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少女メルセナとおとぎ話の秘密  作者: 佐倉アヤキ
4章 再会の魔法
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※戦闘描写あり

「は…!?」


 布団を放り投げて窓際に寄ろうとしたところで、ヒーラに肩を押さえられた。

「ちょ、ちょっと、なにこれ、何が起きてるの!?」

「分からない。急に爆発音が聞こえて」

ヒーラは勝手に部屋の奥にあるメルセナの荷物を取ると、混乱するメルセナの肩に上着と鞄をかけて杖を握らせ、手を引いた。

「とにかくはやくここを出よう。火の回りがすごく早くて、じきにここも危なくなる…」


ドン!!


 どうしてこの音を聞いて呑気に眠っていられたのか、ふたたびの轟音とともに出入り口が炎に飲み込まれた。

「キャー!なになに、どういうこと!?」

「セーナ、あまり煙を吸わないで」

ヒーラは軽々とメルセナを片腕で抱え上げると、硝子の代わりにすだれのかかった窓を乱暴に開けた。

「ねえちょっと、ここ二階!」

「しっかり捕まってて!」

ヒーラはメルセナを抱えたまま、身軽に窓枠を飛び越えた。ひゅんと内臓が浮くような感覚がしてメルセナは悲鳴を上げた。

 ヒーラは軽い音を立てて危なげなく着地したが、メルセナは全力で抗議した。

「シェイル騎士ってのはどうしてこう、道なき道を行こうとするのよ!」

「だって出入り口が塞がってたし」


 ヒーラの腕から下ろしてもらい、上着の袖を通したメルセナは、あたりを見回して絶句した。

「なにこれ…」


 平和だったはずの村が燃えている。どこからともなき悲鳴と怒号が聞こえて、煙の合間には倒れ伏している影が見える。

 その奥に、なにやら長い筒を持った黒いフードの影が見えて、メルセナは杖を握りしめた。

「巫子狩りだわ!」

「セーナ、あまりぼくから離れないで」

ヒーラは腰から剣を抜いた。彼はしっかりと騎士服を身につけて、どこも乱れた様子がない。

「ヒーラ、寝てなかったの?」

「護衛任務だからね。王子殿下とトレイズ殿が住民を避難させてくれているはずだから、ぼくたちも村の人たちを誘導しながら合流しよう」


 ラディ王子たちは無事だと分かって、メルセナは胸をなでおろした。

「ヒーラ、アイツら、魔弾銃っていう武器を使うの。当たったら血が止まらなくなっちゃうから気をつけて」

「おい、いたぞ!」

早速見つかった!メルセナは杖を握りしめたが、それよりもヒーラのほうが速かった。


 彼は疾風のように軽やかに地面を蹴ると、瞬きする間に巫子狩りの目前まで詰め寄っていた。彼は的確に敵の顎を蹴り上げて、そのまま回し蹴りで吹っ飛ばした。騎士団のブーツには金属の板が入っていることをメルセナは知っている。思わず自分の顎をさすってしまった。

「これかあ」

ヒーラは巫子狩りが取り落とした黒い筒状の武器を取り上げた。銃身がメルセナの腕よりも長く、メルセナが持っているものとは形が大きく違っていた。ヒーラはカチャカチャとあちこちのレバーを押したり引いたりしている。

「うーん、これはどうやって使うんだろう?」

「ねえちょっと、危険よ…」


 言いかけたところで、ヒーラが突然目にも止まらぬ速さで剣を振るった。キン、と音を立てて、真っ二つになった魔弾銃の銃弾らしきものがメルセナの足元に転がってくる。

「あ、なるほど!そういうことか」

ヒーラはぱっと顔を明るくすると、こちらに攻撃してきた巫子狩りに向けて迷いなく発砲した。ここからはほんの小さな影しか見えない巫子狩りが倒れるのが、煙の向こうにかすかに見えた。

 反動でヒーラはたたらを踏んだ。

「わわ、これ、腕を痛めそうだなあ。巫子狩りはこんなのをみんな使ってるんだ」

「……」

この間、メルセナはその場を一歩も動くことなく、ただ昔馴染みの友人を凝視していた。その視線がだんだんと冷めたものになっているのに気づいたのか、ヒーラが気遣わしげにメルセナの肩を叩いた。

