第四条(コンサルタント)
長髪の男性の名はバックス。
ネピアに一年ほど前から住み、織物の販売を主とした旅商人だった。
「一年ほど前からネピアの織物を中心に商売をしていて、同僚と一緒に仮住まいをしています」
図書館から離れ、自宅に近い宿場の食事処まで二人で向かい、今二人は正面に向きあいながら座っていた。
何も頼まないわけにはいかないため、軽い野菜スープだけを頼んでいる。
バックスの雇用主は織物を主軸とした行商人だ。元々は王都だったり辺境にある町などへ雇用主の指示の元、転々と移動して商売を行っていたらしい。質の良い織物職人を探し出し長きに亘り交渉を行う。上質な織物を卸し、他の地で働く同僚と情報を共有してその織物の取引先の選抜をするような仕事をバックスは生業としていた。
彼は一年前から織物業を主軸の一つとしているネピアに目をつけて訪れたそうだ。
いつもの仕事と同じように同僚とネピアの地に住み、織物職人に会いに行き。
そして出会ってしまった。
彼曰く、女神に。
「僕の女神の名前はオールドレと言って、織物職人をしている女性です」
当たり前のように女神と呼ぶバックスの会話に対して心を無にしながらパトリシアは聞いていた。
「初めて彼女を見かけた時、僕は稲妻に撃たれたような感覚でした。そう、一目惚れだったんです……!」
次第にバックスは白熱していった。
「美しい彼女を前に、僕は即座に告白をしました! けど……」
白熱していたバックスは消えてしまった。
「振られたのですね」
「……………………はい」
萎んだ袋のように小さくなってしまった。
「彼女は見ず知らずの人間からいきなり告白をされたことに不信を抱いていました。ここ最近では特に女性に対する扱いで町にひどい人がいたせいか、男性不信に拍車が掛かっているんだと聞いています」
パトリシアは一人の男性を思い出した。まさかルドルフの影響がここまで大きいとは。
「それでも諦めきれなくて僕は、時間があれば彼女に会いに行きました。贈り物をしたり、少しでも僕という人間を知ってもらうために可能な限り行動をしたと思います。でも……」
それ以上の言葉は無かった。
「……先ほどの手紙のような物も、彼女への贈り物でしたの?」
「はい。僕は仕事上、町にいる時間も多くはないのでせめて手紙で想いを綴ろうと思っていたのですが。どうも文章にするとうまく行かなくて図書館で参考になる文章を探していたのですけれど……」
彼は頬を染めた。パトリシアは何だか居た堪れなくなった。
少し溜め息を吐いてから改めてパトリシアはバックスに向き合った。
「バックスさん」
「はい?」
「あなた、オールドレさんに想いを告げて、仮に想いが通じ合った後はどうなさるおつもりなの?」
「え?」
「先ほど仰っていましたけれど、貴方は仕事で町を離れることもある。ネピアという町も仕事で来ているだけの貴方と想いが通じたとしても、貴方が次の町に向かうことになった時、オールドレさんはどうすればよろしいの?」
「…………」
バックスの表情が強張った。熱に浮かされた彼は、どうやら現実と向き合う余裕も無かったらしい。
「オールドレさんは織物職人としてネピアで働いておいででしょう? 貴方と添い遂げるからといって仕事を手放してついていくことはなさりたくないでしょう。貴方もまた、今の仕事を辞めてネピアに居続ける想いはおありなの?」
「それは…………」
「恋なんて一瞬で冷めるものです」
パトリシアは言い切った。
「恋という熱に浮かされて、熱が冷めた時に待ち受けるものは残酷な現実なのですよ? 貴方はその熱が冷めないという根拠はありますか?」
もし仮にオールドレという女性がバックスに情が湧いたとしても、オールドレが賢い女性であれば未来を想像するだろう。
このバックスという男を愛したとしても、彼は仕事でネピアを離れるのだからと。
永遠に来るかも分からない男性を待つ未来を想像すれば、断ることも当然と言えるかもしれない。
「そうですね。もしわたくしがオールドレさんでしたら、貴方から頂きたいのは愛の言葉ではなく、確固とした未来への約束でしょうね。もし添い遂げたとしても、オールドレさんとどうなりたいのか。それが分かるまで、きっと彼女は首を縦に振らないでしょうね」
「……………………」
パトリシアはスラスラと告げたことによりバックスの顔が深く俯いていることに気づいて慌てて咳をした。
「あの、傷つけてしまったのならごめんなさい。あくまでもわたくしの考えですので、実際にオールドレさんがどう考えていらっしゃるかまでは分からないわ。あくまで第三者としての意見で」
「パトリシアさん!」
周囲が一瞬静まりかえるほど凛とした大声でバックスはパトリシアの名を呼んだ。
そして、頭を下げた。テーブルに擦り付ける勢いで。
「お願いします……! 僕にアドバイスを下さいませんか……!」
「は……?」
かくして、パトリシアは一つの仕事を手に入れた。
