第八条(ライフマネジメント)
ネピアの町には古い言い伝えがあった。
ネピアの女神は時に涙を落とし、その涙が湖深くに落ち白い輝きを放つ。
女神の涙を受け止めようと貝の精霊が口を開きその涙を飲み込み、湖の底で女神の涙を抱きながら眠りにつく。
そんな御伽話のような言い伝え。
「真珠から発祥した伝承だと思ってたんですけど。まさか部族が根源として伝わっている説は考えもしなかったなぁ……これは可能性だけど、貝の養殖にも成功していたのかもしれない」
一日経過して朝早くから船を出したモルドレイドが感慨深く岩場を散策しながらつらつらと語る。どうやら独り言らしい。後ろからついてきているヒースやミシャの方を全く向きもせずひたすら岩場の周囲を観察している。
「本当に面白い。この辺りは立ち入り禁止地区と言われていたけれど、そもそも何故立ち入り禁止だったのかという具体的な話は出ていなかった。言い伝えのように『近づいてはいけない』なんて言われていたことを、そのまま信じていたなんて」
地に座っては何かを発掘し、そしてそれを大切そうに袋に仕舞っているモルドレイドの後ろからパトリシア達は黙ってついていく。
ミシャはまさに言い伝えを信じているようで、近寄ってはならない地域と言われるこの地に立つことが怖い様子だった。山奥を時々覗いては獰猛な獣が出てこないかと不安になっている。
「何処からどう伝承されたかは分からないが、恐らく此処を住処としていた部族を恐れて言い出した伝承なのかもしれない。あとは真珠を採っていたのか、それとも主食が貝だった? いや、そんな事はないだろう……山に入れば野兎もいるはずだし野鳥も獲れるしな……」
「あの……モルドレイドさん?」
思いきってパトリシアは声をかけたが、どうやらモルドレイドには聞こえていない。
「素晴らしい発見だ……どうしてこれほどの遺跡が今に至るまで見つからずにいたのか。ああ、本当に凄いぞ」
「モルドレイドさん!」
少し声を張り上げて名を呼んだところで、ようやくモルドレイドは顔を上げてパトリシアを見た。
「ああ、すみません。ついつい浮かれてしまっていて……」
「いえ。依頼内容に適いましたでしょうか?」
「適うもなにも!」
モルドレイドは手を強く握って叫んだ。
「最高ですよ! 感謝してもしきれません。しかも、こんなに早く解決するだなんて! もっとちゃんとネピア湖を調べるべきでした」
「モルドレイドさんお一人でここまで来ることは危険でしょう。然るべき者が調査に入った結果ですわ」
営業用スマイルを見せるパトリシアを眺めながら、その『然るべき者』が自身を指しているのかとヒースは内心思い薄笑いを浮かべる。何という営業文句だろう。よくスラスラ出てくるものだ。
「この調査は私だけでは手に収まらないから、同じ研究仲間を呼ぶことにするよ。それだけではない、遺跡の一部や発掘される真珠の調査もしなければならないからね」
そうなのだ。
貝塚と呼ばれる場所から見つかったのは何も貝の脱殻だけではない。そこには古い遺骨もあれば真珠もあったのだ。
モルドレイドの仮説によれば、元々この場所は真珠を採るためか、はたまた食事用の備蓄庫なのか、とにかく貝を大量に保管し、かつ貝殻を廃棄する場所でもあったらしい。
その場で大きな土砂災害が起きたか何かの原因によりその場は埋め尽くされていたと。時々災害を起こしては土の中から浮き出てきた貝殻が貝塚のように残り、今のように岩場となっているのではないかという話らしい。
その辺りも調査を行うために長期間に渡り研究を進めたいというのがモルドレイドの意見だった。
「それに見つかった場所がネピアということもあるので、新領主となる方にご相談をしなければならない。研究に関してはユーグ大帝国の法に基づいて優先的に行えるのだけれども、出てきた資源は一部を国に納め、残りの運用に関しては土地の領主に預けられる部分でもあるんだ」
「それはまた……新領主はお忙しくなりそうですね」
パトリシアは新しい領主となるであろう者に同情した。
「全くだ。そろそろ就任の祭りも予定されているというのに。ガーテベルテ子爵も大変だろうねえ」
「ガーテベルテ子爵……?」
パトリシアの声が緊張を孕んだことに気づいたのはヒースだけだった。
ヒースはパトリシアを静かに覗いた。彼女の表情は驚きに満ちていた。
「ああ。もう間も無くネピアに到着されるらしいよ」
「ガーテベルテ家と仰るとご子息が多くいらっしゃったかと思うのですが……」
「よく知っているね。そうそう、七人兄弟だ。そのうちの確か三男だったかな? ええと、レオ・ガーテベルテ子爵だったと思うよ」
ヒースは歩きながら、ミシャとの話に相槌を打ちながらパトリシアを眺めていた。
見ていたパトリシアの表情を見るにどうやら子爵の存在をパトリシアは知っているのだろうと察した。
