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ゼルシャの村長レイセリアは、女性だった。
引きずるほど長い白金の髪に、ラディ王子の言っていた通り金でできた精巧な頭飾りをのせている。蔦を絡めたようなデザインで、これまた長いヴェールが伸びていた。村長というくらいだからどれだけ老獪な人物が出てくるかと思いきや、目尻や口元のシワが長く生きてきた証を示しているものの、理知的な瞳は優しげに細められてこちらを見据えていた。
レイセリア村長は丁寧にやすりがけされて丸みを帯びたロッキングチェアに腰かけて、ゆったりとほほえんだ。
「近ごろすっかり腰を悪くしてしまって、座ったままでごめんなさいね。わたくしがこのゼルシャ村が長、レイセリアでございます。シェイルからようこそいらっしゃいました」
エリーニャの尊大な態度とはまるで違う、物腰柔らかで礼儀正しい村長だ。彼女はまずラディ王子に背負われた父を見て、まあと声を上げた。
「そちらの方はお怪我をされていらっしゃるのね」
「村長、この男は、ここにいる同胞の娘を拾い育てた父親なのだそうです。宿を用意するに足る者と思われます」
息子のほうの言い回しには相変わらず引っかかるものがあるが、村長は何度も深く頷きながら眉尻を下げた。
「同胞の恩人とあれば救わぬわけにはまいりませんね。是非そうなさい。エリーニャ、すぐに宿にお連れしてしかるべき手当てを。エルフの秘薬を使ってでもお助けしなさい」
「お心のままに」
村長が脇机のベルを取り出してひとつ鳴らすと、わらわらと召使が現れて、ラディ王子の背から父を下ろし、いずこかへと連れて行こうとした。まさかこの流れで父をどうこうするとは思えないが、不安になってついて行こうとするメルセナを、ラディ王子が引き止めた。
「メルセナ、今はこの村の方にお任せしましょう。あなたのこともお話しなければ」
後ろ髪引かれる思いで連れて行かれる父を見送ったところで、ラディ王子はレイセリア村長に深くお辞儀した。
「村長の深いご慈愛に感謝いたします。僕はシェイル旧王リズセムが息子、ラディ。こちらは弟の拾い子にしてあなた方の同胞たるメルセナと申します。レイセリア村長にシェイル旧王からの親書と、至急お願いがあり参上いたました」
「メルセナ?」
レイセリア村長はこちらをじっと見て名前を復唱した。
「あなたはメルセナというの?」
「え、ええ。そうだけど…」
村長はしばらく考えこむように黙っていたが、やがて気を取り直したようにゆるゆる首を振った。
「いえ、まずはご要件をお伺いいたしましょう。親書をいただいてもよろしいですか?」
ラディ王子が鞄から取り出した、重厚な細長い木箱をレイセリア村長に受け渡した。彼女は細い指で親書を開いて目を通している。その間、メルセナは父が心配でそわそわと落ち着きなく待っていた。
やがて、親書を読み終えたレイセリア村長は、親書を丸めて箱に戻しながら疲れたようにため息をついた。
「…こちらのお返事は少しお時間をいただきます。それで、お願いというのは?」
「このメルセナとその父エルディを、少しの間匿っていただけないでしょうか。彼女は昨日赤い印を継承し、追われているのです」
「なに!?赤の巫子だと!?」
背後のエリーニャが鋭く叫んだ。レイセリア村長も眉をひそめる。
「この子が巫子であると?…メルセナ、印を見せていただけるかしら?」
ラディ王子を見上げるとひとつ頷かれたので、メルセナは素直に袖をめくって左手首を見せた。赤い帯を見て、レイセリア村長は何か憂えるように唇を噛んだ。「これをどこで?」
「枯れ森で、レナとかいう女がこれを持ってたの。その女に襲われたときに、知らずに私、これを奪ってたみたい」
