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あのまばゆい美貌の王妃様とお茶会!?メルセナは危うく大事な封筒を落としそうになった。
「わ、私、お茶会の作法なんてなんにも知らない平民なんだけど!」
「マナーなどは気にしないで結構ですよ」
そういえば、昨日の晩餐会メルセナたちが困らないように工夫が行き届いていた。
いやいやそれでも、と首を振ると、ラディ王子は少し困った様子で小首を傾げた。
「母はただあなたと話がしたいだけでしょうから、お付き合いいただけませんか?お伝えしたでしょう?あなたに会いたがっていたと」
「そ、そりゃ、言ってたけど」
メルセナはなんとか断りたかったが、ほかでもない王族からのお誘いを無下にするのがどれだけ不敬なのかくらいは想像がつく。だがしかし、いざ出席したところで失礼をはたらかない自信はまったくなかった。
こちらが迷っているのを見てとってか、ラディ王子はスッと隣に水を向けた。
「あいにく僕は同席が難しいのですが…よろしければ、トレイズ殿もいかがですか?エルディが世話になりましたし、母も喜ぶかと思いますが」
「いや!お誘いを受けてるのはメルセナだけですし、俺は」
一歩後ずさったトレイズの左袖をしっかとつかんで、メルセナは彼をにらみつけた。こうなれば、馬の合わないトレイズだって構わない。死なばもろともである。
「では、おふたりともご参加ということで」
ラディ王子はにこりと笑った。相変わらず、こういうところはちゃっかりしている。
「あ、いや、その、俺は」
「午後のティータイムに使いを送りますので、部屋でお待ちください。明日にはゼルシャへ発つ準備を整えておきますね」
トレイズの言い分も聞かずに言いたいことだけ告げると、ラディ王子は颯爽と去っていった。虚空をただようトレイズの右手がなんとも哀れだったので、メルセナは内心で合掌した。もっとも、彼の左袖はまだつまんだままだったが。
◆
「そんなわけで困ってるのよ」
勝手知ったる騎士団の執務室で、ほのかにやさしい花の香りのする、お値段はきわめてやさしくなさそうな便箋を眺めながらメルセナはぼやいた。シェイルでは大概の家や職場には木屑や端切れを紙に加工する製紙魔道具があるものだが、どう見てもうちにある安物の魔道具で作る紙とは質が違う。
ナシャ王妃の招待状には美しいレタリングで、メルセナをお茶会に招待したい旨が彼女の人柄をあらわすかのようなやわらかい文体で書かれていた。
「もしよろしければ、お友達もお気軽にお連れくださいね、ですって」
メルセナは手紙を読み上げて首をひねった。王妃さまはこれを書いたとき、まだネルやルナセオが城から出たことを知らなかったのだろうか。
「まさか王妃様も、髭面のオトモダチを連れてくるとは思ってないでしょうよ」
「悪かったな、年食ってて」
せっかく身綺麗にしてもらったはずのトレイズの顎には、一晩あけてすでに髭が芽を出していた。
「申し訳ありません、トレイズさん」
目の下に濃いクマを飼っている父はげっそりと言った。
「本来は私が保護者として同行すべきところを…」
「アー、うん。まあ、お前はゆっくり仕事してろよ。ていうか、ちょっとは寝ろ」
確かに、仮に父がこの書類の山を捌ききっていたとしても、この顔では王族の前には出られない。そればかりか、いまの父は危険物なので、執務室から一歩出た瞬間に周囲の被害が甚大であろう。あまりにも雰囲気がアンニュイすぎる。
「とはいえ、セーナの同行者がトレイズだけというのも心許ないね」
ギルビスがつぶやくと、天を衝くような勢いで手が挙がった…ダラーだ。
「王族の警護であればこのダラーが!」
「君はこれから会議があるだろう。ヒーラ、君もセーナについていくかい?」
「いいんですか!?」
大人しくなりゆきを見守っていたヒーラは、声をかけられるなり書類を放り投げて立ち上がった。背後で父とダラーの悲鳴が上がる。
「おいヒーラ、書類を雑に扱うな!」
「ぼくも行きます!ええ、なんせ今のぼくはセーナの護衛ですからね!」
「そう婉曲的にしなくともはっきり言ってもらって構わない、書類仕事に飽きたと」
父が散らばった書類の枚数を数えながらため息をついた。
「そりゃ、ヒーラがついてきてくれるならありがたいけど。あなたわかってる?王妃様のお茶会なんて一般市民の行くところじゃないって!」
「えー、王妃殿下はお優しいし、ぜったい楽しいと思うけどなあ。それに、ここでエルディ殿の書類の束に囲まれているよりも、セーナたちのお茶会を眺めてるほうが建設的だよ」
