第一章(ドレイク傭兵団)
朝から機嫌の悪いミシャは、日頃見せる笑顔を今日は全く見せずにヒースを睨んでいる。そして、無言である。
針の筵とはこの事を指す。視線による攻撃が痛い。とにかく痛い。
「…………ミシャ。今日の仕事は?」
「……終わったよ…………」
「今日は俺も時間があるから稽古でもするか?」
「いい……他の仕事に行くから」
「あ……そう…………」
普段だったなら目を輝かせながら喜ぶ稽古も、今の機嫌が最高に悪いミシャにとっては何の褒美にもならない。
ヒースは致し方ないとはいえ、この気まずい重い空気を甘んじて受け止めていた。ミシャの事情を思うに申し訳なさがあるからだ。
ミシャが知らない間に、パトリシアをドレイク傭兵団に一時働かせに行かせる事になったと知らせた時のミシャの反応たるや。
呆然として、言葉の意味を分からないまま硬直していた顔がみるみると悲しそうに表情を歪ませて。
それから普段聞かないぐらい大きな声で「何で!」と問い詰められた。
ヒースはミシャには事情を明かしていない。
明かしてしまえば芋蔓式にパトリシアが貴族であったこと、婚約破棄をされた相手の恋人が、新領主の妹であることまで吐かなければならないから。
だから濁しながら、「勉強のため」としか言えず。
そしてそれが嘘だとはバレており。
それ以来、ミシャの態度はこうだった。
(…………どうにかしねぇとな……)
ヒースは物憂げに窓から空を見上げた。
ミシャの機嫌を直すためもあるのだが。
傭兵団の建物の中に、ついこの間まで居たパトリシアの気配が無いだけで。
ヒースもまた、物寂しい気持ちに駆られているのだった。
初めてパトリシアがヴドゥーを訪れた時は、見知らぬ土地と初めての平民としての生活への期待と不安で、そこまでゆっくり滞在することもなかった。
だからこそ、こんな街の外れに大きな傭兵団の建物があったなんて知りもしなかった。
(大きい……領主の屋敷かと思ったわ)
建物は城造りのようだが屋敷のような雰囲気もある。ただ、その周囲を囲む壁や中を出入りする傭兵団の様子から貴族らしさや優雅さは皆無だった。建物も立派だったがほとんど装飾がされていない。貴族であれば庭園に力を入れたり所々に彫刻などを飾ることもあるが、この建物にはそういった来賓客を楽しませるような趣向が無かった。
「パトリシアさん。こちらです」
「はい」
数日前にヴドゥーへ到着したばかりのパトリシアは、就任するまでに少しばかり時間が空いていた。
それは、急遽決まったパトリシアの配属や支給品などの準備に数日時間を要するためであると説明をされた。その間にパトリシアも何処かで部屋を借りようと考えていたのだが、その心配は無用だとドレイク傭兵団の一人から話を聞いた。どうやらこの建物から少し離れたところに、女性専用の寮と男性専用の寮があるという。パトリシアは有り難くそちらを使わせて頂くことになった。
そのため、就任するよりも前に行ったのは自身の寮生活に必要な物を町で購入することだった。寝具や鏡台などはあるものの、布団は無いためそういった物を新調することに数日を要した。
部屋の出入りが多かったために他の寮に入っている人と出会うことも無かった。
だからこそ、就任日である今日がパトリシアにとって初めての顔合わせである。
一人の事務官らしい男性に案内されたパトリシアが辿り着いた場所の看板には団長室と書かれていた。
パトリシアはすぐに一人の男性を思い浮かべた。
「失礼いたします。パトリシアさんをお連れしました」
「ご苦労。入ってくれ」
部屋から聞こえる声を聞いてパトリシアは確信した。
「失礼致します」
入室して直ぐに頭を下げ、暫く経ってから顔を上げて微笑んだ。
「ご無沙汰しております。モンド団長様」
