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「アイツ、まさかそのラゼとかいう子をやっちゃってるってことはないわよね?」
興味本位で尋ねると、父が顔をしかめて「セーナ」と名を呼んだ。
「だって気にならない?セオって笑顔の裏側に狂気を隠し持ってるタイプだと思うのよね」
「それは小説の読みすぎだ」
トレイズが盛大にため息をついて説明した。
「ラゼはルナセオが印を受け継ぐ前の巫子だ。あいつが印を継承したときに、ラゼは巫子狩りに殺された」
ネルがはっと息を呑んだ。マユキは悲しげに首を振って、ルナセオたちの消えていった階段を見上げた。
「じゃあ、4番の印はセオくんが受け継いだのね。まさかあの子が巫子になるなんて」
「俺はルナセオを連れてラトメまで行ったんだが、暴動に遭ってな。たまたま会ったこいつらと一緒にレクセまで逃げてきたんだ」
「途中、逆方向に向かってシェイルに行っちゃった話が抜けてるわ」
「うるせーな!」
方向音痴のトレイズはメルセナのツッコミに噛みついた。「しょうがねえだろ、この辺の地理には疎いんだよ」
「アンタ、レクセには何度も来てるじゃない」
マユキはうなだれた。「どおりで…」と小さくつぶやいたが、あいにく聞こえたのはメルセナだけのようだった。
「シェイルでもえらい目に遭ったぜ。巫子狩りはいるし、ギルビスは相変わらずだし。しかも王妃様が転移魔法を使ってくださるときたもんだ。命がいくつあっても足りやしねえ」
「は!?」
トレイズの言葉に、父が手にしたカップを勢いよく受け皿に置いた。ざっと顔を青ざめさせてトレイズを見る。
「王妃殿下が自ら転移を使われたのですか!?」
「そうそう。なかなか強烈な方だよな、お前んとこの王妃様。俺みたいな小市民に断れるわけないだろ?」
シェイルの王妃様といえば、父とラディ王子の母にして、メルセナに会いたいがために騎士団の詰め所に潜りこんだとかいう女性だ。父はこれ以上の絶望はないとばかりに、美貌を歪めて頭を抱えた。
「王殿下に殺される…」
「そんな転移くらいで大げさな」
「セーナ、我が都市の王は奥方を溺愛しておられるんだ、王妃殿下を煩わせたと知られれば…」
「し、知られれば?」
ゴクリと唾を飲んだが、父は悲しげに目を伏せて答えをくれなかった。
「いや、私の口からは言えない」
「なによお」
マユキは頬に手を当ててほうと息をついた。
「エルディがシェイルの王妃様のご落胤だって聞いたときはびっくりしたけど…今じゃ立派に騎士様やってるのねえ。うちの旦那とかレインと喧嘩ばっかりしてた頃が懐かしいわ」
「パパが喧嘩っ?」
びっくりして父を見上げると、彼は苦々しい顔で視線をそらした。恥ずかしいのか耳元が赤い。父の珍しい照れ顔は劇物だった。体の弱いお嬢さんなら息絶えてしまいそうだ。ネルはぽかんと見ているだけのようだが。
「そうよお。トレイズの後ろを雛みたいにくっついて回ってたんだから。うちの旦那が『モールガモの親子』ってからかって殴り合いになったわよね」
「あの…マユキ様、そのあたりで勘弁していただきたく…」
顔を上げられなくなった父が制止した。確かに父の少年時代の話はいくらでも聞きたいが、今はそんなことを話している場合ではない。
ネルがお茶を飲みながら話に加わってきた。
「ラファさん、会ったよ。途中から一緒にラトメに行ったの」
「あら、うちの旦那に会ったの?」
「うん。クレッセを連れて行ったってデクレが言ってたよ」
ようやくメルセナの中でも話が繋がってきた。つまり、マユキの夫だという神都の高等祭司が、ラトメで9番の症状を抑えて連れ出したという「ラファさん」らしい。
「そう、ラファはクレッセを無事連れ出したのね。よかった」
「マユキ、お前知ってたのか?ラファが9番を連れ出すって」
「うちの甥っ子をそんな無粋な呼び方しないでちょうだい」
マユキはピシャリと言った。甥っ子!メルセナは思わず叫びそうになったのを堪えた。クレッセとデクレ兄弟とは血縁関係にあたるから、なるほど、それで「マユキ“おばさん”」ということか。
「ラファはエルミの依頼でラトメに行くことになったって言っていたわ。あの人の思惑に乗るのは癪だけど、いつまでもレフィルのところにクレッセを置いておきたくないからって」
