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少女メルセナとおとぎ話の秘密  作者: 佐倉アヤキ
4章 再会の魔法
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 ヒーラとは、彼がまだ見習いだった頃からの付き合いだ。彼は初めて会ったときから何も変わらず、争いごとなど興味ありませんと言わんばかりの朗らかで温和な青年なので、彼が一等騎士になったと知らされたときは驚いたものだ。


 シェイル騎士団の一等騎士といえば超人・人外・魑魅魍魎などと揶揄されているが、文字通り一騎当千の実力者揃いだ。平和な今でこそ執務室で書類仕事ばかりに精を出しているが、彼らがひとたび剣を握れば地が割れ天を裂く、規格外の力を持つのだともっぱらの噂だ。

 さすがに剣ひとつで天を裂けるかは置いておいて、父エルディだって嗅覚だけで巫女狩りの追っ手に気づくわ、メルセナを抱えたままひとっ飛びで屋根に跳躍するわ、人並み外れた力を持っているのは間違いない。


 ヒーラが一等騎士になった経緯はクレイスフィーでは有名な話だ。毎年、冬の終わりになると人里に降りてくる冬眠明けの魔獣の群れを、彼はたったひとりで倒し切ったのだ。それも無傷で。

 なんでそんなことをしようと思ったかはメルセナには皆目見当もつかないが、とにかくその武功によって、弱冠二十二歳の若さで一等騎士の座に上り詰めたのである。ああ見えて、彼はシェイル騎士団の期待の星なのだ。


 だが、ギルビスの言うとおり、メルセナは騎士としてのヒーラの姿を見たことがない。思い浮かぶのは、お茶に溶けきらないくらいの砂糖をぶちまけて、一等騎士の先輩たちの懐に入って甘えて、片思いに右往左往している姿ばかりだ。


 そう思うと、私ってばヒーラのほんの一面しか知らないのね…突きつけられた現実にしゅんとしていると、杖を抱えて座りこんでいるメルセナの頭上に影が落ちた。

「どうかなさいましたか?」

顔を上げると、ラディ王子が小首を傾げてこちらを見ていた。


 ナシャ王妃のお茶会から一夜明け、いよいよ今日はゼルシャの村へ出発する。準備を整えて王城のエントランスでほかの面々を待っていたメルセナは、突然現れた王子殿下にあわてて周囲をうかがった。幸いにして、くたびれた旅装をまとっているのが我が都市の王子様であることに気づいている者はいないようだった。


「なんでもないわ。それより、そんなに堂々とエントランスに出てきちゃっていいの?」

 クレイスフィー城の開放区域は、身分を問わずだれでも出入りすることができる。見張りの兵士がいるとはいえ、王族がホイホイと民衆の前に現れてよいのだろうか。

 しかし、ラディ王子はなんということはなさそうに、メルセナの隣に腰掛けた。すぐ隣でこっくりこっくりと船をこいでいるおじいさんに「ここで寝入ってしまうとお風邪を召されますよ」などと声までかけている。

「人は意外と周囲を見ていないものですよ、メルセナ。それに、身分というのはたいがい服を着てはじめて目に見えるものですから」

果たしてそうだろうか。メルセナは疑り深くラディ王子の姿を眺めまわした。確かにきらびやかな服を着ていたラディ王子はたいへん優雅だったが、薄汚れたマントを身につけてさえ、彼の浮世離れした雰囲気は隠しきれていないように見える。


「ヒーラとトレイズ殿は馬を準備しています。エルディに挨拶はしてきましたか?」

「うん」


 さすがに父も一昨日よりは睡眠をとったのか、今朝執務室に寄ったときには目の下の隈は少し薄くなっていた。書類の山も当初の半分くらいまで減っていたので、父のデスクワークにもじきに目処がつくだろう。

