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「詰め所に行くんじゃないの?」
メルセナたちは、ギルビスの案内でクレイスフィー城に入った。遠目に受付の女性がメルセナを見つけて片手を挙げている。メルセナもそれに応じながらギルビスの後を追ったが、向かっているのは騎士団の詰め所がある方面とは別の廊下のようだ。
ギルビスは苦笑した。
「王殿下ご家族が是非巫子たちと夕食をともにしたいとのご意向だ。侍女たちにしたくを手伝うように指示しておいたから、旅の汚れを落としておいで」
「王様たちと食事!?」
城の中だというのに、仰天して大きな声が出てしまった。
「ギルビス、私たち王族と会食できるようなマナーなんてないわ」
「まあ、あの方々の無茶はいつものことだから」
彼が誰かに振り回されているところなど想像もつかないが、さしものギルビスもあのリズセム王には苦労しているらしい。彼の台詞には実感がこもっていた。
「下々の生活まで熟知されている皆様だ、なんとかなるよ。一応給仕や料理人には、巫子たちが困らないように配慮してくれと頼んでおいた」
「…もちろん、俺は参加しなくていいよな?」
いちばん後ろにいたトレイズが恐る恐る口を挟んだ。
「なに言ってんだよ。子供たちだけ王族の前にほっぽりだして逃げる気かい?」
そう言うと、ギルビスは昔の仲間に向けてにっこり笑ってみせた。
「いい機会だから殿下がたの前に出る前に髪を切って髭を剃れ。付き添いで来た隻腕の男はことさら磨いておいてくれと言ってある」
「お前…まさかそれが目的で自ら指示出したな!?」
「会食には私も警護で立ち会うから。君がどれだけ変身を遂げるか楽しみにしてるよ」
なんだかトレイズに対するギルビスの態度は、メルセナや部下たちに対するよりも気安く見える。うなされるトレイズにネルが首を傾げた。
「トレイズさんとギルビスって仲良しなんだね」
「そう見えるか?」
当のトレイズはげんなりしていたが。
◆
世の中のお姫様というやつは、豪華なドレスを身に纏い、きらびやかなダンスホールで素敵な貴公子と踊る、それくらいの貧困なイメージしかなかった。
本来はメルセナが足を踏み入れることが到底かなわない、城の上階にある客室に放り込まれ、物理的に「旅の汚れ」を落とされているメルセナは遠い目をした。
城のメイドにも友達はいるが、だいたいは入り口近くで働く下働きなので、こんな上階の王族の居住地に近いところで使えている侍女たちに顔なじみはいない。お上品なしずしずとした表情にそぐわない力強さで垢を擦られると、まさか平民ごときがこんなところまで来たからいじめられているのかと思わなくもない。
しかし、メルセナの被害妄想をよそに、侍女たちは完璧に職務をまっとうした。散々擦られて揉まれて塗りたくられたメルセナは、人生で最もモチモチになった自分の肌を自分の頬に触れながら愕然とつぶやいた。
「お肌のハリが…違う…!」
いや、姉さん見た目は10歳かそこらでしょ、とルナセオあたりなら言っただろうが、あいにくそのような無粋なコメントを言うものは室内に存在しなかった。侍女たちは労りあうように満足げに頷きあっている。
とはいえ毎日こんな重労働を課せられてまでオシャレしたいかと言われると、答えは否だ。別室に連れて行かれたネルとルナセオに合流すると、ふたりもすでに満身創痍だった。
「でも、たぶん俺たちだいぶ手加減してもらってるよ」
ルナセオが首元に巻かれたループタイを窮屈そうにいじりながら言った。
「本当なら王様との食事なんて、こんなカジュアルな格好じゃできないはずだし」
「これでカジュアルなの!?」
