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少女メルセナとおとぎ話の秘密  作者: 佐倉アヤキ
2章 浮雲の少年と後悔する男
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一部残酷な描写が含まれます。

 チルタが残した日記は、このレクセディア学生街のはずれにある、「幽霊屋敷」とあだ名される廃墟の中に隠されているらしい。学生たちの間では有名な屋敷らしく、たまに子供が肝試しにやってくるそうだ…もっとも、彼らの恐怖体験は、教師に見つかってお叱りを受けるところまでがセットらしいが。

 そんなわけで、世も更けてからその幽霊屋敷とやらに足を運んだメルセナたちだったが、確かにその名に恥じないおどろおどろしさである。外は屋根の色が剥げて、長い年月の間、雨風にさらされてろくに管理もされていないのが分かる。草も生え放題、窓なんかあちこち割れている。中もホコリだらけで、一歩進むだけでギイギイと床が不吉な音を立てる。ネルは怖いものは苦手なのか、絶対に離すものかとばかりにルナセオのマントを握りしめている。


 だいたい、ヒントはルナセオが貰った小さな鍵ひとつだ。一晩でこの屋敷から装丁もわからない本一冊を見つけ出すなんて可能なのだろうか。狼の唸り声みたいな隙間風の音を聞きながらあたりを見回していると、グレーシャがなんてことはなさそうに言った。

「俺、多分知ってるぜ、セオの父さんの日記のありか」

 この男、ちゃっかり母親を説得して、メルセナたちの屋敷探検に同行していた。朝はあれだけレナのことを幽霊だなんだと大騒ぎしていたくせに、図太いやつである。


 グレーシャはこの屋敷を使い勝手のよいサボり場にしているそうで、屋敷の構造から抜けそうな床の位置までしっかり把握していた。彼は迷いのない足取りで、蝶番が片方外れて半開きになった扉を開いた。どうやら書斎のようだ。

 この屋敷に住んでいた者は相当の読書家だったのか、本が棚に収まりきらずに床にも重なっていた。整理整頓は苦手だったのね、擦り切れた表紙を眺めていると、グレーシャが一冊の本を抜き出して戻ってきた。

「これだけ他の本よりちょっと新しくて気になっててさ。針金で開けてやろうと思ったんだけど、魔法がかかってるみたいでうまくいかなかったんだよな」

 それは青い表紙の布張りの本だった。小口側に開くのを止める金属製の枷がはまっていて、小さな鍵穴がついていた。

 ルナセオが本を受け取って、ポケットから鍵を取り出した。鍵穴に入っていくさまをドキドキしながら見つめていると、鍵がくるりと回り、小気味いい音とともに枷が外れた。

「開いたぜ!」

「読んでみましょ!」


 手触りのよさそうな見返しをめくると、1ページ目には一言だけ、几帳面な文字で書かれていた。

「『決して、忘れるな』…」

黄ばんだ紙に対して、インクがはっきりしているのを見るに、おそらく大人になってからチルタが書き足した文なのだろう。どうやら本文は次のページから始まるようだ。ルナセオがぱらりとページをめくるのを、メルセナは固唾を飲んで見守った。



『今日、ようやく高等祭司として陛下に認めていただいた!

 僕が得た左手の印は、赤の巫子の証らしい。おとぎ話だと思っていたけれど、本当に存在するとは驚いた。僕の持つ9番の印は世界を滅ぼせるほど強大だから、無為に使ってはいけないと、世界王陛下は強くおっしゃられた。

 だけど、この力があれば、僕はもう一度、レナに会うことができるかもしれない』


『世界を滅ぼせる力なら、望むかたちに世界を再構築することも可能だと思う。陛下はあまり言いたがらなかったけれど、無理だとはおっしゃらなかった。

 恐ろしい力だって、使い方を誤らなければ、高等祭司としてより世界王陛下を助けることもできるかもしれない。

 レナ、どうか見ていて。そしていつかきっと、君のいる風景を取り戻すから』


 日記はそこから始まっていた。メルセナはルナセオの読み上げる文面を聞きながら、内心で首を傾げた。9番の印は世界を滅ぼす()()()力だと思っていたが、この文章からは違う意図を感じる。強大な力ゆえに世界を滅ぼしかねない、という言い回しを信じるのなら、9番の力それ自体にはなんの罪もないということだろうか?