「パパったら、ブーツが悪くなってないか、ハンカチは持ったか、なんて口うるさいったらなかったわ」

「自分抜きでメルセナを外に出すのが心配なのでしょう」

「そう思うならちゃんと引き継ぎ書を作っておけばよかったのよ」


 メルセナにとっては父抜きで冒険に出かけるのは初めてではない。が、前回は父に黙ってことを進めてしまったので、余計にあれこれ口出ししたくなるのかもしれない。

 でも、さすがにハンカチの所在なんてどうでもいいと思うわ…メルセナがむくれると、ラディ王子はにこやかに「エルディは父親としてメルセナを守ろうという気持ちが強いのでしょうね」と父をフォローした。

「王様もラディ王子には口やかましかったりするの?」

「いえ、父は放任主義ですから。でも、母はいまだに私のカバンの中身を覗いては文句をつけてきますよ。今朝もこんな古いブーツで歩き回るつもりかと言い出して」

ラディ王子はそう言って、底のすり減ったブーツを履いた片足を軽く挙げてみせた。あの妖精のような王妃さまも息子の前ではひとりの母親らしい。なんだか親近感が湧いてきて、メルセナは吹き出した。


「確かにその靴は替えたほうがいいわ。ボロボロだもの」



 メルセナは馬に乗ることができない。興味はあったのだが、例によって過保護な父のお許しを得られなかった。別に馬になど乗れなくとも、街のなかになんでも揃っているクレイスフィーにいれば、馬を必要とするような遠出する用事も生じない。

 そんなわけで本日がメルセナの記念すべき初乗馬デーなのだが、早くもメルセナは臆していた。自分の目線よりも高い位置にある栗毛の背中に、言葉の通じなさそうな不遜な鼻息。そのまなざしは何を考えているのかわからないし、蹄がパコパコ鳴る牧歌的な音すらもどことなく恐怖を煽った。


 完全に腰が引けているメルセナに、ヒーラが苦笑した。

「セーナはぼくと一緒でいいよね?」

「え…私、今からこれに、乗るの?」

トレイズの腕のない袖を握って離せなくなったメルセナに、隻腕の男は無情にも「おい、引っ張るな。袖が伸びる」などと文句をつけてきた。

「大丈夫、ぼくが支えてるから怖くないよ」

「待って待って、ヒーラ、私まだ心の準備できてな…キャー!!」

ヒーラは問答無用でメルセナを抱え上げると、軽々と鞍の上に乗せた。ヒーラったら、いつの間にそんなに力持ちになったのかしら!メルセナは混乱しながら、ひらりと後ろに乗ってきたヒーラに抱きついた。

「高い!怖い!高い!」

「あんまり怯えるなよ、馬に伝わるだろ」

「うちのイヴリーは穏やかな子ですから大丈夫ですよ」


 頭上でトレイズとヒーラがゴチャゴチャ言っているが、なにも耳に入ってこなかった。トレイズは器用にも片手で飛び乗って、手綱を引いて馬をなだめている。嘘でしょ!?片腕のトレイズは馬になんか乗れないと思ったのに!

「この…このっ、うらぎりもの!」

「なんなんだその反応は」

クスクスと笑いながら、背後から艶のある黒い毛並みの馬に乗ったラディ王子がやってきた。王子様を背に乗せているせいなのか、心なしか馬の歩く姿もしゃなりしゃなりと気品があるように見える。

「メルセナはエルディに馬に乗せられたことがないのですね」

「パパは危険だからダメだって、その一点張りだったわ」

事前に練習させてもらえていたら、王族の前で恥をさらすこともなかったのだが。ヒーラにしがみついたまま憮然としていると、メルセナの醜態が面白いのか、いやにニコニコ顔のヒーラがゆっくりと馬を歩かせた。

「エルディ殿の馬には乗れないだろうなあ。お転婆だから、セーナが吹っ飛ばされちゃうよ」

「あー、アイツ馬でもそうなのか。ラトメにいた頃もラクダを乗り回して暴れてたぜ」

「ちょっと!そういう話は地面の上にいるときにしてよ!」

せっかく父の思い出が語られているのにまったく堪能できやしない。メルセナは意地悪な男たちを睨みつけた。


 城の外周をぐるりと一周してもらい、少しはヒーラの愛馬に慣れてきたところでようやく出発となった。普段使わない太ももと腰の筋肉がすでに引きつっている。きっと明日は筋肉痛だ。

