第七条(危機管理)
水祭りの賑やかさは勢いを増すばかりの中。
領主との話を終えて天幕から出たところで、ミシャとパトリシアは揃って大きく息を吐いた。
「緊張したわ」
「ぼくもです。それよりパトリシアさん!」
興奮冷めやらぬ様子でミシャがパトリシアを見上げてきた。パトリシアの肩ぐらいまでの身長であるミシャはまだまだ育ち盛りで、恐らくこの身長差もあと数年もすれば越えられてしまいそうだ。
「パトリシアさんってドレイク傭兵団の人だったんですか!?」
「ドレイク傭兵団……ああ、さっきの話ね」
パトリシアは先ほど領主に向けて見せたアルトからの推薦状を取り出した。書いて貰ったものの、実際のところ推薦状を使わずにこうしているのだが、まさかこの場で役に立つとは。
「あれは嘘よ。推薦されているというのは本当だけれど私がドレイク傭兵団に居たことは無いわ」
「えっ」
拍子抜けするミシャに先ほど出したメモを渡す。旅に出て直ぐの頃に出会ったアルトとの思い出が蘇る。ついこの間のことだというのに随分昔のように思えてしまう。
「ネピアに向かう途中で知り合った副団長がネピアの傭兵団への推薦状を書いてくれたの」
「アルト副団長? あのアルト副団長と知り合いなの!?」
更に驚いた様子を見せるミシャに驚いた。アルトという青年はそれほど有名な人物だったのだろうか。
「アルトという方は有名ですの?」
「そりゃもう! 傭兵団といえばエストゥーリ傭兵団が有名だけど、同じぐらい大きい傭兵団がドレイク傭兵団だよ。何より組織が大きくて離れた大陸でも結構名前が知られているんだ」
「そうだったの……」
「いいな〜ぼくも会ってみたい」
まさか、旅の途中で知り合った青年がそれほどまでに有名だとは思わなかったパトリシアは改めてメモを見た。アルトという青年を思い出す。正直、そんなに偉いようには見えなかったというのがパトリシアの印象だった。
「そうだ。急いでこのお金をしまいに行こう。ぼく、こんな大金をずっと持ってると落ち着かないや……」
「そうね。これからの事も色々と考えないといけないし……」
もし領主が話の通りルドルフに対して忠告しレイド傭兵団を退団する旨を伝えたとしても、それを素直に聞くかも心配ではあった。今回は領主に会えるチャンスが今回しか無いと思い行動に踏み切ったが、話をした後の事まで段取りを付けていない。ルドルフが行動に出るより前に先に手を考えなければならない。
そのためにも出来ればヒースの力を借りたかったのだが、結局彼が現れることはなかった。
「ヒースさんも拠点にいるかしら」
「忙しいみたいですね……」
本当は共に領主の元に行こうと言っていたのだが、その話をした時から彼の返事は曖昧だったため、来ないことも予想していた。何故来られないのかは聞いていない。
とにかく領主との話し合いの結果を彼に伝えたいと思いレイド傭兵団の建物に向かう。
町から少し離れた場所に建っているため、賑やかな町の声が歩けば歩くほど遠ざかる。
気が付けば陽も落ちて微かに月も見え始めた。この世界の月は二つ。パトリシアの前世では、確か一つだった。
今はとにかく気疲れした身体を早く休ませたい。
建物に到着したところでミシャが扉の鍵を取り出す。この建物の鍵を持つのはミシャとルドルフだった。
「あれ?」
取り出した鍵を鍵穴に入れたミシャが不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの?」
「鍵が……」
開いていると、ミシャが言おうとした途端。
扉が盛大に開いた。
急に扉が開いたことで体勢を崩したミシャが誰かの手により強引に引っ張られ、建物の中に放り込まれた。
突然の事に硬直していたパトリシアもまた何者かの腕により無理矢理建物の中に押し込まれ、床に勢いよく倒れる。勢いが強く腕を出す余裕も無かったため、全身を床に打ち付けてしまい身体が痛む。
背後から鍵を閉める音がした。
パトリシアは急いで正面を見て、現状をすぐさま理解した。
そして、どうにかして逃げる場所が無いか確認したが無理だと判断した。
ミシャとパトリシアは既にルドルフと彼の知り合いである護衛をしていた男達に囲まれていたからだ。
「好き勝手動いてくれたなぁ……あぁ? おい!」
「ミシャ!」
容赦無くミシャの腹部に向けて蹴りつけるルドルフの行動にパトリシアは悲鳴を上げた。
蹴られたミシャはその場で蹲り辛そうに咳をする。口から吐血の痕も見えてパトリシアは慌ててミシャに駆け寄った。
「どうして……?」
「どうしてだぁ? アンタが子爵のところに行ってすぐに知らせが来たんでね」
その言葉にパトリシアは先ほどまで話していた領主とのやりとりを思い出した。
確か、一人秘書の男が領主に耳打ちされた後姿を消していた。
パトリシアはその様子を見て、パトリシアが言った事の真相を調べさせに行ったのではと思っていたが違った。その場でルドルフに報せに行っていたのだ。
(失敗した……!)
