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少女メルセナとおとぎ話の秘密  作者: 佐倉アヤキ
4章 再会の魔法
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 それから、メルセナは少しずつ回復していった。ナシャ王妃はこまめに部屋にやってきては、メルセナが食事を抜いていないか、きちんと睡眠をとっているかを確認するついでに、父にニ、三のお小言を残していった。妖精みたいだと思っていたナシャ王妃は、身内に対してはけっこう口やかましいようだ。


 まだ悪夢にうなされるし、途方もなく気持ちが塞いでしまうこともあるが、今は普通に会話もできる。周囲の人にたくさん助けてもらって、メルセナは一日でも早く立ち直ろうとしていた。


「パパ、執務室に行かなくていいの?」

 父はあの書類の山を捌ききったようだが、訓練の時間以外はおおむねメルセナの部屋に事務仕事を持ちこんでいた。心配をかけてしまったのは申し訳ないが、そろそろ父を騎士団に帰さなくては、いい加減に執務室から父の席がなくなってしまうのではないか。

 だが、父はなんてことなさそうに肩をすくめた。

「ギルビス様が采配くださって、今の私の立場はセーナの護衛の穴埋めだ。ヒーラが職務放棄中だからな」


 メルセナがぼんやりしている間も、我に返ってからも、しばらくヒーラの顔を見ていない。メルセナが抜け殻になったことについて、タイミング的にヒーラの言葉が引き金になったように見えたのが相当なショックだったらしく、ヒーラは自らメルセナの護衛を辞退したと聞いた。ギルビスはひとまずメルセナの意思を聞いてから、と保留にしたらしい。

 もちろん、メルセナはヒーラのせいだとは思っていないし、それより前にエリーニャに言われた台詞のほうがよっぽど傷ついた。


 エルフたちは今後の方針を固めるまで城に滞在することになったらしい。先日エリーニャがやってきて深々と謝罪された。その頃にはメルセナの気持ちもだいぶ整理ができていたので、確かに不老不死だからって大火傷必至な火事場に飛び込んでいけ、っていうのはちょっと理不尽だったわよね、と思えるメンタルを取り戻していた。

 エリーニャ自身だって気が動転していたし、メルセナたちがもう少し早く村長の家にたどり着けていればまた違ったはずだ。メルセナはお互いに謝罪して話を終わらせることにした。今だって後悔は尽きないが、ナシャ王妃の教えどおり、すべてはめぐり合わせだ。落ち込んだところで、時間が巻き戻せるわけでもない。


「執務室に行けばヒーラに会えるかしら?」

 とにかくヒーラだ。メルセナもだいぶ活力が戻ってきたことだし、そろそろ引きこもり生活をやめて外に出てみようかと思い立った。城の面々にはだいぶ迷惑をかけてしまったので、各所にお礼行脚にも出向かなければならない。

 父は渋い顔をした。

「もう少し様子を見たほうが…」

「そんなこと言って、部屋で食っちゃ寝ばかりしてたらそのうちカビでも生えてきちゃうわ。ヒーラが来てくれないんだもの、こっちから行くしかないでしょ?」


 そんなわけで、メルセナは久しぶりに部屋の外へ繰り出した。いつの間にか北国のシェイルもだいぶ暖かい風が吹き、日差しも強くなってきた。

 通りすがりのメイドや兵士が通るたびに体調を気遣ってくれるので、どうやらメルセナがしばらく放心状態だったことは城中に知れ渡っているらしかった。メルセナは同じやりとりを繰り返しているうちになんだか気恥ずかしくなってきた。

「クレイスフィーってなんでこんなに噂が回るのが早いの?誰かが私のこと言いふらしたわけじゃないわよね?」

「お前が普段からよく城に出入りして顔馴染みが多いからだろう。知り合いが病に伏せていれば自然と話題にのぼるものだ」


 心配してくれたのだからちゃんと礼を言いなさい、とチクリと付け加えられて、メルセナは反省した。確かに、あれほど周りに迷惑をかけておいて「言いふらした」という言い草はないだろう。


