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緊張も解け、なごやかにお茶会を終えることができようかと気が緩んだそのとき、誰かが無遠慮にざかざかとやってくる足音が聞こえた。
「やあやあ皆の衆、楽しんでいるようでなにより。せっかくだから混ぜてもらいにきたよ」
「ヒグゥ」
隣のトレイズからひしゃげた声が漏れ出たが、それどころではなかった。慌てて立ち上がると、乱入者は鷹揚に「まあまあ、楽にしてくれたまえ」と言いながら、ナシャ王妃の頬にくちづけた。
「リズったら、お仕事はもうよろしいの?」
「いい仕事をする秘訣は休息をしっかり取ることだよ。それに僕もエルフ嬢に用事があったし」
リズセム王はちゃっかり椅子を引いてきてナシャ王妃の隣の席を陣取ると、メルセナの斜め後ろあたりを見て、
「君も楽にしていいよ。ナシャが同席を許したなら君も茶会の客だ」
と声をかけた。首をひねって見上げると、いつの間にかヒーラが「僕は最初からここにいました」と言わんばかりの涼しい顔で直立している。
「では遠慮なく」
王の許しに、ヒーラはあっさりと元いたところに着席した。きっと彼は大物になる…メルセナは確信した。
リズセム王はメルセナの手にした神杖を見ると目を細めた。
「あー、これ。懐かしいね。どこから引っ張り出してきたんだい?」
「お部屋の奥にしまっておりましたの。このままホコリをかぶってしまうよりも、セーナの元でお役に立てるほうがよろしいでしょう?」
「そうだね、城に置いといても骨董品以上の価値もないし」
数億はくだらないと言わしめた超高級品に対して辛辣なコメントを添えたリズセム殿下は、お菓子の乗った皿をよけて、小脇に抱えていた古い羊皮紙の束をテーブルに広げた。
「僕からはコレをあげるよ。言っただろう?6番の印で召喚できる幻獣のメモを見せると」
そういえばそんなことを言っていた!身を乗り出してのぞきこむと、羊皮紙には手書きで不可思議な生き物のデッサンと、それぞれの特徴、弱点までが事細かに書かれていた。
ナシャ王妃が目を輝かせて両手を打った。
「まあ!これも懐かしいですね」
「昔は幻獣図鑑なんて便利なシロモノはなかったからさ、一個一個書き残すしかなかったんだよ。でも、ここにあるヤツらは比較的簡単に召喚できるから、色々試してみるといい。騎士団の演習場なら好きに使っていいよ」
大盤振る舞いだ。メルセナはホクホクしながらリズセム王にお礼を言った。ナシャ王妃はニコニコして少し色褪せた羊皮紙のふちをなぞった。
「とても美しい絵でしょう?リズは昔から絵がとてもお上手だったのですよ」
「えええッ!?」
ついうっかり、メルセナは王族の前であることを忘れて絶叫した。
「じゃあこれ、王様が描いたってこと!?」
「なかなかうまいもんだろう?」
リズセム王はニヤニヤした。
「王様業が立ち行かなくなったら画家になるのも悪くないよね。妻子を食わせていくくらいの稼ぎは得られると思うんだ」
「もう、リズったら。その時はわたくしも一緒に働きますわ」
シェイルディアに百年の繁栄をもたらした王夫婦はイチャイチャと聞くに堪えない冗談を言っている。夫婦仲も円満なようでなによりだ。
「もっとも、ゼルシャへの出立には間に合わないだろうけど。帰ってきたらゆっくり練習するといいよ。ナシャの杖も慣れが必要だろうし」
「あ、ありがとうございます」
こわごわ頭を下げると、リズセム王はパッと立ち上がった。
「さて、渡すものも渡したし、僕はこれにて失礼するよ。君たちもしっかり英気を養うといい…」
「……?リズ?」
不意に言葉を切ったリズセム王は、ドームの天井のむこうに広がる陽の落ちてきた空を見上げてゆっくりとかぶりを振った。
「どうやら大事な仕事がひとつ増えてしまったみたいだ。ナシャ、シバの奴がここへ来たら、僕は通信室に行ったと言っておいてくれるかい?」
「ええ、もちろんですわ」
リズセム王はひらひらと手を振って足早に去っていった。始終、嵐のような王様である。