血の絆が深いことはパトリシアがよく知っていたというのに見誤った。
事を急いだ結果、こうしてミシャに傷を負わせてしまった。
悔しくて、それ以上に怖くて身体が震えた。
「可愛いツラして恐ろしいことしてくれるな……!」
ルドルフが怒りを露わにパトリシアの三つ編みを強引に引っ張る。髪を引っ張られる痛みに叫びながら、パトリシアは引き摺られるようにルドルフに引き寄せられた。
怖い。
恐怖で身体が逃げたくても震えて逃げられない。
何をされるのか分からない恐怖から強く目を閉じた、その時。
硝子の割れる音と共にルドルフの醜い悲鳴が聞こえた。途端、引っ張られていた髪の痛みが消えてパトリシアは床に落ちた。
未だ恐怖から目を閉じたままだったパトリシアは、突如響いた激しい騒音に恐怖を打ち破り目を開いた。目の前に拳ほどの大きさの石が転がっていた。どうやらこの石が硝子を壊し、ルドルフ目掛けて投げられたらしい。
硝子が割れる音がしてから直ぐに建物の扉を思いきり押し壊し、強引に中に入ってきた者が居た。
疾走する軽やかさは日頃の飄々とした姿から想像もできないほどに素早く的確に動き、瞬く間にルドルフの行動を制御したヒースの姿があった。
信じられないとばかりにパトリシアはヒースを見た。
「……っ悪い! 遅くなった!」
額に汗を流したままに謝る彼は反撃する隙も与えないままに拘束したルドルフを手刀で気絶させ、そのまま他の男に攻撃を仕掛けた。
突然の奇襲により意表を突かれた男達は為す術もなくヒースによって打ち倒されていくように見えた。
けれど落ち着いて見れば分かる。
ヒースの行動があまりにも速く、他の男達が付いていけないのだ。
「ぐっ……!」
「うあっ!」
数人居た男達は帯刀していたというのにも関わらず、素手のヒースによって一人、また一人と倒れていく。
そして遂に最後の一人に対し勢いよく蹴り倒したところで、立ち尽くす者がヒース一人となった。
はぁ、と大きく息を吐いたヒースには傷一つ無く、ただひどく汗だけが頬を伝っていた。
パトリシアを見て一息つく間も無く近付き抱き上げた。
「大丈夫か!」
「だ……いじょうぶです。それよりミシャを……!」
パトリシアは我を取り戻し慌ててヒースにミシャの事を伝えれば、ヒースは優しくパトリシアを椅子に掛けさせた後、急ぎミシャの元に駆け寄った。ミシャは既に意識を失っているようだった。
「……すぐに医者を呼ぶ」
「あ……」
「大丈夫だ。あんたを一人にはしない」
倒れた男達の中に残されるのではという恐怖を抱いてしまうパトリシアに対し、安心させるようにヒースは答える。ぐったりと倒れたミシャを傷つけないよう優しく抱き上げた後、ヒースは建物の外に出た。
「やっと来たな。遅いぞ!」
「阿呆! お前が早すぎだ!」
遠くから馬の嘶きと共に誰かの叫ぶような声が聞こえてきた。
座らされていたパトリシアは、震える身体を鞭打ってヒースの元に近寄り向かってくる人の姿を見た。
その時パトリシアは初めて見た。
ミシャが憧れ、人々が信頼を寄せるドレイク傭兵団の組織たる姿を。
やっとヒースの出番が出てきました(笑)
ブクマ、評価、コメントありがとうございます!




