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第九条(メンター)

 オールドレという女性は癖っ毛の髪がフワフワとした可愛らしい女性だった。

 クリっとした瞳に小さな唇。

 ふと、バックスが書いていた手紙の文面を思い出す。彼女を一輪の薔薇に例えていたような気がするけれど、どちらかといえば彼女はコスモスとかの方が似合うのでは? なんて現実逃避のように考えてしまった。

 いやいや、違う。今考えることはそれではない。


「あの……」


 パトリシアが呼びかけると怯えたように一歩下がられてしまった。パトリシアはほんの少しだけ悲しくなった。


「オールドレ! どうしてここに?」


 バックスが驚いたと共に喜びが抑えきれない様子でオールドレの元に近寄った。オールドレは俯いたまま話そうとしない。視線を逸らすばかりだった。


「オールドレ?」


 流石に様子がおかしいことに気付いたバックスが彼女の前で首を傾げた。

 そこで漸くパトリシアは、彼女が何かしら誤解をしているのではないかという事を察した。

 だとすれば拙い。パトリシアは慌てて立ち上がり、どうにか落ち着いた様子を見せつつオールドレの前に立った。


「申し遅れました。わたくし、バックスさんとお取引頂いておりますレイド傭兵団のパトリシアと申します」

「レイド傭兵団……?」


 まずは名乗り出ることが第一だと考えたパトリシアの行動は正しかったらしい。オールドレは先程より悲しい表情は消えたものの、何処かまだ不安そうな様子を見せている。

 無理もない。たとえ信用は回復したとはいえネピアの町では評判悪いレイド傭兵団の名であるのだから。しかも以前のレイド傭兵団は女性にすこぶる嫌われていたため、オールドレの反応はむしろ当然とも思えた。


「はい。昨今お騒がせして申し訳ないのですが、つい最近団長が代替わりをいたしまして、そのタイミングでわたくしも事務官として働いております。バックスさんは早速我が傭兵団に依頼を持ちかけて下さったのです。今日はその打ち合わせのため図書館の場をお借りしてました」

「そうなんですね……」


 ああ、やっぱり。

 パトリシアは確信した。

 オールドレの安堵したような表情から、彼女もまたバックスに対し好意を寄せているということに。

 横目でバックスを見てみるが、当の本人はその事に気づいているような様子は全く見えず、ただひたすら会えた事を喜び噛みしめるようにオールドレを見ていた。

 パトリシアは現状を回復させるべく更に言葉を続ける。


「はい。バックスさんとはまだ数回お会いした程度ですが、オールドレさんのお話ばかり聞いておりましたのでこうしてお話が出来て嬉しいです。バックスさんが仰るにはとても機織りや刺繍が上手でいらっしゃるとか。是非一度工房にお邪魔したいと思っておりました」

「あ、ありがとうございます……そんな……」


 いくつか会話を交えてみて分かったことは、どうやらオールドレという女性は口下手だということ。もしかしたら人見知りなのかもしれない。それでもレイド傭兵団の名を出したにも拘わらずパトリシアに対して丁寧な対応をしてくれる彼女に、パトリシアは何処か心が癒された。


(男性が好きになりそうな女性はこういう方なのかもしれないわね……)


 パトリシアとはまるで真逆な雰囲気を見せるオールドレに、無理とは思いつつも羨ましいとも思ってしまった。

 が、今はそんな感傷に浸るような時間ではない。


「バックスさん」

「は、はい!」


 だらしなくもオールドレに見惚れているバックスをキツめの声色で呼びかけた。急に現実に戻された男は慌てて背筋を伸ばした。


「先程お打ち合わせした件の資料、よろしければ次のお打ち合わせ時までには必ずご提出して下さいませ」

「え……?」

「お願い、出来ますね?」

「はい…………」


 パトリシアは敢えて厳しめにバックスに伝えておいた。情けないような様子の彼をオールドレに見せるのは申し訳ないが、変に関係性を誤解されたらより拗れてしまうための予防線だった。

 その辺り全く気づいてもいないであろうバックスに対する、ほんのささやかながらのパトリシアからの嫌がらせとも思ってもいいかもしれない。


(女性を困らせるものではないわ)


 恋に振り回されて痛い目に遭うのは。

 女性だって同じなのだから。


「それと、オールドレさん。もしよろしければこの後お時間を頂けませんでしょうか?」

「え? 私ですか?」

「はい」


 オールドレは何故自身に声を掛けられたのか不思議そうにパトリシアを見つめた。傍にいたバックスもまた同様だった。

 パトリシアはニッコリと微笑んだ。


「折角こうしてお知り合いになれたのだから、お友達になりたいわ」


 パトリシア。元の名はパトリシア・セインレイム。

 自慢できることではないが、彼女には同年代の女友達がいなかった。






 自分も残りたいと渋っていたバックスを無理やり帰した後、オールドレとパトリシアは引き続き図書館に残っていた。図書館には静かに読書が出来る空間が少ないながらも用意されている。また、小さいながらも個室もあるため、パトリシアは仕事でも時々使わせて貰っている。既に顔見知りとなった図書館の館長とも話を付けてあり、使用する人が居ない限りは問題ないと言われている。

