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少女メルセナとおとぎ話の秘密  作者: 佐倉アヤキ
1章 シェイルディアの騎士の娘
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「あいつは事情があってあんなチャラチャラした態度を取っているが、職務に忠実で有能だ。実際、あいつが神護隊の長の座にいるからラトメはまだ五大都市の体裁を保っていられる」


 父はレイン隊長をそう評した。確かにただ者ではないと思うが、父がそれほどまで人を評価するのも珍しい。ラディ王子はようやく物陰から出てきてうなずいた。

「逆を言えば、今のラトメを滅ぼすのも彼の意思次第ですけどね。この世で敵に回してはいけない人物を挙げたら三本の指には入ります」

 残りの二人が誰なのか気になるところだが、命が惜しいので聞くのはやめておいた。シェイル旧王家のラディ王子が言うのだから相当恐ろしい人物なのだろう。


「あのひと、誰かが9番を出現させようとして、その人がネルとデクレって子たちを連れてきたって言ってたわよね?じゃあ、その人が悪の大元ってことかしら」

 一体なんの得があって、世界を滅ぼす者を好き好んで生み出そうとするのか。物語ならまだしも、現実にそんなひとが存在するのかは甚だ疑問だ。

 父は難しい顔をして宙を仰いだ。夕暮れ時の赤い空に、うっすら満月が浮かんでいるのが見えた。

「分からないが、意図的に9番をこの世界に生み落としたのだとすれば、それは罪深い行為だ。世界を滅ぼす存在に選ばれるには、それだけこの世界に恨みを持っていることが条件になる。その恨みが人工的に与えられたものだったら…」

そこまで言って、父は続きを言うのをためらった。メルセナは、単純に世界を滅ぼす9番に選ばれるのは絶対的な悪いやつで、巫子がそれを倒すのは正当性のある話だと思っていたけれど、現実は絵本ほど単純ではないのかもしれない。

「9番自身は被害者だってこと?」

「…あくまで仮定の話だ」


 そう言いつつも、父だって同じことを考えているのは明らかだ。9番がどんな人物なのかわからないが、実はなにも悪くない人物を倒さなきゃいけないのだとすれば、巫子の善悪がひっくり返ってしまうのではないだろうか。実はメルセナは悪者側に立たされているのかもしれない。

 唸っていると、ラディ王子が空気を変えるようにぱちんと手を叩いた。

「とにかく、詳しい話は後ほど彼から聞くとしましょう。夜までどうしましょうか?そろそろ礼拝の時間ですが」


 すると、街中に響き渡るのではないかというほど大きな鐘の音があたりに響いて、メルセナは両耳をふさいだ。振り返ると、外からは先っぽしか見えなかった白い尖塔から鳴っているようだ。確かにラディ王子が言っていたとおり、石をレース編みのように複雑に積み上げて高く作られた塔ははっとするほど見事だ。

 鐘の音に呼び出されるようにあちこちの家から住人が出てきて、地面に平伏して祈りの文句を唱えだした。これが礼拝というやつだろうか。

「朝晩にあの塔、神宿塔の鐘が鳴ったらお祈りをするのがこの街の決まりなんですよ」

ラディ王子はそう言って、自身も胸に手を当てて頭を下げた。シェイルでも神さまへのお祈りはするが、さすがに平伏というのは聞いたことがない。


 これが信仰で成り立つ都市ならではの特色なのだろうか。メルセナも王子のまねをしてお辞儀をしてみると、隣の父がぽつりと呟いた。

「なにかおかしいな…」

 頭を上げると、確かに塔の方面がなにやら騒がしい。何事かと様子を伺っていると、甲高い悲鳴が上がって、人波がわっと押し寄せてきた。

「なっ、なに、なに!?」

父のマントを握ると、人波にさらわれないように抱き上げられた。恐怖におののいて逃げ惑っている人々の向こうから、麻コートの男が剣を振り抜いて声高に宣言した。

「神都の高等祭司を目にして放置した者たちは皆、裏切り者だ!我が選別の剣を受けよ!」

あのザディシアとかいう神護隊の男だ!彼は狂気に駆られた血走った目で、目につくラトメの民を手当たり次第に斬りつけている。

「お前は私を見て逃げ出した罪!お前は聞くに耐えない悲鳴を上げた罪!お前は…」

「めちゃくちゃよ!パパ、なんとかして!」


 娘に言われるまでもなく、父はすでに剣を抜いていた。メルセナを抱いたまま、道の脇に積み上がった木箱の上に乗ると、そのまま屋根に跳躍して駆け出す。相変わらず規格外だ。父は屋根を強く蹴って男の元へ飛び降りながら叫んだ。

