第三条(未分野)
ネピア湖がまだその名を付けられるよりも遥か前のこと。
神話にもなりかねない程歴史を遡ること千年以上前のこと、コーネリウス大陸と呼ばれる以前のこの大陸では、複数の部族により大陸の略奪を繰り返されていた時代があった。
ユーグ大帝国建国はその後に起きたと歴史書には記されているが、それ以前は記録されるような書物もなく何が起きていたのかは未だ謎に包まれた歴史があった。
ただ、当時名を馳せていた部族はネピア湖周辺に居を構えていたという説が有力であったとは聞いている。それは、ネピア湖で時折千年以上前に作られたと思われる装飾品や食器、武具の欠片が見つかることが時折あったからだ。
「けれど他の地でも同様の物は見つかっているため、ネピアに居を構えていたという説に異論を唱える者も多いんです。何より湖に沈んでしまっているのではという考えがほとんどです。未だ謎に包まれている歴史なんですよ」
モルドレイドの話についてはパトリシアも家庭教師から教わったことがある。大体にして歴史を学ぶ時はユーグ大帝国の始まりから教わっている。それ以前はいくつかの部族が戦を繰り返していたらしいと、曖昧な言葉で終わらせられていた程度だった。
「私は先ほども言った通り生物学と歴史学の学者でね、ここには生物の生態のために来てはいるものの歴史学の学者としてネピア湖にとても興味が尽きないんだ。だからトレジャーハンターの仕事というのは、町ではなく私個人の依頼だと思って構わない。何か歴史に繋がるような遺跡を発掘してきてもらいたいんだ」
するとモルドレイドは胸元からメモを取り出し、サラサラとペンでもって書き出した。
「一応報酬として概算にはなるけれどこんなところかな。魚の生態に関する依頼としては町からの予算からもらうのでこの辺りだけれども、歴史の遺跡に関しては……見つかった内容次第では更に渡すことが出来るよ」
三人が揃ってモルドレイドの書いたメモを見た。三人とも目が大きく開いてしまった。
「トレジャーハンターって馬鹿にならねぇな……」
ヒースがそう呟いてから暫く考えだす。それからパトリシアを見た。
「俺としては問題ない。やったことない仕事なんで楽しそうだしな。事務官はどうだ?」
「わたくしも賛成です。ただ心配なのはネピア湖には獰猛な魚がいないかということと、少なくとも小舟でも何でもお借りしないといけないことでしょうか。他にも必要になりそうな道具が出てきそうですわね」
「その辺りはこちらで貸し出しが出来るから安心して貰えるかな。ネピアの漁師にもお願いしていたことがあって、その残りがある」
「かしこまりました。では、どこまでご期待に沿えるか分かりませんが……その依頼、お引き受けいたします」
はっきりとしたパトリシアの言葉にモルドレイドは破顔した。
こうしてレイド傭兵団の仕事は想像以上に早くも大口取引先を手に入れることが出来た……が。
「未知の領域だわ……」
パトリシアは町にある小さな図書館で大量の本を開いていた。内容は湖や漁業に関する書物だった。あまり多くの本があるわけではないため、結局求める知識を全て手に入れることは出来ない。
ヒースとミシャはモルドレイドと共に船を借りるために湖畔に向かっている。操縦や船の扱いに関しては二人に任せることとして、パトリシアはまず必要な知識を身に着けることに専念した。
前世のパトリシアが持つ知識と言えばビジネスに関する知識ばかりで、漁業やら湖の生き物に関しては無知だった。ネピアのように沢山の魚類が居ることも知らなかった。湖の魚って食べられるの? という浅はかな知識ぐらいしか、今も昔も持っていない。
「知らないことばかりね。まさか貝や海藻まであるなんて……」
ネピア湖に生息する魚に関する書物を流し読む。ちなみにこの本の筆者はモルドレイドだった。本の発行年を見れば二年ほど前だ。彼がこの町に来てから続けてきている仕事の歴史を見た気がした。
いくつか本を読み終えてから覚えておきたい知識を紙に纏めあげる。そうしている間に気付けば陽は落ちていた。夜になる前に戻らなければと慌てて立上がり本を元の場所に戻した。
その時にふと、一枚の紙切れが落ちていることに気がついた。
「何かしら?」
何かに挟まれていたのかもしれないと紙切れを拾い中身を確認した。
そして、書かれていた文面に硬直した。
『ああ、愛しいオールドレ。君の愛に触れたい、君という永遠の薔薇に愛を捧げる喜びをどうか奪わないでおくれ』