 その先はしばらく、チルタの期待とやる気にあふれた日々が記されていた。高等祭司がどういう役職なのかはよく知らないが、世界王に直接仕える立場なのだから相当な高官だろう。チルタ自身も貴族や役人との人脈があるらしく、登場する名前は多岐にわたっていた。

 ただ、聞いた話の通り、彼はレナを生き返らせることを願っている様子で、仕事の合間に死人を蘇らせる術について研究していたようだ。その記述は展望の明るい若者の他愛ない日常の隙間にインクを垂らすように点在していて、そのたびにメルセナはぞっとする心地がした。


 何ページか進んだところで、楽しげな日々は唐突に終わりを告げた。


『世界大会議にあのトレイズ・グランセルドがいた。何故あの人殺しが、“神の子”の警護に就いているんだ?奴は僕のことには気付いていないみたいだ。

 レナを、そして彼女の家族たちを殺したあいつは、何食わぬ顔で笑っていた。まるで自分には、なんの罪もないみたいに』


『グランセルドの悪行を訴えても、奴らを刑に処すことはできないという。あの一族は世界政府の高官からも依頼を請ける腕利きの暗殺者だからと。なにが腕利きだ。どんなに言い繕ったところで、あいつらは戦闘狂いの殺人鬼に過ぎないというのに』


 トレイズとチルタは「お互いに仇」だと聞いていたが、あのレナを殺したというのがトレイズだったのか!気に食わないやつではあるが、トレイズ自身は直情的で正義感に突き動かされる善良な人間だと思っていた。彼が暗殺稼業に身を染めていたなんて意外だ。

 おそらく神護隊長時代のトレイズと会ったことを契機に、文面が一気に淀んできた。トレイズと、彼の一族であろうグランセルドとやらへの恨み節から、はやくレナを生き返らせたいという切なる願いが殴り書きされている。文字はだんだん判別ができなくなり、最終的には文字とも呼べないぐしゃぐしゃした線が書き連ねられていた。時折、力任せに書いたせいか紙面が破れて、より狂気を感じた。


 まさか、ここでもう完全におかしくなってしまったのか…そう思われたが、数ページ先でまた元通りの几帳面な文字が戻ってきた。


『なんだか、長い間悪い夢でも見ていたみたいだ。僕はどうしてしまったんだろう?

 今日、ルナが神都にやってきた。僕が9番になったと聞いて、心配して神官の試験を受けてくれたらしい。一緒に働けて、すごく嬉しい。

 昔はヒーローみたいにかっこよかったけど、久しぶりに会うルナはびっくりするくらい綺麗になっていた。レナも生きていたらあんな風になっていたんだろうか』


 ルナの登場によって、チルタには再び穏やかな日常が戻ってきたようだ。そればかりか、レナを生き返らせることよりも、ルナを気にかける文面が増えている。


『ルナが僕のために、神殿の中の特殊工作員に志願したらしい。あそこは命令だったらどんな汚れ仕事も請け負うこの国の暗部だ。とても心配だけど、ルナはあの部署に入って、僕を打ち倒すかもしれない巫子を止めると言って聞かない。

 ルナはいつもこうと決めたら頑固だ。怪我をしないように僕が見ていてあげないと』


『今日、ルナが同僚の男に言い寄られているのを見つけてしまった。ずいぶん下品なことを言われていて、思わず9番の力を使って殺してしまうところだった。危ない。

 レナと比べればルナはしっかり者だけど、時々すっごく抜けているから目を離せない。ルナはもうちょっと自分の見た目を自覚したほうがいいと思う』


「こんなの、もう好きじゃないの!」

 とうとう我慢できなくなって、メルセナは声を上げた。息子は親の馴れ初めを読み上げさせられて、もはや虫の息だ。

 しかし、ネルひとりだけ日記の文字を追いながら不安げな表情を崩さなかった。

「でも、チルタさん、王様に止められてたのに、9番の力を使おうとしたんだよね?それってなんだか…」


 ネルはその先を言わなかったけれど、確かに彼女の言うとおり、9番の力を世界王陛下のために使うのだと語っていた頃のチルタとは決定的に違っていた。彼はちょっとしたことでぐらぐらと不安定になっていった。それは同僚のなんてことはない一言だったり、読みたかった本が誰かに借りられていたことだったり。

 普通だったら我慢できるようなささいなできごとでも大げさなくらい気鬱になって、その度にルナに会って精神的な均衡を保っているように見えた。


 それも長くは続かず、とうとうチルタは行動に出た。


『今日、グランセルドの根城を潰した。現存する35人、全員を討ち果たした』


『トレイズ・グランセルドは僕をずいぶん憎んでいるみたいだった。勝手な話だ。世界の膿を僕が綺麗にしてやったのに』


 そこからの日記は断片的だが、文字が震えて、まるで冒頭とは別人だった。


『ルナが巫子になった。6番だ。あの子を巻き込むわけにはいかない。知恵を借りたくてインテレディアの名前もない小さな村に住む医者一族を訪ねたが、うるさいことを言うから親のほうを殺してやった。僕より年下の兄妹がいたが、エルフの娘に連れ出されて逃げられた』


『久しぶりにラファ君に会ったけれど、僕のことは覚えていないみたいだった』


『最近、毎晩同じ夢を見る。誰かが僕に聖女を殺せと言う。誰だ。誰が聖女なんだ』


『聖女を探さなきゃ』


『レクセで会った女は聖女じゃなかった』


『あの医者の家の子供、妹のほうは聖女じゃなかった』


『ゼルシャの村に匿われている女。聖女じゃなかった。それどころかあの忌まわしい金の瞳だ。殺し損ねた』


『ルナが巫子たちにとられた』


『聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女…』


 見開きいっぱいに書き殴られた「聖女」の文字を最後に、もはや日記は落書き帳のように、謎の絵で埋め尽くされていた。赤い花畑、9つの輪っか、剣と赤い花を持った人のようなもの、エルフのような長い耳を持った女の子…

