第二条(市場調査)
打ち合わせを行った翌日にパトリシアは仕事を終えたミシャ、ヒースと合流してネピアの町に出かけることにした。
行き先の目星は既につけており、まずはパトリシアが来て早々に世話になった町役所へと向かった。
「町の困りごとなどは町役所に提出されると聞いているけれど」
「そうだなぁ……町全体に関わることは届いているとは思うけど、個人は無いと思うぞ?」
「構わないわ。どのような事があるのかだけでも知りたいし」
町役所へ向かえば覚えのある建物が目に入る。来た当初は目的の場所だけにしか関心を持たなかったが、建物は大きく、移住者以外に対しても対応する部屋があった。
(前世でいう役所と同じよね? だとしたら町のお役人といったところかしら)
中に入り辺りを見渡す。人の姿はそこまで多くないが、パトリシアが来た時と同様に何かしらの手続きをしている者もいる。よく見れば小さく部屋ごとに看板が掛けられていた。住居や塵処理といった看板は何となく用途が分かるが神殿、湖畔と書かれた看板はよく分からない。
「来たはいいものの……大体総合窓口のようなものってないかしら?」
「ないだろ。まあいいさ。ああ、ノルター」
ヒースが男性に声を掛けると、役所に勤めているらしい男が立ち止まった。ヒースの顔を見ると破顔した。
「ヒースさんじゃないですか。酒場以外で会うなんて不思議だねぇ」
「まあな。なあ、役所で苦情とか相談とかを受け付けているようなところはあるか? レイド傭兵団で任せて貰えるような仕事が無いか探しに来たんだよ」
「色々やってるんだねぇ。あるにはあるよ」
中年の男性はあっさりと答えた。
「紹介してもらう事は?」
「勿論。むしろ有難い話だよ。ドレイク傭兵団に頼むには報酬が高すぎるからな。ルドルフの奴が来る前は、よく傭兵団に依頼していたんだ」
懐かしい声色で話す男性は、どうやらかつてのレイド傭兵団の姿を思い出しているらしい。ルドルフが入団する前のレイド傭兵団の姿……今いる三人はその姿を誰も知らない。
「どんな傭兵団だったんだ? 入団していた奴はまだ町にいるか?」
「田舎町の傭兵団らしく小さい仕事を請け負ってくれてたよ。昔いた奴らは皆別の町に行っちまったね」
「そっか……」
「さあ、ここだ。おい、モルドレイド、いるか?」
ノルターという男性に案内された場所は、先ほどパトリシアが見かけた看板の一つ、『湖畔』と書かれた看板が掛けられていた部屋だった。
中に入れば書物が大量に床置きされており、壁にある棚には積まれた書物が今にも倒れそうだった。
奥まった場所には机が一つ。大量な書物を物ともせずに書き物をしていた男性が顔を上げた。
ヒースより少しばかり歳が上の男性だろうか。眼鏡を掛けた優しそうな雰囲気を纏っていた。
「ノルターさん。どうしたんですか?」
「傭兵団だ。困ったことがあれば請け負ってくれるらしい。あんた、しょっちゅう困っているだろう? その有り余った予算でどうにかしたらどうだ?」
「いや〜人聞き悪いなあ。余るどころか少ないぐらいですよ。雇ってもすぐに人が辞めちゃうんですから、その分は浮いたというよりも不足しているんですよ。とはいえ、傭兵団とは魅力的な話ですねぇ」
おっとりとした様子の男性は嬉しそうに三人を見た。薄茶色の髪と瞳をした男性の顔立ちは穏やかで人が良さそうに見える。しかし格好には気を遣わないらしく寝癖もそのままで、随分とくたびれた服を着ていた。
「そんじゃあな、ヒースさん」
「ありがとう。今度店で奢るよ」
ノルターという男がヒースに軽く手を振ってその場を去った。その場にヒースとパトリシア、そしてミシャが残される。
「良ければお掛けください」
モルドレイドはそう言うが、そもそも座る場所が見当たらない。どうするべきか困っていると、気付いた様子でモルドレイドが苦笑した。
「そうか……来客用の椅子は邪魔だから退かしていたんだった。すまない。それじゃあ別室に行こうか」
モルドレイドは立ち上がると三人を別室へと誘導した。見た目から判断するのに、役人というよりは学者のような風情だとパトリシアは思った。
少しばかり移動した場所にあった打ち合わせ室に通されると、中には椅子と机が用意されていた。パトリシア達はそれぞれ並んで椅子にかける。
