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 おそらく、黒マントさえ羽織っていなければ、メルセナは彼らが巫子狩りだとは気づけなかっただろう。視線の先にいるのは、それだけ普通の少年少女だった。

 メルセナの家を仁王立ちで見上げる気が強そうな小麦色の髪の少女に、もう一方の気の弱そうな少年が訴えた。

「ねえローア、もう帰ろうよ。いい加減先生に怒られちゃうよぉ」

「ダメよ!まだひとりも巫子を見つけられてないじゃない」

艶やかな髪をバレッタで留めた少女はギロリと小柄な少年を睨みつけた。

「悪しき巫子を捕まえたら、勝手に転移陣を使ったことなんてチャラよ、チャラ!それどころか評価も上がるわ。パパの役にも立てるもの」

「僕、もうやだよ。巫子って本当に怖いんだから。ローアは会ったことないから分かんないんだよ」

少年はしゅんとうなだれた。

「先輩たちもみんな死んじゃった…」

「だ、か、ら!私たちで仇を討ってやろうって言ってんじゃない!」

いきり立った少女は少年の頬を引っ張り、閑静な住宅街に少年の悲鳴が響きわたった。


 なんだか妙な連中だ。不死族ではなくふつうの人間のように見えるが、ひょっとしてネルやルナセオよりも年下ではないだろうか。彼らが父に大怪我を負わせ、ルナセオの同級生を殺したあの巫子狩りだとは。


 どこか間抜けなふたり組は、メルセナの家の前から立ち去ろうとしていた。

「そうと決まったら今日も巡回よ!絶対に今日こそ巫子の尻尾を捕まえてやるわ。行くわよ、トック!」

「なんだかなあ…」

一目散に駆け出していく少女のあとを、少年がとぼとぼついていく。とにかく我が家に押し入られるようなことがなくてよかった、ほっと息をついたところで、トレイズががしりとルナセオの肩をつかんだ。

「ルナセオ、落ち着け」

「俺は落ち着いてるよ」


 ルナセオはそう言ったが、どう見ても冷静なのは口調だけだった。猫のように鋭くなった瞳孔は、まっすぐに巫子狩りのふたり組に注がれていた。彼の指は、腰に留められた、鋭い刃のついたチャクラムの持ち手に引っかけられていた。

 とにかく彼を行かせるまいと、メルセナはルナセオの腰に張りついた。

「なに?どういうこと?」

「あいつは…」

トレイズの顔が曇った。気遣わしげにルナセオを見るので、ネルとメルセナもつられてその視線を追うと、ルナセオは燃えさかるまなざしで巫子狩りたちの消えていく路地の先をじっと見据えて唸った。いつもの温和な彼らしからぬ、冷たく憎しみの滲んだ声で。


「あいつだ。あの小さい巫子狩り。あいつがラゼを殺したんだ」



 ルナセオをなだめすかして入った食堂はにぎやかだというのに、メルセナたちのテーブルだけ葬式のようだった。こんな深刻な空気でハンバーグなど頼むものではなかった。後悔しながらメルセナはフォークを突き立てた。

「あんな子供が危ない武器持って巫子狩りやってるなんて、神都ってやつはそんなに人手不足なの?男の子のほうなんて私とそう身長が変わらなかったわ」

 その男の子のほう…あの気弱そうななりでルナセオの同級生を殺したというのだから世も末だ。トレイズは顔をしかめたまま首を振った。

「見た目は子供でも、奴らは特殊な訓練を受けた殺しの専門家だ。甘く見ると痛い目見るぞ」

「あの子たち、『悪しき巫子』って言ってたね」


 ネルの言う通り、あのふたりは巫子があたかも悪党であるような口ぶりだった。神都の子供は巫子のおとぎ話を知らないのだろうか?

