9
エルミと戦っていた三人の男のうち、ふたりはすでに事切れていた。残りの気絶していたひとりは父がぱちぱち頬を叩くとはっと目を覚まして、即座に飛び起きてあたりを見回した。
「子供は!?」
男は人気のなくなった小道を見て、状況を察したのかぶるぶる震え上がった。
「閣下に殺されちまう…!」
「ここで何があった?なぜ彼らと戦っていた」
父が問うと、男は父の顔を見てヒィと引きつった悲鳴を上げた。ずりずりと座り込んだまま後ずさっている。
「お前、あの女の仲間か?お、俺は何も言わねえぞ!」
「ちょっと!パパはアンタを助けてあげたんだからね」
失礼な男だ。腰に手を当てて文句を言うと、そこで男はようやく、父が自分とエルミに割って入った剣士だと気づいたらしかった。
「お前が助けてくれたのか…!すまねえ、あんまりあの女にそっくりだから、てっきり」
「それで?何があったんだ?」
男はガタイのいい身体を縮めてうなだれた。
「俺も命令されただけだから詳しい事情は知らねえ。ただ、あの神官服の子供に捕まってた、小麦色の髪の少年を保護して神宿塔に連れてこいって、それだけ。あの子供だけだったらなんとかなったんだが、いきなりあの銀髪の女がやってきてよ」
男はあおむけに寝かされている仲間を見て深いため息をついた。「俺以外はやられちまったのか…」
「閣下というと、お前はレインの配下か」
どうやら閣下というのは、先ほど出会った神護隊長のことらしい。父の指摘に、男は何度もうなずいて目を潤ませた。大の男が情けない顔をしている。
「そう、そうなんだよ!お前、閣下を知ってるのか。なあ、報告についてきてくれよ。俺ひとりじゃ閣下に何を言われるかわかんねえよ」
男はすがりつくように父のマントを引っ張ったが、父は冷静にその手を払った。
「レインはどこへ?」
「閣下なら、もうひとり神官服の子供に追われていた女の子を連れて神宿塔に向かったぜ。確かネルとかいったっけな。」
ということは、やっぱりあの小麦色の髪の少年が探していた子供の片割れだったらしい。神官服姿の子供はあの少年を諦めた様子だったが、無事でいるだろうか。
「ラディ王子、大丈夫かしら」
「殿下自身はいざとなれば転移魔法もあるし、滅多なことにはならないだろうが、あの少年はどうだろうな。とにかくレインに会いに行くか」
「ありがてえ!」
男はメルセナたちがついてきてくれると分かった途端、嬉々として立ち上がった。よほどあのレイン隊長にひとりで立ち向かうのが怖いらしい。
神宿塔への道を男の先導にしたがって辿りながら、メルセナはあの神官服姿の子供のことを考えた。温かいハニーブラウンの瞳は優しげで、とても世界を滅ぼすことを望みそうな恐ろしい人物には見えなかったが、巫子であることを言い当てられて肝が冷えたのも確かだ。
「ねえ、本当にあの子が、9番を出現させたんだと思う?」
「さあな」
父はにべもなく答えた。
「だが、見た目が優しげだからといって、中身もそうだとは限らない。特に不死族は長く生きているほど老獪な者が多い。彼はひと目見ただけでセーナが印を持つことに気づいた。ただの子供ではないことは間違いない」
小道を抜けて開けた場所に出ると、そこにはまだ暴動の跡がありありと残っていた。平和な時ならばさぞ美しかっただろう噴水のある広場には、何人もの民が倒れていた。
「ひでえや…」
男が絶句してつぶやいた。
「礼拝でみんながこの広場に集まったときに、神護隊のやつが仲間の首を掲げて、神都の高等祭司を連れこんだって言ってたんだ。それからウサを晴らすみたいに、無抵抗のやつを何人も傷つけてよお…たぶん、貴宿塔派閥の連中が暴走したんだな」
目を開いたままあおむけに倒れている男性のまぶたを閉じてやって、男は胸に手を当てて祈りをささげた。
「閣下もはやくこんなとこからおさらばして、神都の嫁さんのところに帰りたいだろうになあ…」
父が小声で「おしゃべりな奴だ」と毒づいた。メルセナは心のメモ帳にあるレイン隊長の項目を開くと、「パパの友達」「陽気に見えて恐ろしい」の後ろに「既婚者」と付け足した。
広場からは三本の道が続いていて、それぞれ道の向こうに高い塔がそびえている。中央の一本だけ他の二本の塔より際立って背が高い。あれが先ほど鐘を鳴らしていた神宿塔らしい。
