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少女メルセナとおとぎ話の秘密  作者: 佐倉アヤキ
2章 浮雲の少年と後悔する男
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 沈黙を破ったのは、階下から響く食器の割れるような音だった。ルナセオが弾かれたように立ち上がったが、すかさずマユキが彼のマントをひっつかんだ。

「うかつに出て行かないほうがいいわ。大人しく待っていなさい」

「でも、そのレナってやつ、悪いやつなんだろ」

 ルナセオは母を心配しているのか、視線を床に固定したまま頑なに言った。彼の無表情を見て、グレーシャもマユキの反対側からマントを引っ張って加勢した。

「いやいやお前、そんなキャラじゃなかったじゃん?お前が出て行ってなんの助けになるっていうんだよ?」

「少なくとも、ここで学生やってたときよりはマシだよ」


 そう言うルナセオの瞳孔は猫みたいに鋭くなっていた。あの路地を見つめていたときと同じ剣呑な表情だ。グレーシャは不安げな表情だったが、メルセナだってこれが自分の立場だったら、誰の制止があろうと迷わず階下に降りただろう。

「私も力になりたいけど、ここで私の力を使っちゃうと家が壊れちゃうわ」

 「三つ首」にしろ「羽毛ヘビ」にしろ、出したらこの家ごと吹っ飛んでしまうだろう。できればメルセナだって加勢したいが、ここはルナセオの巫子の力を信じるしかなさそうだ。

 すると、成り行きを見守っていたネルが、赤く染まった髪を手櫛で梳きながら声を上げた。

「セオ、わたし、手伝えるかもしれない」



 ネルの巫子の力は、歌の効果を現実に呼び起こすものらしい。豊穣の歌をうたえば植物が成長し、雨乞いの歌をうたえば嵐を呼ぶといった風に。

「えっ、それ、強くない?歌えばなんでもできるってことでしょ?」

できればメルセナだって、怪物を呼ぶ魔法よりもその印が良かった。ネルは困ったように首を傾げた。

「うーん、でも、まだ使ったことないの。あと、私あんまり歌が上手じゃないみたいで、デクレにはしょっちゅうへたくそって言われてたし…効果なかったらごめんね」

「じゃあ、とりあえずネルには子守唄を歌ってもらうとして、レナを眠らせた隙にセオのママを助けるってわけね。セオ、アンタの印はどういうやつなの?」

「トレイズは身体強化の魔法って言ってた」

チャクラムをくるりと回してルナセオは答えた。

「要は運動神経がよくなったり、力が強くなるみたいだ。ラトメで神護隊のでっかい奴を蹴り飛ばしたら道の反対まで吹っ飛んでたし」


 ネルの魔法の効果がいかほどかわからないので、ルナセオは引き出しから耳栓をふた組取り出して、片方をネルに差し出した。気恥ずかしそうに「あの…こっち新品だから」などと言っている。

「そんな場合じゃねーよ。俺たちも一緒に行くか?」

「耳栓二個しかないから、グレーシャたちは残ってくれ。セーナ、グレーシャとマユキさんのことよろしくな」

 悔しいが、ここでは役に立たないメルセナも留守番だ。素直に頷くと、ネルとルナセオは素早く部屋を出て階段を降りていった。


 閉ざされた扉をしばらく見つめていたグレーシャは、深いため息をついてこちらを振り返った。彼はルナセオの前では見せなかった困惑の表情で、静かにメルセナに問うた。

「…マジ?」

「こんなくだらない話、冗談でするわけないでしょ」

 グレーシャは髪をガシガシ掻きながら、部屋を突っ切って椅子に座り込んだ。ルナセオの机に並んだ本のうち、おもむろに一冊を引き抜くと、パラパラとめくりながら詩の暗唱をするように言った。

「世界を滅ぼす悪しき者が現れたとき、9人の赤の巫子が現れて、人知れず世界を救う…」

 袖をまくって自分の印を確認する。擦っても洗っても落ちることない、肌に刻まれた赤い印は、今も物言わずそこにあった。


 マユキは自嘲するように笑った。

「国中の誰もが知ってるおとぎ話ね」

「おとぎ話だったら別にいいよ。悪いやつをやっつけるのは痛快だしな。でもさ、それが現実になっちゃうのは、ちょっと違うだろ」

「違うもなにも事実でしょ」

「でもさあ!」

グレーシャは机を叩いた。

「9番を倒すってのは、要するに…そいつを殺すってことだろ?お前ら、人殺しになろうっていうんだぜ!?」


 彼の目には、ありありと信じがたいと言いたげな感情があふれていた。それがきっと当たり前の反応だけれど、彼はきっと親友の前だから、非難するのをぐっとこらえたのだ。

「お前らどうかしてるよ。そんな役目、無視すりゃいーじゃん。なんで進んで役目を果たそうとすんの?」

「グレーシャ」

マユキが息子をたしなめたが、もう遅い。メルセナは強くグレーシャを睨んだ。

「それ、ネルとセオに言ったら許さないから」


 メルセナにとってはまだ舞台を見ているような感覚だ。実際のところ、9番を救おうが倒そうが、メルセナはどちらでもいいと思っていた。9番がどんな形で世界を滅ぼそうが、メルセナの周囲の人たちがそう簡単にどうこうなるとは思えなかったし、仮にこのまま印から解放されなくたって、父は不死族なのだ。親子で楽しくやっていけばいい。父もそれを許してくれるだろう。

