37
「ヒーラったら、わざわざ私に話を合わせるために好きな子がいる振りをするなんて!ヒーラがそんなに女の子と接点がないなんて思わないじゃない!」
「…かわいそうなヒーラ」
ダラーまでもが同情している。基本姿勢が薄情なダラーにここまで言わせるとは、やはりヒーラは不憫なのだ。当のヒーラは執務室の自席に崩れ落ちていた。無事ヒーラはメルセナの護衛に復帰したが、ここ数日彼はこんな感じだ。
トレイズが目を白黒させて「なんでそうなる…?」と首を捻るのに対して、父が「セーナはヒーラに対してだけ局所的鈍感なので」と解説した。我が親ながら失礼だ。
しかし、最年少で一等騎士に上り詰め、性格も温和で人懐こく、父ほどの絶世の美男子ではなくともルックスだって悪くない。街で売っている一等騎士の姿絵だって売れているし、絶対にヒーラは唸るほどモテているはずだ。
それなのに女の子の友達がメルセナしかいないなんて、彼がそこまで異性に対して引っ込み思案だなんて思っていなかった。メルセナは由々しき事態に歯噛みした。
「そうよ、女の子のほうはヒーラを放っておかないはずなのよ…ヒーラほどの優良物件なんてそうはいないもの。ちょっとくらい女の子を食い散らかしたって文句は言われないはずだわ」
「お前は友人がそんなふうになっても許せるのか?」
「うちのヒーラはそれだけモテてしかるべきってことよ!」
だいたい、恋愛沙汰が一切起こらないこの職場がよくないのだ。ローシスにはすでに奥さんも子供もいるが、そのほかにはいわゆる惚れた腫れたみたいな浮いた話がまったく聞こえてこない。こんな環境では、ヒーラが「彼女なんていなくてもいいか」と思ってしまうのも無理はない。
「受付のお嬢さん方に頼んで食事会でもセッティングしてもらうべき?いや、あの子たち結構肉食系だから、市場の子たちを呼んだほうがいいかもしれない。ヒーラ、女の子のほうはあなたの人柄に触れて惚れないわけないんだから、あとはあなたの気持ちひとつよ。華の二十代だもの、もっと充実させなきゃ!」
「セーナ、やめてやれ。これ以上はヒーラの情緒が死ぬ」
父に制止された。確かに、ヒーラは今やげっそりとして、口から魂でも抜けそうな顔をしている。ギルビスがその肩をポンポン叩いた。
「まあ、ともかく、セーナは君の魅力のいちばんの理解者といえなくもないのではないかな?」
「ウッ…ギルビス様やめてください、ぼく泣いちゃいそうです…」
ようやくヒーラの伏せた身体が縦に伸びたところで、ギルビスがパンパンと手を叩いた。
「さて、皆の調子が戻ってきたところで、朗報だ。ファナティライストに行っているローシスとネルから手紙が届いたよ」
「本当に!?」
ギルビスはモスグリーンの封蝋が押された封筒をヒラヒラさせた。
「無事ファナティライストに着いて、ルナセオも救出できたとのことだ。今はロビ殿下の家に身を寄せているらしい」
「げえ」
トレイズが苦い顔をした。
「あのロビがよく家に入れたな。アイツ、興味ないことにはとことん無関心なのに」
「ロビ殿下って、世界王子様なのよね?王族は神殿に住んでるんじゃないの?」
神都の奥にはファナティライスト神殿という巨大な神殿があり、そこが世界王のおわす宮殿でもあるという。同時に巫子狩りがやってくるのも、ルナセオが連れていかれたのもその神殿のはずだ。
だが、トレイズは首を横に振って否定した。
「ロビのヤツに神殿暮らしは無理だ、無理。窮屈なのが嫌いだからな。今は神都の外で暮らしてるって話だったはずだ」
「その通り、ファナティライストの外にあるエルフの森近くにいるようだね。とすると、神都の南門のほうだ」
ギルビスは言いながら、神都の地図を広げて見せてくれた。広大な都は北にファナティライスト神殿が位置し、そこから南に向けて貴族街、平民街、貧民街の区画に分かれているらしい。一般開放されているのは平民街寄りの東西の門と、貧民街寄りの南門の計みっつで、ネルたちが滞在しているのはこのうち南門の外側にある森の中であるとのこと。
「世界大会議では、特別にファナティライスト神殿近くにある北門が開放される。つまり、彼らがいるのとは逆方面だね」
「じゃあ、ネルとセオとは神都の中で待ち合わせ?世界王陛下にお会いするのが目的なんだから、どっちみち目的地はファナティライスト神殿でしょ?」
