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軍事都市シェイルディア。
強力な軍隊と騎士団を持つことからそうあだ名される北方の大都市だが、戦争もない今の時代ではその呼称もあまりそぐわない。なにしろ、今の王様の治世になってから、厳つい城塞都市だったその街は商人たちが行き交い、旅芸人を数多く呼び、笑顔あふれる華やかな街に様変わりしたと言われている。どんな身分も種族も幅広く受け入れるおおらかな民の気質は、平和を愛する王妃様を喜ばせるために王様が手腕をふるったのだとまことしやかにささやかれている。
さて、その100年続くシェイルディアの繁栄を作り上げた偉大なる賢王はというと、手持ちの魔弾銃で鳥型の魔物を鮮やかに撃ち落とし、今まさにその首を落とそうとしていた。肉といえば切り身しか知らないメルセナは、同じく都会っ子のルナセオとともに震え上がって木の陰に隠れた。
「なんで!?なんで王様が鳥を絞められんの?」
メルセナと抱き合って怖気づいたルナセオが叫んだが、リズセム王はなんてことなさそうに朗らかに笑った。
「そりゃ、旅先で食料がなくなればそのくらいやるだろう?森の中に切り身の肉が歩いているわけでもなし」
ドスンと音を立ててナイフで首が落とされて、メルセナは悲鳴を上げた。父が呆れた様子で仕える主人の血濡れの手を拭いてやりながら言った。
「たかだか鳥一羽仕留めるのに魔弾銃を使うなんてもったいない…」
「いやー、血が固まりにくいから血抜きが楽なんだよね。あ、聖女くん、その鳥吊っておいて」
「うん」
リズセム王はなぜかネルのことを「聖女くん」と呼ぶ。というか、普段の彼はあまり人の名前を呼ばないたちらしく、トレイズのことは「紅雨の」、メルセナのことは「エルフ嬢」だし、ルナセオに至っては目立った特徴が思いつかなかったのか「少年」呼ばわりだ。なお、父は気安く「ガキンチョ」扱いされている。
自給自足生活を送っていたネルは手慣れた様子で鳥の血抜きをしている。リズセム王が合流してからというもの、彼女はずいぶん明るくなった。これも王の資質というやつなのだろうか…シェイル王は想像以上に万能だった。
血抜きを終えた鳥を煮込んでスープを作りながら、ルナセオと父の特訓を眺めていると、焚き火の管理をしながらリズセム王が苦笑した。
「あのガキンチョは人に指導するのに向かないねえ。紅雨の、君が教えてやればいいのに」
「俺はこの腕ですから、ルナセオにいらない癖がついたらいけないでしょう」
そう言ってトレイズは自分の左袖をつまんだ。確かに、この旅の中で彼が魔物を倒す姿を見てきたが、この男の剣の使い方は独特だ。片手がないせいなのか、それとも暗殺者上がりだからかは知らないが、父のような型にはまった剣さばきではなく、もっと柔軟でなめらかな動きをしている。あたかも剣が自分の身体の一部であるかのように見える…彼を褒めるのは癪だが。
リズセム王はふうん、と気のない相槌を打った。
「別に軍人になろうっていうんじゃないんだから気にするこたないと思うけどね。シェイルに着いたら誰か紹介してやるか」
「リズセムさまは戦えるの?」
ネルがスープをかきまわしながら尋ねると、王様は火の中に小枝を放り込みながら笑った。
「まあ、ひとりで旅に出られるくらいにはね。でも紅雨のに勝てる気はしないね、彼ってば全盛期は鬼みたいに強いって噂になってたし」
「いや、あの、それは昔の話で、噂がひとり歩きした結果っていうか」
まさかこのうだつの上がらない男がそれほどの奴だとは思わなかった。ビックリしてトレイズを見上げると、彼のほうは恐縮した様子で一生懸命右手を振って否定している。
「彼の通る場所には血の雨がふるっていうんで、『紅雨のトレイズ』ってさ。僕はあのガキンチョをシェイルに引き抜いた時に会ったくらいだから、人づてに聞いたくらいの話しか知らないけど」