「改めて自己紹介を。私はモルドレイド・オーハン。主な職業としては生物学と歴史学の学者だよ。ここ何年かは町役所に依頼されてネピア湖について調べている」
パトリシアの予想通り、どうやら彼は学者であった。
「レイド傭兵団事務官のパトリシアです。団長のヒースに団員のミシャです」
ミシャが緊張した面持ちで頭を下げる様子をモルドレイドは優しい瞳で眺めていた。
「この間の事件で噂には聞いていたよ。評判悪かったレイド傭兵団の主犯を捕らえ町から追放してくれたとも。彼と元領主の子爵については知っているかい?」
「いえ……」
「どうやら王都の裁判により禁固刑にもなるそうだよ。だいぶ後ろめたいことをやっていたみたいだね」
そこまでの情報はパトリシアにも入ってこなかった。ヒースに視線を送ってみれば特に驚いた様子もない。もしかしたら彼は知っていたのかもしれない。
「本来であれば君達が裁判の場に立つ筈でもあっただろうけれど、そこはドレイク傭兵団に一任したと聞いている……とても優秀な方々に来て貰えて嬉しいよ」
「ありがとうございます……」
俗世離れした学者のように見えたモルドレイドだったが、話す内容を聞く限り情報にも聡い様子だった。だとすれば既にレイド傭兵団の事情なども全て理解しているのかもしれない。そう思わせる余裕が彼にはあった。
「それでは改めてお願いしたいことがあるんだが……」
「はい」
パトリシアは緊張しながらも彼の顔を見た。
真剣な表情の彼は口を開き。
「ちょっとネピア湖に潜って貰えるかな?」
そんな事を、口にした。
ネピア湖は大陸にコーネリウスと名が付くよりも前から存在している古代からある湖と言われている。
モルドレイドが資料や地形などを調べた結果、遙か以前には海と繋がっていたが、陸地が浮き出て分断され、湖という形に変わったのだという。
「ネピア湖に生息している魚や貝は面白い進化を遂げていてね。海の魚と元は一緒だが生きていくために別の進化を遂げている。ただ、それが微々たる内容だったりするものもあるから、そういったものを全て調べて書き記しているのが私の主な仕事なんだけど……」
自室から取ってきてくれたモルドレイドの纏めた書籍にはこと細かにネピア湖に生息している魚の特徴や絵が描かれていた。パトリシアが王都で食べていた魚と同じだと思っていた種類も、よくよく見れば形が少し異なり、彼の資料を見る限り名前も異なっていた。
「そしてネピア湖にいる魚の種類は数多くあり、今でも調べ切れていないんだ。それを調べるのが私の仕事でもあり町の依頼でもある。種類によっては毒を持った魚がいるのか、食料として良い魚はどれか、養殖が出来るのかなどを調べているんだよ」
「でしたら漁師の方から魚を買い取ればよろしいのでは?」
魚の種類を知りたいのだというのなら、ネピア湖には漁業を職種としている町人が何人もいる。地引き網により魚を捕っては売り出している仕事を生業としている者達に、捕った魚のうちから未発見の魚を買い取れば済む話なのではとパトリシアは思った。
「今まではまさにそのやり方で済ませてきたんだけど、彼らが漁をする範囲の魚はほぼ調べ尽くしてしまった。次に探したい場所は漁業の管轄にしていない未知の水域なんだ」
とにかく広いネピア湖では、漁業を行う場所や自由に出入り出来る範囲などを区切って取り仕切っているが、それより更に奥に進んでも湖は尽きない。何せ向こう岸を見る事も難しいほどに湖が広いからだ。
「傭兵の仕事が漁師になりそうだな」
皮肉めいた様子でヒースが笑う。が、モルドレイドは首を横に振る。
「実は魚の生態は優先度合いとしては二番目でね。一番は他にある」
「他?」
モルドレイドは穏やかな笑みを浮かべている。
パトリシアは妙な親近感を覚えた気がした。それもそのはず、彼はどうやら確信めいた発言をする時に笑うのだ。パトリシアと同じように。
「君達には漁師だけではなく、トレジャーハンターにもなって貰いたいんだよ」
ここは町役所という、民のために在るべき場所だというのに。
モルドレイドの発言は、妙に闇を臭わせるような内容だと。
この場にいる傭兵団の三人は思った。
評価、ブクマ、誤字報告等ありがとうございます!毎度毎度感謝です…涙