「いや待て、ルナセオは?あいつは旅券を持ってないだろ。神都の中に入れないんじゃないか?」
「ルナセオの旅券なら確保しておいた」
そう言って、ギルビスは引き出しから、木製の板を取り出した。ネルのものと違って黒い紐がかかっている。トレイズがぎょっと目を剥いた。
「黒紐?お前、それどうやって手に入れたんだ。一般人じゃ普通取れないだろ」
「マユキが送ってくれた。ルナセオの親御さんから預かってくれたらしい」
なるほど、ルナセオの両親は当然、ルナセオが神都に行くことを知っているのだから、あらかじめ準備してくれていたのだろう。レナ・シエルテミナは旧家の出身だという話だし、その姉の息子であるルナセオも血筋上はそれなりの扱いを受けられる身分だということだ。本人にその認識はなさそうだが。
「ちなみに、セーナの旅券は王殿下が直々に手配した結果、これより上の金紐だ。ファナティライスト神殿に身体検査なしで入れるレベルだ」
ちょうどコーヒーを口にしたところだった父が盛大に咽せて咳き込んだ。
「金…なんですって?ギルビス様、冗談ですよね?」
「残念ながら本当だ、恐ろしいことに」
ギルビスは机からメルセナの分の旅券を見せてくれたが、確かに金色の紐がかかっている。木の板のほうもきちんとやすりがけされて明らかに質が違う。
「神都はシェイルのようにエルフに寛容ではないから、その対策でもあるのだろう。まあ、シェイル王妃の息子の娘なのだから、王族に準ずるものとするのもあながち間違いではないしね」
「いや、ギルビス、それはさすがに間違いよ!」
そのあたりの細かい身分の区切りは一般市民のメルセナにはよくわからないが、少なくともメルセナに王族の血は一滴も入っていないのだから、王族扱いはお門違いもいいところだ。リズセム王は相変わらずやることのスケールが違う。
ギルビスは「大変な貴重品なので、セーナには出発する時に渡そう」と言って旅券をふたたび机にしまった。心臓に悪いので、できればしばらくお目にかかりたくないものだ。
「それで手紙の話に戻るが、一点問題が起きたらしい。例のレフィルがネルたちのもとに現れたそうだ」
「レフィルが!?」
広大な心地でどうやってネルたちを見つけることができたのだろう、メルセナはぞっとした。
「幸いにして無事撃退できたようだが、また現れないとも限らない。十分な注意が必要だろう」
そこまで話して、ギルビスはメルセナに手紙を渡してくれた。どうやら今までの話はローシスからの報告書だったようで、次のページからネルの書いた手紙が続いていた。
手紙にはネルらしい丁寧な、しかし少したどたどしい文面で、みんな無事であること、今はロビ殿下やローシスの元でネルもルナセオも護身術の修行をしていることなどが書かれていた。のびのび過ごせているようで、森で木の実を摘んだり、家事手伝いをしたりしているとか、他愛のない話がたくさん記されている。メルセナは元気にしているか気にしているのも彼女らしい。
文面を追いながら、メルセナは最後の追伸についてだけ意味がわからなくて首を傾げた。
「ねえギルビス、ネルからの手紙の最後に『わたしはエナメルよりも布の靴のほうが好き』って書いてあるんだけど、これってどういう意味だと思う?」
騎士団の制服の靴が合わなかったのだろうか。だとしたら慣れない旅程で大変だっただろう…考えこんでいると、ギルビスがメルセナから手紙を取り上げ、その一文を見て眉尻を下げてほほえんだ。
◆
メルセナもネルとルナセオに何枚もの便箋を費やして手紙を書き、トレイズにも無理矢理追伸を書かせてから、本格的に神都行きの準備がはじまった。といっても、メルセナはただ船に同乗させてもらうだけで会議に出るわけではないので、自分と父の荷造りをするほかは、毎日城を散歩して体力をつけたり、家に一度帰って腐臭のする食材保管庫を呻きながら整理したり、たまに以前のように医務室の手伝いをするなどして過ごした。
あとはリズセム王の言葉に甘えて騎士団の演習場の一画を借り、6番の魔法の練習に費やした。リズセム王の幻獣メモは非常に優秀で、グレーシャの幻獣図鑑よりもそれぞれの特徴や使える場面などがよく書かれていた。意外とリズセム王は筆まめらしい。