絶望した様子で叫んだネルは、清楚なAラインのワンピース姿だ。裾に細かいレースがついていて、素朴な顔立ちのネルによく似合っていた。一方、メルセナは花柄の刺繍の入ったオーガンジーを重ねたワンピースで、一歩足を踏み出しただけでふわふわとなびく。
ルナセオもベストにニッカポッカを合わせたいいところのお坊ちゃんみたいな様相だ。確かに、父の騎士の礼装などはもっとゴチャゴチャジャラジャラしている。もっとも、着飾った父は劇物なので滅多に袖を通さないが。
「無理無理、お貴族さまはコルセットを締めて重たいドレスを着るんでしょ?それも憧れるけど、私には一生縁がなくていいわ。肩が凝っちゃうもの」
しかも昼と夜と部屋着と外出着でそれぞれ着る服も異なるそうだ。毎日何度もあの戦いを経ているのだとしたら、世のお嬢様は歴戦の猛者たちに違いない。
私ってば庶民でよかったわ…しみじみ父に感謝していると、にわかに廊下の外が騒がしくなった。
「…帰る!俺はもう帰る!」
「そんな面白い格好しておいて今更だね。腹を括れよ」
子どもたちで顔を見合わせていると、部屋の扉が開かれてギルビスが現れた。その後ろに見慣れない身なりのよい男がコソコソと続く。
背の高い男だった。つるりとした顎をさすりながら、金の瞳を軽く伏せて顔をしかめている。赤錆色の混ざったブラウンの髪は後ろになでつけて固められ、少し頬骨の浮いた男の精悍な顔立ちがあらわになっていた。
「…トレイズ、さん?」
ネルが呆然と尋ねたところで、こらえきれなくなってメルセナは吹き出した。ルナセオと一緒になって腹を抱えて大爆笑していると、トレイズはイライラと部屋から出て行こうとしてギルビスに首根っこを掴まれていた。
「ほら!ほらな、こうなるって思ってたんだ!俺には礼装なんて似合わねえって!」
「いや…いやいや、似合ってるって、ふふ、ははは」
ルナセオがフォローを入れようとして失敗した。
それもそのはず、ある程度カジュアルな衣装で許してもらったメルセナたちに対して、トレイズはきっちり三揃いの燕尾服、しかもからっぽの袖を隠すようにペリースまでかけている。普段とは異なるお固い服装に緊張しているのか背筋が伸びていて、いつもよりぐっと背が高く見えた。浮浪者じみた無精髭は剃られてまるで別人のようだ。
「かっこいいよ、トレイズさん」
大変身を遂げたトレイズに、ネルだけが純真に褒めた。
「いいんだぞ、お前もあいつらみたいに笑って」
「人の厚意が素直に受け取れない奴だな」
ギルビスが腕を組んで、旧友の脛を蹴った。悶絶するトレイズを放って三人を誘導しながら、彼はメルセナたちを振り返った。
「さて、王家の方々の準備も整ったようだから、食堂に案内しよう。申し訳ないが、王族の方が着席するまでは起立して待っていてくれるかい?あとは特にマナーも気にしないでいいから」
マナーを気にするなと言ったって、どのレベルまでなら許されるのだろうか。生まれてこの方、一回の食事にフォークを二本以上使ったことのないメルセナが、王族の前で何か口にするだけでも失礼にあたりそうだ。
ギルビスに連れてこられた食堂に入って、メルセナは声を上げそうになってぱちんと口を押さえた。黒い騎士服を纏った三人の男が、壁際に揃って並んでいた。
「細かい紹介は今度にするが、我がシェイルディア騎士団の一等騎士たちだ。今後も君たちも会う機会があるだろうから、護衛がてら同席させていただくよ」
「パパは?」
父の麗しい騎士姿はどこにも見当たらない。すると、端にいたヒーラがパチンとウインクした。
「あの調子じゃ、今夜は紙の束と一夜を共にすることになりそうだね」
「ヒーラ、余計な口を叩くな」
右端の騎士がきつい口調で言った。プラチナブロンドをオールバックにした厳格そうな男は、シェイル騎士団の副団長であるダラーだ。どこかの貴族出身だとかで、やれ礼儀がどうだとか風紀がどうだとか、やいのやいのうるさいのでメルセナとは反りが合わない。
