第十二条(出向)
就任式の声が響く。
「新しい領主となれば不安も多いと思う。だが私は貴方がたに約束しよう。決して力で貴方達を押さえつけるようなことはしないと。我が『ガーテベルテの血の結束』の噂を聞いているかもしれない。その事で、ネピアが誰のものとなるのかと囁く者もいると聞く。けれども胸に刻んで欲しい。ネピアはネピアの民の物であると。どうか皆、変わらず日々を生きてほしい。貴方達が日々生きて生活をしていくことこそが、ネピアのためとなるのだから」
新領主であるレオ・ガーテベルテの演説とも言える就任式の挨拶にネピアの民に活気が湧く。
賞賛する歓声の中、レオ・ガーテベルテは笑顔を浮かべその場を退場した。
そして人の少ない場に降りると小さく溜め息を吐く。
「こんなものか」
歓声の中、誰一人として聞こえないであろう彼の独り言は、先ほどの熱弁が嘘のように冷え切っていた。
バックスとの契約締結を終えたヒースとパトリシアは、賑わいを見せる町の中に溶け込まず、早々にモルドレイドの元に向かい事情を説明した。
彼自身、特に商人に関する詳細に関しては無関心にも近くレイド傭兵団の好きにして欲しいと言われていたが、報告は必要だ。
バックスの事情も話ついでに伝えれば、皺の刻まれた顔が硬直した後大きく笑い出した。
「いやいや、本当にパトリシアさんは面白い。一体どれだけの人を救っているのやら」
「何を仰いますの。仕事を繋げただけですわ」
「それは謙遜というもの。貴方の仕事に対する姿勢は素晴らしい。尊敬に値する」
改めて言われても、パトリシアにはそこまで人を救うというような感覚など一切ない。
ただ、仕事でも何でもパトリシアに関わり合った人には、十分な生活をして欲しいし満足した生き方をして欲しかった。それは、前世の頃から感じていたこと。
仕事を通じて知り合う人々、家族以外に触れ合う仲間。その一人一人と、仕事だからという冷めきった関係ではなく人として通じ合えれば良いと思っていた。
家族の愛情も冷え、更には婚約者にも捨てられたパトリシアにとって、それだけが唯一人と繋がれる機会なのだと本能的に察しているのかもしれない。
「商人の方への詳しい説明はまた後日ですね。改めて遣いを出そうと思います。今日はどうにも仕事は出来ないですからね」
モルドレイドも十分仕事中毒のようだったが、流石に就任式当日には誰も働こうとしないらしい。モルドレイドは残念そうに自身の仕事だけを粛々と事務所で行っていた。
「貴方達は就任式は見に行かなったのですね」
「興味が無いからね」
ヒースが先に答える。彼自身、本当に興味が無さそうだった。
「モルドレイドさんは新領主には顔を合わせたことがあるんだっけ?」
「ああ、今回の件で話をする機会を頂いたよ」
「どんな印象だ?」
ヒースの問いにモルドレイドは暫く考える。
「そうだね。あまり噂で聞くガーテベルテ一族の印象は無かった。彼らの一族はもっと一族であることを誇りにかけるような印象だったけれど、今回の遺跡に関してもすぐに一族に取り上げられるかと思っていたが、そこはネピアの内部で好きにして良いと言われた」
「一族の三男だったっけ?」
「そうだよ。長男はガーテベルテ家を継いで王都に勤めている。次男はガーテベルテの領地を任されていると聞く。三男の噂はあまり聞かなかったからねえ」
「他の兄弟は?」
矢継ぎ早に聞くヒースにモルドレイドは目を丸くした。
「どうしたんだいヒース。君にしては随分関心があるみたいじゃないか」
「……新領主に少しでも機嫌を伺わないと傭兵団を潰されちまうんじゃないかと心配でね。使える情報は取っておくに限る」
ヒースの言葉には納得いく部分がある。モルドレイドは横目でパトリシアを見るが、彼女からは特に反応もない。何処か気まずそうな様子でヒースを見ているようではあった。
「……そうだね。五人兄弟のうち、残りの二人は妹だ。一人はガーテベルテの分家に養女になったと聞いている。あと一人はまだ幼いみたいだから社交の場に顔を見せたことは無いかな」
「詳しいねえ」
「調べようと思えば君の方が詳しく調べられるだろうに。まあ何にせよ、現状ネピアに大きな影響は無いと見ているよ。ただ、安心出来るような領主でも無いと思っている」
モルドレイドの言葉に厳しさを感じ、ヒースとパトリシアは黙ってモルドレイドを見た。モルドレイドは執筆していた手を止め、指先を弄り出す。
「レオ・ガーテベルテからは野心が感じられた。田舎町では終わらないような、王都の中心地でしか見えないような野心がね。あれは相当一族の中で拗らせていると見たよ」