前日に話した、彼女が元貴族だという事情を聞いたからこそヒースには予想がついた。
(どうやら面倒そうなことになりそうだな……)
レイド傭兵団がきっかけとした前領主の騒動や、今回の遺跡発掘に関していえば恐らく新領主と顔を合わせる可能性も低くない。
(……腹を括るかぁ)
一人、誰にも見えないようヒースが小さな溜息を吐いたことに。
その場にいる者は誰一人として気付くことはなかった。
「パトリシアさん? どうしました?」
「え? あ、ごめんなさいね。バックスさん、ちょっと考え事をしていました」
日頃の慌ただしい中で、定期的に時間を作っては図書館でバックスの相談を受けていたパトリシアはボンヤリしていた。
ぼうっとしては、ついレオの事を考えてしまっていた。
次にネピアを治めるであろうレオ・ガーテベルテ子爵。
それは、かつて伯爵令嬢であったパトリシアと顔見知りの仲だった。
(どうにかして顔を合わせないようにしないと……修道院でも療養でもなくこの場に平民として生活していることが露見すれば、お父様とお母様に被害がいってしまうわ)
果ては自身の身の保障すら危ぶまれてしまうことをパトリシアは分かっていた。パトリシアは貴族の間では郊外で療養生活をしていることになっており、更に両親には修道院で生活していると思われているのだから。
考えても仕方がない。今は依頼の最中だ。
気持ちを落ち着かせるためにそっと深呼吸をした。
「ごめんなさいバックスさん。話の続きを聞かせてくださいませ」
「あ、はい。よろしくお願いします」
パトリシアが今進めていることは、恋愛相談とは程遠いバックスの将来設計の構築だった。
彼が想いを遂げるためには、歯が浮くような恋文ではない。将来の確固とした約束だとパトリシアは考える。
「今雇われている商会から独立してネピアを中心に商人業を行う、というのは素敵な考えだと思いますわ」
「はい。元々独立することは僕自身の夢でもありましたから。場所は特に決める予定は無かったのですが、彼女とその……もし結婚出来たらネピアを拠点にするのもいいなあって……ずっと先の夢みたいな話ですけれど」
「素敵ですわ」
パトリシアは心から応援した。
正直なところ、そもそもオールドレの意思がどうなのかハッキリとはしていないけれども。
(けれど、バックスさんの話を聞く限り脈が無いわけでも無いと思うのよね……)
会いたいと願えばちゃんと応えてくれるらしいオールドレという女性。
休みの日が合えば一緒に買い物に行く事もあるらしい。それだけ聞けば充分に脈あり、と言いたいところだけれども。
(わたくしが同じ立場であれば素直に承諾はできないわね)
何せ男との恋愛を取って失うモノが大きい。最悪仕事を失う可能性があるのなら、女性としては承諾出来ないだろう。
「それでは具体的な話に戻りましょう。失礼ながらバックスさん。現在の預金は幾らありますか?」
「え?」
「そして、開業した場合の資金はいくらから開始する見込みでしょうか? わたくしも勉強不足で恐縮なのですが、商人として始めるにあたり、商会を取りまとめる商会組合への加盟が必要になったかと思います。どちらの組合で加盟されます?」
「そ、それは……」
そこまでは考えていないらしく、萎んでいくように声が小さくなっていく。
「ごめんなさい。責めているわけではないのです。わたくしが言いたいことは一つ。貴方が叶えたい夢に向けて、今どれだけの時間やお金を費やす必要があるかを現実的に出したいのです。そこまでやってようやく現実を見ることが出来ますから」
「そうですよね……はい、考えてみます!」
萎んでいたと思っていたバックスの顔からはやる気が漲っていた。その変わり身の早さにパトリシアは苦笑した。
ふと、何処からか視線を感じたためにパトリシアはそちらに視線を向けた。
視線は図書館の入口から感じ取れた。誰かしら知り合いでもいたかと思い見回すけれども、見えてきたのは一人の女性だけだった。
パトリシアより少しばかり年上に見える女性は、どこか寂しそうにこちらを見ていた。
「……?」
知り合いだっただろうかと眺めていると、向かいに座っていたバックスが激しい音を立てながら椅子から立ち上がった。
彼の視線もまた、女性に向けられている。
「オールドレ!?」
バックスが叫んだ名を聞いて、パトリシアは思わず「あっ」と声を出した。
今目の前にいる茶色の髪に優しそうな雰囲気の女性。
それでいて悲しそうにバックスを見つめる女性こそが。
彼の恋慕うオールドレだったのだ。
誤字を指摘頂きありがとうございます!(いつも誤字が多くてすみません…)
別作品となりますが、12月15日より「転生した悪役令嬢は復讐を望まない」のコミカライズがマグコミで開始されます!興味がありましたら是非そちらもご覧頂けると嬉しいです!