とにかく、今のメルセナにはたくさんの選択肢が必要だ。次にゼルシャの村のようなことが起きたとき、何も対処方法が思いつけないようなことがないように。幅広い属性、幅広い活用法。さまざまな事態を想定して召喚の練習をしたので、それなりに印も、ナシャ王妃にもらった杖も、使いこなせるようになってきた。
そうしてすっかり季節も夏らしくなった頃、エルフたちが城を出ることになった。
「クレイスフィーの近くに村を再建することにした」
見送りに出た日、エリーニャはそう言って、後にするクレイスフィー城を見上げた。
「エルフの理念からは外れてしまうが、人除けのまじないはかけずに、この街とは今後も交流を図るつもりだ。人間にも話の分かる奴は多少なりといるようだし」
「そうね、どうせクレイスフィーの人間はエルフだろうがなんだろうが気にしないもの」
クレイスフィー城でしばらく過ごしたことで、エリーニャも人間への極端な偏見が薄まったらしい。村の再建にも、城から支援を得ながら進めていくようだ。彼は憑き物が落ちたような顔でほほえんだ。
「我々の村は、人間への拒否感と自らの保身で間違え続けた。ここの人間たちはとても目まぐるしく忙しない。我々も新たな価値観を得ながら、前に進んで行かねばな…」
そうしてエリーニャは、最後にメルセナに手を差し出した。
「お前と父君は、種族の垣根を超えて通じ合うことができるという希望そのものだ。どうかこれからも、仲良くしてくれ」
「アンタに言われなくても、私とパパはこれからもずっと親子よ」
だが、握手には応じた。エリーニャは思想が強くて口さがない、いけすかない男ではあるが、悪い奴ではないことはよく分かっている。
きっとこの先──そんなことはないほうがいいのだが──ゼルシャの村のエルフたちが人間の子供を拾うようなことがあれば、クレイスフィーの門戸を叩くだろう。
この街はいつでも誰にでもひらかれているから、おそらく次は、彼らも迷うことはないはずだ。
◆
そしてこれは、メルセナは知らない話だ。
クレイスフィーの門前でエルフたちと別れを告げて、メルセナが踵を返したあとで、エリーニャはヒーラを呼び止めた。
「お前、気づいているのではないか?」
そんな漠然とした問いかけに、ヒーラはきょとんとした。
「何がです?」
「あの夜…母が話したことには、ひとつだけ嘘があった」
ヒーラはゆっくりとエリーニャに向き直った。いつもはとろけた甘い蜂蜜色の瞳が冷えていくのに、顔を背けていたエリーニャはまだ気づいていなかった。
「メイゼが作り上げたレナとの子供は、死んでなどいなかった。ただ我々がその子供のことをなかったことにしたくて、死んだことにしただけだ。
お前はレナの顔を見て、何かに気づいた様子だった。分かったのだろう、メルセナが…」
それ以上の続きを言うことは許されなかった。ヒーラが目にも留まらぬ速さで抜刀し、その切っ先をエリーニャの喉元に当てたからだ。
「口は災いの元ですよ。命が惜しいならね」
ヒーラは平坦な口調でささやくように言った。普段は砂糖菓子みたいに甘い青年にこういう容赦のなさがあるのは、メルセナは分かっていないが、騎士団の面々であれば誰でも知っている。優しく朗らかなだけの人間が一等騎士になれるほど、シェイル騎士団は甘くはないのだ。
「セーナは今までもこれからも、エルディ一等騎士の娘であり、そのほかの親はいません。自分の生まれのことなんて、セーナが知る必要はない。そうでしょう?」
口調は柔らかかったが、ヒーラの言葉には有無を言わせない圧があった。エリーニャは思わず両手を挙げながら、「あいつに言うつもりはない」と何度もうなずいた。
エリーニャの返事に、ヒーラはにこりと愛想よく笑って剣を収めた。
「ならいいんです!どうぞお元気でお過ごしください」
さっさとメルセナを追いかけて走り去っていく騎士の背中を見ながら、エリーニャは腰が抜けてその場に座りこんだ。
「あいつ、とんだ狼を味方につけたものだ…」
彼女の許しを得て護衛に返り咲いた以上、もう二度とメルセナを傷つけはしないし、心だって守ってみせる。
メルセナの騎士になることが、今も昔も、ヒーラにとっての唯一の夢なのだから。