「レナだと?村長、ではこの娘は!」
エルフたちはレナのことを知っている口ぶりだった。レイセリア村長は悲しげに「因果なものですね…」と呟くと、深く頷いた。
「分かりました。その印は、どうやら我が村の悪しき慣習の行く末を示したもののようです。メルセナとそのお父様の安全は、このレイセリアが保証いたしましょう」
それからレイセリア村長は、メルセナの目を見た。
「メルセナ、わたくしは、あなたがお父様のもとに拾われるまでの経緯を知っています」
なんとなくそんな気はしていて、メルセナは頷いた。枯れ森の中にエルフの集落があると聞いてから、ひょっとしてメルセナの生まれた場所はここなのではないかと思っていたから。
「あなたが望むなら、あなたの本当の父親と母親についてお話しいたしますが、どうしますか?」
「ううん、いらない」
メルセナはきっぱりと答えた。
「私にとっての父親は、今までもこれからもずっとパパだけだもの。別にパパに拾われる前の話なんて知らなくてもいいわ」
生みの親のことなど知る必要性も感じたことがない。メルセナはシェイル一等騎士エルディの娘だし、メルセナにとっての故郷はシェイルディアの街でしかありえない。
あっさりとしたメルセナの様子に、レイセリア村長は目を瞬いたが、すぐに破顔して頷いた。
「あなたは良い方に拾われたのですね。いずれ何かの折に知りたくなったら、いつでもいらっしゃい。ゼルシャはいつでもあなたを歓迎いたします」
◆
「ラディ王子はここになんの用事だったの?」
父の元へ案内してもらいながら質問すると、ラディ王子は肩をすくめて答えた。
「枯れ森の行方不明事件のことで、少し心当たりがあったので。ここの村長であれば詳しい事情をご存知かと思って聞きに来たのです」
「でも、あの事件の犯人はレナだったわけよね?」
枯れ森で行われていた怪しい儀式で、倒れ伏していた人々が例の行方不明者ではないのだろうか。
「身元を確かめてみないと分かりませんが、おそらくは。ただ、そのレナという女性が犯人だとして、事件を起こした理由もなにもわかりません」
「ふうん、動機ってやつね」
推理もので犯人が名指しされると語りだすアレだ。確かにレイセリア村長もエリーニャもレナのことを知っていたようだった。メルセナが巫子になったのもそのあたりに関係がありそうな口ぶりだったし、ひょっとするとシェイルの人々はゼルシャの村のゴタゴタのとばっちりを食らったのかもしれない。
宿に着くと、父がいる部屋はすぐにわかった。エルフの女性たちがキャアキャア言って集まっているあたりだろう。父の色香はエルフをも惑わすのかと呆れていると、部屋から聞き慣れた男性の声が漏れ聞こえて、エルフがひとり気絶したところで、メルセナは事態を察して駆け出した。
「ごめんなさい、通して…パパ!」
「セーナ」
傷の確認のために脱がされたのか、上半身裸の父がベッドの上で身を起こしていた。なるほど、普段のまっさらな肌でさえ目の毒なのに、顔にも肩にも傷がついたことで野性味を増してしまっている。この姿でほほえんで話しかけられなどされたら、耐性のない女性が意識を保っていられるわけがない。
メルセナは手を振り上げると、力いっぱい父の頬をビンタした。ばちんといい音がして、背後の女性陣から悲鳴が上がる。品行方正な騎士様である父に頬を張られたときはちっとも痛くなかったけれど、あいにくメルセナには容赦してやるつもりはなかった。父の白い肌にもみじ色の手の跡が咲いた。
「私の言いたいことが分かるでしょ?」
「…そうだな、すまない。心配をかけたな」
父は困ったように瑠璃色の瞳を細めて腕を広げた。
「おいで、セーナ。手を痛めていないか?」
「それよ!それ、それ!そうやってパパはいっつも私のことばっかりなんだから!」
