附則
ネピアで行商人の親の元に生まれたミシャは小さな頃から外の世界に憧れていた。
時々安全な場所であれば仕事に同行させてくれた父の姿を見ていたミシャにとって外の世界は魅力で溢れていた。知らない言葉を話す人々、ネピアでは見たこともない食物や道具。その全てが魅力に溢れていた。
「いつかぼくも父さんみたいな行商人になりたい!」
「そうかそうか! ミシャには俺の跡を継いで貰おうかな!」
そう笑い答えてくれたミシャの父は、今から三年前に盗賊に襲われ死亡した。
行商人としての仕事から帰る途中のことだった。
ミシャが母と弟と三人で父の帰りを待っていた時だ。
夜遅い雨の中、扉を叩く音がしたので父かと思い扉を開けた。
そこには屈強な体格をした男性が父を背負いながら訪れた。
「あなた……!」
悲痛な叫びと共にミシャの母が父に駆け寄ったが、父は既に息途絶えていた。よく見れば父の体には至るところに切り傷が刻まれていた。雨により血が流されているだろう、背負っていた男の服も父の服も真っ赤に染まっていた。
弟は訳もわからない状況に泣き出した。ミシャは目の前の現実を受け止めきれずその場に座り込んだ。
「道中で盗賊に襲われていた……他の行商人も皆……彼だけは先程まで息が有ったのだ。彼の望みを叶えてやりたかったのだが間に合わなかった……すまない……」
男は申し訳なさそうにその場に立ち尽くしていたが、誰も彼を責めることなど出来るはずがない。他の仲間は命を落としたがために体だけでも故郷に帰ることすらできずその場で眠っているだろう。せめて、家族の元に戻り弔うことが出来たことだけでも感謝すべきだった。
しばらくしてネピアの町で葬儀が行われた。行商人である父は町人に様々な物を届けており人々から好かれていたため、大勢の人が死を悼んでくれた。
葬儀には父を連れてきてくれた男性も付き添ってくれた。盗賊との攻防で怪我を負った彼は療養のためしばらくネピアで過ごしていたのだ。
涙で目を腫らしていたミシャは既に気持ちは落ち着いて現実に目を向けていた。弟と母の世話をしていくには自分がどうにかしなければならないと分かっていたからだ。
「あの……」
ミシャは思いきって男性に話しかけてみた。男性は顔こそ怖く口数は少ないものの優しい雰囲気を身に纏っていた。そもそも優しい人でなければ瀕死の父をわざわざネピアの町まで送り届けなかっただろう。
男性はミシャを一瞥するとミシャの身長に合わせて屈んでくれた。黙ったままミシャが次に話す言葉を待っている。
ミシャは緊張する気持ちを抑えて口を開いた。
「何の仕事をしているんですか?」
「……傭兵だ」
男はゆっくりと答えた。
「あんたのお父さんが来ていた町ではな、盗賊団の被害が酷く傭兵団が雇われていたんだ。俺の仲間も護衛にあたっていた。俺は盗賊団を捕らえるために外に出ていたところだったんだ」
「それでぼくの父を見つけたんですね」
「……丁度襲われたところだった。もう少し早く着いていりゃ良かったな……」
ミシャは、この男性が心から悔やんでいる気持ちが伝わった。見も知らずの他人である父や父の仲間の死を心から悼んでくれている優しい人だと。
「あの…………」
ミシャはもう一度声をかけた。
少し考えてから、改めて男の顔を見る。
「傭兵って……どうやったらなれるんですか?」
ミシャには行商人になるという夢があった。
けれど父を亡くした今その夢は諦めた。ミシャは父と共に沢山の世界を見たかったが、それはもう叶わない。一人でいつか行商人になるという夢も考えたが母が悲しむ姿が目に浮かんだ。母は行商人という仕事により父を亡くした事に未だ立ち直れていない。
そしてミシャが何より求めたのは仕事だった。
父という大黒柱を失った今、母は働きに出ることになった。しかし母の手一つでは家計が逼迫することは目に見えていた。
町で仕事を探そうとは思っていたが、ミシャは未だ外の世界に対し憧れが尽きなかった。
そして何より亡き父を家に帰してくれた男の姿にも憧れた。
傭兵団という仕事に。
傭兵団という言葉だけ聞けば行商人よりも危険なのではと母が心配もしたものの、傭兵団とはいえ様々な仕事があるのだと聞いた。
傭兵の仕事を支える事務官という職務もある。大きい傭兵団になれば商人のような仕事もあるのだとか。力仕事を主とする傭兵の仕事としては、町の護衛や困りごとの解決、果ては重要な荷物の届け人などがある。
何より若くても仕事に就くことが出来ると聞いて、ミシャはネピアにある傭兵団に入りたいと思った。
実際レイド傭兵団にはすんなり入れた。
母も町にある傭兵団で働くことは承諾してくれた。
レイド傭兵団に対する周囲の反応は微妙ではあったものの、給金も少ないながら貰える仕事としてミシャとしても有り難かった。
周囲の反応の意味を知ったのは入団してからだった。
レイド傭兵団は一人の男性に全てを決められていた。ルドルフという男に。
その他にも何名か傭兵団の団員はいたものの、ルドルフと揉め事を起こしては次々と退団していった。結局残ったのはミシャと事務官の男だけだった。
ミシャの仕事は事務官の手伝いやルドルフに任される雑用ばかりだった。決してそれは傭兵とは言えない仕事であったけれど、それでもミシャは構わなかった。
憧れていた傭兵団に入れたのだから。
少なくとも町のために役立つことが出来るのだから。
ちゃんと給金を得て家族のために役に立っているのだから。