 一等騎士の詰め所に行くと、すぐにギルビスが立ち上がって出迎えてくれた。

「やあ、セーナ。体調はもういいのかい?」

まるでちょっと風邪で伏せっていたかのような気軽な挨拶に、メルセナはじーんとした。ギルビスはこういう細やかな気遣いがスマートで、いちいちときめいてしまう。

「うん、大丈夫。ヒーラは?」

どうやら運悪くヒーラは不在らしかった。おなじみの応接スペースでは、トレイズとダラーが書類を広げながら、ああでもないこうでもないと討論している。どうやら世界大会議の準備が佳境らしく、部外者のトレイズも手伝いに駆り出されているようだ。


 メルセナは父を振り返った。

「パパ、やっぱり忙しいんじゃない。私、一人でも平気だから、パパは仕事に戻ったら?」

「そんなことを言うものではないよ、セーナ」

返事をしたのはギルビスのほうだった。

「まだ本調子ではないのだから、そばに大人がついていたほうがいい。外に出るのも久しぶりだろう?」

「それは、まあ、そうなんだけど」

だが、城の外へ出ようというわけでもなし、城内でまで護衛はいらないはずだ。それに、いつもなら一人で歩き回っているクレイスフィー城を、親同伴でウロウロしているのもなんとなく恥ずかしい。

「あちこち出歩きたいだろうが、無理は禁物だ。あと、ヒーラは訓練場に行ったよ。君のことを心配していた」

ギルビスに諭されて、メルセナは「はあい」と不承不承返した。



 そんなわけで、見舞いに来てくれた人たちに礼を言って回りながらヒーラを探したメルセナだったが、訓練場にも、裏庭にも、厩舎にも、ひょっとしてと思って行った医務室にも、どこにもあの金髪の青年はいなかった。それぞれ「ヒーラならさっきまであそこに」との手がかりがあったものの、いざ出向くと影も形もない。なんなら途中から受付のお嬢さんたちから「セーナ、ヒーラ様ならさっきあそこを通られたわよ!」と援護されていたのに、ヒーラの姿は見当たらない。


 避けられているのだ。メルセナは確信した。すっかり衰えてしまった体力にぜえはあ言いながら執務室まで戻ってきて、メルセナはいきり立った。

「なんで、ヒーラったら、あちこち、逃げ回ってるワケ!?」

男たちはウーンと唸りながら顔を見合わせた。

「この間まで、セーナに謝ろうとしてたんだが」

「顔が合わせづらくなったんだろ」

トレイズがヒラヒラと手を振った。ダラーとの白熱した議論には一区切りついたらしい。

「お前が伏せってる間は毎日泣いてたし、相当責任を感じて…痛ッ」

見かねたギルビスに脛を蹴られてトレイズは悶絶したが、メルセナは彼の言葉をしっかりと聞き取っていた。

「そんな、ヒーラが責任を感じることじゃないでしょ?」

「私ももちろん同じ気持ちだが、私たちがそう思っていても本人にとってはそうでないというのは、君も身を持って体験しただろう?」

「…」

それもそうだ。ギルビスの言葉にぐうの音も出ずにメルセナは閉口した。


「様子を見るしかないだろう」

 父がため息をついた。

「とにかく久しぶりの外出なのに無理をしすぎだ。そろそろ部屋に戻って休みなさい」

「嫌よ」

メルセナはキッパリと言って、本人不在のヒーラの執務机に着席した。

「どのみち退勤するときは一回戻ってくるんだし、ここで張ってればいつかはヒーラも帰ってくるはずよ。私、待つわ。ヒーラに会うまでここにいる!」

頑ななメルセナに、父は額に手を当ててうなだれた。トレイズがその背を叩きながら「あきらめろ。娘ってのはいつか親元から離れていくもんだ」とどこか当てずっぽうな慰めをかけた。



 ヒーラはなかなか戻ってこなかった。一等騎士は、業務の区切りには騎士団長への報告のために執務室に立ち寄るはずなのだが、今日に限ってヒーラは都合よく報連相を忘れることにしたらしかった。夕方になっても現れないヒーラにメルセナのボルテージは上がっていく一方だった。