暴徒は塔の方へは行かなかったようで、そちらの方面は閑散としていた。塔の入り口に向かう階段が見えてきて、男は顔色悪く小刻みに震えだした。
「き…来てしまった…来てしまったぞ…ああ、どんなお咎めを受けることか…」
「あの隊長さんのこと、そんなに怖いの?」
「怖いなんてもんじゃねえよ!」
男はあわや泣き出す間際といった表情でメルセナに訴えた。
「この間、世界王陛下に宛てた手紙を砂漠に落としちまったときの閣下の顔といったら…ああ、思い出しただけで震えが止まらねえ。机の上の塵でも見るような目で、『手紙ひとつ満足に運べない空っぽの頭に存在する価値があると思うか?』って…未だに夢に見るぜ…」
「その話が事実だとすれば、それを私たちに明かしたお前の命の価値は塵以下まで落ちるだろうな」
呆れた様子で父が指摘した。聞き捨てならない単語が混ざっていた気がするが、風前の灯であろう男の命を守るために、メルセナはそっと口を閉ざすとともに、きわめて口の軽い男を部下に持ってしまったレイン隊長に心底同情した。
男はようやく自分の失言に気づいたのか、ただでさえ青白かった顔色がどす黒くなった。
「ヒッ、すまない!忘れてくれ!いやっ、俺はなにも言ってねえ!」
「そう思うのなら、自分のしでかしたことの落とし前くらい自分でつけることだな」
塔へ続く階段を上りきって、父は冷たく言い放った。
「人に泣きつく前に自分で責任を取るすべを身につけろ。私はなにも助けない」
騎士として、主の秘密をペラペラ話す男の仕事ぶりがよほど許せなかったらしい。かちりと剣に手をかけて鍔を鳴らしたところで、男は縮み上がって這う這うのていで扉に飛びついていった。
「かっかっ、閣下ァ!いや、レインさん!」
男が巨大な神宿塔の扉を開け放つと、入り口近くに立っていたレイン隊長に飛びついた。メルセナは半笑いで父を見上げた。
「実はあの隊長さんって、相当偉い人?」
「少なくともあの男の首を独断ではねたところで誰も文句を言わないくらいにはな。だが、聞かなかったことにしてやれ」
男が開けっぱなしにしている神宿塔の扉からこっそり中を伺うと、レイン隊長のほかにも何人か立ち話をしていた。隊長のとなりにたたずむ女の子が噂のネルだろうが、そのほかにもメルセナより少し年下らしき少年と、薄汚れた無精髭の男が向かい合っている。
父が無精髭のほうを見て目をみはった。
「トレイズさん」
「またパパの知り合い?」
「私が神護隊にいたときの上司だ。変わらずラトメにいらっしゃるとは聞いていたが」
ということはレイン隊長の先任だろうか。もうこれ以上、妖怪みたいな恐ろしい面々とはお近づきになりたくないところだが、事情を説明しながらチラチラと男が助けを求めるようにこちらを見てくる。
男は言い訳がましくレイン隊長の前の床にへばりつくように謝罪していた。
「ヒッ!お許しくださいィ!仲間もやられちまってどうしようもなかったんですっ!俺も這う這うの体でようやく逃げだせたくらいでっ」
「やだなあ、人の顔を見てそんな怯えて。それで、ひとりでここへ来たんですか?」
レイン隊長は苦笑しているが、それが彼の貼り付けた仮面だというのはこれまでの話で重々承知している。せっかく助けた男が隊長の槍の錆になるのも忍びないので、メルセナは腹をくくって前に出た。
「邪魔するわよ!」
男は助けがやっときたとばかりに目を輝かせた。途端に彼は少しくらい痛い目を見るべきではないかという思いがメルセナの脳裏によぎったが、気を取り直して胸を張った。
「私とパパがた・ま・た・ま!通りかかってなきゃ、危なかったんだから、この人。感謝しなさいよね!」
半分くらいは男本人に言い聞かせるように力説すると、無精髭のトレイズ何某が頭痛をこらえるようにこめかみをぐりぐり押さえた。「アー…お前は?」
「申し訳ありません、トレイズさん。私の娘なんです」
父は颯爽と現れると、メルセナを抱え上げて「ちょっとでいいから大人しくしてくれ」と懇願してきた。さすがに父の元上司の前で、娘の自慢げな態度が恥ずかしかったらしい。