そう、自分の気持ちを我慢するように言い聞かせた。
暫くしてヒースという男性が入団した。
入団理由はよく分からなかった。ルドルフが誘ったとも言えない男性は飄々とした様子で、ルドルフに盾突くわけでもなければ従う様子もなく、何だったら仕事をする様子も見られなかった。
ただ、ここの近くにあるドレイク傭兵団の団長からの推薦で入団したと聞いている。だからこそルドルフは何も口出ししていないのだろう。彼を黙らせるほどにドレイク傭兵団の存在は大きいからだ。
「ミシャ、今日もありがとな」
ヒースは時々顔を出すと雑用に奔走するミシャに対し労りの言葉を掛けてくれる。時には甘い菓子を差し入れしてくれることもある。
特にミシャが好きなのは剣術の練習時間だった。
ルドルフも誰もいない時間を選んだようにミシャが一人で拠点で仕事をしているとヒースがフラッとやってきて面倒を見てくれる。
木刀を持たせどのように剣を持つのか、もし相手が襲ってきたらどうするかなど丁寧に教えてくれる。
その時間がミシャは好きだった。
ミシャが傭兵という仕事に絶望しなかったのも、ヒースのお陰だった。
それから一年以上経った頃、ルドルフが事務官の男性と揉めた末に事務官を辞めさせた。
その事によりミシャに事務官の仕事が押し寄せてきた。難しい数字の計算や書き物が多いため、十四歳のミシャには大役すぎてよく間違えた。その度ミシャはルドルフに怒鳴られた。
だって、ミシャには分からない。
ルドルフの言う金額が本来の数字と違うことも、行ってもいない仕事の内容を書かなければならないことも。
ただ大人しく言うことを聞けと脅すルドルフに為す術なく、言われるままに事務の仕事を続けていた。
時々新しい人が入ってくるけれども、すぐに辞めてしまうのがほとんどだった。
この先もこうしてルドルフの機嫌を伺いながら仕事を続けていかなければならないのだろうか。
憧れていた外の世界、父を救ってくれた男性のような傭兵に本当になれるのだろうか。
慣れてきてしまっているルドルフの怒声もうまくかわせるようになってきたけれど、ミシャが覚えたかったのはそんな処世術では無かったのに。
そんな漠然とした不安を抱きながら日々過ごしていた時だった。
「パトリシアと申します」
珍しくヒースが連れてきた綺麗な女性客。凛とした姿勢が綺麗で、町の女性と雰囲気が全く違う彼女はヒースに対してとんでもない依頼をしてきた。
「傭兵団でわたくしも仕事をしたいの。けれど今のままでは無理でしょう? だから協力して頂きたいの。お願いできるかしら? ミシャ」
改めて事情を説明してくれたパトリシアは、そうしてミシャにも改めて依頼をした。
依頼人として傭兵のミシャに。
それも、この傭兵団で働きたいからと。
ミシャは新しい何かが始まる予感に胸がドキドキした。彼女から感じるカリスマ性がミシャを強く惹きつけた。
それからミシャはパトリシアの言う通りに行動した。パトリシアはとにかく町の人に声を掛けて、簡単な仕事でもいいから探してきて欲しいとミシャに頼んだ。
思ってもみなかった。
傭兵として仕事がないか聞きに行くなんてことは。
傭兵とは頼まれる仕事を淡々と行う印象だったのに、彼女は真逆のことを言い出した。
始めこそ町の人への説明もうまく出来ず、パトリシアに渡された書類を渡してどうにか説明をしていた。書類を読んだ町の人は大いに喜んだ。
「凄いじゃないか! この書類の通りにすれば傭兵団にお金が行くんじゃなく、ほとんどミシャに届くんだろう? だったら喜んで仕事をお願いするよ」
そんな風に言われてミシャは改めて書類を見た。ミシャは書類を渡されたものの、ちゃんと中身を読んでいなかった。文面が難しく書かれていたためにミシャには難しかったのだ。
書面に書かれていた内容を要約すると仕事の引受人はパトリシア名義で、仕事の代理人はミシャになっていた。しかも報酬はミシャが全て受け取ることになっている。全額の報酬はミシャの物となるが、一部パトリシアが必要とする経費に関して差し引くものとする、といった内容だった。
書面の通りに読むのであればこれはレイド傭兵団の仕事ではなかった。パトリシアの依頼としてミシャが行っている、というものだった。
どうしてそんなことをとも思ったけれど、そういえば受け取ったお金は全てパトリシアが管理していた。色々なお金の計算をした上で、報酬としていつもミシャに渡してくれていた。少なくない額を。
そしてミシャはルドルフとの仕事だけをしていた頃以上に報酬を得ている。それも自らの手で果たした仕事の結果で。
一度貰いすぎなのではとパトリシアに言ってみたけれども。
「正当な報酬ですわ。それにわたくしがお願いしている本来の依頼は、わたくしが傭兵団で問題なく仕事が出来ること。今はその下準備に過ぎませんもの。本当に依頼が終わってから仰ってくださいな」
そんな風に言って笑うのだ。
ミシャは泣きたくなるような気持ちをグッと堪えた。ずっとずっとわだかまっていた思いが浄化されるような気持ちをどう表現すれば良いのか分からなかった。
パトリシアはミシャが求めていた全てのものを与えてくれた。
十分すぎる対価も。
傭兵としての誇りも。
頼られるような、人を助けられると思う仕事も。
(ぼくは絶対、パトリシアさんに信頼される傭兵になりたい)
そんな強い願いを抱くほどに。
叶うのならば彼女の依頼を果たし、これから先ずっと共に過ごせる未来を。
ミシャは願わずにはいられなかった。