「あー、あー、あの時は本当に、大変な失礼を…」
トレイズは頭が下がりすぎて土下座せん勢いだ。なるほど、かつてのこの男は恥ずかしい上に縁起でもない二つ名をつけられるほど有名だったらしい。そしてトレイズを見る限り、リズセム王にケツの毛をむしられたのは実体験のようだ。
◆
枯れ森に入った一行は、シェイルディア首都クレイスフィーを目指して北上を続けていた。前回この森を通ったときは、巫子狩りに追いかけられたり、父が怪我を負ったりして気の休まらない旅路だったが、改めてやってきた森は黒っぽい幹の針葉樹林が立ち並ぶ、少し冷たい風の吹く静かな森だった。時折魔物に襲われるが、父やトレイズがあっさり倒してしまうので、メルセナたちは穏やかな旅を続けていた。
いよいよクレイスフィーが近づいてくると、メルセナはなんだか緊張してきた。騎士団のみんなや、街の友人たちは元気にしているだろうか。突然姿を消したメルセナたち親子のことは、なんと伝えられているのだろう…
ドキドキすると口数が多くなってしまうメルセナは、シェイルの話をことさらネルたちに語って聞かせた。
「シェイル騎士団の一等騎士といえばウチの街の花形で、今はパパを含めて5人しかいないのよ!特に騎士団長のギルビスがかっこいいの!こう…白いマントをばさーって翻してね…」
「ああ、俺も会ったよ。やっぱ騎士団長ともなると器がでっかいよなー。トレイズにもあのくらいの大人の余裕があればなあ」
「聞こえてんだよ!」
トレイズはいきり立ったが、ルナセオはさらりと無視した。
「あんな大人になれたらかっこいいよなあ。こう、酸いも甘いも噛み分けた男っていうの?」
「ハハッ」
話を聞いていたトレイズが乾いた笑いを浮かべた。
「俺はまたアイツに毒を吐かれると思うとうんざりするぜ…」
「あー、ギルビスさん、トレイズには辛辣だったもんね」
トレイズが誰かにつらく当たるなど想像もつかないが、昔の仲間だというから、きっとメルセナや部下たちに対するより気安い態度なのだろう。友人にはちょっと厳しいギルビス…うん、アリね。メルセナはひとり納得して頷いた。
そうしてさらに数日の旅路を経て、ようやくクレイスフィーにたどり着いた。懐かしい石造りの大門を見上げて、思わず浮かんできた涙をこらえる。まさか故郷に帰ってきたことでこんなに感極まるとは思わなかった。メルセナは、レクセに着いたときにルナセオに対して言った無神経な台詞を今からでも撤回したくなった。
堀をまたぐ橋を越えると、見張り番の甲冑兵が対をなすように門の両脇に控えていた。そのうちの一方が、メルセナたちが近づいた途端に手にした長槍を取り落とした。
「う、ウオオオオオオオオ、セーナ!セーナじゃないか!!」
「なにィ!?セーナだと!」
「あっ、久しぶり!」
片手を挙げて挨拶すると、槍を取り落としたほうの兵士がその場に膝をついた。甲冑を身にまとっているせいで一挙一動がなんともけたたましい。
「ああッ、無事だったか!お前が枯れ森に入っていったと聞いて、生きた心地がしなかったぞ!」
「伝令、伝令ー!城に伝えろ!俺たちのセーナが帰ってきたぞー!」
もう一方の甲冑兵がガシャガシャ音を立てながら門の内側に向かって叫ぶと、中からもざわざわと男たちの声が聞こえてきた。
「なんていうか、シェイル兵士ってだいたいこんな感じで暑苦しいのよね」
どうにも身内の恥ずかしい部分を見られたような気まずい思いで、メルセナはネルたちに肩をすくめてみせた。呆然としている他都市の面々に、なんだかいたたまれなくなる。
すると父が頭痛をこらえるように口を真一文字に引き結んで一歩前に進み出た。
「お前たち、娘の無事を喜ぶのは光栄だが…」
「ヒッ、エルディ様!」
甲冑兵ががしゃんと飛び上がった。父はそのまま、後方で観劇でもするように場を眺めていたリズセム王を指し示す。