「いいわよ、あっちがその気なら、我慢比べに付き合おうじゃない」

「おい、我慢比べに執務室を使うな。忘れているようだから言っておくが、ここは騎士たちの仕事場だ」

しびれを切らしたダラーのお小言が炸裂したが、ギルビスがまあまあとなだめた。

「いいじゃないか。セーナがここにいるのは、護衛の面からも有難いことだよ」


 執務室には誰かしらが常駐しているので、父もメルセナを任せて部下たちの指導や会議に参加できる。なぜか当の父はどこか気落ちして仕事が捗っていないようだったが。トレイズがしみじみと「青春だなあ」とオヤジくさい台詞をつぶやいた。


 とにかくヒーラが戻ってくるまでに、メルセナはギルビスに聞きたかったことを聞いておくことにした。

「ねえギルビス、レナと巫子狩りはどうなったの?騎士たちが捕まえたのよね」

「城の地下牢にいるよ」

ギルビスはさらりと答えてくれた。

「神都の所属だから、最終的にあちらに引き渡さなくてはならないのだが…ゼルシャの村を放火した現行犯として捕らえたし、村のまわりには例の、死者を蘇生させるとかいう魔法陣が描かれていた。さすがにここまでの証拠が揃っていれば、神都も彼女らの罪を握りつぶすことはできないだろう」


 メルセナはうすら寒い思いで腕をさすった。村のまわりに魔法陣を描いたということは、レナは村ごとメイゼを生き返らせるための生贄にしようとしたということだろうか。

「でも、ゼルシャには人除けの魔法がかかっていたのに、どうしてレナたちは村に侵入できたのかしら?」

「そこはあのエルフたちの怠慢だ」

吐き捨てるように言ったのはダラーだ。

「人除けのまじないは、一度それをくぐり抜けた者には効果が薄い。彼らはあのレナという女が村から出て行ったあと、まじないの引き直しを怠ったんだ」

ダラーは簡単に言うが、人除けの魔法はゼルシャの村の門にびっしりと彫り込まれていたわけで、魔法をかけ直すならあの門から作り直す必要があったはずだ。とはいえ、本当にレナを村から追い出してすべてをなかったことにするなら、それくらいの労力はかけるべきだったかもしれない。なるほど、ラディ王子と初めて会ったときは村の場所がわからずにさまよっているという話だったのに、今回メルセナたちがエリーニャの案内なしで村を訪れられたのも、一度村に滞在した経験があるからだろう。


 そこまで考えて、はたと気づくことがあった。

「ねえ、それじゃあつまり、魔法陣はあったし、生贄もいたし、メイゼを生き返らせる地盤は整ってたってことよね?」

「その魔法陣が本当に使える代物だったなら、だが」

ギルビスは眉をひそめた。

「いずれにしても、メイゼがレナ・シエルテミナを復活させられたのは9番の力で理をねじ曲げたからだろう。巫子の力を持たないレナ・シエルテミナに不文律を変える魔法が使えるはずはない」

「うーん、それって、巫子の力があったらもしかしたら可能かも、ってことよね?」

「…セーナ、何が言いたい?」

父がうろんげに瑠璃色の目を細めた。また何かやらかしたのかと言わんばかりの視線だ。


 だが、メルセナだって確証はない。あの時のことを思い返しながらメルセナは思考をめぐらせた。

「トレイズ、私が6番の印を使おうとして、門から何も出てこなかったことがあったじゃない?」

「ああ。でもあれは失敗したんだろ?」

メルセナもそう思っていた。実際にあの時メルセナはほとんど召喚する幻獣のイメージを持っておらず、「とにかくこの状況を打開できるなにか」という漠然とした願いを込めて魔法を発動させたから。

「実は成功してたのかも。あの時ね、私のすぐそばに、金の目をした女の子が立ってて、私を助けてくれたの。みんなには見えてなかったみたいだけど」


 トレイズとギルビスがはっと息を呑んだ。メルセナはごくりと唾を飲んだ。

「レイセリア村長が言ってた。ラゼさんは金髪に金の目をしてたって。その子は、戦いが終わったあとで、レイセリア村長の家の中に入っていったまま戻ってこなかった。村長の家から出てきたのはレイセリア村長ひとりだけだったのに、これっておかしいわよね?」