「あ!セーナ、ごめんね、怖かったよね。でも大丈夫、ぼくが絶対にセーナを守るからね!」

「…あのねヒーラ、たぶんこの場でいちばん怖い存在はあなただと思うのよ」


 なんならこの青年のおかげで、巫子狩りへの恐怖が一気に引っ込んだところだ。メルセナは頭を抱えた。

 おとぎ話の中では、赤の巫子は不老不死の肉体と強大な力を持つとされるが、ただの人間の身で一等騎士に選ばれているヒーラのほうがよほど人智を超えていると思う。


 今あなた飛んできた銃弾を切ったわよね、とか、なんで初めて見る武器をすぐに使えるの?とか、言いたいことはいっぱいあったが、すべて飲みこんだ。そう、こんなことを考えている場合ではない。

「そうよ…うん、銃弾ならパパだって剣で弾いてたし。大丈夫、おかしなことじゃないわ、きっと、多分、おそらく」

「セーナ、自分の頭を叩いちゃだめだよ」

ヒーラにやんわりと腕を押さえられた。いったい誰のせいだと思っているんだ。

 抗議したかったが、本当にそんなことをしている場合ではないので、メルセナは気を取り直して杖を握り直した。

「よし、行くわよ!」



 この村は人除けのまじないがかけられた木の塀で覆われており、出口はメルセナたちの入ってきた門ひとつしかない。巫子狩りたちも同じ場所から入ってきているはずだが、村から避難するならその出口に向かうしかない。

 メルセナたちの通された客間のある離れは村の奥にある。村の広場に出ると、ひときわ大きな叫びが聞こえてきた。

「離せ!離してくれ!」

「いけません、エリーニャ様!」


 村長の息子のエリーニャが、燃え盛る村長の家の前でほかの村人たちに押さえられていた。

「何があったの?」

「あ、セーナ…」

涙目でこちらを振り返ったのは、レイセリア村長のお付きの女性だ。

「レイセリア様が…レイセリア様がまだ中に…」

「え!?」

メルセナは村長の家を見上げた。轟々と炎を上げる建物は、入口まで火の手が及んでおり、もうどこにも逃げ場がないように見える。

 じわじわと消えていた恐怖がふたたび立ちのぼってきたその時、エリーニャに肩を掴まれた。

「おい、お前は不老不死なんだろう!?母上をお連れしてくれ!」

メルセナがひゅっと息を飲む寸前に、エリーニャの顔が横に吹っ飛んだ。ヒーラが右の拳をさすりながら悪びれもなく言った。

「すみません、思わず」

「ひ、ヒーラ!暴力はだめよ!」


 エリーニャは殴られた頬をさすりながら毒づいた。

「ハッ!これだから人間は。すぐに力に訴える。弱きものを守ろうともせず…」

「あなた方が弱きものであればそうしますが」

ヒーラは首をかしげた。

「僕から見えるあなた方は、他力本願で責任逃れな、ひどく横暴な存在に見えますよ。他人をどうこう言う前に、まずは我が身を振り返ってみたらどうですか」

「…ではどうすればいいのだ!こうしている間にも母上は…」

「この火の勢いではもう助かりません。諦めがたいなら、どうぞご自分でこの中に飛び込んでみては?」

こんなに辛辣なヒーラは初めて見た。彼はひどく怒っているようだった。メルセナはうろうろと視線をさまよわせて、ヒーラの袖を引いた。

「ヒーラ、いいわよ、私レイセリア村長を助けに…」

「セーナ」

ヒーラの口調には断固とした響きがあった。

「君がいくら不老不死だからって、怪我をしたら痛いし、怖い気持ちは誰だって同じなんだ。死なないからって、それで傷つきに行く必要はないんだよ」

「そ、そりゃ怖いし、火傷も怪我も嫌だけど!レイセリア村長は、私もお世話になったから、助けに行けるなら行かなくちゃ!」

「セーナ、よく見て。もう間に合わないよ」


 轟音を立てて、村長の家の二階部分が崩れた。エルフたちが悲鳴を上げた。村長の部屋は二階にあったはずだ。メルセナはドクドクと痛いくらいに鳴る胸を押さえた。

「だ、だけど、でも」

「セーナ、もう無理だ。ぼくたちはやく避難しなくちゃ…」


「あら?」


 突然、涼やかな声が割って入って、皆が一斉に顔を上げた。この煙と炎の中、くるくると踊るように楽しげに、その女はやってきた。黒い髪を揺らして、黒い瞳を細めて、黒い服をなびかせて。