「ご無沙汰しています、トレイズさん。神護隊にご挨拶に伺おうとしたらこの騒動になりまして」
父はまず元上司に折り目正しく頭を下げた。彼はボサボサの髪をガシガシ掻きながら、毒気を抜かれた様子で「お、おう」と返した。清潔感はないが、レイン隊長にしろエルミ副隊長にしろ、この街に来てから出会ったのは得体が知れない人物ばかりだったので、彼のような素直な反応は久々に見る気がする。
それから、父はレイン隊長に向き直った。
「レイン、その見失ったという子供だが、うちの殿下が追っている。舞宿街の方へ向かっていった」
「よりにもよって嫌な方へ向かうなあ」
レイン隊長はぼやいた。部下の男はあわれにも泡を吹いて倒れそうだ。父もデクレという少年が逃げ去っていったときに苦い顔をしていたが、舞宿塔というのはそんなに危険な場所なのだろうか。
「そんなに舞宿街ってところは危ないの?」
小声で尋ねると、父は何か嫌な思い出でもあるのか眉を寄せた。
「舞宿街は…いわゆる歓楽街で、この都市の中で最も治安が悪い。無知な子供が下手に迷いこんで…帰ってくる確率は、まあ、高いとは言えないな」
女の子の耳には入らないように配慮したのか父の声は聞き取りづらかったが、メルセナの長い耳にはきちんと届いた。なるほど、どおりで少年の安否についてやけに濁していたわけだ。
女の子はその事実を知らないのか、デクレ少年を追おうと踵を返したレイン隊長に追いすがった。
「待って!レインさん、わたしも連れて行って、デクレのところに行きたい!」
「だめだ、君はトレイズさん達と一緒に行くんだ」
その時、メルセナは少女の髪の毛が、一部分だけ不自然に赤いことに気がついた。神宿塔の中は申し訳程度についた燭台の明かりしかないせいでほとんど暗かったし、外もとっぷり日が落ちていたので気づかなかった。
ギルビスの言うとおり、彼女はやはり巫子だったのだ。彼女は泣き出しそうに顔を歪めてうつむいた。
「君の幼なじみの身は、私が守ろう。この槍に誓って」
レイン隊長が力強く請け負うと、少女はくちびるを噛みしめながらもうなずいた。
「…デクレを守って、レインさん。わたしの、世界でいちばん大切な人だから」
あら素敵、メルセナは思わずつぶやいて、軽く父に小突かれた。ネルとデクレのふたりは、何やらただならぬ関係らしい。だとすれば、この暴動ではぐれてさぞ心細いに違いない。メルセナは反省した。
レイン隊長が部下の男を引きずって颯爽と出ていくのを見送って、メルセナは父の腕を叩いて下ろしてもらった。無精髭のトレイズが父のそばに寄ってきた。
「エルディ、さっそくで悪いんだが、塔の転移陣が使えるか見てくれないか?ことが収まるまでレクセに避難したい。お前らも行こうぜ」
「確かに、今のラトメに滞在するのは危険そうですね」
「ラディ王子はどうするの?」
「レクセに着いたら連絡する」
仮にも騎士が王子を放って別の都市にまで逃げてしまってよいのだろうか。甚だ疑問だったが、ラディ王子には転移呪文があるし、彼を待つのに距離は関係ないのかもしれない。父は最初からラディ王子のことはさして心配していない様子だった。不死族どうしの信頼感は、メルセナにはいまいちよくわからない。
父とトレイズは転移陣の検分のために、塔内の明かりをつけ始めたので、手持ち無沙汰になったメルセナは周囲を見回した。入り口近くで、まだ神宿塔の大扉を見つめたまま、少女が立ち尽くしている。
「大丈夫よ、あの人、有能なんでしょ?パパが言ってたわ」
レイン隊長の仕事ぶりは知らないが、父をして有能と言わしめるほどの人が力になってくれるというのだ。危険な街にひとりで飛び込んでしまったデクレ少年は気がかりだが、今はレイン隊長を信じるしかあるまい。
すると、ずっと黙ってなりゆきを見守っていた少年が、首を傾げてメルセナを見下ろした。燭台の明かりに照らされて、後ろでくくられた少年の黄土色の髪がきらりと光った。
「で、君ってば誰なの?」
メルセナはふふんと胸を張った。何はともあれ、ようやく仲間に会えたのだ。メルセナはきょとんとこちらを見る年下の少年少女に、お姉さんぶった口調で宣言した。
「私はね!メルセナ。みんなを守りにやってきた、赤の巫子よ!」
「…えっ?」