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リズセム王にそれを言われるまで、メルセナは今のいままで、ネルが赤い印を得た経緯を知らなかったことにも気づいていなかった。この旅の間、彼女の故郷の話や、友人の話、デクレの話、いろいろな話をしていたのに。
そして、きっとネルは意図的に話さなかったのだと分かった。王様の言葉に、彼女の表情が明らかにこわばったからだ。
「あの、でも、リズセムさまは全部知ってるんじゃあ…?」
「もちろん報告は受けているとも。ただ、僕が聞きたいのは、君自身にしか説明できない、実際に君がなにを見て、なにを感じたのかというところだ。その印の意志は、他の者は誰も触れないものだからね」
観念したのか、ネルはゆっくりとフォークを置いた。彼女はしばらく黙っていたが、やがてのろのろ口を開いた。
「あの、ラトメの暴動の日…わたし、神護隊長のレインさんに連れられて、神宿塔に行ったの」
彼女は食べかけのサラダに視線を落とした。
「神宿塔に封印されている巫子の印を手に入れてラトメから逃げろって、レインさんが言ったの。世界の滅びも、クレッセの命も、好きに選んでいいって」
「アイツがそんなことを?」
トレイズが思わずと言った風に口をはさんだ。ということは、ネルが巫子の印を得たのは、メルセナやルナセオと出会うまさにその直前だったことになる。
リズセム王が椅子の背もたれに身を預けて先を促した。
「それで君は神宿塔にある、あの聖女の封印を解いたわけだ」
「聖女の封印?封印されてたのは巫子の封印じゃないの?」
メルセナが尋ねると、ネルは首を横に振った。
「ステンドグラスにね、聖女さまの姿が描かれてたの。わたし、封印を解いたとき、気づいたら赤い花畑の中にいて、聖女さまに会ったの。聖女さま、すごく喜んでた。やっとここへ来てくれる人が現れたって」
メルセナも印を継承したときに謎の夢を見たが、それとはなんだか様子が違う。ルナセオはどうかと思って振り返ると、彼は何か考え込むように真剣な表情でうつむいていた。
「聖女さまはわたしを助けてくれるって言ったの。そしたら今度はぜんぜん違う場所…大きな机のある部屋にいて、わたし、聖女さまの中に入ったの。今度は聖女さま、すごく怒ってた。みんな自分の思い通りにならないって。それで…」
ネルは言葉を切ってリズセム王をうかがった。
「あの…ごはん食べるときに話すことじゃないんだけど」
「気にするこたないよ。一緒に鳥の羽をむしった仲だろう?」
ろくな夢ではないのはメルセナにも分かった。6番の印だって、現実のレナの存在もあいまってなかなかの恐怖体験だった。
「えっとね、聖女さまは仲間たちをみんな殺しちゃったみたいだった。1番から10番まで。5番と9番以外のひとたちみんな、首を吊って死んでたの」
10番まで。メルセナは反射的に自分の左手首を見下ろした。巫子の印と同じだ。
「聖女さまは、5番を…レフィルを倒すのに失敗したみたいだった。レフィルは、聖女さまとふたりで、5番の印を分けあうんだって言って…」
「ちょっと待って!」
ルナセオがこめかみを押さえながら制止した。
「ネルを狙ってるレフィルってやつ、一体何歳?聖女さまの時代なんてもう何百年も前の話じゃん」
「そういう者は比較的いらっしゃいますよ。例えばここにいる僕の両親とか」
「あ、うん、まあ…そっか」
王夫妻を見て、ルナセオは釈然としないながらもどこか納得がいったような顔になった。不死族じたいを知らなくとも、見た目と実年齢がそぐわない者がこうして目の前にいるのだから受け入れざるをえまい。
それでも、不死族はそもそも数が少ないというし、その中で何百年も生き続けている者がいるとは思わなかった。聖女様の時代なんてメルセナたちからすればおとぎ話だ。
「ま、不老不死なんて巫子だけの専売特許でもないしね」
リズセム王はのんびり言った。
「で、君が目覚めたあと、ステンドグラスはどうなっていた?」
「それが…聖女さまが消えてたの。花畑の絵だけになってて」
「じゃあやっぱり、聖女は『そこ』にいるわけだ。聖女由来の5番の意志と一緒に」
そこ、と言ってリズセム王はフォークの先をネルに向けた。宰相が疑わしげにネルを見ながら眉根を寄せた。
「しかし、なぜこんな小娘に、聖女の封印が破れたのです?偉大なる魔術で封じ込めたものだと殿下はおっしゃっていたではないですか!」
