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少女メルセナとおとぎ話の秘密  作者: 佐倉アヤキ
1章 シェイルディアの騎士の娘
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 手早くメルセナが被ったマントを引きずらないように裾に結び目を作ると、父は娘の手を引いて歩きだした。

「もうじき日暮れが来る。長く歩かせるが我慢しなさい」

そう言う彼の頬は、レナに引っかかれた傷があちこちついている。せっかくの美貌が台無しだ。

「ねえパパ、傷の手当てをしなくちゃ」

「このくらいどうということはない」

父はくすりと笑う。そりゃ、見た目に頓着しない父ならそう言うだろうが、天の使いかと見まごう顔が傷だらけなのは胸が痛む。


 父は地面から魔物避けの香草を摘んで、無造作にコートのポケットに突っ込んだ。

「今は少しでも距離を稼ごう。追っ手が来るから」

「これがあるから狙われるの?これって一体なに?」

確かにあの獣を呼び出したのはすごい魔法だったが、だからといってこの印がそこまで価値があるものだとは思えない。あの三つ首の犬が実は高く売れるとか?ずれたことを考えていると、隣の父がようやく説明してくれた。

「それは赤の巫子の印だ」

「赤の巫子?」

「知っているだろう?」

 知らないわけがない!赤の巫子のおとぎ話は、子供なら誰でも一度は聞かされる有名な物語だ。


 この世界をひとつの大きな国に統一させた大昔の聖女さまが、世界を救う存在としてこの世界に遣わしたのが赤の巫子だと言われている。彼らは不老不死の強大な力を持つ魔法使いで、世界を滅ぼす悪い者を打ち倒し、そのまま人知れずいずこかへと消えていく。

「でも、ただの童話だと思ってたわ。不老不死とか言うから、不死族のことをお話にしたのかしらって」

「もちろん、絵本にあるのは子供向けに書かれた創作だ。ただ、赤の巫子自体は実在する」

父はチラリとメルセナの手首を見て続けた。

「赤の巫子は、言うなれば人工で不死族を作るための機構だ。その印を宿した者は不老不死の肉体を得て、印ごとの特性に合わせた魔法を扱えるようになる」

「いいことずくめじゃない!私も不死族になったってこと?」

「しかし、この印にはいくつか難点がある。まず、印自体に意思があり、宿主を選ぶということだ。本人が望んで印を宿すことも、あるいは自分の意思で外すこともできない。

 また、赤の巫子に選ばれた者は、9番…絵本でいうところの『世界を滅ぼす悪い者』を倒す役目を与えられる。巫子の不老不死は、いわばこの役目を果たすための副産物に過ぎない。つまり、9番を打ち倒せない限りは、世界がどれだけ混迷を極めようとも死ねない呪いだ」


 絵本の筋書きを強制的になぞらせるための仕組みということだろうか。しかも役者は印によって本人の許可なく選ばれて、おまけに途中で舞台を降りることもできない。なるほど、メルセナは大変な欠陥品をつかまされたらしい。

「でも、なんでこれを宿すと狙われるの?外せないんでしょ?これ」

「さあな。だが、印が外せない以上、今価値があるのはセーナ自身であるともいえる。セーナを懐柔して思うがままに動かせるなら、印を奪わなくても強大な力は手に入るのだから」

「そっか、おあつらえむきに何をしても死なない呪いのおまけ付きだしね」

セーナのような小娘ひとり、言うことを聞かせるすべなどいくらでもあるだろう。悪事をたくらむ者からすれば格好の餌食ということだ。

「すぐにギルビス様が後ろ盾を整えてくださるはずだが、あの女を逃したことで追っ手を差し向けてくる可能性が高い。とにかく今は身を隠す必要がある」

「それでゼルシャの村ってところに行くの?」

「そうだ。ゼルシャは枯れ森の中にあるエルフの隠れ里で…」


 不意に父は口をつぐんで背後を振り返った。日が落ちかけて暗くなっていく森は静かなもので、メルセナには何も見えなかったが、父は険しい顔でメルセナを抱え上げて走り出した。

「まずい、追っ手がもう来た」

「何も見えないんだけど!」

「神都の暗殺者が使う武器特有のにおいがした。じきに追いついてくる」

メルセナはくんくん鼻を鳴らしたが何も感じない。やはりシェイル騎士団の一等騎士は規格外だ。街では一等騎士は超人・人外・魑魅魍魎の集まりなどと揶揄されているが、正真正銘人の枠組みを外れた力を見るに、なんら誇張ではないのだと実感させられる。いやだわ、あのヒーラが見えないくらい遠くの匂いを読み取ってたりしたら。