 そして今、小さな個室にはオールドレとパトリシアの二人きりだった。

 そわそわと落ち着きないオールドレの様子に苦笑しつつパトリシアは口を開いた。


「急にお声がけしてごめんなさい。どうしてもオールドレさんと話をしたかったのです」

「お話ですか?」

「はい……もし、少しでも誤解をしているようであればその誤解を解きたくて」


 念には念を。パトリシアは続けた。


「バックスさんとは何の関係もありません。お取り引きしているだけの間柄ですが……もし変に誤解をしてしまっては困りますので、申し訳なくもこうしてお時間を頂戴致しました」


 伝えればオールドレは少しだけ動揺していた。どうやら念押ししておいて正解だったらしい。


「……こういったことをご本人にお伝えするのも卑怯かとは思うのですが、バックスさんからは仕事の他にも恋愛相談を受けておりました。女性の立場で相談に乗ってくれる人がいないかと困っていたようでしたので、仕事の場を用いて相談に乗っておりました」


 実際は恋愛相談を仕事にしているのだけれども、それを伝えればバックスの信用が落ちてしまうので心にしまっておく。

 どうやら心当たりがあるらしいオールドレの頬が薔薇のように真っ赤に染まった。


「バックスさんは貴方以外に興味はありませんので、どうかわたくしの事は誤解なさらないでね?」

「………………はい……何だかすみません……」


 居た堪れないほどに真っ赤に染まった可憐な薔薇の君は恥ずかしそうに俯いた。


「……お答えいただかなくても構わないですが、オールドレさんもバックスさんのことを……?」


 単刀直入にパトリシアが問えば。

 オールドレは暫く躊躇した末に、ほんの小さく縦に頷いた。

 とても可愛らしい肯定だった。


「彼からの告白をお断りされているのは……貴方のお仕事や彼の仕事が原因、でしょうか?」


 これにも彼女は小さく頷いた。パトリシアの予想は正解したらしい。


「私は……ずっとネピアで織物の仕事をしてきました。小さい頃から見習いとしてずっと……私はネピアと仕事しか世界を知りません。けれどバックスさんは沢山の世界を知っていました。彼のお話を聞くだけで、とても楽しかったんです」


 ぽつり、ぽつりとオールドレが語り出す言葉をパトリシアは黙って聞いていた。


「彼の話す言葉も外の世界を見る瞳も憧れました。だから、彼から告白をされた時は嬉しかったけれど……怖いんです。ネピアしか知らない私が、バックスさんと結ばれた先でどうなってしまうのか怖くて……」

「オールドレさん……」


 彼女の言葉は正しい。

 誰も未知の世界に憧れる。パトリシアだって同じだった。婚約破棄をして、前世を思い出してからは外の世界に憧れた。

 けれど実際に足を踏み入れてみれば恐怖も伴ってきた。憧れだけでは通用しない現実が待ち受けていた。

 パトリシアもまた外の世界に踏み出した一人だったが、この短い期間だけでも上手くいかないことは多々あった。盗人に入られたり、平民としての振る舞いを学んだり、そして仕事に関しても思い通りにいかないことがあった。

 一人では恐らく乗り切れなかった過去がパトリシアにもあった。


「……オールドレさん。わたくしも一人の女性として、そして新しい世界に憧れた者として貴方の気持ちがほんの少しでも分かると思っています。ほんの少しかもしれませんが……」

「パトリシアさんが?」

「正直に申し上げますと、わたくしもつい最近まで家から外に出たこともない立場でしたので……だから僭越ながらオールドレさんのお気持ちに共感できる事があるかなと……」


 パトリシアは立ち上がりオールドレの前に向かい膝を突いた。


「パトリシアさん?」

「オールドレさんにわたくしが出来るお節介をしてもよろしいでしょうか」


 パトリシアの細い指がオールドレの手をそっと掴み強く握りしめた。


「新しい世界に飛び出すことがあるのなら、必ずわたくしが味方します。だから一人で背負わないでくださいね」


 昔のパトリシアにはカイルがいた。

 伯爵家で唯一心を許せた友人がいた。

 今のパトリシアにはミシャやヒースがいる。だからこそパトリシアは恐怖に打ち勝ち、進む事ができるのだ。

 そんな彼らのような人々のように、パトリシアはオールドレを支えたかった。

 初めて知り合った女性だというのに。パトリシアは強く願わずにいられなかった。


「どうか、一人で悩まないで下さいね。わたくしでよろしければいつだって、貴方の味方になりますから」


 一人で旅立つ時の心細い自身を思い出しながら、その時の自分に語りかけるようにパトリシアはオールドレに伝えた。

 あの頃、一人で何でも決めて進もうとしていた孤独なパトリシアのようにならないで欲しい。

 

 オールドレは暫く掴まれた手をそのままに茫然とパトリシアを見つめていたけれども。次第に眦に涙が溢れ出し、そのままポタリと掌の上に落ちた。

 静かに泣き出すオールドレを、パトリシアは黙って優しく抱き締めた。




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