 確かに巫子は9番を殺すのが役目なのだから、それが正しい行いだとはメルセナだって思っていない。とはいえ、それも9番が世界を滅ぼすのを止めるためという大義があってのことだ。

 巫子が悪いやつだという教えだから、それを狩ろうとしている…肉をもぐもぐ噛みしめながら考え込んでいると、ようやく落ち着きを取り戻したルナセオが真っ赤なソースのかかったパスタを巻き続けながら言った。

「巫子がなんで悪者扱いなのかはともかく、あっちは俺を恨んでるだろうな。レクセで襲われたとき、あいつ以外の奴を全滅させちゃったし」

まるで「寝坊しちゃったし」くらいの気軽さでそんなことを言うので、メルセナは一拍おいてからギョッとした。食事時になんてことを言うのだこいつは!メルセナは慌ててあたりを見回したが、この昼時の喧騒で、こちらの会話に気を留めている者など誰もいなかった。

 ルナセオは大きなかたまりになったパスタを口に放りこみながら平然と続けた。

「少なくともあの巫子狩りからすれば、俺は凶悪な人殺しだと思うよ。まあ俺からしてもあいつは悪党だからお互いさまだけど」

「食事しながら話すことじゃないでしょ…」

口の端に赤いソースをつけながら言われると不穏さしか感じられない。


 グレーシャが彼のことを「心のイヤなことを感じるところがぶっ壊れている」と評していたが、どちらかというと、善悪を測る計器のほうが狂っているような気がする。9番だった父チルタはその点「まとも」に見えたから、これはルナセオの本質なのかもしれない。

 思えばレクセで遭遇したレナとの一件でもそうだった。ルナセオは「自分にとって悪いやつなら殺していい」と本気で思っているのだ。ただ、彼自身は温厚で許容範囲が広いから、その一面が表に出てこなかっただけだ。


 気付きたくなかった、すっかり食欲を失ってフォークを置いたメルセナに、ルナセオは小首を傾げた。

「恨みを捨てろとは言わないが」

トレイズが冷静に言った。

「仇討ちなんて汚れ仕事は、お前がすることじゃない。そんなことをしてもラゼが戻ってくるわけでもないしな」

「なんだよ、トレイズだって…仇のこと憎んでるんだろ」

「俺だから言えることもあるんだよ」

トレイズは少しだけほほえんで、ルナセオの頭をポンポン叩いた。

「俺は白黒はっきり付けなきゃ気が済まないたちだからな。いつもそれで間違える。ガキの頃は自分が正義だと疑ってなかったし、今だってその考え方を簡単には覆せない。でも、お前らはまだいくらでもやり直せるだろ。そんな子供のうちから、人生棒に振ることはねえよ」


 驚いた、珍しくトレイズが含蓄のあることを言っている。気が短くて頭がカチコチの鼻持ちならない男だと思っていたが、人生の先駆者としてちょっとはいいことも言えるらしい。

「私、アンタのこといけすかない奴だと思ってるけど、今はじめてアンタも無駄に歳食ってるだけじゃないんだなって思ったわ」

「オイ、褒めてねえだろ」

せっかく拍手をしてやったのにトレイズは不満げに顔をしかめた。


 おもむろにネルがフォークを持ったルナセオの手をぎゅっと握った。ルナセオの肩が跳ねた。「ね、ネル?」

「セオにこれまでどれだけ大変なことがあったのか、わたし、わかんないけど…」

ネルは辛いことをこらえるように目をつぶって、ううん、と唸った。一生懸命言葉を選んでいるようだ。

「あのね、リズセム様に言われたの。辛いときこそ、楽しいことを探すんだって。セオにはあんな怖い顔じゃなくて、いつも笑っててほしいよ。わたしも手伝うから、だから…セオ?」

 ネルが最後まで言い切る前に、すでにルナセオのほうが限界だった。間抜けに惚けたような顔を真っ赤にして震えているあわれな少年に、メルセナはやれやれとため息をひとつ落とした。