「あらあら、どうしたの?みなさん、そんな悲しそうな顔をしないで?こんなに明るくて素敵な夜なのに!」


 皆が二の句も継げずにいると、広場を突っ切ってさらに誰かが走ってきた…トレイズとラディ王子だ。

「おい!お前ら何やって…る…」

トレイズは足を止めて、抜き身の剣を下ろした。彼の金の双眸があらん限りに見開かれて、その女を凝視した。

「お前、は…」

「まあ!あなたのその顔、見覚えがあるわ」

女は両手で口を押さえて、まるで道端で旧友にでも再会したかのようにほほえんだ。

「紅雨のトレイズ。そうよね?みんな私を置いて年老いてしまうのね。チルタもそうよ、あんなにおじさんになってしまって可哀想だった。お姉様はどうして指をくわえて何もしなかったのかしら」

「レナ…レナ・シエルテミナ、なのか?」

「なぜ戻ってきた!!」


 エリーニャが頬を腫らしたまま、弓を引き絞ってレナに矢先を向けた。その目はまばたきひとつせずに、憎々しげにレナを睨んでいる。

「お前はこの村を出て行ったはずだ。なぜ、なぜ今更になって…!」

「まあ、エリーニャね!あなたはあまり変わっていなくて嬉しいわ」

エリーニャの視線をまったく意に介していないのか、レナは華やかに笑って手を叩いた。いや、きっと本気で分かっていないのだ、メルセナたちがいま感じている恐怖に。


「もっと歓迎してくれると思ったのに、寂しいわ。私、とても頑張ってここへ帰ってきたのに。あのね、あの人をなんとか生き返らせることができないかって、私、一生懸命考えたの。メイゼみたいにたくさんのことを試して、分かったのよ。人間の魂じゃ駄目だったんだって」


 鈴の音みたいにかわいらしい声に似つかわしくない不穏な台詞を吐いて、レナはくるりと回って両腕を広げた。

「エルフよ!同胞の魂なら、きっとあの人を呼び戻してあげられるわ」

ぞっとした。この村の住民を生贄にしようとして、こんなふうに火を放ったというのだろうか。レナは何がおかしいのか、くすくすと笑い声を漏らした。

「ふふっ、それに私、とても運がいいわ。私の印を盗んだお嬢さんも来ているなんて。ねえ、今日こそそれを返してくれるわよね?人のものを奪ってはいけないって、あなただって知っているでしょう?」

「…返せるもんならね。でも、印が私を選んだんだからしょうがないじゃない!」

メルセナは言うが早いか、手首の赤い印に向かって念じた。とにかく、これ以上の被害を食い止めなければ!


 手首の熱に呼応するように、メルセナの背後に赤い門が現れて、「三つ首」が飛び出した。レナの喉元めがけて駆け出した巨大な獣は、しかし彼女に到達する前に、レナを援護する巫子狩りたちに撃たれてひっくり返った。

「あ、ちょっと!」

「させるか!」

すかさずトレイズとヒーラが巫子狩りたちに相対し、乱闘がはじまった。メルセナはすごすごと門の中へ戻っていく「三つ首」を見送って、次の手を考える。エリーニャが叫んだ。

「おい、何かほかにいないのか!?」

「うるさいわね、今考えてるの!」

メルセナがまともに召喚できるのは「三つ首」か、せいぜいレクセで召喚した「羽毛ヘビ」くらいだ。だが、「羽毛ヘビ」は風を巻き起こして、火の勢いをさらに広げてしまいそうだ。どうしてもっとグレーシャの幻獣図鑑やリズセム王からもらった幻獣の絵姿を眺めておかなかったのだろう!メルセナは後悔した。


「メルセナ!」

 ラディ王子が駆け寄ってきた。

「とにかく、何か思い浮かべて召喚してみましょう。父は6番の力はイメージが重要だと言っていました。思いつく幻獣を召喚してみては?」

「そんなことを言われても…」

頭がいっぱいのいまの状態では、幻獣なんてひとつも思い浮かばない。メルセナは杖を握って力いっぱい念じた。とにかく、この状況を打開できるなにかに出てきてほしいのに!


