附則
オールドレは新領主となるレオ・ガーテベルテの演説を聞きながらも別の事を考えていた。
思い浮かぶのは、半年ほど前に知り合った商人バックスのこと。
織物の商人としてネピアで商品を探しに来たという青年の第一印象は真面目そうで、それでいてとても強い意志を持つ人物だったことを覚えている。
工房に数名で訪れた男性の中の一人と目が合った瞬間、バックスという男性はひたすら真っ直ぐにオールドレを見つめてきた。
その時は自分が何か不恰好だったかと不安になってしまい視線を逸らしたことも覚えている。
オールドレは男性が苦手だった。女性ばかりの家族に囲まれていたし、仕事場も全員女性だった。小さい頃は町のいじめっ子にいじめられていたこともあって上手く喋ることも苦手だった。
だからこそ、初めてバックスに話しかけられた時、彼女は何一つ言葉を話せなかった。
「初めまして……バックスと言います。その、とても綺麗な……織物ですね」
仕事で依頼されていた織物作業を黙々としていたオールドレに対しそんな風に話しかけてきた時。
オールドレは動揺して何も話せず、かといって作業を進めることも出来ないまま硬直してしまったのだ。
それが、バックスとの最初の会話。
それから仕事の合間を縫っては会いに来てくれるバックスに対し、オールドレも漸く一言二言会話をすることができるようになった。
バックスはネピアにいるどの男性とも違い、とても紳士的で都会暮らしの男性らしい服装の着こなしをしていた。織物を扱うオールドレは都の流行にも機敏であるため、彼が着ている普段着が汚れていたり古くあろうとも、都で買ったものであることはデザインから感じ取っていた。それもまた、オールドレにとってバックスに憧れる一つでもあった。
ネピアという町から出るつもりはない。
それでも、デザイン業を行うオールドレにとって、最先端の流行に触れたかった。
バックスは更に沢山の地域で織物を見ていた。大陸による独特なデザインや技法、その需要先についてなど彼の博識さに惹かれた。
けれど何より惹かれたのは、ひたむきにオールドレを想っていると告げてくれた彼の言葉だった。
会話をしていく中でバックスに惹かれ、逢瀬を交わせば交わすほど愛しい気持ちはオールドレにも芽生えていた。
だからこそ彼が結婚を前提に付き合いたいと告白してくれた時は嬉しかった。
本当に、嬉しかったのだ。
けれどオールドレは首を横に振った。
オールドレは恋に夢を見るだけの少女ではなかったのだ。
オールドレの父は町で馬車を扱う御者の仕事をしていたが、事故により脚を悪くしてしまい、今は座り仕事を中心に行っている。だがそれだけでは家族全員が裕福に暮らすには厳しく、オールドレ自身は憧れもあった織物の工房に早いうちから仕事に行かせて貰っていた。つまり、オールドレの家族で最も収入源であるのはオールドレ自身だったのだ。
もし、バックスと結婚をして、彼と共に商人として他の地に行くことになればオールドレの家族はどうなってしまうのか。
バックスの拠点とする場所で仕事を探すことも考えたが、田舎町の工房で働いていただけのオールドレでは今ほどの給金は貰えないだろう。仕送りするにも少ない額になってしまう。
家族は落ち込むオールドレに対し、気にせず好きな生き方をして欲しいと言ってくれた。それが嬉しくもあり、そんな大好きな家族を不幸にしたくなかった。
だからバックスの告白は断り続けたのだ。彼が好きでいてくれたという事実だけで、オールドレには十分だった。
それから暫くした後のこと。
仕事で遠くに行く時には必ず手紙を送ってくれていたバックスが町に戻ってきたというが、以前ほどオールドレに会う時間が減っていた。
その事に気付いたオールドレは胸を痛ませながらも自業自得であることを理解していた。自分が悲しむ資格などないのだ。
ただ、それでも想わずにはいられない。
オールドレの中でバックスへの想いは日々膨らむばかりだったのだから。
どう諦めを付けるべきなのか。
そんな風に思っていた頃、仕事の用事で向かった図書館でバックスの姿を見た。