「なんていうか、ネルって小悪魔よね」

「ええっ、なんで?」

「あーやだやだ、愛しのデクレくんに会えたら告げ口しちゃおっと」

「ど、どうして?セーナだって一緒だよ?セオは巫子の仲間だし、お兄ちゃんみたいだし…」

 それがとどめだったようだ。女の子に口説かれたかと思ったら「お兄ちゃん」呼ばわり。テーブルに突っ伏したルナセオの背を、トレイズがさすってやった。天然小悪魔ネルは完全に無自覚だったようで、いまだ状況を理解していない様子で頬をふくらませた。

「もう、みんな知らない!」

へそを曲げてしまったネルに笑って、メルセナは目の前のハンバーグをやっつけるのを再開した。願わくばルナセオの淡い想いが、ちょっとでも彼の情緒を育ててくれればよいのだが。



 残念ながら、話はそれで済まなかった。昼食を終えてクレイスフィー城へと向かったメルセナたちは、その門前でふたたびあのふたり組の背中を見た。

 反射的にメルセナとネルがルナセオの腕をつかむと、彼は不満げに「…俺、珍獣かなにか?」と漏らした。よかった、我を失って駆け出すことはなさそうだ。


 どうやら巫子狩りたちは、城内に入ろうとして、見張りたちと押し問答しているらしかった。少女の巫子狩りが憤慨している。高い声がキンキン響いた。

「なんで入っちゃダメなの?玄関受付は誰でも入れる決まりでしょ!?」

「ズケズケと我らの王城に踏み入った挙句、騒ぎを起こして出禁になったのはお前たちの自業自得だろう、帰れ帰れ!」

「しょうがないでしょ!悪しき巫子を捕まえようとしたんだから感謝してほしいくらいよ!」


「ああ、やばい」

 ルナセオが困った様子でトレイズを振り仰いだ。

「前に来たときに俺が巫子狩りに追われたせいで、なんか迷惑かかっちゃってない?」

「不可抗力だったろ」

 そういえばルナセオたちは、以前この街に来たときに巫子狩りに襲われているのだったか。メルセナとルナセオ、ふたりも巫子が現れたのだから、巫子狩りたちがこの街に狙いを定めるのもわからなくはない。


 とはいえ、それで街の人に迷惑をかけていいわけじゃないわよね、メルセナはうんざりした。辟易した様子の見張りに対して、少女はヒートアップしていくばかりだ。彼女は感情のままに叫んだ。

「なによ!アンタみたいなヤツ、パパに言って処罰してやるんだから!」

「ちょ、ちょっと、ローア!」

オロオロとなりゆきに任せていた少年のほうが、そこでようやく少女のマントを引いて制止したが、暴走馬は止まらない。

「だいたい、五大都市は神都の属領なんだから、私たちの命令には従ってしかるべきでしょ!シェイルは繁栄めざましいっていうけど、それだって神都が自治を認めてるおかげなんだから…」

「シェイルが、なんだい?お嬢さん」

割って入った穏やかな低い声に、メルセナはぴょんと飛び上がった。


 その人は汚れひとつない白いマントと黒い騎士服を身に纏い、悠然と城内から現れた。口元は弧を描いているけれど、その隙のない濃紺のまなざしは隙なく巫子狩りたちを見据えていた。

「我らがシェイルの繁栄が神都の功績だと、そう言ったかい?なるほど、君は少し偏った歴史の授業を受けたようだ」

「な…なによ、本当のことでしょ?」

少女はたじろいだ。彼はまるでカゴの中の小鳥を眺めるような目つきでくすりと笑った。

「世界を取りまとめるべき神都で、そのような自都市賛美の教育が謳われているとは嘆かわしい限りだ。そちらの神官学校ではもう少しマシな教師を雇うよう、世界大会議で奏上いただけないか殿下にお願い申し上げておくとしよう」

