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2章全9話、毎日0時更新です。よろしくお願いいたします。
巫子になったからといって、メルセナの人生に何か大きな変革があったかと聞かれれば、今のところ特にそんなことはなかった。
シェイルのお嬢さん達には「セーナの図太さは天下一品」などと言われたものだが、確かにその通りかもしれない。巫子になろうが、暴動に巻き込まれようが、メルセナは大して傷つかない。…もちろん、父が怪我をするのは金輪際ごめんだけれど。
ラトメで出会ったネルは、大事な幼なじみと引き離されて、ずいぶん憔悴しているように見えた。そりゃそうだ。メルセナだってあの混乱のさなか父とはぐれたら発狂するかもしれない。いや、父が暴動を生き残れないわけがないので、主に自分の身の危険を心配することになるだろうか。
一方で、もうひとりの巫子の仲間、レクセの学生だったというルナセオのことを、メルセナはまだどんな人物か測りかねていた。明るくて、優しげだけれど、どこか浮ついている少年。気さくでひょうきんそうに見えるけれど、それがなんだか軽薄そうにも見える。イマイチふわふわと掴みどころがない。
まあ、物語でも勇者パーティっていうのは一癖も二癖もあるのが普通だしね。メルセナは納得した。
◆
さて、父の転移によってやって来たレクセディアの学生街は、まだ夜更けには早いというのにもう人気がなかった。大通りは軒並み店じまいしていて、猫の子一匹いない。レクセの人たちはみんな早寝早起きなのだろうか。
「レクセだ…」
ルナセオが妙に感慨深くそう言うので、思わず「そりゃそうでしょ」と返すと、父に小突かれた。確かに久しぶりに故郷に帰ってきた人に言う台詞ではなかった。
ただ、ルナセオのほうはメルセナの冷たい反応も意に介していない様子だ。ますますとらえどころのない少年である。
「いや、こんなに早く帰ってこられると思ってなかったから。母さん、元気かなあ」
「言っとくが、家には帰れないぞ。人目につかないように気を付けろよ」
トレイズがすげなく言うと、ルナセオはそれにはしゅんとしたらしかった。
それにしても、せっかく故郷に帰ったのに、家には帰れず、人目にもつくなとはどういうことか。まるでお尋ね者みたいな言い草に、メルセナは疑わしげにルナセオを見上げた。
「アンタ、何やったのよ。実はすごい悪ガキだったとか?」
「ちょっとね」
さらりと流された。謎多き人物ってことね、なんだか燃えてきた。
ネルはぽかんと口を開けてレクセの街並みを眺めている。
「すごいね、家がいっぱい…こんなに小さい家じゃ、家族みんなで住むの大変だね」
「そう?こんなもんでしょ。シェイルの集合住宅もこんな感じよ」
確かにシェイルと比べればこじんまりとした家が密集しているが、レクセは学生の街だというし、ひとり暮らしの学生も多いのだろう。
しかし広大な野原が広がるインテレディア生まれのネルにはそもそも複数世帯が同じ建物に住むこと自体がピンとこないのか、
「しゅーごーじゅうたく…?それ、畑はどこに作るの?」
などとのたまっている。
メルセナが集合住宅とはなんたるかを解説しようとしたところで、先頭のトレイズがパンパン手を叩いた。
「さて、とりあえず俺の知り合いのところに行くぞ。お前ら、はぐれずについてこいよ」
「こんな大所帯で押しかけて大丈夫かな」
「まあ、いざとなれば俺とエルディは宿を取ってもいいだろ。とにかくお前ら巫子を匿ってもらわなきゃな」
トレイズがスタスタ歩き出すので、見かねた父が、「トレイズさん、恐らく目的地は右手の道です」とフォローを入れた。方向音痴だというのになぜ率先して前に出ようとするのか。
「パパ達が宿を取るのに、私たちは一緒じゃダメなの?」
大人数で押し掛けられたってその知り合いとやらも迷惑だろう。父を見上げたが、彼は首を横に振った。
「今から向かうのは追っ手の手が届きにくい場所だ。下手に宿に泊まって、周囲の人間を巻き込みたくはないだろう」
「手が届きにくいって?すごい辺鄙なところとか?」
「マユキ様…彼女の夫君は世界王陛下の覚えもめでたい神都の高等祭司だ。大概の者は近づけない」
なんと権力を託児所扱いとは恐れ入る。じっとりと父を見上げるも、娘の苦言には慣れているとばかりに肩をすくめられただけだった。