美しい女性と一緒にいる姿を。
強い衝撃を受けて逃げ出そうと思った。
諦めなければいけないと分かっていた筈なのに、いつか訪れるであろう未来、バックスが他の女性と結ばれる未来を見せられてオールドレは動揺した。
オールドレに会う時間が減ったのも、銀色の美しい髪をした女性に想いを寄せたからなのかもしれない。
もう諦めよう。
心に誓った時、何故かオールドレの考えを打ち消したのは、その銀色の髪をした女性パトリシアだった。
そしてパトリシアはバックスを追い出してまでオールドレと話をした。その様子はあからさまと言って良いほどにバックスとの関係が仕事上の付き合いであることを見せつけていて、それもまたパトリシアの気遣いなのだとオールドレは気付いた。
(優しい人……)
彼女はすぐにオールドレの想いに気付き、一切の誤解を与えないよう、直接の言葉ではなく態度で示してくれたのだ。バックスにオールドレの想いを気付かせないようにも配慮しながら。
パトリシアがレイド傭兵団であると聞いて驚いた。一時は良くない噂しか流れていなかった傭兵団。その全てを変えたのが一人の女性である噂をオールドレは知っていた。
(この人があのルドルフを追い出したなんて)
とても綺麗な女性だと思った。
吊り目でキツい印象を与える瞳だけれども、オールドレを見つめる時は少し柔らかい瞳に変わる。
細く手入れされた指先は貴族のようにきめ細かい。彼女が平民出身でないことはすぐに分かった。
けれどそれが何だというのだろう。
「どうか、一人で悩まないで下さいね。わたくしでよろしければいつだって、貴方の味方になりますから」
そんな優しい言葉をオールドレに与えてくれる彼女に。
オールドレは涙が溢れて止まらなかった。
思い出を振り返っていたオールドレは、呼び出された場所で長いこと待っていた。
時間が掛かるかもしれない。けれども待っていて欲しいと言われた。
その呼び出される理由が何なのかオールドレには分からないけれど、たとえどんな答えであろうともオールドレは伝えようと思っていた。
呼び出した相手バックスに。
「貴方のことが好きです」と。
この先のことはどうするか不安は尽きない。家族のことも仕事のこともある。それもバックスに伝えようと思っている。その結果、バックスがオールドレを受け入れられないなら仕方ない。それでも何も言わず想いを消そうと思っていた頃よりマシだ。
(それに私には彼女がいる)
いつでも味方になってくれるのだと。
一人で悩まないでと告げてくれた女性。
家族でもない何の関係もなかった女性だというのに、誰よりもオールドレが求めていた言葉を与えてくれたパトリシアとの会話が、オールドレに勇気を与えていた。
「オールドレ!」
バックスが急いで駆けつけてくる。
真っ直ぐな瞳。オールドレが大好きな実直な彼。
「バックスさん」
「君に……もう一度伝えたいことがあったんだ」
「……私も貴方に伝えたい言葉があるんです」
え? と不思議そうにオールドレを見つめる彼に微笑んだ。
「私は、バックスさんが好きです」
その後、真っ赤になって言葉通りその場で卒倒したバックスをオールドレが膝枕をして介抱する中で。
彼が数年の間ネピアで遺跡の商人として専属で仕事をすることになった話と。
いつか独立してネピアで商人業をしたい話を聞いた。
その時オールドレは嬉しい話の裏、暗躍したであろう女性の顔が思い浮かんだ。
嗚呼。
貴方が苦しい時、何か困った時があれば。きっと私は貴方のために全てを尽くそう。
「オールドレ」
「はい」
膝枕されたままの情けない姿のまま、バックスはオールドレを見上げた。
「僕といつか……結婚してくれますか?」
何度目か分からない、彼からの告白に。
オールドレは静かに、ゆっくりと頷いた。
第三章終了です。
次も引き続きお付き合い頂けると嬉しいです!
段々恋愛要素が増えていく……のか?
次章、出向先は大手企業!とっても職場は良いけれどパトリシアを煙たがる職場の女性事務員による嫌がらせが勃発!パトリシアは一体どうなっちゃうのー…!? という感じです。