「生意気ね!アンタたちなんか神都が認めなきゃ存続もできないんだから、黙って私たちの言うことを聞いてればいいのよ!」


 少年がひぇ、と情けない悲鳴を上げて一歩後ずさった。その台詞はまずい。神都は確かに世界全体の首都で、世界王陛下がこの世界のトップなのは間違いないが、あくまで神都と五大都市は同盟関係にあって、神都の支配を受けているわけではない。ましてシェイルディアは腐っても軍事都市、一等騎士だけでも一都市くらい滅ぼせるだろう。

 少女は喧嘩を売る相手を間違えた。濃紺の髪の男は優雅に腰の剣を抜くと、宙に放り投げた。くるりと一回転した剣を難なく受け止めて、彼はさらりと言った。

「お嬢さんはよほど、我ら誉れ高きシェイルディアの力をお試しになりたいらしい。それが神都の総意ならば、仕方ないね。神都は我がシェイルとの盟約を守る意志なしと、私から敬愛なるリズセム王にお伝えしておく」

「わ、わ、わ、私を脅そうったって、そうはいかないんだからねっ!」

少女と男の間の人生経験の差が大きすぎた。あわれな少女の脚はもはや小鹿のようだ。

「さて?最初に我が兵を脅したのは君だと思っていたけれど。まさか栄えある神都ファナティライストの仕え人ともあろう者が、自らの行動の責任がとれない訳ではないだろう?」


 少女が返事に窮したところで、男が陽光にきらめく刀身を横なぎに払った。はらりと少女の髪が数本、風に舞って飛んでいくのが見えた。

 男は愛想よくにこりと笑ってみせた。

「おっと、失礼。虫が止まっていたようだ」


「ギルビス!」

 巫子狩りコンビが逃げていったので、メルセナは駆け出して彼に飛びついた。我らが騎士団長さまはほほえんでメルセナの頭を撫でた。

「やあセーナ、久しぶり。無事でなによりだ」

「お前、ガキ相手なんだから少しは手加減してやれよ」

トレイズは呆れ顔だったが、ギルビスはひとつ肩をすくめただけだった。

「都市の名を背負って来た者に子供も大人もないよ。それより、君たちをラトメに送ってすぐ暴動が起こったと聞いて心配していた。間が悪かったね」

「あ、いえ」

巫子狩りたちの走り去ったほうを見ていたルナセオは、ギルビスに話しかけられて焦ったのか勢いよく首を横に振った。

「俺は特に何事もなく…ネルは大変だったみたいだけど」


 そういえばネルにもギルビスを紹介してあげなくちゃ!振り返ると、ネルは先ほどから一歩も動かないまま、立ち尽くしてギルビスを見つめていた。彼がゆっくりとネルに歩み寄ると、ネルはスカートを握りしめてなんだか泣きそうな顔になった。

「あ、あの、あの」

道中、メルセナが彼について熱弁しすぎたのか、ネルはだいぶ緊張しているみたいだった。彼女はかすれた声でモゴモゴ言った。

「あの…わたし、あなたのこと、なんて呼べばいい?」


 するとギルビスはスッとその場に膝をつくと、騎士らしく気障なしぐさでネルの指先に口付けた。ネルの顔がボンと噴火した。

「どうぞ、ギルビスと。シェイルディア騎士団の長、ギルビス・L・ソリティエ。君を歓迎するよ、ネル」


 ふたりの様子を見ながら、メルセナはふと、ネルとギルビスの穏やかな雰囲気がどうにも似通っているような気がして、トレイズを見上げた。

「なんかあのふたり、ちょっと似てない?」

「ん?」

トレイズはじっとふたりを眺めたが、首を傾げて眉を寄せた。

「そうかあ?ネルにギルビスみたいな毒はないだろ」

「失礼ね!ギルビスに毒なんかないわよ!」

メルセナは力いっぱいトレイズの足を踏んだ。指先の痛みに悲鳴を上げるトレイズにフンと鼻を鳴らしたメルセナは、明らかに質問する人選を間違えていたことには気付いていなかった。

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