「王様って超音波でも聞こえてるの?それとも幽霊でも使役してるとか?」
虚空と目が合っていたリズセム王の様子にメルセナが思わず問いかけると、ナシャ王妃はくすくすとそよ風のように笑った。
「そうですね、シェイルディア王家のご先祖さまとお話しされていらっしゃるのかも、と思ったことは一度や二度ではありません」
メルセナはいたって本気だったのだが、ナシャ王妃のほうは冗談だと思ったらしく、軽く流されてしまった。しかしその直後、ふたたび温室の扉が開かれて「王はどちらに!?」と宰相が怒鳴りこんできたので、やはりリズセム王には見えないものを見る力が備わっているに違いないとメルセナは断じた。
◆
ナシャ王妃からたんまりとおみやげのお菓子を持たされたメルセナは、ポケットも胸もいっぱいにして温室を出た。
「総括すると、とっても楽しかったわ!」
「王族と同じテーブルについて楽しめるヤツの気がしれねえよ」
一方トレイズは胃のあたりを押さえてげっそりしていた。ついぞ彼の緊張感はいっぺんも切れることなく、お茶会がお開きになるとともに限界を迎えたらしい。壁伝いにヨロヨロしながら、彼は「外の空気を吸ってくる…」と消えていった。
「もー、情けないったら」
「セーナってトレイズ殿とは仲がいいの?」
「ハァー?」
メルセナに負けず劣らず王家御用達のスイーツを抱えたヒーラの妄言に、思わずメルセナはすっとんきょうな声を上げた。
「ヒーラったら、少し離れてたあいだに頭の中までお砂糖でいっぱいになっちゃったの?どこをどう見たら私とアイツの仲がよさそうに見えるのよ」
「うーん、なんだか遠慮がないように見えたから」
まったくもって心外だ!メルセナは憤慨してヒーラの脇を小突いた。
「だってアイツ、ホントにデリカシーのかけらもないんだから。パパの元上司だなんて信じがたいわ。ギルビスの爪の垢でも煎じて飲めばいいのよ」
そこまで言って、メルセナは一回立ち止まった。昼間の彼との対話を思い出したのだ。
「…まあ、たまにいいコト言うときもあるけど!時たま、ごく稀に!」
「ふーん」
ヒーラは妙に鋭いところがあるから、メルセナの虚勢などお見通しだろうが、うろんな返事だけして追及してこないので、メルセナはかえってそわそわした。
そういえば昨日もそうだった。しばらく顔を合わせていなかったせいなのか、なんだかあずかり知らぬところでヒーラがひとまわり大人になってしまったみたいで、どうにもモヤモヤしてならない。
「…ねえ、ちょっと?そこは『セーナは意地っ張りだなあ』って突っ込むところじゃないの?」
「あはは、分かってるんじゃないか」
ケタケタ笑う友人に、腹立ちまぎれにもう一度脇腹に肘を入れて、メルセナはそっぽを向いた。
「私の友達はいつの間にそんなに意地悪になっちゃったのかしら。もっと私のことを労わってくれてもいいと思うんだけど!」
「ごめんって」
ヒーラはいつもの軽い調子で言ったが、ふと笑みを引っこめて、ばつの悪そうな顔になった。
「よかった」
「なにが?」
彼の双眸は、それ自体がお砂糖菓子のように甘そうな蜂蜜色をしている。砂糖をたくさん摂取しているせいで余計に飴玉みたいにとろけた色をしているのではないかしら、メルセナは本気で疑っていた。
「きっと、これまで経験したこともないような大冒険だったと思うんだ。でも、セーナがちゃんと帰ってきて、ぼくたちのことを忘れてなくてよかった」
びっくりして、メルセナは思わずポケットの中でクッキーを一枚握りつぶしてしまった。するとヒーラは、照れくさそうに頬を掻いた。
「ホントはちょっとだけ寂しかったんだ。巫子様がたとか、トレイズ殿とかと仲良くやってるみたいだったから。セーナはずっと、友達がたくさんほしかったのにね」
「そ、そんなの!昔の話でしょ!」
ヒーラは気の置けない友人だから、父にも言えない悩みだって、彼になら相談ができた。図書室の中で窓越しに眺めた憧憬も、本の中にしかいない友達も、人間とは違う速度で成長する身体も。彼はなんにも否定しないで、メルセナを同世代として接してくれる。
