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 見た目は貴公子のような父だが、怒るとその美貌が冷徹さを帯びて猛吹雪の中に投げ出されたような心地になる。長いまつげに彩られた宝石みたいな瑠璃色の瞳を、まるで塵芥でも見るようなまなざしで娘に向けた父は、とつとつと長い人差し指でテーブルで叩いた。

「で?」

天にこれでもかと贔屓された父は顔もよければ声もいい。しかしその低く落ち着いた声は、可愛い娘に向けているとは思えないほど冷え冷えとしていた。


 トレイズとルナセオはどこかへ出かけていったのか、無言の父に連れてこられた彼らの部屋はがらんとしていた。テーブルの上に乗ったメルセナとネルの荷物からは魔弾銃とチルタの日記が見つかってしまっている。到底言い逃れができる様子ではなかった。


 とりあえず、メルセナは指先をもてあそびながら言い訳を試みた。

「あのー、いつかは言おうと思ってたのよ?だけどパパからトレイズに漏れたら困るじゃない?なかなか隙がなくって…」

「どうだかな、何日も旅してきてそんな様子は感じられなかった」

まあ、確かに。メルセナは目をそらした。20年も一緒に暮らしてきて、ふたりの間には隠しごとなんてものは存在しなかった。メルセナにとってはじめての、「パパにも言えない仲間との秘密」というものが存外魅力的だったのは間違いない。


「私に隠しごとをしようなんて10年早い」

 父はそんなお決まりの台詞を吐いたが、果たして不死族の父とエルフのメルセナにとって10年という長さが適切かは悩ましいところだ。

「いったいどこで手に入れたんだ?これがどれだけ危険なものか、セーナ。お前は知っているだろう?」

「まあ、実際にパパが大怪我を負ったわけだしね…」

メルセナは観念してため息をついた。ごめんねセオ、内心で謝ってから、メルセナは父に向き直った。

「それ、セオのパパにもらったの」

「ルナセオの…?」

父はピンときていないようで眉をひそめた。怪訝そうな顔でも崩れない鉄壁の美貌だ。

「セオのパパ、昔の9番だったんだって。レクセでセオの家に行ってきたの」

「なんだと?」

父の眉間が限界まで寄った。それからはっとした様子で叫んだ。

「チルタ高等祭司か!」

「パパ、知ってるの?」

マユキといい、父がこれほどまでに過去の巫子たちと知り合いだなんて驚きだ。おとぎ話は存外メルセナのすぐそばに実在していたらしい。


「直接の面識はないから、あちらが私を認識しているかは分からないが。トレイズさんの下で働いていた頃にちょっとな。そうか、ルナセオがあの人の息子だとは」

父は腕を組んで窓の外に視線を向けた。

「因果なものだな…」

「まあ、トレイズは自分が助けた男の子が仇の息子だなんて思っちゃいないみたいだしね」

 あの直情型でデリカシーに欠けているトレイズのことだから、真実を知ったときにルナセオが傷つくことにならないか心配だ。少なくとも、ルナセオのほうはトレイズに懐いている。あのふたりの平穏のためにも、トレイズにだけは秘密を秘密のままにしておきたいところだった。


「いつまでも隠しておける話ではない。それに、ギルビス様は…こう言ってはなんだが、トレイズさんよりずっと鋭い」

「ギルビス?」

メルセナは首を傾げた。「なんでそこでギルビスが出てくるのよ」

「聞いていないのか?」

父は父で、メルセナの反応に目を瞬いた。

「ギルビス様はかつてトレイズさんたちとは巫子の仲間だった。それで、彼は家族を全員9番に殺されている。トレイズさん同様、ギルビス様にとってもチルタは仇だ」

「なんですって!」

 あの穏やかで優しいギルビスにそんな過去があったとは。巫子の仲間だったことはマユキに聞いたが、チルタとの間にそんな因縁があるとは知らなかった。ギルビスが誰かを憎んだり恨んだりする姿はどうにもピンとこなかった。