 予言どおり、父の肩越し、森の奥に豆粒のような影が見えてメルセナは絶句した。

「うっそ、本当になにか来たわ」

「セーナ、急ぐから口を閉じなさい。舌を噛む」

大人しくぱちんと口をふさぐと、父は走る速度を早めた。景色が飛ぶように流れていく。遠くでどん、となにかが爆ぜるような音が聞こえて、近くの木に何かがかすった。

「な、なに、なに、なに、あれ!?」

「チッ、魔弾銃か。厄介な」

父は砂ぼこりを立てて立ち止まると剣を抜いた。どん、どん、どん。立て続けに三発の火花が散る。父は二発を剣で弾いたが、一発受け損ねて、メルセナの顔があるのとは反対方向の肩に当たった。

「パパ!」

「この薄暗いのに精密なことだ」

父はすうと息を吸って祈りの文句を唱える。構えた剣にまとわりつくように魔法の風が巻き起こり、父はそのまま剣を横なぎに振るった。風の刃が当たったのか、遠くでがしゃんと何かが落ちる音がした。

「やったか、急ごう」


 肩の怪我が痛くないのかと思うほど平然とした声だったが、傷口からは絶えず血が流れているし、走れば走るほど父の顔色は青くなり、息も上がってきている。メルセナはギルビスのマントを噛みちぎって裂くと、父の肩口にきつく結びつけた。

「…セーナ、それは、ギルビス様の…」

「部下が怪我してるのにギルビスが文句言うわけないでしょ!」

しかし、応急処置をしたものの流血は止まるどころか増しているようにすら見える。手で押さえてみたものの、メルセナの手が真っ赤になるばかりだ。

「パパ、血が止まらないわ…パパ?」

父は前が見えていないのか、正面の木に手をついてずるずるとしゃがみこんだ。呼びかけても、聞こえないのか応える余裕がないのか、荒い息をつくばかりで返事もできない。それなのに、メルセナを抱く腕は離すものかとばかりに力が込められるばかりだ。

「パパ、やだやだっ、しっかりして!パパ、パパ!」


 どうしよう、パパが死んじゃう!

 こんな時こそ巫子の魔法の使いどころではないのか。必死に祈ってみたが、無情にも手首の赤い帯は何の反応も示さない。このまま何もせず見ているしかできないのか。絶望してじわりと涙が出てきたところで、ちりんと鈴の音が聞こえてきた。


「おや、怪我人ですか?」


 そのひとは魔物避けの鈴をつけたランタンを持って、メルセナたち父娘を照らした。灯りの光で虹彩のきらめく黒い瞳が、父の肩を見て細められた。のっぽの身体を折って傷口に触れようとするので、メルセナはとっさに父を抱きしめて叫んだ。

「アンタ誰!パパに触んないで!」

「大丈夫、手当てするだけですよ」

男は穏やかに言うと、肩下げを下ろしてランタンとともに地面に置くと、傷を検分しはじめた。

「魔弾銃の傷です。弾は貫通しているみたいですね。傷薬はお持ちではないのですか?」

「わ、わかんない…アンタ、医者なの?」

「まあ、そんなところです」

男がなにやら呪文を唱えると、父の傷口が淡く光った。父の粗い呼吸が収まって、そのまま意識を失った様子でがくりと身体が傾ぐ。

「パパ!」

「ここに寝かせましょう」

地面に引かれた男のマントの上に、メルセナと男は協力して父を寝かせた。男の指示で父の騎士服を脱がせると、白磁の肌に痛々しく焦げた穴の開いた血まみれの肩があらわになって、思わずメルセナは顔を背けそうになった。