シェイルの年頃のお嬢さんたちにはマスコットみたいに可愛がってもらえたけれど、本当は一緒におしゃれの話で盛り上がりたいのだと、この青年だけは知っているのだ。
「忘れるわけないじゃない。私、一等騎士のみんなのこと、道中で散々ネルたちに話してたのよ」
あえておどけて胸を張ってみせると、ヒーラもぶすくれた表情を作った。
「それ、どうせギルビス様の話ばっかりしてたくせに」
「そんなこと!いや、そんなことあるけど!!」
「あるんじゃないか」
ヒーラがいつものように破顔したのでメルセナは内心で胸を撫で下ろした。なんだかこのまま真面目な話をしていたら、ふたりの友情の線を、意図せず飛び越えてしまうような気がしたから。
なんだかたまらなくなってしまって、メルセナは無理矢理話題を変えた。
「そ、それより!ヒーラったら、私の護衛でゼルシャに行くこと、好きな子には言ったの?任地に出るときはちゃんと大切な人に声をかけてから行くべきだって、いつもローシスが言ってるでしょ?」
「え、う、うん」
急に歯切れが悪くなって、ヒーラは視線をさまよわせた。この調子では、やっぱり挨拶していないらしい!メルセナは人差し指を彼の鼻先に突きつけた。
「ちょっと!ダメじゃない、そういうところはきちんとしないと。騎士職は急な任務が多いんだから、連絡はまめにしないとすぐに疎遠になっちゃうわ。せっかくここまで頑張ってアプローチしたのに、そんなのって悲しいでしょ」
「う、うーん」
いつもこれだ。いったいヒーラがどこのどなたに懸想しているかは聞いたことがないが、こんなにふわふわした様子では、うまくいくものもいかないだろうに。
するとヒーラはへらりと笑ってみせた。
「まあ、別に今回はわざわざ言わなくてもいいかなと思って」
◆
「ヒーラったら、私のいない間にフラれたのかもしれないわ」
悲壮な顔で執務室に戻ってきたメルセナの第一声を聞いて、一等騎士の面々はすぐさま白けた様子で書類に視線を戻した。メルセナは手近な机を叩いてなおも言い募った。
「ねえ、だって私が好きな子にゼルシャへの出立のこと言ったの?って聞いたら、ゴチャゴチャごまかして逃げていったのよ?これはもう何かやらかしたに違いないわ!」
耳元で叫ばれて、ダラーが「なに言ってるんだお前は」とでも言わんばかりの表情でメルセナを睨み下した。
「なにを言っているんだお前は」
表情だけでは飽き足らず、ダラーは口でもそう言った。
「そんなことより、王妃殿下に粗相はしなかっただろうな?」
「そんなことよりって!ダラー、あなた、もう少し後輩のプライベートに興味を持つべきよ」
「他人の色恋沙汰に首を突っ込むほうがよっぽどお節介ではないか」
相変わらず協調性のかけらもない副団長である。ダラーは貴族出身だが、騎士として王族に身を捧げたので妻帯はしないと公言してはばからない人物だ。つまり、色恋沙汰とは最もかけ離れている。
ダラーに話を振ったのが間違いだったわ、ゴツンと机に額をつけてうなだれていると、ギルビスが話に加わってきた。
「セーナにはヒーラが頼りなく見えるかもしれないが、彼もやる時はやるよ。見守っていてあげるのはどうかな」
「そうだけどお、ヒーラってどこかポヤポヤしてるじゃない。あんな調子じゃ、そのうち婚期を逃しちゃうわ」
エルフや不死族が近くにいるせいなのか、どうにもヒーラはメルセナと同じ尺度で人生を考えているように思えてならない。人間の青春時代は短いのだ。はたで見ているメルセナのほうが焦ってしまう。
メルセナの心配をよそに、ギルビスは「ポヤポヤしてる、か」と思案するように宙を仰いだ。
「セーナは騎士としてのヒーラを見たことがないからか」
「どういう意味?」
ギルビスはなにやら企み顔で少し首を傾げた。
「今回の護衛で、ヒーラのことを見直すかもしれないよ。彼も誉れあるシェイルディア一等騎士のひとりなのだからね」




