「……?」
何処か歯切れの悪いアルトにもう一度礼を告げてからパトリシアは建物の中に入った。
その様子をアルトが眺めていることには気付かずに。
建物の階段を登り、自室に入ろうとしたところで声を掛けられる。
「パトリシアさん。手紙が届いているよ」
「ありがとうございます」
宿舎の管理を任されている老人から手紙を受け取る。手紙の数は二通。
送り主を確認しながらパトリシアは部屋へと入った。
重い荷物を机に置き、引き出しから封を切るためのにペーパーナイフを取り出し丁寧に開封した。
一通目はとある修道院の院長からだった。そこは、セインレイム家に居た時に名を使わせて欲しいと頼んだ修道院でもあった。
「……有難いわ」
手紙に書かれた内容は、パトリシアの素性に関して、誰かに尋ねられたとしたら神の名の下、彼女は修道院を訪れなかったとお伝えする旨が書かれていた。
その言い回しでは偽りとならない。
そして、神を頼ったパトリシアに対し、修道院として出来る限りの事は行うが、神の元で偽りを述べることだけは出来ないことだけは忠告されていた。
「勿論です……ありがとうございます」
手紙を胸元において遠くの地にいる修道院へ感謝の言葉を述べる。
それからもう一通の手紙を開く。
送り主はヒースとミシャの名前。
「…………ふふっ」
パトリシアは自然と笑っていた。
ミシャからは沢山書かれた手紙の文。文字を綺麗に書くことが苦手だと言っていた彼だけれども、随分と上手に、そして長文に渡って近況を語っていた。
そしてもう一枚。
たった一枚の紙に一言。
『何かあれば頼ってこいよ』
とだけ。
ヒースの癖ある文字に。
パトリシアは胸が温まる思いで。
ずっとその手紙を眺めていた。
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