 トレイズはといえば、クレイスフィーの門を出てからとめどなくため息を吐き続けていた。枯れ森は今日も黒々とした木々が鬱蒼と生い茂っていた。メルセナがしばらくクレイスフィーを離れている間に季節はめぐって、もうそろそろ夏だというのに、この森はまだ冬から抜け出しきれていないかのように冷え冷えとしている。ヒーラが護衛の騎士らしく行く道の邪魔な小枝を折る音と、トレイズの辛気臭い息を吐く音が交互に聞こえてきて、だんだんとメルセナの機嫌も降下してきた。

「ああもうっ、なんなのよずっとハァハァハァハァ!こっちの気分も下がるでしょ!」

「俺だってしたくてしてるわけじゃねえよ…」

「ゼルシャにいったい何があるっていうの?のんびりしてて平和な村じゃない」

トレイズの態度は、まるでゼルシャの村にはとんでもない怪物でも待ち構えているかのようだ。以前滞在したときに村の中はだいたい練り歩いたが、穏やかそのものの小さなところだった。


 ひょっとしてあの居丈高なエリーニャが怖いとか?想像をめぐらせていると、トレイズはまたため息をひとつ漏らして、頭をガシガシ掻いた。

「村がどうこうというわけじゃない。ただ…気が重いだけだ」

「エルフの隠れ里だから?」

「そういうことではなく…まあ、行けばわかることか」

トレイズはぶるると鳴いた馬を撫でながら、黒い木々の隙間から見える雲ひとつない空を見上げた。

「あそこはラゼの…ルナセオの前の4番の故郷だ。俺はあいつの訃報を知らせなきゃならない」


 どきりとした。シェイルに着いた当日の、ルナセオの剣呑なまなざしを思い出す。

「あー…それは」メルセナは言葉を選んだ。「それは…確かに、気が重いかもね」

「だろ?」

「でも…えーと、そのラゼって人、エルフだったの?それにしちゃ、セオはエルフに慣れてなさそうだったけど」

「人間だったよ。ラゼは赤ん坊の頃に、あの村の村長に拾われたんだとさ」


 なんだか親近感の湧く生い立ちだ。メルセナは、ほんの言葉尻でしか聞いたことがないその「ラゼ」なる人物に思いを馳せた。メルセナにとっての父のような存在は、そのラゼさんにとってはレイセリア村長だったのだろうか。

 メルセナの考えてることが分かったのか、トレイズは苦い表情で口元をゆがめた。

「もっとも、お前とエルディみたいな美しき親子愛って感じではなかった。最終的にラゼはあの村を飛び出して、以来一度も帰らずじまいだった。喧嘩別れみたいな感じでさ」


 喧嘩別れ。トレイズはマイルドな言い方をしたが、いったいどれだけ仲違いすれば、故郷を出て一生戻らないと決意することになるだろう。メルセナは想像してみたが、父と喧嘩してクレイスフィーから飛び出す自分の姿はいまいちピンとこなかった。

「レイセリア村長は優しい人だったけど…」

「まあ、そうかもな。あの人に、もうラゼと和解できる機会はないって伝えるのは心苦しい。

 だけど…それよりも、もしラゼのことを伝えても、あの村のエルフたちにとってはなにも響かなかったとしたら…俺はそっちのほうが、怖いのかもしれねえな」


 今は亡きラゼさんと、ゼルシャの村人のあいだになにがあったのか、メルセナは聞きたかったが、さすがに自重した。人の事情にものも考えずに首を突っ込むなと、脳内の父が警告してきたから。