「無事に済む可能性を精査した結果だ」
「まだ何も言ってないわよ」
ツンと顔を背けた先で、ルナセオが路地を見つめながらなにやら深刻そうな顔をしているのが目に入った。彼の視線を追っても、ただかろうじて街灯のついた薄暗い道が続いているだけで、誰もいない。
ネルもルナセオの様子が気になったのか、くいくいマントを引いて声をかけた。
「ねえ、えーと…ルナセオって呼んでいい?」
ルナセオははっと我に返って、これまで通りのへらりとした笑みを浮かべた。「セオでいいよ。なに?」
鬼気迫る表情がなりを潜めたので、ネルはほっと息をついた。鈍感なのか、ルナセオのほうはきょとんとしているので、メルセナは彼の脇に駆け寄って、彼にだけ聞こえる声でささやいた。
「アンタが路地なんか睨んでるから気を遣ったんでしょ」
ルナセオは思わずといった風に口元に手をあてた。そもそも、やたらと恨みがましく路地を見ていた自覚もなかったらしい。
やれやれと内心のため息を押さえこみつつ、メルセナはネルとルナセオの前に出た。
「私のことはセーナでいいわよ。あ、もしくはセーナ姉さんと呼びなさい」
「セーナ姉さん、きみ、いくつになったの?」
カチンときた。しかし、ルナセオのような反応は珍しくない。メルセナは人間でいうところの10歳くらいにしか見えないから、同世代のお嬢さんたちと一緒にいると、おませな子供がひとり混じっているとからかわれたものだ。
「失礼ね!私は20歳よ!アンタ達より年上!」
「えーッ!?」
ネルとルナセオは大声を上げた。ネルなどは涙目になっている。まったくもって失礼な子たちである。前方を行くトレイズが呆れたように振り返った。
「お前らなあ、エルフって種族は人間の倍以上の寿命があるから、成長も遅いんだ。俺と同世代でようやく人間でいう20歳そこそこの見た目になるんだぜ?」
それからトレイズはぼそりと付け足した。
「ま、お前の年頃でそんなに口が達者なエルフなんてほかに見たことないけどな」
「そりゃそうよ。私、人間の街で育ったんだもの。旅に出てびっくりしちゃったわ、エルフの同世代たちってホントに子供よ、なーんにも知らないの」
見た目に関しては難儀してきたものだが、エルフの集落では20年も生きてあんなに幼いままなのを考えると、メルセナは人間の街で生きてきて幸福だったと思う。寿命こそ人間とは違えど、今後もメルセナが人里を離れてエルフの集落で生きていくことはまずないだろう。性格上耐えきれる気がしない。
そんな話をしているうちに、先ほどネルが驚いて見ていたものよりは少し大きな家が見えてきた。迷いなく進んでいくトレイズを見るに、どうやらあれが目的地らしい。
二階の窓のあたりに誰かがいる、と思ったところで、その人物もこちらに気づいたようだった。人影は窓から身を乗り出すと、目を剥いて叫んだ。
「あーッ!お前、お前ー!」
隣のルナセオが「あっ」と声を上げた。知り合いか、と尋ねる前に、ドタバタと階下に降りたらしい人影が玄関を開け放ち、猛然とルナセオに迫った。
「セオ!」
「グレーシャ…」
耳にはピアスがジャラジャラ、首にはネックレス、腕にはブレスレットといったやたらとアクセサリーまみれのチャラチャラした少年だ。レクセの学校の制服らしきシャツは着崩されて、鎖骨まで見えている。シェイル騎士団にこんな奴がいたら殴られてしまうだろう浮ついた風貌だ。
グレーシャと呼ばれた少年はルナセオの肩をひっつかむと、一切の加減なく前後に揺さぶった。ルナセオの、頭の後ろで括られた黄土色の髪がブンブン揺れる。
「どこ行ってたんだよ!うちから帰ってそのまま行方不明になりやがって!どんだけ心配したと思ってんだこのばかセオ!」
「ちょ、グレー、待って、目、目が」
ギブギブ、とグレーシャの腕を叩いてルナセオが解放されたところで、ようやくこの少年は周囲を見る余裕ができたらしい。なりゆきを見守ることしかできなかったメルセナたちを見て、胡乱な表情を作った。
「お前ら誰?」
すると、豪快に開きっぱなしの玄関から女性の声が飛んできた。
「グレーシャ、アンタ、ドアを開けっぱなしにするんじゃないわよ。何してるの?」
「お袋!セオが帰ってきた!」