「あれ?でも、セオたちはラトメに来る前にシェイルでギルビスに会ってるんじゃなかった?」

「お気づきにならなかったか、それとも気づいていて何も言わなかったか…仇の息子だからといってギルビス様がルナセオをどうこうするとは考えづらいが、あの方も複雑だろうな」

 気づいていて何も言わなかったのだとしたら…メルセナはギルビスの心中を慮って思わず口に手をあてた。図らずも紳士的なギルビスを想像してきゅんときてしまう。

「絶対そうよ!ギルビスが胸を痛めながらも仇の息子に親切にする…いい!すごくいいわ!」

「それは単純にお前の嗜好の話だろう」

意気込んで身を乗り出したメルセナに反比例するように、父は呆れ顔で後ろに身を引いた。メルセナの憧れる騎士像は父の好みではなかったらしい。


「それにしても、何故ルナセオの家に?帰ることはトレイズさんが禁じていただろう」

「セオのことはマユキさんが連れて行ったみたいよ。ネルもそれにくっついて行っちゃって、置いてけぼりにされちゃった私とグレーシャが追いかけていこうとしたら、あのレナと会っちゃって…あ」

 向かいの父の剣呑な表情に気づいて、メルセナはふたたび自分の失態を悟った。どうやらネル同様、メルセナにも隠しごとの才能はなかったらしい。



 レナと遭遇してルナセオの家に逃げこみ、チルタが助けに入った話も、その夜に子供たちだけで廃墟に忍びこみ、9番の日記を読んだ話も洗いざらい吐かされたメルセナは、とうとう父の顔を見ていられなくなってうつむいた。怒れる神の寵児はこれはこれで芸術品になりそうな造形美だったが、だからといって叱られるメルセナからしてみれば積極的にお近づきになりたい顔でもなかった。

「高等祭司に遭遇したその晩に子供たちだけで夜に抜け出すなんて、命を捨てるような行為だ!」

とても不老不死だから死にはしないとは突っ込めなさそうな剣幕だ。

「だいたい、マユキ様はいったいどういうおつもりでお前たちを行かせたんだ、あの方なら危険も十分に承知だろうに」

「あー、ンー、そこはホラ、グレーシャのヤツがちょちょいと…」


 グレーシャには、重たい図鑑をもらう前にまず親を言いくるめる手腕を伝授してもらうべきだったと、メルセナは後悔した。

 父は盛大にため息をつくと、頭痛をこらえるようにこめかみに手をあてた。

「どおりで、ちょっと見ない隙にずいぶんあの家の少年とも仲良くなったものだと思った…」

「別にアイツとは仲良くなってないわよ!」

聞き捨てならずに文句を言ったが、父にギロリと睨まれて即座に黙った。余計なことは言わないほうがよさそうだ。


「セーナ、私はなにも外に出ずに家にとじこもっていろと言ってるわけじゃない。もう分別のつく年頃だし、自分たちで決められることなら好きにしたっていいんだ。だが、勇気と向こう見ずは違う。時には危険を顧みずに前に進まなければいけないこともあるが、レクセでの一件は本当にその選択が必要だったのか?」

 父のお説教が始まってしまった。メルセナはうつむいたまま覚悟を決めた。これがはじまると非常に長い。

「巫子狩りにしろ、レナ・シエルテミナにしろ、お前はその危険を知っていたはずだ。何事もなかったからいいというものじゃない。お前がネルやルナセオより年長者だと自覚を持つなら、ふたりの無鉄砲を咎めてしかるべきだろう」

「う、うーん…」

「返事!」

「はい!」


 この父は一度スイッチが入るとお説教が止まらなくなる。だいたいは正論なのでメルセナはぐうの音も出ずに大人しく聞いているしかない。途中でいらぬ反論をしても解放が遠くなるだけだ。


 そうしてひとしきり娘を叱ったあとで、ようやく満足したらしい父が、疲れた喉をお茶でうるおしながらポツリとつぶやいた。

「レナ・シエルテミナか…」

宿屋の使い込まれた椅子に脚を組んで座っている姿もまた絵画のようだが、今のメルセナにはそれをはやしたてる気力も残っていなかった。机に突っ伏した頭をのろのろ上げると、父はチルタの日記を一瞥して問うた。