「浮かれて職務を果たせなくなったら、お前を一等騎士から解任するからな」
「そりゃないぜ、ダラー殿!」
真ん中のローシスが大口を開けて笑った。
「セーナ嬢のいなかった時のヒーラ坊ときたら、かわいそうに砂糖をむさぼるだけのしかばねみたいになっちまって。少しぐらい浮かれたって許してもらわなきゃ。なあ?」
「さっすがローシス殿、話がわかる!」
砂糖をたらふく摂取できるだけの元気があるなら大して落ち込んでないんじゃないかしら、メルセナはヒーラの腹を見ながらため息をついた。体質なのか、甘党を通り越して砂糖を瓶ごと食べられるヒーラは、どれだけ糖分を摂取しても肥満知らずだ。
ギルビスは剣を抜くと、他の騎士にならって床に突き立てるように構えた。
「王殿下より、君たちを保護する許可をいただいた折、彼らには私の知る限りの事情は話してある。何かあれば彼らを頼るといい。我がシェイルディア騎士団の中でも腕利きの者たちだ」
「なに、我らが騎士団の姫が赤の巫子の大役を仰せつかったとなれば、この城の者は誰でも助けになりますよ」
ローシスが言うと、ヒーラもうんうん頷いた。
「この許可ひとつもぎ取るのに王殿下の行方をひと月追い続けたギルビス様の苦労も報われますね!」
「うん、ヒーラ。やっぱり君は黙るといい」
メルセナは、馴染みの騎士たちが普段どおりの態度であることに、ほっと力が抜けるのを感じた。どうやら、自分で思っている以上に彼らが受け入れてくれるかどうか不安だったらしい。
ひとりだけ、ダラーは苦い顔だったが。
「この中の誰も言わないから私が言うが、巫子よ。貴殿らを迎え入れた王族の皆様に感謝するがいい。本来ならば、いち平民が王殿下と食事を共にするなど許されない話だ」
「こーいうヤツなのよ、ダラーって」
メルセナは隣のネルに小声で説明した。
「王族第一。第二、第三はなくて、第四がギルビスってかんじ。私、ギルビスにお茶入れてもらった時散々嫌味を言われたもの」
職務に忠実といえば聞こえはいいが、ダラーは頭が固すぎるのだ。もちろん、副団長に上り詰めるだけの実力はあるのだろうが。
そのとき、不意にギルビスが表情を引き締め、下ろしていた剣を上げて構えた。ほかの騎士たちも即座にそれに従う。すぐに食堂の扉が開いて、リズセム王が手を挙げて入ってきた。
「やあ諸君!待たせたね。うちの宰相がグチグチ口うるさいものだから時間がかかってしまったよ」
「殿下!私は殿下の身を思えばこそで…!」
後ろに付き従っているのはローブを着た真っ白な髪の老人で、さらにそのあとをふたりの男女が続いた。片方はラトメで別れたラディ王子、もう片方の女性が、例の王妃様だろう。
王族三人がメルセナたちの向かいに着席し、宰相が王の背後に立つと、リズセム王はメルセナたちに座るよう促してテーブルの上のベルを鳴らした。
すぐに給仕たちが入ってきて、メルセナたちの前に美しく盛りつけられたサラダとフォークが置かれた。なるほど、テーブルの上にカトラリーがないと思っていたが、食事ごとに必要な食器を用意してくれるらしい。配慮が行き届いている。
リズセム王はグラスを掲げて小首を傾げた。
「さて、何に乾杯しようか。ここは手っ取り早く世界平和でも祈っておくかい?」
「父上らしからぬ高尚さですね」
ラディ王子がほほえむと、それもそうだとリズセム王は頷いた。
「じゃあ無難に、今後の我がシェイルの繁栄と巫子との友愛に乾杯!」
触れただけで割ってしまいそうな繊細なグラスを掲げると、シャンデリアの明かりに反射してきらきら輝いた。
「殿下、わたくしどもを是非巫子様に紹介してくださいな。わたくし、お会いするのをとても楽しみにしておりましたの」