 けれど、初めてほかの巫子に出会って、彼らは違うのだと気づいた。ネルは9番と幼なじみで、巫子でありながら彼を倒すのに躊躇している。かといって9番が世界を滅ぼすのも見たくない葛藤に苦しんでいて、いつも途方に暮れた表情だ。ルナセオのほうは飄々としているがどこか不安定。ただ、グレーシャの言うとおりの人間性なら、彼だって無情に9番を倒せる性格はしていないだろう。まして父親が以前の9番だったと知れば余計に。


 9番を倒すためにはあと6人も仲間を集めなければいけないのに、たった3人揃っただけでもうすでにチグハグだ。ここには物語のような、世界を救うことを真摯に夢見る勇者様などどこにもいない。


「9番が生き残る方法があるって分かったなら、ネル、喜んだんじゃない?」

「そうね」

マユキは少し困ったように視線をそらした。

「でも、クレッセがラトメに連れ去られたのは5年も前で、あの子がなにを願って9番になったのか誰も知らない。資格を失わせようにも、クレッセ自身の意志が分からないわ」

「そりゃ、無理矢理ラトメに誘拐されたんだから、それが原因なんじゃないの?」

「そうかもしれない。でも、だとしたら、クレッセに9番の資格を失わせるのは難しいかもしれない」


 マユキの言葉に、メルセナははっとした。確かに、ルナセオの父のときは、あくまで願っていたのは『初恋の女の子を生き返らせること』であって、それ自体にはなんら害悪のない純粋な思いに過ぎなかった。

 けれど、もし9番の願いが、ラトメや世界への恨み憎みからくるものだとしたら、それこそ都市ひとつ滅ぼすくらいのことをしなければ、その人は止まらないかもしれない。簡単な説得で止まるくらいの思いなら、そもそも9番になどなっているはずはないのだから。


「9番の資格を失くせなかったら、その時は…」

 メルセナはその続きを飲みこんだ。目の前の女性は9番のおばだ。彼女だって元巫子としてメルセナなんかよりずっと現実を分かっているはずだが、それでも面と向かって言うのはためらわれた。

 こちらのためらいが分かったのか、マユキは薄くほほえんだ。

「分かっているわ。奇跡はそう何度も起こらないし、現実はそう簡単にめでたしめでたしじゃ終わらないって。ルナがチルタを救おうとしたとき、私は止めようとしたの。それじゃチルタに傷つけられた人たちが報われないって」

 それってどういうこと?尋ねようとしたところで、階下から何かが倒れるような音が、ガタガタと響いてきた。

「セオたち、大丈夫かしら」

「おいおい、サクッとあいつを眠らせておばさんを連れ出す作戦じゃなかったのか?失敗したのかよ…」


 不意にグレーシャが言葉を切って、なにかを見つけた様子で窓に張り付いた。そのまま窓を開け放ち、彼は身を乗り出すようにしながら叫んだ。

「おじさん!」

メルセナもグレーシャの脇から窓の外を覗き込むと、ちょうど彼が声をかけた男が、朗らかに片手を挙げたところだった。

「やあグレーシャ君、久しぶりだね」

「それどころじゃねーよ!なんかおばさんそっくりの変な女が来てるんだ!おばさんやセオが危ないかもしれない!」

グレーシャの言葉に、中年の男は黄土色の瞳を瞬いた。そしてすぐに事態を察した様子で笑みを吹き飛ばし、玄関へと入っていく。


「おじさんって、じゃああれが、昔の9番?」

 いかにも温和そうな普通のおじさんだ。旅帰りなのか大荷物を持っていた。世界を滅ぼすなんて大それたことは考えも及ばなそうな、どこにでもいる普通の人間に見えた。

「そう!行こうぜ」

「ちょっと、危ないわよ」

マユキの制止を振り切って、グレーシャとメルセナは扉を開けて階下へと降りようとした。が、ちょうど忍び足で階段の前に来ていたルナセオの父に、しいと人差し指を立てられて、階段の途中で立ち止まる。彼はリビングに続く廊下の壁に張り付いて、中の様子をうかがっているようだ。