 手首が熱くなって、頭上に赤い門が現れた。が、ゆっくりと扉が開いても、その奥は暗闇ばかりで、なにも現れない。

「し、失敗?」

しかも杖をブンブン振っても、門は消えないままだ。

「どうしたらいいのよこれ!」

「もう、人のものを勝手に使うからこうなるのよ?」


 いつの間にか、すぐ正面にレナが立っていた。彼女は悠然とほほえんで、そのたおやかな指をついと揺らした。

「さあ、返してもらうわ。ああ、あなたの魂があれば、メイゼも帰ってきてくれるんじゃないかしら…」

「セーナ!」

すべてがスローモーションに見えた。視界の端で、巫子狩りを相手しようとしているヒーラがこちらに戻ってこようとしている。エリーニャが弓矢を上げて、隣のラディ王子が腰からナイフを抜いたが、それよりも早くレナの指先から炎が迸ろうとしている…


 その時、急に背後から襟首をつかまれて、メルセナの息が詰まった。そのまま尻餅をつくと、さっきまでメルセナの頭があったあたりを火の玉が突き抜けて、そのまま炭になりつつある村長の家の屋根の一部を吹き飛ばした。

「え…」

振り返ると、いつからそこにいたのだろう、白いワンピースをまとった金髪の少女が立っていた。彼女はちらりと金色の目をこちらに向けて、ものも言わずにほほえんだ。

「メルセナ!」

「だ、大丈夫か!」

ラディ王子とエリーニャは少女を完全に無視してメルセナを助け起こした。ただレナだけが、笑みを引っ込めて警戒したようにその少女を見つめている。

「…あなた…」

「セーナ、下がって!」

相手していた巫子狩りを軒並み倒して、メルセナとレナの間に滑りこんだヒーラが、正面からレナをとらえた。彼は身を屈めて、低い位置から剣を振り上げようとした。


 が、レナとヒーラの視線が交差した瞬間、ヒーラの剣筋がぐらりとぶれた。レナの首筋をとらえていた切っ先はわずかに彼女の頬をかすめて、レナは小さく悲鳴を上げながら後ずさった。押さえた頬から泥のような液体がこぼれ落ちる。

「ひどいわ!」

レナがわめいた。ヒーラはメルセナをかばいながらレナと距離をとったが、食い入るようにレナを見ていた。なんだか信じがたいものを見るような視線だ。

「ヒーラ?」

名前を呼ぶと、彼ははっと肩を跳ねて剣を握り直した。

「あなたは…」


 ヒーラがなにを言おうとしたのか、メルセナが知ることはなかった。入口のほうからここにいないはずの人の声が飛んできた。

「魔術兵、撃て!」

直後、レナの頭上に現れた無数の光の剣が、彼女めがけて落ちてきた。その軌跡に紛れて、一羽の鷲が大きな翼を広げながら、ラディ王子の肩に降り立った。


「やあ諸君、人除けしていた村に不躾に申し訳ないが失礼するよ」

 燃え盛る村におののく様子もなくスタスタとやってきた少年の姿をしたその男は、背後に銀の甲冑の騎士たちを従えて、黒いトップハットをうやうやしく下ろして一礼した。

「噂に名高い魔女殿にお会いできて光栄だ。さて、簡単に穴だらけになってしまうとそれはそれで困るんだけど」

「殿下、あまり前に出られませんよう。御身を傷つけるわけには参りませんので」

「お、王様…ギルビス…」


 シェイルディアの王リズセムは、手にした黒い革張りの本をはらりとめくると、なにやら祈りの文句を唱えた。ぽつぽつと空から水滴が落ちてきて、あちこちで上がっていた炎に雨が降り注いでいく。