「…殿下の御前だ」
そこからの兵士たちの行動は、甲冑をまとっているとは思えないほどに迅速だった。門の両脇の定位置についた見張り番ふたりは、取り落とした槍を拾い上げると直立し、声を揃えて叫んだ。
「王殿下、お帰りなさいませ!」
その声が届いたのか、門の中が一瞬静まり返り、その後でせわしなくガシャガシャと駆けめぐる音が聞こえてきた。どうやら中の兵士たちも、王様の帰還に慌てて出迎えの配置につこうとしているらしい。
混乱する臣下たちの気も知らず、リズセム王は残念そうに声を上げた。
「ええ、もう終わり?もうちょっと大騒ぎする皆の衆が見たかったなあ」
そうは言っても、王様を迎えるのだって兵士たちにとっては一大事には違いない。門の中も、通路に等間隔で甲冑兵が整列し、王が通る瞬間にガツンと槍を地面に打ち鳴らした。大きな音が鳴るたびにネルがビクついていたが、これがシェイル流の歓迎なのだろう。こういうところは厳格で無骨な軍事都市の名残りかしら、メルセナは新鮮な気持ちで王様のあとを追った。
少し離れているあいだに、まだ冬の終わりから間もなかったクレイスフィーの街はすっかり春真っ盛りで、広場のあちこちが行商や旅芸人でにぎわっていた。ガラガラと辻馬車が行き交い、人々の笑いさざめく声がそこかしこから聞こえてくる。他の都市よりも遅れて咲く花はちょうど満開の見ごろで、風に舞う花びらの向こうに悠然と建つクレイスフィー城を彩っていた。
こんな人混みは初めて見るのか、間抜けに口をあけて呆けているネルに、リズセム王が自慢げに言った。
「美しい街だろう?寒さの厳しい土地だが、皆が図太く生き抜く良いところだ。我が城からの景色もなかなか見応えがあるからぜひ後で覗いてみるといい」
シェイルディアに住まういち住人として、王様がこうも誇らしく自分の治める土地を語ってくれるというのは嬉しいものだ。メルセナはにっこりした。
リズセム王はメルセナたちをぐるりと見回して腕を広げた。
「さて!どこに行きたい?城に出向く前に好きな場所を観光と行こうじゃないか」
「殿下、お願いですから速やかに城へお戻りください。娘たちを城に迎え入れる準備をしなければ」
すかさず父が待ったをかけると、リズセム王は不満げにくちびるを尖らせた。こういうそぶりは本当にただの少年に見える。
「まったく融通の利かない子だね。まあいいさ。諸君、夕食の時間までにはお城へおいで。我が城自慢のシェフの味を堪能させてあげよう」
そう言うと、リズセム王はネルの頭に巻かれたスカーフを取り払った。レクセでマユキにもらったとかいう、人の認識を阻害するスカーフだ。さすがに一緒に旅しているメルセナたちには効果が薄いようだが、たしかに通りがかった村などに行ってもネルの髪が悪目立ちすることはなかった…それを差し引いてもメルセナたちは側から見れば怪しい集団なので、果たして髪を隠すことに意義があるのかはわからないけれど。
「この街じゃこんな野暮なものは要らないよ。我が街は姿を隠していては楽しめないからね」
「しばらくクレイスフィー城に部屋を用意していただくことになっている。私は殿下をお送りしがてら準備を依頼しておくから、少し時間を空けて来なさい」
父に財布を渡されたので、今日の昼はいいものが食べられそうだ。父は「しばらく子供たちを頼みます」とトレイズに深々と頭を下げると、リズセム王とともに城の方角へと向かっていった。
その背中を見送りながらネルが自分の頭をぺたんと押さえた。
「わたしのスカーフ、さらわれちゃった」
「まあ確かに、この街じゃいらないかもね。たぶん誰も気にしないもの」
あるいはオシャレに敏感な若者からすれば、革新的なファッションだと喜ぶかもしれない。髪を一部だけ赤く染める新たな流行をネルが作り出したら面白いのだが。