それからマユキは冷ややかに「あら、ごめんなさい。あなたの上司だったわね、そういえば」とわざとらしく付け加えた。こんな夜分に助けを求められるのだから、トレイズとマユキは仲が良いのかと思ったら、彼女のほうはトレイズに対してはとげとげしい態度だ。実はトレイズったら嫌われているのかしら…メルセナは考えたが、すぐに思い直した…どちらかというと、マユキはラトメ全体に対して心象がよくないのだろう。神宿塔で聞いたネルの話の通りなら、弟や甥を無理やり連れ去った都市に恨みがあっても無理もない。
「レフィルのことは…いや、俺も調べておく。ネルはレインから預かったんだ。レフィルから逃がしてやってくれと言われてな。行き先がここしか思いつかなかった。9番がラトメからいなくなった今、巫子狩りからもラトメからも身を隠せる場所といえばお前のところくらいしか」
「もちろん、ネルたちのことは私が預かります。でも全員の寝床はないわよ。セオくんはグレーシャの部屋に寝てもらうとして…」
「マユキ様、私とトレイズさんは宿を取ります。ただ、うちの娘のメルセナは置いていただけないでしょうか?この子も巫子なんです」
父が腰を低くして頼み込んだ。マユキが目を見開いてこちらを見るので、メルセナは即座に左の袖をまくって赤い手首をさらした。
「私たちも成り行きでネルたちと一緒にラトメから逃げてきたの。すごい偶然だけど」
「確かに運命的ね。分かったわ、メルセナ。あなたも今日はうちに泊まりなさい。暴動に巻き込まれたなら疲れているでしょう、細かい話は明日にして今日は…」
マユキの言葉が途切れた。上階からバタンと扉が開く音がしたからだ。ドスドスと足を踏み鳴らして、グレーシャが「お袋!救急箱!」と怒鳴りながら階段を降りてくる。なんだか怒り顔だ。
「ちょっと、ドタバタ音を立てないで」
「うるせーな!俺は今腹が立ってんだ!」
グレーシャはイライラしたまま戸棚から救急箱を取り出した。箱を小脇に抱えてぐるりと振り返ると、こちらを…中でもトレイズを、強く睨みつけてきた。
「お前らが何者か知らねえけど!人の家で勝手なことすんじゃねーぞ!」
「グレーシャ!失礼でしょ!」
母親がすかさず息子を叱ったが、息子のほうが聞く耳持たずに鼻を鳴らして階段を駆け上がっていく。どうもメルセナたちは歓迎されていない様子だ。
隣のネルが困った様子で尋ねてきた。
「セオ、喧嘩でもしたのかなあ」
「うーん」
腹を立てられているのは、ルナセオより私たちかもしれないわよ、メルセナはそう言おうとしたが、あんまりにもネルが不安げな表情なのでやめておいた。これ以上失言をすると流石に顰蹙ものだろうと思って。
◆
グレーシャの登場により、なし崩し的にお開きとなった会話のあと、父は玄関口で指笛を吹いた。すると、どこからか巨大な大鷲が飛んできて、父の肩に止まった。ゼルシャでギルビスの手紙を運んできた、いかにも気位の高そうなあの鳥だ。
「コイツ、私たちについてきてるの?」
「これはシェイル王宮の者が伝令に使っていて、呼べばどこへでも現れる魔法の鳥だ。まあ、一種の召喚術のようなものだな」
巫子の力で呼べるあの三つ首の獣とはえらく趣の異なる召喚獣だ。大鷲は気取った様子で、父の肩の上で背筋を伸ばした。
父は懐から取り出した手帳に、手早くなにやら書きつけると、ビリリとそのページを破って鳥の脚にくくりつけた。
「これをラディ殿下のところへ」
鳥は心得たとばかりに一声鳴くと、颯爽と夜空の向こうへ飛んでいき、あっという間に見えなくなった。
「なんて書いたの?」
「私たちはレクセに逃げていることと、あちらの状況を伺う旨くらいだ。うまく少年を保護できていればいいが」
そうは言いつつも、父はそんなに楽観的なことは起こらないと考えているようで、表情は厳しかった。メルセナを見下ろすと、頭を撫でながら言い聞かせてくる。
「セーナ、ネルとルナセオのことをよく見て、力になってあげなさい。彼らはひどく傷ついているようだ」
「ネルはなんかボーッとしてて心配だけど、セオも?アイツ、ラトメからずっとヘラヘラしてたじゃない」
「笑顔の人間が、必ずしも無理をしていないとは限らない。セーナ、誰かを大事にする気持ちは常に忘れてはいけない。いつも言っているだろう?」