言い出したのは、こちらから向かって王の右隣に座った王妃様だ。リズセム王同様、まだ十代半ばかと見紛う目の覚めるような美少女だ。絹の糸のようにつややかな銀の髪、宝石をはめこんだような瑠璃の瞳。肌なんか真っ白で、頬と小さなくちびるがしとやかにピンク色に染まっていた。なるほど、父の美貌は彼女に由来しているらしい。
「それもそうだ。君たち、彼女は僕の最愛の妃でナシャ。おっと、男性諸君は名前を覚えずとも構わないよ。我が妻の造形美は芸術を超えた完成度だが、だからといって他の男に色目を使われては嫉妬で狂ってしまいそうだからね」
「ふふ、リズったら」
しかも声まで小鳥のさえずりのように美しい。ナシャ王妃は優雅な手つきでフォークを置くと、両手を胸に当てた。
「ご紹介にあずかりまして、ナシャでございます。ルナセオ様とトレイズ様は一度お会いしましたね。巫子様がたにお目通りが叶い光栄です」
「あ、どうも…」
ルナセオは圧倒的な美を前にしてまごついた。
「それでこっちが息子のラディ」
リズセム王は逆どなりのラディ王子には不躾にフォークの先を向けたが、本人は慣れっこの様子でメルセナたちにほほえんだ。
「ラディと申します。道中、父と遭遇したとのことでさぞ迷惑をおかけしたでしょう。父に代わってお詫び申し上げます」
「いっ、いえ、そんな!」
ネルがぶんぶん首を横に振った。
「あの、すごく楽しかった、です」
「どうせウチの城に来るんだから一緒に行動したっていいじゃないか。迷惑ったってせいぜい視察に付き合ってもらったくらいだよ」
「父上は歩く災害ですから。もう少しあなたが周囲に与える影響を自覚なさるとよいでしょう。エルディの苦労が目に浮かぶようです」
「ところでガキンチョは?」
リズセム王が壁際の騎士たちを見ると、ギルビスが胸に手を当てて一礼した。
「ためこんだ書類仕事と格闘中です」
「なんだい。じゃあこの機会に娘にあることないこと吹き込んでやろうか」
「父上、本題を」
リズセム王の知る父の「あることないこと」もたいへん興味があったが、ラディ王子にさらりと流された。リズセム王はつまらなさそうに鼻を鳴らして頬杖をついた。
「まったくこっちの息子はからかい甲斐がなくてつまんないなあ。まあいいさ。君たちの事情は道中でだいたい聞いたし、こちらの情報網である程度のことは知っている。9番を助けたいというのが君たちの意思ならおおいにやりたまえ。この都市で保護するのもやぶさかではないし、世界王陛下やロビ坊に会いたいと言うなら力も貸そう。
…ただし、タダではない」
周囲の空気を操るのも王の資質なのだろうか、リズセム王が真面目な話をはじめると、ピリリと室内の空気が張りつめた。メルセナたちの顔が固くなるのに対して、リズセム王はほほえみを絶やさずに言った。
「我がシェイルに恭順を誓い、僕の手足として何くれと働いてくれるなら、その見返りに僕は君たちの安全を保証しよう。君たちだって、僕が無償で君たちを守る気だとは思ってないだろう?」
もちろん、リズセム王がメルセナたちを守ってくれるなら、彼のために働くことに否やはない。ただ、この食えない男があえてそんなことを言いだすと、どんな無理難題を言い出すか心配になってくる。
さすがに命を危ぶむことにはならないはずだ、メルセナは腹をくくって頷いた。
「ならばいい!是非とも君たちの働きを期待しているよ。じゃあ手始めにひとつ教えてくれたまえ」
パチンと両手を叩いた王様は、心の奥の奥まで見透かしてしまいそうな抜け目ないまなざしで、まっすぐにネルを見た。
「聖女くん。恭順の証にこの場で話してくれるかい?君がいつ、どうやってその印を手に入れ、なぜレフィルに狙われているのかを」