「オイオイ、巫子狩りがいたらどうすんだ」
「その時はアンタが守ってくれるんでしょ?」
心配そうにネルのフードを上げようとするトレイズの手をはたいた。リズセム王の気遣いを無にする行為に少しイラっとする。
「せっかくだから満喫しましょ!私が街を案内してあげる。どこに行きたい?」
と言ったところで、メルセナはとんでもないことに気づいてしまった。放置していた我が家に買い込んでいた野菜が、今頃は腐臭を放っているかもしれないという恐ろしい事態に。
メルセナは、溌剌とした気分から一転、恐る恐るみんなに提案した。
「ごめん、まずは私の家に寄らせて。家の中にある食料、ダメになっちゃってるだろうからなんとかしないと」
◆
メルセナの家は城にほど近い、メインストリートから外れた住宅地にある。脇道に逸れて人の往来が減ったところで、人酔いしたらしいネルがフラフラしていた。
ルナセオがその背をさすってやりながら尋ねてきた。
「大通りはずいぶんな人出だけど、いつもこうなの?」
「そお?」
確かにレクセディアの学生街は都会的ながらも閑静な街だったし、この賑わいはシェイル特有なのかもしれない。時期を考えても、ルナセオが前回来たときよりも混みあっているはずだ。
「冬はもっと静かだけど、それ以外の季節はだいたいこんなもんよ。いつもよそからの行商とか興行とかが来てるし」
「あら!セーナじゃない」
秋の収穫祭の時期はこれよりさらに人出が増えるのよね、と説明しようとしたところで声をかけられた。振り返ると、八百屋の娘さんが売り物の入ったカゴを抱えてこちらに歩み寄ってきた。
「ずいぶん長く留守にしてたじゃない。目の保養がいなくなってみんな寂しがってたわよ」
「ちょっと、寂しがるのはパパに対してだけなの?」
予想どおりの友人の淡白さに頬を膨らませて抗議したがあっさり無視された。娘さんは所在なく立ち尽くすネルたちを見た。
「こちらは?」
「友達!旅先で会ったの」
「ふうん」
彼女はネルの赤い髪を見て、自分の髪をつまんだ。
「イカした髪型ね。私も真似しようかしら」
これは本当にネルを起点に流行が爆発するかもしれない、メルセナがそわそわしていると、娘さんはあっと声を上げた。
「そういえば、セーナ、家に帰らないほうがいいわよ。アンタたち親子がいなくなってから、家の前をウロチョロしてる怪しいヤツらがいるのよ」
「怪しいヤツら?」
「なんだか黒いマントを着た妙な連中よ。一応お城には通報しておいたんだけど。なんだか黒い筒みたいなのを持ってて…」
話を聞けたのはそこまでだった。トレイズがマントをはためかせて全速力で駆けだしてしまったからだ。
「トレイズ!?」
「お前らはそこにいろ!」
そう言って、トレイズは瞬く間に豆粒くらいに小さくなってしまった。メルセナは地面を踏み鳴らしていきり立った。
「そこにいろって、アイツ、私の家がどこか知らないじゃない!」
「薄汚いけどなかなかダンディな人ね。セーナ、ギルビス様から乗り換えたの?」
失礼な!メルセナは怒りのままに叫んだ。
「誰に乗り換えるとしても、あの方向音痴だけはありえないわ!行くわよ、ネル、セオ!」
ネルたちを引き連れて通りの先へ行き着くと、トレイズは角を曲がってすぐのところで息をひそめていた。彼は追いかけてきたメルセナたちに顔をしかめたが、身振りで自分の後ろに隠れるよう指示してきた。
「なに…」
ネルが声を上げようとしたところで、メルセナはぱっとその口を塞いだ。一足早かったルナセオの手をしたたかに叩いてしまったが、謝っている場合ではない。
通りの先に、ふたり組の巫子狩りが立っていた。ちょうどメルセナの家の前だ。ひょっとして、メルセナたちの帰りを待ち構えているのだろうか…背筋が凍えるような心地でぞっとしていると、フードを外した巫子狩りの顔を見たルナセオがはっと息を呑んだ。
「…あいつは!」