「そこまではっきり言えとは言ってない」
父は文句をつけたが、ギルビスに「エルディ、君に非難する権限はない」と一刀両断された。
「ギルビス様、予定を調整しましょう。どうせコイツの頭には、王族の方が召し上がる甘味をあわよくば巻き上げてやろうなどと、さもしい考えしかないに違いありません」
ダラーは納得がいかないらしく食い下がったが、ギルビスはパンパンと手を叩いてさらりと話をまとめてしまった。
「会議は予定通り行うよ。この話はこれで終わり。ヒーラ、王妃の許可がない限りはくれぐれもつまみ食いはしないように」
◆
そんなわけで、メルセナにトレイズ、それからヒーラという珍妙なパーティで王妃さまのお茶会に繰り出すこととなったメルセナは、おっかなびっくり侍女さんの案内で会場へとやってきた。
お茶会の会場は、クレイスフィー城の奥にある美しい温室だった。なにか魔法でもかかっているのか、まだ肌寒さの残る外とは打って変わってあたたかく、丁寧に剪定された木々や咲き誇る草花が庭を彩っていた。高い天井はドーム状に放射線を描いて、ガラス張りになっている。室内とは思えないほど広くて開放感があった。
一般に開放されている中庭も見事なものだが、こちらは限られた者しか出入りできない特別な庭園らしく、格が違った。メルセナは小道のレンガひとつ踏むことですら緊張した。
庭園の奥に精巧な彫刻の彫り込まれた四阿あり、その前に淡い浅葱色のドレスをまとったナシャ王妃が立っていた。父そっくりの女神みたいな美貌にほほえみを乗せて、彼女はゆったりとしたカーテシーでメルセナたちを出迎えた。その立ち居振る舞いひとつとっても、優雅すぎて惚れ惚れしてしまう。
「ようこそ、みなさま。本日はお越しくださりありがとうございます」
王妃様の鈴の鳴るような声でこんなふうに歓迎されたら、誰だって舞い上がってしまうだろう。あのリズセム王はどんな手段を用いてこの方を射止めたのかしら、メルセナはそんな品のないことを考えてどうにか正気を保った。
数々のお菓子が乗ったテーブルに案内され、侍女さんがしずしずと椅子を引いてくれた。
ナシャ王妃は、メルセナの斜め後ろに直立したヒーラを見て「あら」と長いまつげをぱちくりした。
「ヒーラ、あなたもどうぞ席にお付きになって。あなたの好きそうな甘いお菓子もありますよ」
「え!いいんですか!やったー」
ヒーラと書いてコミュ力おばけと読む。彼は一切の恐縮も遠慮もなしにメルセナの隣に着席した。メルセナの脳裏で、頭をかきむしって悪態をつくダラーの姿がよぎった。
「お砂糖はおいくつ?」
ナシャ王妃手ずからポットを傾けてくださるのを、止めるべきかこのまま受けるべきかメルセナにはわからなかったが、とにかく隣のヒーラに「ヒーラ、二つまでよ!二つまで!」と目で訴えかけるのに忙しくて、口を挟む暇もなかった。
「みなさまのお好みがわからなかったので、色々とご用意してみました。お口に合えばよいのですが」
彼女の言うとおり、テーブルのうえには色とりどりの焼き菓子やらケーキやら、ちょっとした軽食までさまざま並べられていた。宝石のようにキラキラ光っている、飴のかかったイチゴの乗ったひとくち大のケーキには思わず見惚れてしまった。こんな美しい食べ物が存在するなんて、やはり王城というところはすごい。
自身のお茶を淹れさせた侍女にナシャ王妃が目配せすると、すぐに心得たように侍女は目礼して、壁際に立っていた使用人たちは全員四阿から去っていった。行っちゃうの!?メルセナは目を剥いたが、ナシャ王妃は朗らかに言った。
「みなさまと気兼ねなく語り合いたくて、侍女には外していただきました。どうぞ楽になさって。今日は楽しみましょうね」
そう言うが早いか、ナシャ王妃は率先してひとくち大のサンドイッチを素手でつまんで口に放りこんだ。ふと手元を見ると、並んでいるのはどれも手づかみできるものばかりで、テーブルにはナイフもフォークも置いていなかった。昨日の晩餐で感じた細やかな気遣いも、ひょっとしたらこの王妃さまの采配だったのかもしれないとメルセナはピンときた。
「突然お呼び立てして申し訳ありません。わたくし、ずっとあなたにお会いしたかったのです。セーナとお呼びしてもよろしいですか?」
「そ、それはもちろん」
ナシャ王妃に愛称で呼びたいと言われて否と言える人類など存在しないだろう。メルセナは何度もうなずいた。ナシャ王妃は一切の音を立てずに紅茶を飲みながら、思いを馳せるように瑠璃色の目を伏せた。