 なんだかみんなつられて空気が重くなってしまったので、気分を変えるためにメルセナはパチンと手を打った。

「ま、そんなのは言ってみなきゃ分かんないわよ!どっちにしろ隠してはおけないんだもの。そうでしょ?」

「それはそうだが…」

「どうせ逃げられないんだもの、腹を括るしかないわ。違う?」

「…お前は楽観的だな」

「なによ!文句ある?」

やっぱりいけすかない男だ!メルセナは憤慨したが、彼は小さく笑った。

「いや。…そういうトコ、ちょっとラゼを思い出すよ」


 その口調はどこかもの寂しい。彼にとって、ラゼさんはそれだけ大切な人だったのだろうか。

「…恋人だったんですか?そのラゼ殿とは」

ヒーラが突っ込んだことを尋ねた。ちょっとヒーラ、だいぶ踏み込んだわね!メルセナは慌てたが口は挟まなかった。だってメルセナも同じことを感じたのだ。

「ラゼと、俺が?ははは!」

 だが、トレイズは思ってもみなかったことを言われた様子で声を上げて笑った。

「そんなんじゃねえよ。歳だって一回り違ったしな、妹みたいなモンだ。ラゼはいつもまっすぐで、人懐こくて、昔の仲間たちはみんなあいつが好きだったよ。我の強いヤツが多かったからな、ラゼは俺たちの緩衝材役だった」

昔の、というのは、彼やギルビスが巫子だった頃の話をしているのだろうか。彼らもメルセナたちのように、巫子として世界を旅して回ったのか…それはなんだか不思議な気分になった。


「巫子の役目から解放されて、他の仲間たちの印が外れても、なぜかラゼはずっと4番の印が宿ったままだった。ルナセオに印が移るまでな。結局理由はわからずじまいだったが…順当に歳を重ねてりゃ、今頃は結婚でもして、幸せに暮らしてたのかもな」

「印が宿ったまま?そんなことあるの!?」

 それは大問題だ。メルセナはもともとエルフで、周囲に不死族もいるから不老不死のままでもそこまで困りはしないだろうが、ただの人間にとっては死活問題だ。ネルがいつまでも歳を取らなかったら、愛しのデクレくんとはどうなっちゃうんだろう?

「通常はありえない話です」

黙って話を聞いていたラディ王子が口を開いた。

「赤い印は、それぞれ宿すための資格があります。“神の子”や世界王が宿している印は、その役職を持つ者に継承されるため、9番がいなくともそこに印が在りますが、4番はそうではない。本来、9番がいなくなれば消えるはずの印です」

「はー…じゃあ、私が巫子になったのも、その資格があったってこと?」

「そうなりますね」


 自分の袖をめくってみると、赤い帯のような印がそこにある。メルセナにはどんな資格があってこの印が宿ったのだろうか。ネルは9番の幼馴染だし、ルナセオは元9番の息子だから、なんとなく選ばれた理由は分かるが、メルセナは今も昔も9番とはとんと縁がなく、そればかりかいまだに会ったこともないのに。

「なんか眉唾っぽいけど。私なんかに印が宿ったり、何年も外れなかったり。ひょっとして印が耄碌しちゃってるんじゃないの?世界創設時代に生まれたなら、何百年も前の魔法なんでしょ?」

「耄碌!」

なにがおかしいのか、ラディ王子はクスクス笑ったし、トレイズは呆れ顔だ。メルセナはムッとしてヒーラを見上げた。

「私なにかおかしなこと言った?」

「ウーン、魔法が耄碌するって発想はさすがセーナだなあ」

「だって赤い印には意思があるんでしょ?じゃあこれってとんだおじいちゃんおばあちゃんの意思ってことじゃない。ボケてたっておかしなことじゃないわ」

家庭用品の魔術用具だって恒久的に使えるものではなく、そのうち魔術回路が焼き切れて使えなくなったり、誤作動を起こしたりする。そう考えたら、赤い印も永遠のものではないのではないか。


 メルセナの予想に、トレイズはやれやれと首を振った。

「じゃあ祈っとけよ、9番の印が耄碌してたら、世界は滅びから免れるかもしれないしな」

「…それはそれで、マヌケな物語になりそうね」

魔王の力がボケてて使えないなんてとんだコメディだ。メルセナは考えを改めることにした。

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