ひょこりと玄関から顔を出したのは、グレーシャの母親らしき小麦色の髪の女性だった。きっとこれが父の言っていた「マユキ様」だろう。地位ある立場の夫がいるというからどんな貴婦人が出てくるのかと思ったが、その女性はどこにでもいそうな平凡な主婦にしか見えない。腰にエプロンを巻いており、服装もシンプルなワンピースだ。
彼女は息子同様びっくりした様子で、まずルナセオを見た。
「セオくん!それに…」
それからネルを目に留めると、ぱっと飛びついてきた。
「ネル!よくここまで来られたわね。あなたのお母さんから手紙をもらったのよ。あなたとデクレがラトメに連れて行かれたって」
「マユキおばさん…」
なんと、彼女と初対面なのはメルセナひとりらしい。マユキのほうも、まったく縁もゆかりもなかった知り合い同士が一緒になって押しかけてきたのが奇異に映ったのだろう。ネルを抱きしめたまま、怪訝そうに眉をひそめた。
「ええと、待って。ちょっとこれ、どういう組み合わせ?」
「悪いな、マユキ。いきなり押しかけて」
マユキの混乱をよそにトレイズが前に一歩出た「上がらせてもらってもいいか?」
「そりゃ構わないけど…何?何があったの」
「今までラトメにいたんだが、暴動に巻き込まれてな。とにかく子供たちを休ませてやってくれないか?事情はちゃんと説明する」
ラトメで暴動、のくだりで、マユキははっと息を飲んだ。すぐに家に通されたところで、メルセナはやっぱり連絡もなしに大人数で押しかけるのはマナーがなっていなかったのではと不安がよぎった。
通されたダイニングは夕食を終えたばかりという様子で、食器がまだテーブルに乗ったままだ。マユキは素早く皿を回収しながら「グレーシャ、適当な部屋から椅子を持ってきて」と息子に指示を出した。息子のほうも即座に別の部屋から椅子を持ってくる。阿吽の呼吸を地でいく親子だ。
マユキがお茶を入れに台所へ引っ込んだところで、息子のほうが頬杖をつきながらネルの髪をまじまじ見た。そういえば、ネルはフードを下ろして赤い髪をさらしたままだ。
「変わった髪だな」
「う、うん」
ネルはおどおどしながら縮こまった。マユキとは知り合いでも、このグレーシャとは面識がないらしい。歯に絹着せないグレーシャの物言いに、ルナセオが苦笑した。
「グレーシャ、女の子にそれはないだろ」
「それどころじゃねーよ!」
グレーシャはどん、とテーブルに拳を叩きつけて身を乗り出した。
「お前、どこ行ってたんだよ?すげえ騒ぎになったんだからな、あれから学校にも出てこなくてさ!」
「う、そ、そうだよな」
ルナセオはあいまいな笑みを浮かべたまま髪を撫でつけて左耳を隠した。グレーシャはなおもルナセオを睨みながら、ブラブラと椅子を揺らした。
「風紀委員のラゼ、いるじゃん?知ってるかわかんねえけど、あいつも同じ日に行方不明になってさ。まさか駆け落ちか?って噂になったんだけど、それから何日かして、モール川からあいつの死体が揚がったんだ。お前もどっかで死んでんじゃないかって、学校で大騒ぎになってたんだぜ」
「…ちょっと待って、ラゼの死体が?どこで揚がったって?」
「南の森にあるモール川だよ!もーびっくりしたっての。よく知らないけど不審死だかなんだかで?なんかの事件に巻き込まれたんじゃないかって役所の連中が血眼になって探したけど結局なにも分かんないし、同じ日にいなくなったお前はどこにもいないし。
でも、その様子じゃラゼと一緒だったわけじゃないんだな。そりゃそうだよな、お前らあんま接点なかったし」
「うん…そうだな…」
そのラゼとかいうのが何者かは知らないが、ルナセオは同輩が死んだというその事実より、「どこで」その死体が見つかったかという方に驚いているようだった。ミステリーの香りがするわね、メルセナが口を挟もうとしたが、ちょうどマユキが茶器の乗った大きなトレーを持って戻ってきてしまった。騎士道精神あふれる父がすかさずトレーをすくいあげる。
「ありがと、エルディ…グレーシャ、アンタは引っ込んでなさい。二階に行ってて」
「なんでだよ!俺も聞くよ!」
グレーシャは地団駄を踏んだが、階段を指差したまま微動だにしなかった。睨みあってすわ親子喧嘩かと思われたところで、ため息をつきながらルナセオが立ち上がった。
「じゃあ俺も一緒に二階に行くよ。こっちでのことも聞きたいし」
グレーシャと連れ立って階段を上がっていくルナセオの背中を見つめながら、メルセナは自分の胸がそわそわ好奇心で刺激されるのを感じていた。…やっぱりアイツ、なんか掴みどころがないわ。