「エルディがあなたを迎えた日のことはよく覚えています。まだ雪深い冬のことでした。クレイスフィーの門前で、何重にも毛布や葉っぱを巻かれていた赤ん坊のあなたを、訓練に出ていたエルディが見つけてきて。うふふ、あのときは城じゅうが、小さなエルフのお嬢さんに大わらわになったのですよ」
初めて聞いた話だった。冬に父に拾われたことは知っていたが、お城を巻き込んで騒ぎになったとは。
「うちのリズもラディも、ぜんぜん頼りにならなくて。ラディはミルクを沸騰させてあなたをやけどさせかけるし、リズは頬をつつくのすら怖がってお部屋に寄りつかないし。わたくしがおしめを変えて差し上げたこともあったのですよ」
「おっおっ、王妃殿下が!私のおしめを!?」
トレイズが思わずといった風に噴き出した。ゴホゴホ咳き込んでいる彼を横目でにらむと、トレイズは「失礼」と片手を挙げた。
「わたくしの初孫がこんなに立派なレディに成長するなんて、長生きはしてみるものですね」
「は、はあ」
ツッコミどころの多すぎる発言だったが、とはいえ王妃殿下に自分のような小市民が異議を唱えるわけにもいかず、メルセナはあいまいにうなずくにとどめた。
「えーと、その…ラディ王子から、王妃様が私に…つまりパパの、いえ、エルディの娘に会いたがってるって話は聞いたんですけど、あの…いまいち信じきれなかったと言いますか」
「そうかもしれませんね」
ナシャ王妃は一切の音を立てずに紅茶を一口飲んで眉尻を下げた。
「わたくしの自己満足に付き合わせてしまって申し訳ありません。大きくなったあなたとこうしてお茶を楽しむのが、わたくしの夢だったのです」
「え!?いえ、そんな!すっごく光栄です!」
メルセナはブンブンと両手を振った。
「私みたいなエルフの平民が、王妃様とお茶できるなんて、一生の自慢になりますし!パパが王妃様の息子だなんてラッキーっていうか…痛っ」
隣のトレイズに足先で小突かれて、メルセナはぱちんと口をふさいだ。要らぬことまで言ってしまうのはメルセナの悪い癖だ。
「え、えーと、とにかく、王妃様が謝るようなことはなにもないです」
こんな平民丸出しの言い方には慣れていないのか、王妃さまは瑠璃色の瞳をまんまるにしていた。せっかく「立派なレディ」扱いしていただいたのに、こんなんじゃちっとも淑女らしくない。ふしゅうと空気が抜けるように縮こまっていると、ヒーラがジャムをたっぷりのせたクラッカーを手にクスクス肩を震わせた。
「王妃殿下、セーナの口癖は『私、パパの娘でラッキーだったわ』ですから、これは彼女流の最上級の感謝の言葉ですよ」
「ちょっと、ヒーラ!」
メルセナは抗議の声を上げたが、ナシャ王妃がコロコロと笑ったので口をつぐんだ。天上の美とはこのことか、女神と見まがう麗しい笑顔にメルセナは見入った。
「それを言うなら、わたくしのほうこそ幸運でした。あなたのような可愛らしい方が、エルディの元に来てくれたのですもの」
全世界を探し回ってもこれ以上とない美少女にそう言われるのはなんともむず痒いが、悪い気はしない。照れてモジモジするメルセナをにこにこ眺めていたナシャ王妃は、ぱちんと白魚のような手を打った。
「そうでした、セーナ。あなたに贈り物があるのです」
「贈り物?」
ナシャ王妃が人差し指をくるりと振ると、穏やかな風が巻き起こって、庭園の奥からなにやら大きな箱がふわふわ運ばれてきた。トレイズが愕然とした様子で「無詠唱…」とつぶやいた。
古い長方形の木箱は、長いこと手入れもされていなかったのか、表面のペンキがところどころはげていた。ナシャ王妃は足元に置かれた箱の金具をぱちんと開いた。中身を見て、メルセナははっと息を呑んだ。
中に入っていたのは、うつくしい一本の杖だった。光沢を抑えた銀白色の細いロッドの先に、三日月を模った飾りがついている。弧を描いた月の両端からは、白い宝石のついた鎖が垂れて、天井からそそぐ陽の光に照らされてきらきらと光った。
「わあ、綺麗…」
くるくると回すと、シャラリと美しい音を奏でた。
「ロザリー地方の霊樹を芯にして、クリスタルを加工して作られた神杖です。わたくしが若い頃に使っていたものなので、古いもので申し訳ありませんが」
ぱっと見ではネルやルナセオとそう変わらない年にしか見えないナシャ王妃から杖を受け取ると、その軽さにまた驚いた。メルセナの背丈より頭ひとつ分は長いそれは、文字通り羽のように軽い。