「女性に見せるものではありませんでしたね」

鞄をごそごそ探りながら男が言うので、メルセナはむきになって噛みついた。

「ばっ、バカにしないで!私はシェイル騎士の娘よ。人の生傷なんて見慣れてるんだから!」

「それは失礼しました」


 軽い調子で言うと、男はいくつか清潔そうな布を投げて寄越した。

「これで血を拭ってください。患部を傷めないように。流血は抑えていますがまだ止まっていないので、あまり身体を揺らさないでくださいね」

とにかく今は彼の指示に従うしかない。恐る恐る父の血を拭っていると、顔は血の気が引いて真っ青なのに脂汗が浮いていた。

 鞄の中に入っていた薬箱のようなものから瓶を取り出して、男は顔を上げてメルセナを見た。

「薬草とか、持っていたりしませんよね?止血用のものが足りないのですが」

メルセナは首を横に振りかけたが、はっとして鞄から袋を取り出した。

「これっ、これ、使える?」

「ああ、これこれ。十分です」

男は袋の中身を見ると、にっこり笑って頷いた。

「大丈夫、この薬草があればお父上は助かりますよ。僕に任せて」


 心強い言葉に、メルセナの涙腺がとうとう決壊した。泣きながら何度も何度も礼を言うメルセナに、男はのんびりと手を振った。

「とはいえ、危険なことには変わりありません。さっさと手当てしてしまいましょうか」



 メルセナの摘んだ薬草と、男の持つ薬で無事血も止まり、落ち着いた呼吸で胸を上下させる父を見て、メルセナは今日一番の緊張から解放されて深くため息をついた。

「ずいぶん大変な目に遭われたのですね」

「…ああ、本当にありがとう、えっと」

そこでようやく、メルセナは男の姿をまともに見た。ずいぶん身長が高いが、細っこくてヒョロヒョロしている。だいぶ長旅をしてきたのか、ブーツの底が擦り減っていた。栗色のおかっぱ頭も、淡々とした言葉の調子も、どこか浮世離れした雰囲気の不思議な人だ。

「僕はラディ」

「ラディ…じゃああなたが、『ラディ殿下』?」

ギルビスが父に指示を下していたときに聞いた名前だ。メルセナはさっと青くなった。シェイルディアで殿下と呼ばれるのは三人だけだ。王城の主人であるシェイル旧王家の、王様、王妃様、そして王子様。王族なんて雲の上の方々はみだりに名前を呼ぶこともできないが、さすがに自分の住む土地を治める人の名前くらいは知っている。ラディ王子殿下、今代の王様の一人息子だ。


 メルセナは慌ててその場に平伏した。

「も、申し訳ありません!王子殿下とは露知らず、とんだ無礼を」

「あ、待ってください。いいんですよ、王城の外に出れば僕はただのラディですから」

ラディ王子は謝罪の文句すら途中でさえぎって、みずから枝を折って焚き火にくべながらさらりと言った。

「僕こそあなたには一度お会いしたかったんですよ。エルディの掌中の珠、今まで母が何度言っても連れて来ないものですから」

「…え?」

 なぜ王子様や王妃様が、メルセナに会いたいと思うのだろう?この気絶していても美貌の騎士の娘として興味を持たれていたのだとすれば、それこそ期待させて申し訳ないくらいだ。エルフはふつう人間たちよりは顔の造形が整っている者が多いはずだが、メルセナときたら鼻は高くないし、胸もぺったんこだし、おまけに手足だって短くて、街の10歳の子供の中に混ざっても小柄なほうだ。メルセナなどよりかわいい女の子たちなど人間の中にもたくさんいる。


 しかしラディ王子は、メルセナの顔の造形に興味を示したわけではないらしかった。むしろ事情を把握していないメルセナのほうが不思議だとばかりに首を傾げている。

「…もしかして、ご存じない?」

「な、なにを?」

メルセナは、次に続いた言葉に危うく腰を抜かすところだった。

「エルディは、あなたの父親はシェイル王妃の息子で…僕とは異父兄弟にあたるんですよ」

口をあんぐり開けて、父とラディ王子の顔を見比べる。今日一日で、一生分の驚きを使い果たしたのではないか。ようやくラディ王子の言葉を意味のあるものとして理解して、メルセナは力いっぱい叫んだ。

「えええええーッ!?」


 まさか、まさかまさか、つくづくうちの父は常人ではないと思っていたが、顔は極上、仕事もよし、性格もよしの三拍子揃った父にこんな四拍子目があるだなんてまったく予想だにしなかった。

「じゃ、じゃじゃ、じゃあ、あなたは私のおじ…おじさまで、王妃様は…」

「あなたの祖母にあたります。僕には妻も子もありませんから、母は散々孫に会いたいと言って、しまいには騎士団の詰め所に潜もうとすらしていたくらいですよ」

 養女とはいえ、知らぬところでメルセナは王妃様の初孫の座を得ていたらしい。シェイルの民としては巫子になるより衝撃的な事態だ。王子殿下の言葉を疑うわけではないが、あまりに信じがたくてメルセナは失礼を承知で尋ねた。

「…冗談?」

「いいえ。あなたも母に会えば嫌でも納得しますよ。エルディの顔は母に生き写しですから」

父の顔は神に愛されすぎた結果だと思っていたが、どうやら愛されていたのは王妃様のほうだったらしい。父は霞から自然発生していたとしてもおかしくないと思っていたので、母親の腹から生まれたという事実だけでだいぶ人間味が生まれた気がする。母親の正体が問題だが。


 ぽかんと間抜けに口を開けて座りこんでいると、ですから、とラディの柔らかい声が続いた。

「あなたは僕になにもへりくだらなくていいし、ましてお礼なんか言わなくてもいいんですよ。僕にとっては弟を助けることも、姪っ子の力になることも、家族として当然のことですから」

 メルセナはシェイル旧王家の偉大さを疑う日はもうないだろうと確信した。はるか雲の上の存在が、血縁というだけでただの平民のメルセナたちに心を砕き、当たり前のように家族として接する人となりを知ってしまったから。

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