 幼い子供の描く絵のように抽象的だが、なにか意図を持って書きつけているようにも感じる。しかし、並んでいる絵にどういう意味があるのかはメルセナには分からなかった。


 狂気にたゆたうように謎の絵が続いていった先で、ルナセオがぽつりと言った。

「あれ…白紙だ」

 確かに、そこから数ページはなにも書かれていなかった。ここで終わりかと思われたところで、最後のページにだけまともな文字が書き記されていた。


『9番の印が外れたからといって、僕の罪がなくなるわけではない。ギルビス君に僕を殺してくれと願ったが、一発殴られたあとで、父親になる奴がくだらないことを言うなと怒られた。一生を苦しんで生きろと。

 ルナのお腹には僕の子がいる。ルナとその子を見捨てて僕が死ぬわけにはいかない。

 いずれ僕と同じように、9番に選ばれる者が現れる。その時の巫子たちの指針となれるよう、僕はこの日記を残すことにする。


 次の巫子たちへ、9番を救いたいなら、決してその人物を生かしてはならない。』


 それで終わりだった。ルナセオが裏表紙を閉じて、メルセナは詰めていた息を吐いた。

「セオのパパは、自分が罪を償うことより、セオのママとお腹の子供を幸せにすることを選んだのね」

 そうして苦しみながら生き続けた先が今のチルタの姿だというのなら、やっぱりこの物語はハッピーエンドでいいような気がした。

 これがチルタ自身が体験した、「9番は誰かを傷つけずにはいられないし、世界を滅ぼさずにはいられない」という話の中身なのだろう。暗殺者を憎んで軽蔑していたチルタは、9番の力でその恨みを増幅させて狂気に落ちていったのか。最後の方はずっと悪夢の中に囚われて抜け出せていないようだった。


 ネルがルナセオから日記を取り上げて、パラパラとページを遡った。メルセナは二度と読みたくないくらい暗い気持ちにあてられてしまった。ネルにも意外と豪胆なところがあるのだなと眺めていると、彼女は日記に目を落としたままで言った。

「レインさんは、私が、巫子が決めていいんだって言ってた。世界を滅ぼすのも、9番の命を助けるのも、巫子が選んでいいって、それが許されるって。マユキおばさんたちは、セオのお父さんを殺さないで、これからも生きていくことを許したんだね」

「でも、少なくともセオの父さんは、次の巫子はそうなっちゃダメだって考えてるんだろ?」

グレーシャが即座に反論した。

「俺も同意見だね。悪者が改心してハッピーエンドなんて創作の中だけだ」

「アンタは巫子じゃないでしょ」

すっかり仲間面のグレーシャに突っ込むも、彼のほうは意に介した様子もなく「いいだろ?一市民として俺の意見も聞いてくれよな」と肩をすくめた。

「それより、聖女ってあれだろ。神都を作って、この世界をひとつの国にまとめたっていう。なんで9番はもういない聖女様を殺そうとしてるんだ?」


 確かにそこは分からないが、赤い印自体に意志があるという話だから、9番の印を手に入れたばかりの、一番最初のページのチルタが正しい彼の性格だとすると、ふとした瞬間に陰鬱になり、聖女を探し歩くようになるのは印がそうさせているように思われた。

「とにかく、私たちがすべきは敵を知ることよ。9番はふとしたきっかけで不安定になって、そのうち聖女を探し始めたら危険信号ってことよね。でも、今の9番の目的も、9番を止める方法も、ましてや私たち巫子の力を使いこなせてもいないわ。

 私たち、情報も力も足りてないのよ。シェイルにはギルビスがいるし、神都には世界王がいる。いろんな人に会って知恵を絞らないと」


 たぶんそれほどの猶予はない。グレーシャの父が印の進行を止めてくれている間に、メルセナたちは立派な巫子を目指さなくてはならない。メルセナが腰に手を当ててネルとルナセオを見ると、彼らも大きく頷いた。

「何はともあれ、まずはシェイルか。それでシェイルの王様に協力してもらって、ロビ殿下って人に会う。それから世界王に繋ぎをとってもらう。運が良ければクレッセとラファさんにも会いたいな。クレッセの目的が分かるかも」

「やらなきゃならないこと、いっぱいだね」

「ま、一歩一歩やっていくしかないわ。私たちの巫子の旅はこれからなんだから。頑張っていくわよ、おー!」

皆で拳を振り上げた中にちゃっかり混ざっていたグレーシャに、メルセナはふたたび呆れ顔で突っ込んだ。

「…だから、アンタは巫子じゃないでしょ」

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