「…いや、いやいや、そんなまさか」

トレイズは頭を押さえて首を振った。

「6番の能力は幻獣の召喚だけのはずだ。死者の魂を召喚するなんて…なんか幻を見たとかだろ」

「実際に私を助けてくれたんだってば!レナだけはあの子が見えてるみたいだったし、トレイズだって、レナの魔法が突然吹き飛んだのを見たでしょ?あれもあの子がやったのよ!」

「いや、しかし…」

「ゼルシャの村なら、そういうこともあるかもしれない」

「おい、ギルビス!?」


 ギルビスは椅子の背もたれに体重をかけて天井を仰ぎながら、人差し指で膝をトントン叩いた。

「不可侵の禁忌を破れるのは、破滅の力を持った9番の魔法だけ。だが、あの村では実際に、過去に9番がレナ・シエルテミナの魂を引き戻しているし、メイゼはそのあとも繰り返し生命に触れる実験を繰り返していた。あの閉鎖された村だ、魔法の残滓が残っている可能性はある。レナ・シエルテミナの魔法陣とセーナの6番の召喚術でたまたまうまくラゼの魂を呼び寄せたのだとすれば、召喚者である二人にしかその姿が見えなかったというのも腑に落ちる」

「それはさすがに都合が良すぎねえか?」

トレイズはまったく腑に落ちていない顔だ。ギルビスは背筋を正して肩をすくめた。

「もちろん、本当にただの幻だったのかもしれないし、あるいはセーナが何か死者の姿を模した幻獣を召喚しただけかもしれない」

「まあ、それならそれでもいいわ」

死者蘇生は生贄が必要な魔法のようだし、どうせ二度と検証はできないのだ。それなら、信じたいほうを信じたっていいはずだ。メルセナは頬杖をついて、暗くなりゆく窓の外を眺めた。

「あの子が本当にラゼさんの姿をしてたとしたら…レイセリア村長には見えたかしら。そうしたら、村長はラゼさんに謝ることもできたかもしれないわよね?」


 メルセナの言葉に、トレイズはもう一度息を呑んだ。それからばつの悪そうな顔をして、頬をかきながら視線をさまよわせた。

「ま…確かにな。そうだったらいいな」



 かくして、ヒーラが足音を忍ばせて執務室に戻ってきたのは、夕飯の時間もとっくに過ぎたあとだった。

「待ってたわよ」

据わった目で恨みがましく言うメルセナに、ヒーラは反射的に回れ右したが、ちょうど手洗いから戻ってきたトレイズの胸にぶつかった。

「お、やっと来たのか。あきらめな、コイツ、お前と話すまでテコでも部屋に帰らないって言い張ってたぜ」

「そ、そんな」

ヒーラは助けを求めるように部屋の中を見回したが、ギルビスは苦笑し、エルディは首を横に振り、ダラーはため息をついた。各々からの「観念しろ」のメッセージに、ヒーラは絶望した。

「そんなあ」

「まったくもう、職場大好きなあなたがこんなに執務室から離れていられるなんて思ってなかったわ」


 メルセナはズンズン足音を鳴らしてヒーラに詰め寄ると、もう逃がさないぞとばかりに彼の腕をつかんだ。青年の蜂蜜色の瞳が困ったように揺れた。

「セーナ…病み上がりなんだから無理しちゃだめだよ…」

「そう思うんならさっさと帰ってきてよ!」

メルセナはプンプン怒りながら振り返って、「パパ、私ヒーラと出てくるから!」と怒鳴ると、彼を廊下に引っ張り出した。トレイズが口笛を吹きながらふたたび「青春だなー」とぼやいたが、メルセナにその意味はわからなかった。なんなのだアイツは。


 夜とはいえ、城内はいつでも働いている人がいる。ヒーラの手を引きながら人目を避けられる場所を探したが、すれ違う人たちに「おやセーナ、やっとヒーラと会えたのかい」と声をかけられる。やっぱりこの城は噂が回るのが早すぎる。


 ようやく見つけたのは騎士たちが自主練に使っている中庭の一角だ。メルセナは人気のないベンチに腰掛けようとしたが?すかさずヒーラがハンカチを敷き、自分の上着をメルセナの肩にかけた。