「…………」
パトリシアはその紙を破り捨てたい衝動を堪えて続きを読んだ。
『僕という男の睦言など、君には嘘偽りとしか思えないことは百も承知であるけれども。どうか僕の愛を真実に受け止めて貰えるまで僕は君に愛の言葉を贈り続けよう。君の瞳に映るその日まで……』
「…………」
パトリシアはその紙を読んだ結果、取り敢えず図書館の管理人に渡すことに決めた。そっと中身が見えないように折り込んで。内容については考える事をやめた。
図書館の入口まで来て管理人が居ないか見回してみるが見当たらない。どうやら別の場所で閉館の準備をしているのかもしれない。
仕方なく入口前で訪れるのを待つことにしようと立っていれば、外から全力疾走してくる男性がいた。
明らかに図書館に向かって走ってきている。
長い髪を束ねているが、走っているせいか乱れている。若い男性はどうやら体力がそこまでないらしく、全力で走っている割には足はそこまで早くない。
ゼエゼエと息をしながら図書館の中に入ろうとする。が、息が上がっているらしくパトリシアの立つ入り口前で呼吸を整えている。
「あの……大丈夫ですか?」
あまりにも苦しそうな彼を見兼ねて、パトリシアは声をかけた。
「だ……………いじょ…………す」
全く大丈夫じゃない感じだった。
袖で汗を拭いながら大きく深呼吸をして息を整える男性は、二十代ぐらいの男性だった。この町では珍しい長髪の男性で体も細身に見える。色男と思われる風貌ではあるものの、先ほどの全力疾走もあって色男な雰囲気は皆無である。
男性が漸く落ち着きを取り戻したようでパトリシアを見た。
「ご心配、お掛けしました。まだ開いてますか?」
「え? ええ……もう閉まるところだと思いますけれど」
「ありがとう。忘れ物を、取りにきただけだから」
忘れ物。
その言葉にパトリシアは、まさかと思った。
けれど失礼ながらこの風貌に先ほどの文章。一致しているにも程がある。
恐る恐るパトリシアは先ほど手の中で折り畳んだメモを開いた。
「失礼とは思いますが……落とし物はこちらでしょうか?」
「え? …………!」
男性がパトリシアの手元を見て、そして声なき声で叫んだ。顔から火が出るのではという勢いで、その場に卒倒しそうな様子に。
パトリシアは自身の予感が的中したことを察した。
「…………そうです。ありがとうございます……中身は見ちゃいましたよね」
「ええ……申し訳ございません」
「いえ、落とした僕がいけないのですから」
予想に反してどうやら常識ある様子の男性にメモを渡す。男性は改めて文章を読んではまた赤面しつつ、メモを乱暴にポケットに仕舞い込んだ。
「差し支えなければ、読まれてどう思いました?」
「…………言葉に詰まりますね」
パトリシアはどう答えて良いのか、若干頬を染めつつ横を向いた。すると、ちょうどその先には図書館の管理人が立っていた。
「もう閉めちゃいますけどよろしいですか?」
「ええ、長居してごめんなさい」
図書館から少し離れたところで男性とパトリシアは途方に暮れていた。この場で「では」と去っても良い気はしたものの、どうにも男性が先ほどの回答を待っている様子だったからだ。
「……率直に申し上げますと、恥ずかしい内容でありました。ひたむきな情熱は感じましたが、どうにもその……誇張しすぎな感じが否めないと言いますか」
「そう……ですよね……」
男性はこれでもかというほどに落胆した。悲壮感漂う男性を見ていると、どうにも彼の感情の振れ幅の大きさにパトリシアは戸惑うばかりだった。
パトリシアは前世を思い出してからというものの、あまり感情の起伏を出さなくなった。故に目の前の男性のように、目の前で落ち込んだり全速で走るような真っ直ぐな感情が眩しくもあった。
それは、ほんの憧れもあったのかもしれない。
だからだろうか。
「よろしければ……何かお悩みでしたらご相談に乗りましょうか?」
思わず、そんな言葉を出してしまっていた。
「え?」
「申し遅れました。わたくし、レイド傭兵団事務官のパトリシアと申します。何かお悩み事があるようでしたら、お引き受け致しますよ?」
この事をきっかけにして。
事務官であるはずのパトリシアも傭兵団の一員として新たな仕事を得ることになるとは、この時のパトリシアには知る由もなかった。
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