「お気に召されましたか?」
「も、もちろん!でも、私なんかが使っちゃっていいんですか?私、杖の使い方も知らないのに」
自分のことだから、適当に振り回して傷つけてしまったら大ごとである。こんな逸品、メルセナが一生働いたって手の届かない代物に違いない。杖を壊した挙句に鉱山で働かされている自分までを想像して青くなるメルセナに、ナシャ王妃はくすくすと笑った。
「あなたに使ってほしいのです」
「だ、だけど」
「セーナ」
ごねようとしたメルセナの背中をヒーラがつついた。
「いいじゃないか。王妃殿下がくださるって言うんだから。もらっときなよ」
「そんな適当な」
だが、王妃様直々のプレゼントを固辞するのも失礼に当たるのではないか。メルセナは冷静になって、深々と頭を下げた。
「…あの、ありがとうございます!大事にします」
「はい。ぜひ、たくさん使ってくださいね」
ナシャ王妃は嬉しそうににこにこしている。まあ、ヒーラの言うとおり、せっかくの厚意なのだから気持ちよく受け取るべきだろう。メルセナは改めて杖の先を見上げた。女性らしくちょっと大人びた美しいデザインは、眺めているだけでも気分が舞い上がりそうだ。
「ロザリー地方の霊樹で作られた杖というと、世界統一戦争時代の遺物じゃないですか?」
トレイズが脇からまじまじと杖を眺めながらたずねると、ナシャ王妃はこともなげにうなずいた。
「さすがはトレイズ様。よくご存知でいらっしゃいますね。もっとも、こちらは当時の杖を芯にして打ち直したリメイク品ですが」
「…メルセナ、マジで傷つけるなよ。これ、オークションに出せば数億じゃ済まないぞ」
「すッ」
小声でささやかれた言葉に反射的に悲鳴を上げようとして、メルセナはパチンと口をおさえた。
「えーっと、そのロザリー地方っていうのは…」
「世界統一戦争で滅びた南西の帝国です。今は凶暴な魔獣が生息していて、わずかな末裔が身を寄せ合って暮らす隠れ里くらいしかありませんが、当時はこのシェイルと匹敵する大帝国だったのですよ」
世界統一戦争の話はいくつも読んだ記憶があるが、歴史書に残っているのは聖女様が世界を統一したあと、神都から姿を消すまでの話が主題になっているものばかりで、肝心の戦争に関しての話はメルセナもあまり詳しくはない。確かファナティライストが神都となる前は、五大都市はそれぞれが独立した国であり、お互いに戦争をしていたという。西側の国は今のクライディアを残してあとはすべて滅びてしまったというから、ロザリー地方もその亡国のひとつなのだろう。
「旧ロザリー帝国は魔法の発達した神秘的な国だったって話だ。俺も行ったことはないけどな」
「山岳に囲まれた美しいところですよ。薔薇園にかこまれた大図書館があって。もしかすると巫女様がたの旅のお役に立つことがあるかもしれませんね」
「図書館?」
メルセナは聞き捨てならない言葉にピンと耳を立てた。
「かつての帝国で保管されていた戦前の資料が数多く残されているのです。神都の方針で、五大都市では戦前の記録は破棄されてしまいましたから…太古の歴史や失われた魔術を知るのであればロザリーの大図書館を訪れるのが一番でしょう」
「わああ…」
美しい隠れ里にある大図書館。聞いただけでも心躍る響きだ。メルセナはすっかりその気になって飛び跳ねた。
「行きたいわ!」
「待て待て、まずは王殿下の依頼を果たしに行くんだろ。で、そのあとは神都に渡って世界王と謁見。当分ロザリーに行く余裕はねえよ。ほぼ大陸の真反対だし」
トレイズに制されて、メルセナの興奮がしゅんとしぼんだ。言われてみればその通りだ。ルナセオも心配だし、神都にはなるべく早く行きたい。
「パパに頼んで転移魔法を使えば日帰りで行く方法も…いや、でも帰り道がどうしようもないわね。もう、パパったらちゃんと引き継ぎ書を作っておけばよかったのに」
「じゃあ次の機会に備えてセーナからも言っておいておくれよ、君のパパに。娘のバカンスの送迎のために引き継ぎ書を用意しておけってさ」
ケーキをもぐもぐしながらヒーラが口を挟んだ。彼は我が家かというくらい遠慮なくテーブルの上の品々を腹に収めている。
メルセナはため息をついて杖を箱に戻すと、自分も可愛らしい色をしたマカロンをつまんだ。とにかく、さまざまな心配ごとを解決するほうが先決だ。大図書館は逃げないのだから。とりあえず目下やるべきことは、これを逃せば一生食べる機会もなさそうな、王城のシェフご自慢のスイーツを食いっぱぐれないようにすることだろう。