平手打ちした娘の手の心配より、自分の大怪我の心配をすべきだ。メルセナは父の胸に飛び込んでぎゅうと抱きついた。
巫子の力だって、不老不死になったって、家に帰れなかったとしたって、そんなことはまったくへっちゃらだった。父が隣にいてくれるなら、たとえどんな理不尽に巻き込まれたって大丈夫だ。
「パパが元気でいてくれなくちゃ、私の人生設計がめちゃくちゃになっちゃうわ。パパには私の結婚式でしっかり号泣してもらうんだから」
「その前に夫になる奴のことを一発殴らないと」
「それで子供ができたら、うちのおじいちゃんは美形だって自慢させるの」
「君に似た孫ならさぞかわいいだろう」
「パパったら全然モテないから、いつか私が死んじゃってもさびしくないように、いっぱい子供を産むの。そしたら孫もひ孫もたくさんできるでしょ?パパにはずーっと私の子孫たちを見守っていく役目があるんだから」
「それは責任重大だ」
メルセナはぼろぼろ涙をこぼしながら、父の広い背中をつねってやった。この父親は、娘がこんなに怒っているのに、それすらどこか嬉しそうだからいけない。
「だから、もう私のために無茶なんかしないでよ」
父はメルセナの頭をいつものように撫でた。もう子供ではないのに、父にとってはいつになっても拾った頃の赤ん坊のままだとでもいうように、大事に大事に守り慈しんでくれるから、ついメルセナは甘えてしまう。
「そうだな」
約束だからね、念押しして顔を上げると、なぜか入り口近くのエルフの女性陣たちがこぞってもらい泣きしていた。見るからに娯楽の少ないゼルシャの村ではこんな親子の会話すらドラマチックにうつるらしい。
女性陣が気を遣って部屋から出て行ったところへ、ようやくひょこりとラディ王子が顔を出した。
「とにかく、無事でよかった。たまたま僕が通りかかって運がよかったですね」
「そうよ!ラディ王子がいなかったらどうなってたことか!」
メルセナも同調したが、父は聞いていなかった。そればかりかラディ王子を幽霊でも出たみたいな顔をして穴が開くほど見つめている。
「ラディ殿下!」
まだ腹の上に乗っかったままのメルセナを脇によけて、父は実に美しい土下座を披露した。神に愛された美形は平伏しても美しいのだなとメルセナはどうでもいいことを考えた。
「まさか、殿下のお手をわずらわせてしまうとは…」
「そう思うのなら、次からは魔弾銃の薬くらい常に持ち歩いてください。不死族を殺せる武器はほかにないのですから」
父が食らったのはそんなに恐ろしい武器だったのか。メルセナはおおいに震えた。
ラディ王子はかばんを下ろすと、丸太の椅子をベッド脇まで引っ張ってきて腰掛けた。
「話はおおよそメルセナから聞きました。シェイルから連絡が来るまで、この村で安静にしてください。僕もしばらくはご一緒しましょう」
「シェイルのみんなに迷惑がかかっていないかしら…」
シェイル騎士団の一等騎士で不死族の父ですら、死の危機に瀕するような武器が追っ手の手にあるのだとすると、それを一般の民に向けられたらひとたまりもないのではなかろうか。友達のお嬢さんたちや、見張り番の兵士たち、王城の受付に騎士団のみんな。知り合いの顔を思い浮かべていると、ラディ王子は気楽な調子で言った。
「さすがに街中で騒ぎを起こすほど、相手も考えなしではないはずですよ。相手の勢力がどんなものであれ、世界一の軍事力を擁するシェイルを敵に回すのは敵も避けたいはずですから」
「それならいいんだけど」
メルセナはなにやら黙り込んでいる父を見た。彼は唖然とした表情で娘を見ている。
「セーナ、王族に向かってなんて口を聞いているんだ…」
これはお説教が長くなりそうだ。覚悟を決めながらも、メルセナは普段どおりの父に、こっそり安堵の息を漏らすのだった。