「封印を守るべき“神の子”が牢屋の中だからねえ。とはいえ、彼女自身に聖女の資質があったってことじゃないかな。事実、神護隊長くんだってそう思ったから彼女を神宿塔に連れて行ったわけだし」
「あの封印って、そんなに有名だったの?」
ネルの質問に、ナシャ王妃がくすりと笑った。
「聖女様の魂をあの場に封じたのは、わたくしとこちらのリズセム殿下です。当時の9番の要請をお受けして、いく人かの仲間たち、そして世界王陛下と“神の子”と協力いたしました」
「そんな話、聞いたこともない!」
9番の?メルセナがすっとんきょうな声を上げる前に、トレイズが顔を真っ赤にして立ち上がった。
「長らく“神の子”に仕えていたが、俺はあの方から9番と結託したなんて話…まして世界王と一緒にことをなしたなんて!」
「そりゃ言わないだろうさ。親愛なる聖女様を封じた、それも宿敵の世界王とともに、だなんて。露見したらラトメじゃ間違いなく極刑だ」
ラトメディアと神都ファナティライストは長らく宗教がらみで争っていた因縁の関係で、次に戦争が起きる可能性があるとしたらそれはラトメと神都、なんてささやかれている。そのトップ同士が実は裏でつながっていたとしたら、民たちは複雑かもしれない。
だが、そうまでして聖女様を封印するだけの理由があったのだろうか?メルセナはおずおずと手を挙げた。
「ねえ、でも、聖女様って、世界中の戦争を終わらせてこの世界を平和にした英雄でしょ?なんで封印しなきゃならなかったの?」
「彼女の話を聞けば、聖女の人となりは予想できると思うけど」
ネルを指しながら、リズセム王は肩をすくめた。
「傲慢不遜で、我こそが頂点だと思い上がった甘えたな娘さ。実際にその時代を見たわけではないけれど、あの様子では聖女が世界を統一したというのも怪しいね。実際に戦争を終結させたのは周囲の仲間で、聖女はお飾りだったと考えるのが自然だ」
戦争を終わらせたのは聖女様。そんな歴史の常識が嘘っぱちだったとしたらもはやなにを信じればよいのか。
「細かい経緯はともかく、まず最初に9番の印が作られた。聖女を打ち倒すためにね。それに対抗するために聖女は残り9つの印を作った。材料はもちろん、仲間たちの命だ。
しかし聖女はしくじった。レフィルを殺し損なって、5番の印は不完全。そればかりか自分自身を印の材料にされてしまった…ってワケさ」
メルセナはもう一度自分の印を見た。あの夢の中で、6番を追いかけていたあどけない少女。6番はその少女をひどく恐れていて、木箱の影に隠れて震えていた。少女は清楚な顔立ちに不釣り合いなナイフを、6番に向けて振り上げた…
あの少女が聖女様だとしたら、確かに「あれ」は歴史にあるような英雄とは思えない。どちらかというとあれこそ世界を滅ぼしそうな存在だ。
「僕たちは聖女さえ封じてしまえば、金輪際巫子は現れなくなると思った。聖女を倒すのが最終的な9番の目的だし、聖女の意志がなければほかの印も現れなくなるだろうと踏んだのさ。だけど、聖女を封じたあとも巫子は現れ続けた。封じているはずの5番も含めて10人とも」
「…夢の中で、レフィルは『ふたりで5番の印を分けあうんだ』って言ってた」
「それだ」
リズセム王は猫のようににいと目を細めた。
「たぶん、5番の印は二種類ある。君の宿す聖女由来のものと、本来作られるはずだったレフィル由来のもの。おそらく聖女だけを封じても意味がなかったんだ。もうひとり、5番の意志を操れる、レフィルも倒さなければ」
「そのレフィルって奴を倒せば、もう巫子は現れなくなるってこと?」
ルナセオが顔をしかめて尋ねると、リズセム王は「僕の仮説が正しければね」となんてことはなさそうに言った。
つまり、あのレフィルという少年が黒幕ということでよいのだろうか。しかし、ネルは表情を曇らせた。
「レフィルを殺せ、ってこと?」
「命を取るかは向こう次第だね。なに、実行するとしたらここにいる騎士の誰かになる。君たちには、レフィルの尻尾をつかむ手伝いをしてほしいってだけさ」
それは直接手を汚さないだけで、レフィルを始末するまではこの王の命令に付き合えということだろう。それに、レフィルを倒したところで、クレッセを救える保証はないのだから、結局メルセナたちに倒さなければならない敵がひとり増えただけだ。
リズセム王はハタハタと手を振った。
「むしろ聖女の魂が君の中にある以上、今や君自身が聖女といって過言ではない。レフィルのことより、君は自分のことを心配したほうがいいんじゃないかな」
「殿下」
ギルビスがわずかに眉を潜めて声を上げたが、王様はまったく気にした様子もない。