「久しぶりだな。畏まらんでくれ」
相変わらずの渋い顔、渋い声。傷で塞がれている左目のせいで印象が怖く感じられるであろうが、モンドそのものの人柄の良さが滲み出ていてパトリシアは出会った頃から信頼を抱いている。
案内してくれた男性が頭を下げて退室する。
パトリシアはモンドに誘導され、団長室の来客用ソファに掛けた。
「この度は急な依頼にも関わらずご承諾頂きありがとうございます。ヒースが無理を申したことでしょう」
「いやなに。むしろ有り難い話だったよ。何せパトリシアさんの噂はヴドゥーでも聞き渡ることがある」
モンドの言葉にパトリシアは驚いた。モンドはパトリシアの様子を見て右目でウインクをする。
「ヴドゥーもルドルフには困らされてたんだよ。なんで助かったさ。あんたは街の救世主ってこった」
「過大評価しすぎです。ルドルフを捕らえてくださったのはモンド団長様ではありませんか」
「儂はヒースの言うまま動いただけだ。ルドルフの裁判に事務の者を行かせていた。ルドルフが行っていた横領をまとめた資料を読んで驚いておったよ。見たことがないほど整っておったと」
前領主にルドルフの事を説明する時に使用した資料は裁判に使うということで提出をしていた。
「無理を承知だが、我々傭兵団は実力こそあれ力でのし上がっただけの集団だ。パトリシアさんのような事務書類ごとはその、苦手でな。全部丸投げしておる」
「はあ……」
「事務の奴らを疑うわけじゃあないが、全幅に信頼をして足を掬われては元も子もない。せっかくの機会に頼み事をするのも何だが、もし良ければ儂らの傭兵団の事務官仕事を見てもらっても構わんか?」
モンド団長は歳も高く権威も相当に高い筈だというのに、パトリシアという事務官一人に対しても丁寧に依頼してくれた。
まるで当たり前のように話すモンドだが、それがどれだけの影響力があるのか分からない男ではない。
そして、そんな人格の彼だからこそ、この傭兵団は強さを誇れるのだろう。
「……喜んでお受けいたします。これから暫くの間、どうぞよろしくお願い致します」
パトリシアは敢えて手を差し出し握手を求めた。
握手。それは商売をし合う同士が交渉を成立した時に行う軽い儀式のようなものだった。
パトリシアは敢えてその手を差し出した。
モンドは少し驚いたものの、笑ってから大きな手を出しパトリシアの握手に応えた。
「よろしく頼む。パトリシア事務官殿」
それから暫くはネピアの話、ドレイク傭兵団の話を互いに交わしていた。
お茶を飲みながら和気藹々としていたところで、扉の向こうで誰かが訪れてくる。
「失礼致します」
「ああ、来たか」
扉の先にいる声にパトリシアは聞き覚えがあった。アルトだろう。
入室してすぐにパトリシアと目が合ったアルトは、少しばかり不満そうな顔をしつつモンドを見た。
「話があると聞いて来ましたけど……来客中なので退散しても?」
「何言ってやがる。パトリシアさんなのは見て分かるだろ。彼女が呼び出した用事だよ」
モンドは立ち上がるとアルトの背中を思い切り叩いた。慣れているらしいアルトは「グッ」と一言苦しそうに吐いただけでその場から足は動かない。
もしアレをパトリシアがされていたら……今頃地面とお友達だろう。
「今日から事務官として預かることになったパトリシア嬢だ。アルトとは顔見知りだしな。傭兵団の中を案内してやってくれ」
「何で俺が。他の奴にやらせればいいだろう」
団長に対しての畏まった態度が一変した。どうやら普段はこういった口調らしい。
「何言ってる。お前が行くことで牽制かけんだよ。お前、パトリシア嬢が好きなんだろう?」
ニヤついたモンドが言った言葉に対し。
「はあ?」
パトリシアとアルトは気が合ったようにハモった。
評価、誤字訂正ありがとうございます!