「あ、ありがと。ねえちょっと、ヒーラも座ってよ。落ち着いて話もできないじゃない」

ヒーラはぎくしゃくした動きでメルセナから限りなく離れたベンチの端っこに座った。そんな捨てられて雨に打たれた子犬みたいな顔をされたら怒るに怒れないではないか。メルセナは仕方なく尻の下のハンカチを引きずりながらヒーラの近くに寄った。


「ヒーラ、私の護衛を辞退したって聞いたんだけど?おかげで勝手知ったる城の中をパパの引率で歩くことになって恥ずかしい目に遭っちゃったわ」

 メルセナにはナシャ王妃のように身に沁みる話などできないので、率直に思っていることを言うことにした。

「私がパニックになっちゃったから、ヒーラにもびっくりさせちゃったわよね。でも、私の頭がちょっとパンクしただけで、ヒーラのせいだなんて思っちゃいないからね」

「いや、ぼくのせいだ」

やけにキッパリとヒーラが言った。

「ぼくがセーナの身の心も守ってあげなきゃいけなかったのに、ぼく、ぜんぜん君を守ってあげられなかった。ぼくはセーナの護衛だったのに」

「あのねえ、そんなに自分ばっかり責めてると、そのうちこの間までの私みたいになっちゃうんだからね」

メルセナは腕を伸ばして、ヒーラの綿菓子みたいなふわふわの金髪をくしゃくしゃに撫でた。

「王妃様が言ってたけど、『誰のせい』に明確な答えなんて出ないんだから、結論を出さなくてもいいんだって。だから私、こういう話には理屈をこねないことにしたわ。ヒーラがどう思おうとそれはヒーラの自由だけど、私はヒーラに責任を取ってもらおうと思ってないし、護衛をつけなきゃいけないならヒーラがいいわ」


 そこまで言って、メルセナは嫌な予感に襲われた。

「あ。でも、ヒーラ自身はもう私の護衛なんて嫌だったりする?それならパパ同伴も我慢する…」

「そんな!セーナの護衛を嫌なんて思うわけないよ!」

食い気味に否定されて、メルセナは安心した。さすがにこの友人に拒否されるのは堪える。

「じゃ、明日からまた護衛に戻ってくれるわよね?私、ゼルシャの村人たちの様子も見に行きたいし、そういえば家の整理にもまだ行けてないのよ」

「…セーナ、ごめんね」

メルセナの小さい肩に顔をうずめられて、メルセナはドキリとした。砂糖中毒のせいなのか、どこかにお菓子でも忍ばせているのか、ほのかに甘い香りがする。ヒーラとは長年の友人だが、この歳になってここまでの距離感で近づいたことはない。


「そっ、そそ、それはなんの謝罪?」

 動揺が声に出た。ヒーラは気づいていないのか、至極真面目な口調でつぶやいた。

「ぼく、セーナの騎士になれるって、すごく浮かれてて…それなのにこんなに情けなくて、幻滅したよね」

話がろくに頭に入ってこないので、お願いだから人の肩口で喋らないでほしい。ヒーラは同世代の中では小型だし、時折十代半ばくらいにも間違われるくらいの童顔だ。だが、見た目が人間でいう十歳そこそこのメルセナから見れば手も大きくて脚も長くて、胸もメルセナをすっぽり覆えそうなくらい広くて…って、なにを考えてるのよ、私は!


 メルセナは謎にドキドキする鼓動がヒーラにバレてしまわないように、彼の胸板を押してひっぺがした。

「ヒーラ、確かにあなたはちょっと内気なところがあるけど、別にそんなことで情けないとか思わないし、幻滅なんてしないわ。

あなたが謝るべきは、今日一日私から逃げ回ってたってこと、それだけ!」

「…ごめん」

「それに、女の子に向かって簡単に『あなたの騎士』なんて言ったらダメよ。好きな子に知られたら勘違いされちゃうわ。あなたって若くて将来有望で顔立ちも甘くて女の子なんて引く手あまたなんだから、そういう線引きはきちんとしないと!」

「いないよ」

「うん…んっ?」


 ヒーラは蜂蜜色の瞳で上目遣いにこちらを見つめた。

「セーナ以外に、仲のいい女の子なんていないし、ほかに好きな女の子もいない。僕が誰かの騎士になりたいと思うのは、いまも昔もセーナだけだよ」

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