「セーナ、身を縮めて目をつぶっていろ!」

父の首にぎゅっと抱きつくと、父は神護隊の男の前に着地して、そのまま彼の脚をしたたかに蹴って引き倒した。

「ギャッ!なんだ!?」

「罪に問うというのなら、それは無実の民を傷つけるお前の胸に聞いてみることだ、下種め」

父はためらいなく男の腹を踏んだ。反射的にぱちんと目をふさいだが、男の肋骨がぼきりと折れる嫌な音と、けたたましい濁った悲鳴を遮ることはできなかった。


 父は神護隊の男がバタバタ暴れて苦しむさまは捨て置いてくるりと振り返ると、襲われていた女性を見下ろした。

「お怪我は?」

「い…いえ…」

「ならよかった。はやくどこか建物の中へ。身を隠して騒ぎが収まるのを待ちなさい」

「はい…」

父は言うが早いか、ラディ王子と合流するために駆け出したが、助けられた女性のほうはぽーっと熱に浮かされた顔で父の背中を見つめていた。こんな時だというのに、またひとり父の色香の餌食にしてしまったらしい。


 しっかりした木箱の上にしゃがみこんで人波を避けていたラディ王子は、メルセナたちが寄ってくるのを見て立ち上がった。

「殿下、こちらは危険です。どこか安全な場所を探さないと」

「確かに、これはもう暴動ですね」

 もはや神護隊も住民も関係なく、あちこちで殴り合いや、各々武器を取っての争いに発展している。神護隊の理不尽な選別とやらが起爆剤になって、住民たちの怒りも爆発してしまったようだ。

「安全な場所ってどこよ!」

四方八方、ギラギラした人が争っている図しか見えない。こんな時、巫子の力が使えればよいのだが、あの三つ首の獣など出そうものならさらなるパニックを呼ぶだけだろう。


 キョロキョロあたりを見回していると、不意にある一点が目に留まった。黒い神官服姿の男の子が、小麦色の髪の少年の腕をつかんで何やら言い争っている。その奥に、銀髪の人物が大柄な男たちと交戦しているのが見えた。