「感謝と親切を忘れるなってことでしょ。分かってるわ。私が一番お姉さんだもの、任せて」
胸を張ったメルセナに、父はほほえんで頷いた。月明かりに照らされる父ときたら神々しさで目が潰れそうだ。
「そうだな、セーナももう立派な大人だ」
そう言う父は少し寂しげだった。とはいえ、メルセナは見かけからするとまだほんの幼子なのだが、父からすれば赤ん坊の頃から育ててきた娘はもう十分成長したように見えるらしい。父も大概親馬鹿だ、メルセナは彼の腰にめいっぱい抱きついた。
「やーね、大人になっても私は一生パパの娘なんだから、寂しがらなくていいのよ!」
「…おい、なに他人の家の前で親子愛劇場を繰り広げてんだ」
呆れた様子でトレイズがやってきた。
「行こうぜ、俺たちもさっさと宿を取らねえと」
「そうですね」
父は優しくメルセナを引きはがすと、心配そうに眉を下げた。
「いいな、セーナ。マユキ様にご迷惑をかけないように」
「分かってるわ」
「レクセはシェイルより暖かいが、腹を出して寝るなよ。あと、みだりに手首をさらさないように。それから…」
「…おい、それ、いつまで続くんだ?」
トレイズに引きずられるようにして連れて行かれる父を見送りながら、メルセナは嘆息した。メルセナが大人になっても、父がそれで子離れできるかどうかはまったくの別問題らしい。
◆
メルセナとネルは、神都に留学しているというマユキ宅の娘の部屋を借り受けることになった。ほかにも客間はあるようだし、トレイズと父が泊まっても部屋数は足りているところを見るに、やはり人数の問題ではなくマユキの心情の問題でトレイズを泊めたくなかったのだろう。とばっちりを受けた父を思うとなんだか胃のあたりがむかついてきた。
「パパが宿に行くなら私もそっちがよかった」
「最初からトレイズが巫子だけでもこっちに匿ってもらおうって言ってたじゃん」
「そりゃ分かってるわよ!でもパパと一緒がよかったの!」
シャワーを借りてラトメの砂汚れをすっかり落とした三人は、ネルの鞄に入っていた干し肉と乾パンをつまんだ。ルナセオが二階に行っている間に話したことは共有したものの、特に何が決まったというわけでもない。ルナセオはグレーシャの部屋で何があったのか、右手を包帯でぐるぐる巻きにされていた。メルセナは逆に彼のほうがグレーシャと殴り合いの喧嘩でもしたのか聞きたがったが、おなじみのあいまいな笑顔でごまかされた。巫子の仲間なのだから、彼だってもうちょっとこちらに歩み寄るべきだと思う。
マユキから借りた枕を膝にのせて頭を預けると、一気に眠気が襲ってきた。考えてもみれば怒涛の一日だった。朝にギルビスから便りが届いてから、転移でラトメに行って、暴動に巻き込まれて、神宿塔でネルたちに出会って、レクセにやってきて…またゼルシャに行くことがあれば、あの村のエルフの子供たちにたくさん土産話ができるだろう。とびきり波乱に満ちた巫子の旅の物語だ。
そのまま眠りの世界に引き込まれて、メルセナは夢を見た。シェイルの王城で、ヒーラがサーカスのチケットを持ってメルセナのところに駆け寄ってくる。また初恋の子に誘いを断られてしまったから、一緒に行ってほしいと言うヒーラに、メルセナは「あっちに断られたら次はこっちなんて、調子が良すぎるのよ」とうそぶきながらも、悪い気はしなかった。ひったくるようにチケットを受け取って、手をつないで一緒にサーカスに行く。
暗いテントの中できらびやかな光が交錯して、ダンサーが飛んだり跳ねたり、獣が炎の輪っかを通り抜けたり。幻みたいにきれいでハチャメチャなショーに、メルセナは手をたたいて大はしゃぎして、隣のヒーラもにこにこしていた。
サーカスのあと、メルセナがまた行きましょうねとヒーラに言うと、彼は少し悲しそうに笑った。どうしたの?尋ねると、ヒーラは身をかがめてメルセナと視線を合わせた。昔からよく知っている彼の背丈は、初めて会ったころはメルセナと頭ひとつ分も違わなかったのに、今やつま先立ちしても彼の肩にも届かないくらいで、知らない人がふたりを見ても年の離れた兄妹にしか見られない。
ヒーラはメルセナの手を取って、いつものようにやさしく言った。
「人間とエルフは、一緒には生きてはいけないよ。ましてや君は世界を救う巫子様だから」