恋愛相談役としてのお仕事を。
「事務官がっ……仕事を抱えてくるとか初めて聞いたわ……っ!」
「…………笑いすぎですわよ」
翌日。
船を借りにヒースと共に歩いていたパトリシアは、昨日の夜に起きた出来事を報告したら、盛大に笑われた。
パトリシアは隣で笑うヒースを睨んだ。もしパトリシアがヒースの立場だったら笑うと思う。その気持ちは十分に分かるけれども笑いすぎである。
「悪い。いや、でも良いと思うぜ? 言わば恋愛相談役とでも名付けようか? それとも恋愛アドバイザーのパトリシアさんってとこかな」
「もう! ふざけないで下さいな!」
「はははははっ」
楽しそうなヒースの横で頬を染めて怒っても何一つ効果が無かった。パトリシアにとって全く似合わない名称に落胆するしかなかった。
いっそ期待するバックスに言ってみようか。自分は婚約破棄をされるぐらい恋愛に関しては助言など出来る人間ではないのだと。
人の恋愛に口を出すような事を、自分が仕事として行うことは出来ないと、再三バックスには伝えた。
しかしバックスはパトリシアが傭兵団に勤めており、そして仕事の一環としてパトリシアにオールドレとの恋愛を相談したいと言い出したのだ。
パトリシアは自身にはあまりにも荷が重すぎる仕事になるからと一度断った。しかしバックスは諦めなかった。
「この恋を成就させてくれとは言いません。先ほどのように助言が欲しいんです」
「ですが……」
「同僚に相談しても笑われるだけでした。けれど貴方は真剣に僕に対して答えてくれた。初対面にも関わらず、こうして真摯に向き合ってくれた。それが、どれだけ僕に勇気を与えてくれたことか……」
「…………」
パトリシアは何も言えなかった。
「彼女がどう思っているかなんて、熱に浮かされただけの僕には分からなかった。愚かにも貴方が言った言葉でようやく気がついたぐらいだ。だからどうかお願いします。これからも僕の行動に対し助言が欲しい。僕は、それだけ彼女を愛しているんです」
バックスの真剣な表情に、必死にも感じ取れる言葉の波に呑み込まれるように。
結局パトリシアはその場で頷いたのだ。
「オールドレという女性については俺も知らないが、その女性が働いている織物工房の名前と場所は知ってる。今の作業が終わったら行ってみるか?」
「いえ、そこまでは仕事の範疇外かと」
オールドレという女性に、もし今の仕事が露見されては余計にバックスの想いが通じなくなってしまうのではないかと思ったため、出来ればパトリシアは接触を避けたかった。こういったことは繊細に対応すべきだと、前世の知識が言っている。生憎と、前世のパトリシアも恋愛には疎い人間だったので中々参考にならないことばかりだ。
ヒースが漁師から一艘の小舟を借り終える。どうやら昨日の間に話も終えたらしく、決まった小舟には必要な道具が全て積み込まれていた。銛や地引き網のような物まである。
「まるで漁師ね」
「こりゃあ仕事を変える時期なのかねぇ」
苦笑しながらもヒースは突如その場で上着を脱ぎ出した。突然の事にパトリシアは思わず声をあげた。
「何をしてるの!」
「いや、濡れるだろう? 流石に下は脱がないけど」
「当然です! だったら上を脱がなくても……」
「沈むと重いだろう?」
「そうですけど……」
パトリシアは目のやり場に困った。パトリシアの混乱など全く気にもせずヒースは脱いだ服を岸辺の端に寄せていた荷物の上に置いた。
鍛えられた上半身には所々に傷が刻まれていた。無駄な脂肪も無く、普段がやる気のない人間とは思えないほど鍛え抜かれた身体だった。
「軽い慣らしだ。直ぐに終わらせるよ」
「…………お願いします」
パトリシアは目を逸らしつつ荷物のある場所に留まった。初めからその予定だった。
今日は借りた船の動作確認を行うために訪れた。広い湖畔の上にはヒースが浮かした小舟しか居ない。漁を行う船はとっくに場所の離れたところで作業をしている。広い湖は今、ヒースだけの物だった。
小舟の舵を器用に操りながら湖畔を進む。あまりに器用に動かすものだからパトリシアは感心した。
「慣れているのですね」
「多少はな」
「直ぐにでも漁師になれますわ」
意地悪く言ってみるとヒースは一瞬間の抜けた顔をしてから笑った。
「違いねえ……なあ、乗ってみるか?」
「え?」
「船だよ。今なら船乗りが案内するぜ?」
バシャンと音を立てながら舵をとるヒースが器用にパトリシアの正面まで移動してきた。
ヒースの言葉は、あまりにも魅力的だった。
広い湖畔、誰もいない世界。
「…………お願いしてもいいかしら?」
パトリシアは誘惑に抗えず、そっと近づいた。
「お安い御用で。お嬢様?」
笑いながら手を差し伸べてくるヒースに、躊躇しながらも手を伸ばし。
しっかりとしたその手に掴まれて、パトリシアは引き寄せられるようにして、船に乗り込んだ。
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