「血ではなく、泥のような謎の液体を流す女か…チルタ高等祭司が彼女を生き返らせたわけじゃないんだろう?」

「そうね、セオのパパもママも、レナが生きてたってことも知らなかったらしいし」

「そもそも死んでいなかったのか、それとも誰かが生き返らせたのか…とにかく、そんな素性も知れない女がなぜ高等祭司の地位までのぼりつめたのか」

「さすがに生き返るってことはないでしょ、小説じゃあるまいし」


 不死族だって、自分の意思で老いを止めたり死ぬ時を選べたりはするが、一度止まった時を進めることも、死んだ命を蘇らせることもできない。人生が一方通行なのは自然の摂理というやつで、誰もそれに抗うことはできないものだ。

 しかし、父は難しい顔をしたまま、どこかに思いを馳せるように窓の外を見た。

「『それがなきゃ、あの人を生き返らせてあげられない』…枯れ森であの女と会ったときに言っていた台詞だ。それがずっと引っかかっていた」

確かに、メルセナがレナから赤い印を奪ったときに言っていた。そういえば彼女はよく「あの人」と口にするが、それは一体誰のことなのだろう。

「枯れ森に描かれていた魔法陣といい、彼女はどうも、人を生き返らせる秘術に見当がついている気がする。それゆえにシェイルの人民を襲って生贄にし、セーナの持つ印に執着しているんじゃないか?その、『あの人』とやらを生き返らせるために」

「でも、それはうまくいってなかったみたいだったわ。だって結局、枯れ森のあの魔方陣だって、街の人たちは死んでたけど…誰も生き返ってないわけだし」

「確かにな。しかし、あのレナ本人こそが、その成功例だとしたら?」

父はカップを回して水面を揺らしながら、瑠璃色の瞳を細めた。

「『あの人』本人が、人を生き返らせる秘術を完成させていて、レナ・シエルテミナがその被検体だとしたら…あの女の人ならざる雰囲気にも説明がつくんじゃないか?しかしその人物はすでに亡く、今度はレナがその秘術を使おうとしているのだとしたら…」


 メルセナはぞっとした。レナは本当に死んでいて、誰かがそれを生き返らせた?一体なんのために?

「あのね、パパ。枯れ森であの魔女に会ったときのことなんだけど…」

メルセナはドキドキする自分の胸を押さえた。

「初めてレナが私を見たとき、『戻ってきてくれたのね』って言ったの。私のこと、その、『あの人』のニセモノだって思ってるのよ」

「セーナを?」

 父はメルセナを上から下まで眺めた。もちろんメルセナ自身がそんな大魔法使いではないことくらい、自分だって父だってよく知っている。メルセナはうなずいた。

「何度も呼んだんだって、どうして来てくれなかったんだって言われて。私、よくわかんなくて、アンタ誰って言ったの。そうしたら、レナがすごく怒って、私はニセモノなんだって」

メルセナはテーブルの上で手を組んで自分の額を置いた。テーブルの木目を見るともなしに見ながら、言い知れぬ不安がよぎるのを感じた。

 私は一体、「誰」なんだろう?


 すると、ポンと頭に大きな手が置かれた。慣れ親しんだ父のそれは、軽くメルセナの頭を撫でると離れていった。

「お前は私の娘で、シェイルの街で育ったエルフのメルセナだ。そこに本物も偽物もない。そうだろう?」

「パパ…」

 ゼルシャの森で、レイセリア村長にメルセナの両親の話を聞くのを拒んだとき、メルセナ自身も同じことを考えた。そうだ、メルセナは自分自身が何者であるか、最初からちゃんと分かっている。

「…そうよね!パパは私の父親で、私はそのパパの娘!誰になにを言われたって、そこはなんにも変わらないわ」


 レナがメルセナのことをどう認識していようと、それだけがメルセナの確かな真実だった。

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