聖女様がネルの中にいることで、彼女はどうなってしまうというのだろう。聖女様のように恐ろしいひとになってしまうのか、それとも…
なんだかムカムカしてきて、メルセナはネルの肩に手を置いた。ちょうど逆側の肩をルナセオがつかむのと同時だった。
「おかまいなく!」
「そうならないように、私たちが守ればいいんでしょ?」
「セオ、セーナ…」
リズセム王は冷ややかな瞳でそれを見ていたが、直後、おなじみの眩しい笑顔でパチンと両手を叩いた。
「そーいうこと!いやー、頼もしい巫子たちでなにより。せいぜい聖女くんが得た力を無駄にしないように守ってやりたまえ」
そのままケタケタと声を上げて笑うさまを呆然と見ていると、壁際からヒーラとローシスが「性格が悪い」「腹黒」「弱い者イジメ」と小声で罵ったが、宰相に凶悪な視線で睨まれてあさっての方を向いた。トレイズがため息をついて、「バカ、謀られたんだよ」とささやいた。
リズセム王は普段の調子に戻って呼び鈴を鳴らした。またもゾロゾロと給仕が現れて、颯爽とサラダの皿を魚料理に入れ替えた。トレイズへの気遣いなのか、すでに一口大に切られてフォーク一本で食べられるようになっている。
「真面目な話はおしまい!さあ、ここからは我が都市の料理を堪能するといい」
◆
「食事はおいしかったけど、やっぱりムカつくわ!」
晩餐を終えてあてがわれた部屋に向かう道すがら、メルセナはまだムシャクシャしていた。チリ一つ落ちていない廊下をドスドス足を踏み鳴らして歩くと、案内役のヒーラが「セーナは度胸があるなあ」とニッコリした。
「僕は殿下に逆らうなんて恐ろしくてできやしないよ」
「うそ言わないでよ、アンタが王様に毒づいてるの、ちゃんと聞こえたわよ」
リズセム王はまったく気にしちゃいなかったが、本来ならあの茶々だけで斬首になったって文句は言えないはずだ。
ヒーラは騎士服の襟元をゆるめながらお気楽に言った。
「まあ殿下はあの通りのお方だから。僕も初めて拝見したときはビックリしたなあ。見た目はお子様、中身は魔王だからね」
「魔王って悪役じゃない」
「でも、この都市を誰よりも愛しているのは間違いなくあの方だと分かっているから、僕ら騎士はあの方のために命を賭けるし、どんな命令でもこなすのさ。もちろん職務の範囲内で、だけど」
メルセナはむうと唇をとがらせた。なんだか立派な騎士様になってしまった友人に置いてけぼりを食らったような気分だ。
メルセナに与えられた客室の前で立ち止まって、ヒーラはくるりと振り返った。
「それより!僕もセーナを手助けできるんだ。今日ほど一等騎士になれてよかったと思った日はないよ」
「うーん、ヒーラはいいの?巫子とか聖女とか、どう考えても厄介ごとに巻き込まれてるじゃない」
巫子になってしまったメルセナはともかく、ヒーラにとってはなんの義理もない任務だろうに。まして彼は不死族でもただの人間だ。メルセナはうかがうようにヒーラを見上げた。実は彼も内心では面倒だとか貧乏くじを引いたとか思っているのではないだろうか。
しかし、ヒーラはキョトンとして首をかしげた。
「なんでだい?名誉なことじゃないか。巫子なんておとぎ話だと思ってたけど、そんな特別な方々を守れるんだから」
「気持ち悪いとか思わないわけ?私、不老不死なんだけど!」
ぱっと両腕を広げてみせると、ヒーラは目を丸くして、それから弾けるように笑った。
「あはは!なんだ、セーナ、そんなことを気にしてたの?」
ぽかんとしてヒーラを見上げると、彼はメルセナの頬を両手で挟んでくにくに揉んだ。
「ふぁにすんのよう!」
「いいじゃない、赤の巫子。セーナのケガの心配をしなくていいしね」
「そ、そんなレベルの話じゃないでしょ?あのねヒーラ、不老不死なのよ?槍で刺されようが崖から落ちようが死なないのよ?いや、何やっても死なないかは分からないけど!」
「そんなレベルの話さ。僕にとってはね」
ヒーラはメルセナの頬を解放して、ポンポン頭を叩いた。
「僕にとっては、君はいつだってただのセーナさ。エルフだろうが不老不死だろうが変わらない」
ヒーラの蜂蜜色の瞳が、薄暗い夜の廊下の中で一等星のように光っていた。彼は身を翻して去っていこうとして、廊下の角を曲がるときにブンブン手を振った。「明日また迎えにくるから!おやすみ!」と叫んで。
彼が見えなくなったところで、メルセナは自分で自分の頬をこねた。顔がカッカと熱くなっているのが自分でもわかっていた。どうにも腹立たしくて、メルセナはどすんと足を床に叩きつけた。
「…ヒーラのくせに!」




