第八条(信頼関係の構築)
町は突然訪れたドレイク傭兵団の姿にざわめいていた。
数人の傭兵を引き連れたドレイク傭兵団は、彼らの特徴である藍色の甲冑を身につけている。特に位の高い者は剣の鞘に職位の象徴である鎖を付けていた。
獅子の紋章が刻まれた鎖を見てから、改めてパトリシアは騎乗した中年の男性を見上げた。
彼が、ドレイク傭兵団の団長であることは一目瞭然だった。
「こちらがヒースの言っていたお嬢さんか」
男性の顔には傷が刻まれており、左目は傷によって塞がれていた。右目の瞳が穏やかにパトリシアを見つめていた。
男性が馬から降りると改めてパトリシアの前に止まった。
「ドレイク傭兵団団長のモンドだ」
「パトリシアと申します……」
「あの子の事は心配せんでいい。医療に長けた団員も連れてきているからな」
その言葉にパトリシアはヒースとミシャのいる方を向いた。彼の言う通り、その場で横に寝かされたミシャを団員の誰かが診ている。その傍でヒースが何かを話している姿を。
その光景を見て、ようやくパトリシアは落ち着いた。
「……怖かっただろうに。よく耐えたな」
「ありがとうございます……あの、でもどうして……?」
パトリシアの言葉にモンドは目を大きく開いた。灰色の瞳が幾分か幼く見えた。
「ヒースから何も聞いとらんのか?」
「はい……どういうことでしょう?」
「ふむ。まあ、説明は後にしよう。すまないが儂はこれからアイツらを拘束せないかんからな」
モンドが親指で建物を指す。中には数名の男達とルドルフが未だ気を失っている。既に傭兵団の者が数名彼らを拘束しているらしく、中に出入りしていた。
「細かいことは後でヒースに聞いとくれ。おい、アルト!」
「はっ」
アルトの名前にパトリシアは顔を上げた。
近寄ってくる男性の姿は、ヴドゥーで会ったアルトそのものだった。アルトもまた少し驚いた様子でパトリシアを見たが、すぐに元の表情に戻りモンドの前に立った。
「この場の後始末を頼む。儂はこれから憲兵の駐屯地まであいつらを連れて行く必要があるからな」
「分かりました」
「ああ、一つだけ……パトリシア嬢。あいつは何も言わんだろうから儂から言っておく。ヒースの奴はあんたらの事を心配して儂を無理に呼び出してきた。町で合流したんだが祭りの騒ぎで人が多く、道が塞がれて馬が通れんだろう? そしたらあいつは馬を捨てて全速力で走りおった。あんな必死な姿を儂は初めて見たよ」
楽しそうに笑うモンドの様子にパトリシアは呆気に取られた。パトリシアもまた、そんな必死なヒースの姿なんて見たことは無い。
そう、今までは。
「あいつは恐らく自分の事は話さんだろうからな。儂らを強引に呼び出した挙句連れてきたのもあいつだというのは覚えておいとくれ」
「……はい……」
モンドは挨拶を交わすとすぐにヒースの元に行き、何か話すと傭兵団の指揮を取り始めた。
パトリシアは黙ったままずっとモンドとヒースの様子を見守っていた。
「まさかこんなところで会うとはね」
モンドを見ていたパトリシアにアルトが話しかけてきた。先ほどまでの真面目な顔は何処へやら、太々しい様子でパトリシアを見ていた。
「……貴方、レイド傭兵団がどんな状態なのかご存知でしたのね?」
「……ああ」
「分かっていて推薦状を書いていたなんて」
非難を込めた視線を投げつける。アルトはニヤつくだけで何も言わない。
パトリシアは悔しかった。全てお見通しだったのだろう。
「嫌な人ね……でも貴方は、この推薦状さえあればルドルフがわたくしに余計な手を出さないとも考えたのでしょう?」
ニヤついていたアルトの表情が固まった。
「違う?」
「………………」
答えない。つまり、それが答えだ。
アルトは全てを知った上でパトリシアを止めることをしなかった。
それでも、何かあった時のためにと保険をかける意味で自身の推薦状をパトリシアに寄越した。
もし実際にルドルフに会い仕事をしたいと言えば、彼に何をされたか分からない。それでも、ドレイク傭兵団の推薦で来たのだと分かれば、ルドルフも手を出さなかったかもしれない。
実際は出す事もなかったし、仕事に就いたわけでもないけれど。
「悔しいけれど心配してくださったことだけは感謝するわ」
だからせめて御礼だけでも伝えたかったから、パトリシアは彼に見せた事もない穏やかな顔をして彼に礼を述べた。どれだけ嫌味を吐かれたとしても、心配してくれていたという気持ちが嬉しかったから。
まあ、本当に心配しているのであれば、そもそも事情を説明して止めるのが筋だろうが。それに関しては目を瞑ることにした。
「……俺は何もしてない。から、礼なんて言うな」
「いいじゃない、言いたいのだから。でも事情を隠していたことに対しては抗議申したいところだわ」
アルトと話していたところでヒースと目が合った。どうやらミシャは傭兵団の人により病院に連れて行ってもらえるらしく馬車によって運ばれたらしく、既にミシャの姿もなくヒース一人が立っていた。
「それじゃあね」
パトリシアはその場を離れヒースの元に走る。
その場に立ち止まり、妙に頬の熱が気になるアルトをそのままに。
「ミシャは問題ないそうだ。腹を蹴られたせいで打撲はしていたが骨は折れていない。吐血も口内を切ったせいでもあったみたいだ」
「そう……! 良かった…………」
ヒースからミシャの様子を聞いたパトリシアは心から安堵した。それでも痛かったであろうミシャの事を思い出すだけで胸が痛む。