「我が妃に無理を押させてここまで来たんだ。少しは建設的な対話をさせてくれるだろう?」

リズセム王の問いかけに、魔法の壁で剣を防いだレナが地団駄を踏んだ。

「ひどい、ひどい、ひどいわ!もう少しだったのに、どうしてみんな邪魔をするの?」

いつの間にか、頬の泥は引っ込んで跡形もなくなっている。あんなに楽しげだったレナは不機嫌に、リズセム王とギルビスを先頭にしたシェイル騎士たちを睨みつけた。


「私はただ愛する人と幸せになりたいだけなのに!」

「なるほど、それはとても他愛ない願いだ。だが、そのためにこの国の民が損なわれるとあっては、僕も黙ってはいられないのさ」

 リズセム王が片手を挙げると、背後の甲冑の兵士たちが一分の乱れもなく武器を構えた。

「この国の民は僕の血肉も同然だ。君がささやかな夢を叶えたいと思うのは結構だが、僕たちの命は僕たちのものであり、君の欲望のままに削りとれるものではないと心得たまえ」

「おかしいわ…絶対にうまくいくはずなのに。私の願いは叶わないはずはないのに」


 レナはリズセム王の言葉を聞いていないらしかった。彼女はブツブツとつぶやくと、不意にぐるりとこちらを向いた。

「そうよ…ぜんぶ、あなたが私の印を盗んでからだわ。あなたが邪魔をしてから、すべてがおかしくなったのよ」

彼女はもうほとんど現実が見えていなかった。怒りに身を震わせて、レナはメルセナをきつく睨めつけた。

「全部あなたのせいよ!!」

「セーナ、下がって!」

とっさにヒーラがふたりの間に立ちはだかったが、レナは構わずに人の身長くらいはある炎の球をこちらにぶつけようとしていた。大雨が降っているのに、その火炎はまるで衰えることなく大きくなるばかりだ。こんなのみんな燃えちゃうわ!


 だが、そうはならなかった。メルセナの脇をすり抜けて、あの金髪の少女がレナの前に立った。

「危ない!」

メルセナは叫んだが、彼女はにこりとひとつ笑うと、その炎の球をつん、と指先でつついた。


 途端に、その巨大な炎のかたまりは、空中に向けて霧散した。

「は…?」

「なんだ?失敗か?」

周囲がざわめいた。みんな、今起きたことが見えていなかったのだろうか?金髪の少女は口元に人差し指を当てて、いたずらっぽくウインクすると、軽くレナの額を指ではじいた。

「な…!」


 レナと、メルセナだけに見えているのだ。ヒーラも、エリーニャも、トレイズもラディ王子もリズセム王たちも、ふたりのほかには誰ひとり、この少女に気づいた様子がない。

 なにが起きてるの、声を上げようとしたところで、ギルビスが鋭い声を上げた。

「取り押さえろ!」

騎士たちがわっと近寄って、レナを地面に押さえつけた。土まみれになりながら、レナはなりふり構わず暴れたが、屈強な騎士たちの前ではさすがになすすべもないようだった。

「離して!離してよ!」

「連れて行け」

ギルビスの号令に、騎士の一人がレナの首筋に手刀を入れて昏倒させた。ズルズルとレナが引きずられ連行されていく中、ヒーラが自分の上着をメルセナの肩にかけながらこちらに目線を合わせた。

「セーナ、怪我はない?」

「ヒーラ…見えてないの?」

「え?」


 ヒーラは首をかしげた。金髪の少女はふたたびメルセナの隣を駆け抜けて、黒い炭と灰ばかりになって鎮火しようとしている村長の家の前で振り返った。彼女はこの雨のなか裸足だというのにちっとも汚れも濡れもせず、その足元には影がない。光るような金色の目を細めて、彼女は声を発しないまま、口だけで言葉をかたどった。──ありがとう。


「待って…」

 メルセナは止めようとしたが、少女はもうこちらを見ることなく、ほとんど崩れ落ちようとしている村長の家の中へと入っていった。いつの間にか、メルセナの頭上に浮いていた、赤い門は消えていた。

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