 リビングのほうから、レナの血を吐くような叫びが届いた。

「あの人を取り戻さなきゃいけないのに、そのために必要なものが、たくさんあるのに…どうしてみんな邪魔をするの、どうして、どうして…!」

 あの人。そういえば、枯れ森でも言っていた。メルセナを誰かと勘違いして、あの人を生き返らせてあげられないと。

 レナは、いったいなにをしたくて、枯れ森であんな儀式をして、メルセナの印に執着しているのだろう。

「みんな嫌い、みんな嫌いよ、消えてよ!」

「申し訳ないが、それは勘弁してもらえないかな?」

 部屋の中が不穏な雰囲気になったところで、チルタが部屋の中に割って入っていった。先ほどまで真剣な表情をしていたのに、その声はいやに優しく呑気な調子で、妙に毒気を抜かれる。


 階段に座りこんで、メルセナは背後のマユキを振り返った。

「あの人、本当に昔の9番なの?ただのおじさんにしか見えないけど」

「ええ、正真正銘、あれが私の代で戦った9番のチルタよ」

 メルセナは、あんな虫も殺せなさそうな男が世界を滅ぼそうとするものだろうかと首をひねった。だが、レナのことなんてまったく気にも留めない様子で、妻を気遣い、息子やネルに挨拶する声がして、すぐに考えを改めた。彼はとんだ食わせ者のにおいがする。初恋の人だというレナを無視しているのがいい証拠だ。


 ひとしきり息子と戯れてから、ようやくチルタはレナに声をかけた。

「やあ、久しぶりだね、レナ」

「チルタ、なの?でも、だけど…」

「思ったより老けててびっくりした?」

レナの声音は、メルセナが今まで聞いた中で最も人間らしい気がした。当惑したようなその声からは、あのぞっとするような気配はなりをひそめて、ただの町娘のようにあどけなく感じる。

「君と別れてからもう30年は経つんだねえ、僕も年を食ったものだ。君も元気そうで何より。でも、いくら()()()()()()()()()()()だからって、他人の家をこんなに荒らしてはいけないよ」

しみじみとなんてことなさそうに言うけれど、チルタははっきりとレナを拒絶していた。しまいには彼は悪意などまったくなさそうに明るく言い放った。

「ていうか君って死んだんじゃなかったっけ?はやくお墓にお帰り、なんなら僕が手伝ってあげようか」


 うわ、と隣のグレーシャが漏らした。マユキがげんなりとした様子で口元を引きつらせた。何やら嫌なことを思い出したような顔だ。

「ああ、もう、これよ。あの人、笑顔で人の心を容赦なく抉ってくるのよ」


 しばらく部屋の中はじっと沈黙に支配されていたが、やがて無言のまま、レナがふらふらと出てきて、メルセナは身をすくめた。彼女はなにやら手で顔を覆っていて、指の間から泥のような謎の液体がこぼれ落ちていた。見るも不気味な姿だというのに、あれほどメルセナにとっての脅威だったレナは、ただのショックを受けた少女のように、そのままこちらに気づきもしないでルナセオの家を出ていった。

「…で、出てった?追いだしたの?」

いまいち実感がわからずつぶやいたところで、リビングから戸惑ったような焦ったような女性の声がした。

「あなた、い、いいの?」

「なにが?」

「だから!レナが生きていたのよ、追いかけなくていいの?」


 メルセナたちがこっそり部屋を覗くと、嵐でも通り抜けていったみたいに荒れ放題のリビングで、花瓶の破片を拾い集めるチルタを、妻が途方に暮れた様子で見下ろしていった。しかし、夫のほうはまったく考えも及ばなかったとばかりに目を見開いて、それから小首を傾げて苦笑した。


「確かに、それを望んだ時もあったよ。まったく若かった、あの頃はね。叶いもしない野望を掲げて、いい気になっていた。

 でもね、あれから何十年も経った。今の僕には可愛い奥さんがいて、元気に育った息子たちがいて、ありがたいことに職にも飯にも困らず生きていけて、それがとても幸せなんだ。

 そういう未来もあることを、君が教えてくれたから、僕はその世界を見てみたいと思ったんだ」


 ああ、やっぱりハッピーエンドはあったんだ。メルセナはチルタのこの後ろ姿を目に焼き付けた。

「そうね、どうかしてるわ」

独り言のようにささやいた言葉に、グレーシャは眉根を寄せて「なんだよ」と返してきた。

「役目なんてクソッタレだわ。私たちは、私たちの物語を作ればいいのよ」

 9番の願いも、ほかの仲間の行方もまだ何もわからない。それでも、どんな茨の道だとしても、メルセナは見てみたいと思った。ネルもルナセオも、まだ見ぬ9番のクレッセも、みんなが幸せになれる結末を。

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