 神官服姿の子供。メルセナはピンときて叫んだ。

「ねえ、パパ!あれ見て!」

「あれは…」

父が息を呑んだ。銀髪の女性は神護隊のようだ。麻のコートを翻して男たちをバタバタと倒しながら、神官服の少年に言う。

「レフィル、はやく彼を連れて行ってください」

「やめろよっ、離せ!」

小麦色の髪の少年はもがきながら、神官服のほうに羽交い締めにされている。ラディ王子は小さく祈りの文句を唱えだした。

「とりあえずあの少年の拘束を解きましょうか」

王子がくるりと手のひらを返すと、ぶわりと神官服姿の子供と小麦色の髪の少年の間に風が舞い起こった。神官服姿の子供が後ろに転がって、小麦色の髪の少年も手をついた。

「ナイスよラディ王子!」


 銀髪の女性はこちらを見て、愕然と目を見開いた。長いまつげに彩られた瑠璃色の瞳がきらめいて、薄いピンク色の唇が開く。

「エルディ君!」

「エルミ、悪いがその少年はこちらで保護させてもらう」

父が大柄な男と銀髪の女性の間に割り込んで剣を振るった。ギリギリと鍔迫り合いの音が響く。父の腕の中から間近で女性の顔を見ると、ますます父そっくりだ。

 父を女性にしたらこんな感じの美女になるだろう銀髪の神護隊員は、眉を寄せて後ろに下がると父から距離を取った。名前を聞く限り、これが「エルミ副隊長」らしい。


 彼女はチラリと背後を見て、少年と神官服の子供の間にラディ王子が立ち塞がるのを確認した。

「奇遇だね。会えて嬉しいよ…と、言いたいところだけど、なぜ私たちの邪魔をするのか教えてもらっても?」

「あいにくだがそれはできない。そっちこそ、なぜ嫌がる少年を連れて行こうとする?」

「…秘密が多いのはお互いさまみたいだね」


 父とエルミは互いに膠着状態で黙り込んだが、突然弾かれたように小麦色の少年が駆け出した。彼は一目散に小道の向こうへ走っていく。

「あっ、ちょっと!」

呼び止めようとしたものの、彼の背中は入り組んだ道によってすぐに見えなくなってしまった。父が舌打ちした。

「あっちは舞宿街だ、子供ひとりで入る場所じゃない…」

「僕が追います、後ほど連絡を」

手短に言って、ラディ王子が少年の跡を追った。神官服姿の子供は、がっくりと肩を落として落胆した様子だ。

「まったく、9番はいなくなるし、子供たちは逃げ出すし、踏んだり蹴ったりだよ。今日は厄日だなあ」

「レフィル、追いますか?」

レフィルと呼ばれた神官服姿の子供は、くすんだ茶髪をがしがし掻いた。片側だけ伸ばして三つ編みにしている、奇妙な髪型だ。彼は不貞腐れた表情でやれやれと首を振った。

「もういいや。どうせあっちの方は使い物にならないし。もうひとりの行方を探すよ。そのお客さんたちの相手は君に任せる」


 いかにも人畜無害そうなその男の子は、この混乱の中だというのに平然と歩き出すと、メルセナたちの脇をすり抜けていった。父が彼に剣を向けようとしたが、その時、レフィルはついとメルセナを見て、ゆったりと目を細めた。

「6番か。精々、『彼女』のために踊ってくれよ」

 その優しさを感じられないぞっとするようなほほえみに、メルセナはぱっと左手首を押さえた。しかし、彼はそれきりメルセナには興味を失った様子で、スタスタと小道の向こうへと消えていく。まだそこかしこから怒鳴り声や悲鳴が聞こえているのに、まるで散歩するように軽やかな足取りで、それがまた不気味だ。


 呆けたままレフィルの歩いていった先を見つめていたメルセナは、カチンと剣を鞘に収める音で我に返った。振り向くと、エルミは剣を収めてひらひら両手を振っている。

「少年もレフィルもいないのでは、私もこれ以上戦う意味がありませんね」

「…エルミ、お前、なにを企んでる?」

父は鏡写しのようによく似た顔の女性に、警戒を解かずに問いかけた。エルミは肩をすくめると、億劫そうに麻のコートの袖をまくった。多少の日焼けはしているが、こんな砂漠に住んでいるとは思えない白い肌だ。

「シェイル王家なんかに与してるエルディ君には言わないよ」

そっけない口調だ。

「あの強欲な王の元で騎士なんかして、血も繋がってない子供を拾って育てるなんて。優しすぎて笑っちゃうね、君は不死族ってものをわかってない」

「エルミリカ」

メルセナは、父が立ちのぼる怒りで小刻みに震えているのが分かった。父はこの女性をまるで親の仇のように睨みつけていた。理由はわからないが、この二人には何やら深い確執があるようだ。

「それ以上は、私と娘への侮辱と取る」


 エルミと父はしばらく無言で睨み合っていたが、やがてエルミのほうが視線をそらして、こちらに背を向けた。

「すっかり父親の顔になっちゃって。いいよ、ここは私が引いてあげる。袂を分かつようになったとしても、君は私の家族だからね」


 銀髪をなびかせて、彼女はいずこかへと歩き去っていった。剣を下ろして立ち尽くす父の無表情を見ながら、メルセナはひとつだけ尋ねた。

「パパ…あのひと、パパの家族なの?」

父はゆっくりとメルセナを見て、寂寥感に満ちた笑みを浮かべた。普段だったら「そんな儚い笑みを浮かべちゃったら女の子たちが倒れちゃうわ!」と冗談めかして言うところだが、彼の顔を見るととてもそんな茶化すようなことは口にできなかった。


「かつては、そう信じていた日もあった。でも、私はこの街にあったすべてを捨ててシェイルに行った。その日から、私の家族はセーナだけだ」


 父が王妃様の息子だということも、父を家族と呼ぶあの銀髪の女性のことも、メルセナの知らない父の思い出は、きっと彼が心のデリケートな部分に置いてきた語りたくない過去なのだろうと思った。メルセナがレイセリア村長から実の父母の話を聞くのを拒んだように、父にとっても、メルセナは自分で選び取った家族なのかもしれない。


 メルセナはぎゅっと父の首に抱きついた。

「当然よ!私のお父さんはパパだけだし、パパの娘はいつだって私だけよ!」

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