自身の事を悔やんでいるとヒースの視線を感じ顔を上げた。いつにも増して真剣な目で見てくるヒースにパトリシアは焦った。
「あんたは無事か?」
心配する声と共に、ヒースの手がパトリシアの頬に触れた。床に転がった時に頬を擦りむいていたらしい。少し赤くなった頬を見てヒースは眉を顰めた。
「わたくしは大丈夫です。それよりも……どういう事なのか説明して頂けます?」
パトリシアが言いたい事を承知したらしくヒースはパトリシアを連れて傭兵団の建物に向かった。
建物には未だドレイク傭兵団の姿が見られた。中は硝子の破片が転がり散らかったままだった。
「彼女を家に帰してくる」
傭兵団の一人に声を掛けた。
「ヒースさん……!」
「あんたの家で説明するよ。邪魔させて貰うよ」
「……分かりました……」
帰らされる事に気付いて抗議の声を上げたものの、あっさりヒースに制されてしまう。
結局黙ったままのヒースに押し負け、パトリシアも隣で黙ったまま歩き出した。
パトリシアの家に入り、中の灯りを灯す。
お茶を用意しようと思ったパトリシアだったがヒースによって手を掴まれる。そのまま椅子に座らされた。
「あんたはここで大人しくしててくれ」
「…………」
既にここで仕事の話をしているためか、パトリシアの家だというのにヒースはお茶のありかを知っていた。火を起こし湯を作る間に茶葉を取り出す。
「あんたとここで領主に直談判する話を聞いた時から、俺はモンドに手紙を遣しておいたんだ」
「…………」
湯が温まるまでの間、淡々と言葉を選ぶ。
「あんたが思う以上に領主の子爵はルドルフと繋がりが深くてね。素直におたくの話に従ってくれるんなら、それはそれでいいと思った。だがもし、それでもルドルフに加担するならあんた達が危険な目に遭うと考えた」
お湯が沸いたため茶葉の入ったケトルに入れ、蒸す間にカップを棚から取り出す。
「以前からルドルフと子爵の間で良くない噂は聞いていたものの、憲兵が動くまでの証拠も無い。子爵のことは国から秘密裏にドレイク傭兵団に相談されていたことを知っていたから、もしかしたら水祭りの間に大きな動きが出るかもしれないってことを伝えておいたんだ」
「そんなことがあったのね……」
茶をカップに注ぎパトリシアの元に持ってきてくれる。パトリシアはそれを受け取りゆっくりと口に含む。温かいお茶の味に、ようやく一息ついた気がした。
自身のカップを卓上に置いた後、何かに気づいたようにヒースがまた台所へ向かう。綺麗な布を取り出し先ほど温めた湯をかけてから軽く絞ると、パトリシアの前にやってきた。
「…………?」
「じっとしてろ」
何をするのだろうと眺めていると、ヒースは温かい布をそっとパトリシアの頬にあてた。温かなタオルの感触と共にほんの少し痛いと感じた。どうやら少しばかり擦り切っていたようだった。
「綺麗な顔に傷をつけやがって……」
忌々しそうに吐き出すヒースの顔は心底怒っていた。怒る対象はパトリシアではなくルドルフに。
パトリシアは、こんな風に怒るヒースを初めて見た。
初めの頃こそ何を考えているのか分からない人だった。飄々として、人を子供扱いして。まるでミシャと同じように扱ってくる人だった。
けれど違った。
彼は言葉にしないだけで、試行錯誤して、誰よりも先のことを考えていた。そして、人の傷を心から労ってくれる人だった。
パトリシアは恥じた。
自分でどうにか出来ると思っていたけれど、それは傲慢な考えだったし浅はかだった。
「……ヒースさん」
「うん?」
「……助けて下さって、ありがとうございました」
素直に頬の手当てを受けながら、パトリシアはヒースに向けて感謝を伝えた。
きっと言葉だけでは足りないぐらいヒースには迷惑を掛けていたのだと思う。それでも彼は何も言わず、ただ黙ってパトリシアの言うことに従ってくれていた。それが、彼なりの優しさなのだと今のパトリシアには分かった。
ヒースは微かに目元に皺を寄せ、表情を崩し微かに微笑んだ。
「依頼人を守るのが傭兵の仕事だろう?」
言われてそういえば、と思った。
パトリシアはヒースに対し依頼を出した側だった。
「これで依頼は解決できそうかしら?」
依頼とは、パトリシアが問題なく傭兵団で仕事をできるようになるか、だ。
ルドルフは拘束され子爵と共に罪状が明らかになるとすれば、遠くない未来ルドルフがレイド傭兵団から除名されることは確定だろう。
実際のところ、ルドルフとヒース、そしてミシャしかいないレイド傭兵団を存続させるのかという声も上がってきそうだが。
それでもパトリシアは働きたいと思った。
ミシャとヒース、この三人で一緒に。
「……できるさ」
頬の手当てを終えたヒースが、優しくパトリシアの頭を撫でた。
それから数日の後、かつてレイド傭兵団の事務官であった男性の供述によりルドルフ及び領主である子爵の数々に渡る罪状が露見した。ルドルフは追放、子爵は爵位を没収され、新たな領主が地を治めることになる。
レイド傭兵団に関していえば、今回の功績と、それまでに積み重ねていた実績ー主にミシャの頑張りではあるーから民に存続の希望が多かったため、団長を改めることにより名もそのままに続くこととなった。
そして未成年であるミシャには団長は荷が重すぎるため、強制的にヒースが団長に就任することになるものの、ヒースに全力で拒絶されることになるのだが。
それはまた、別のお話。
ブクマ、評価や誤字訂正、コメントありがとうございます!
後1話で2章終了です(サクサク章が変わります)
引き続き楽しんで頂けると嬉しいです!