「拗らせてる?」
「ガーテベルテは長子至上主義だ。三男ともなると立場も弱い。だからこそ野心が強いと私は見ている」
「…………」
パトリシアは自然と息を呑んだ。
モルドレイドの意見があまりにも的を射ていたからだ。
パトリシアの知るレオ・ガーテベルテは噂にしか聞かないガーテベルテ家の三男。そして、かつてのパトリシアにとって名ばかりの友人であるアイリーン・ドナルドの兄である。
良い印象を持つ方がおかしいというもの。
「まあ、暫く君達には遺跡関係でしっかり仕事をして貰うんだから。何かあれば私も手を貸すよ」
そう、安心させるように話すモルドレイドに。
ヒースとパトリシアは自然と頭を下げた。
町役場を離れ、騒々しい町の隙間を隠れるようにヒースとパトリシアは歩いていた。
表情は何処か曇らせたままのパトリシアを、時々様子を窺うようにヒースは見つめた。彼女の瞳は新領主の話が出てからこうして曇ることが多い。それが、ヒースにとっては歯痒かった。
彼女の考えは手に取るように分かる。自身の素性が露見した時のことを考えているのだろう。
「…………」
ヒースは、告げるべき言葉を言えずにいる己に嫌気が差す。彼女に告げなければならない言葉は分かっている。そのために秘密裏に、彼女には内緒でとある事を進めていた。その許可も降りている。
あとは彼女に伝えるだけだというのに、その一言を口に出せないでいる。
(何やってるんだか……)
理由は分かっている。
分かっているからこそ自嘲する。
まるで子供のような我が儘にどう終止符をつけるべきか悩んでいる時に。
ふと、後ろからついてきていたパトリシアの足が止まったことに気配で気付いた。
「どうした?」
声をかけて振り向いてみれば彼女の表情が今まで見たことがないほど青褪めていた。
彼女の視線の先、その先に見慣れない貴族の姿が見えたからだ。
(どうしてこんなところに……?)
人混みを避けた裏路地の道を進んでいたパトリシアは混乱した。何故このような人通り少ない場所にレオがいるのだろう。幸いなことは、彼がまだパトリシアに気付かずに歩いていること。周囲には護衛らしい者も数名いる。その者達と共に、今まさにパトリシアとヒースと擦れ違おうと歩いてくる。
(どうしよう……!)
今、顔を見られれば聡明な彼のことだ。パトリシア・セインレイムその人である事はバレてしまう。かといって慌てて逃げようにも目立ってしまう。せめて顔を合わせないよう俯いて足を止める。
心臓が煩いほど高鳴り、どうしようと硬直していたパトリシアの体が、急な力に抱き寄せられて世界が闇に覆われた。
何かに抱き締められていると気付いたのは、嗅ぎ慣れた煙草の匂いを感じた時だ。
きつく抱き締められている。
姿も顔も何ひとつ見えないほどに。
ヒースに。
「じっとしてろ」
耳元で囁かれる低音に黙って頷いて、パトリシアはしがみつくようにヒースに手を伸ばした。
突如目の前で男女の抱擁が始まったところを一瞥したレオは、その鋭い眼と掛けた眼鏡を光らせたものの、興味なく視線をすぐに外した。
そしてそのまま細い裏路地を進んでいく。
ヒースの腕は離れることなく抱き寄せたままだった。
パトリシアから聞き取れるヒースの鼓動。
先ほどまで緊張していた体は一瞬に解れ、任せるがままにヒースにしがみついていた。
これほど安心できる場所があるだろうか。
パトリシアの不安を感じ、すぐに抱き寄せて顔を見せないようにしてくれたのだと分かった。
いつだってパトリシアが言葉にしない先を汲んで行動するヒースが。
パトリシアにはどうしようもなく嬉しかった。
「…………行ったよ」
ゆっくりと離れていく体に、少しだけ寂しさを感じながらパトリシアはヒースを見上げた。
「ありがとうございます……」
心からの感謝を伝えたくて、ヒースを見つめて礼を伝えたパトリシアだったが、彼の表情があまりにも曇っていたことに気付いた。
どうしてヒースの表情が曇っているのだろう。
「ヒースさん?」
「お嬢さん。団長からの命令だ」
その声色は、今まで聞いたこともないほどに冷たく。
「暫くの間、ドレイク傭兵団に行ってくれ」
鋭利な言葉の刃となって、パトリシアの胸を突き刺した。
それと同時に、ずっと言えずにいた言葉を伝えたことにより、ヒースの表情がパトリシアと同じように苦痛に歪んでいることなど。
パトリシアには気付くことが出来なかった。
次回附則を更新の後、新章となります。
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