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5-3 銀座四丁目、「天猫堂」での祝杯

「平様……」


 銀座四丁目、天猫堂てんびょうどうビル最上階。老舗宝石商「天猫堂」接客室で、貴船さんは俺を待っていた。


「お待ち申しておりました。おや……」


 俺に続いて接客室に現れた吉野さんを見て、微笑んだ。


「お連れ様ですか」

「ええ。俺の婚約者です」

「吉野と申します。平がいつもお世話になっております」

「お似合いのおふたりですね。……どうぞ」


 席を勧められ、茶が出された。セレブ相手に商談する立場だけに貴船さんは、かわいいだとか美人とか、そういうセクハラ紛いのおためごかしは口にしない。ガチ、品がいいからな、このおっさん。


「本日もダイヤの買い取りと伺いましたが……。婚姻のご相談でしょうか」


 首を傾げる。


「婚約指輪のご発注でしたら、特別な職人に造らせます。もちろん、平様の石を用いて」

「そうですね。今度婚約……というか特別な絆の指輪を発注します。えーと……」


 嫁と嫁候補を思い浮かべた。


「十二個ほど」

「十二……」


 窓外の空に視線を移した貴船さんが、遠い目をした。


「これは……ご健勝で。……と言っていいのかはわかりませんが」


 なんかごにょごにょ誤魔化してて、笑えるわ。商談百戦錬磨の貴船さんも、うまく受け流せないか。まあそりゃそうだけどさ。


「まあ冗談です。彼女にも、貴船さんの面識を頂きたいなと。……今後の俺達のためにも」

「なるほど」


 頷いている。


「ご活躍の噂は流れて参りますよ。手前共のような商売の場にも。なんでも……」


 くっくっと、楽しそうに含み笑いする。


「三木本商事と三猫銀行を大掃除したとかなんとか。平様と……お連れの方々が。……お連れの方々の指輪ですね、それでは」

「まあそういうことです」

「では、原石を拝見できますか」

「……これです」


 いつものボロ小銭入れからごろんと、持参のダイヤを転がした。鑑定用の天鵞絨びろうどの上に。


「これは……」


 さすがの貴船さんも絶句したか。まあ当然だ。いつもはせいぜい数十万から数千万クラスの原石しか持ち込まないが、今日持ってきたのは、桁違い。ビー玉よりでかいからな。ゴルフボールまではいかない程度の。


「日本で販売されたダイヤでは、過去最大では……」


 目を見開いている。


「三百カラットはありそうだ」

「一応、キッチンスケールで計ってきました。ねっ、吉野さん」

「ええ平くん。たしか……六十グラムくらい」


 一カラットは約〇・二グラム。だからまあざっくり三百カラットというところだろう。


「これを……手前共に売れと……」


 まじまじと、俺と吉野さんを見つめる。


「後で詳細に鑑定しますがぱっと見、カラーもクラリティーも良さそうだ。商品に仕上げれば、確実に億の単位……うまく行けば十億になる。一生に一度のカッティングと、弊社の職人も大喜びです」

「そちらで買い取って頂けますか」

「これほどの資産だと、当方での買い取りは無理ですね。購入費用の金利負担もあるし、たったの一品で企業としてB/Sも膨れ上がる。それに販売リスクが高すぎる」


 首を振った。


「ですので平様を売り主として、委託販売を引き受けます。平様の予算でカッティング仕上げし、天猫堂が責任を持って販売先を探す。販売が成立すれば、手前共はマージンを頂く。複数の買い手が手を挙げれば、入札になる。もし見つからなければ、先様の希望買取価格と平様の間を擦り合わせる」

「買い手が見つからなければ」

「ディスカウントということになりますが、大丈夫。絶対に見つかる。国内で無理でも、世界市場に出せば確実。天猫堂にも、海外との太いコネクションがありますし」

「どのルートでも結構ですが、俺の名前は伏せて下さいね」

「もちろん。これまで通りに。……ところで」


 鑑定台から頭を起こすと、俺を見つめる。


「平様はこれまで、慎重にダイヤの売却を進めてきた。目立たないように小さな石中心で、少しづつ。ですが今回、このような原石をお持ちになった。言ってみれば大きく動いた。それなりの資金を動かすからには……いよいよ、ご転身ですか。三木本を出て、起業されるとか」

「起業はないですね。俺、ガチ働きする気はないんで。サボって暮らしたいんですよ。とはいえ……」


 貴船さんとは信頼の点で、強い繋がりがある。隠す気はなかった。


「ご存じの通り、俺や吉野さんはちょっと暴れすぎた。社内外に敵を作るつもりはない。そろそろ生活の軸足を、異世界に移そうかと」

「平様……」


 初老の紳士は、俺をまっすぐ見据えてきた。


「平様ほどの大きな器は、現代のサラリーマン暮らしには窮屈でしょう。小賢しい足の引っ張り合いと義務のがんじがらめの。いつか……」


 手を伸ばし、俺の手をがっつり握る。


「いつかこの日が来ると思っておりました」

「今生の別れじゃないですよ、貴船さん。異世界に軸足を移すと言っても、こちらにも度々来ます。だからこそ貴船さんに彼女を見てもらったのです」

「有難きこと。商売人として、感激の極みです」

「今後とも、平と私をよろしくお願い致します」

「こちらこそです、吉野様」

「もしもの話ですが、貴船さん……」


 俺の視線を受けて、貴船さんは居住まいを正した。


「向こうでの拠点構築が安定して、異世界産のダイヤや貴石発掘流通ルートを整えたら、現実世界との貿易窓口を頼んでも構いませんか。天猫堂に。あるいは貴船家の家業として」

「平様……」

「調べましたよ。貴船家は本来、水神を祀る貴船神社宮司の家系。貴船さんのご実家はもう離れた分家ですが個人的に神職系大学に進み、神職資格である階位を取ってますね。そうした人に、俺は任せたい。天猫堂、ないし貴船を、異世界産物のブランドにしたいんです。宝石に限らず。ダイヤは、あくまでその嚆矢だ」

「そこまでお考えですか……」


 微笑んだ。


「さすがは平様。底辺社畜とご謙遜されますが、商社の血は争えませんな」


 脇の小さな冷蔵庫から、シャンパンのハーフボトルを取り出した。


「それは夢物語としておきましょう。とりあえず今のところは。平様、そして吉野様には、当面の問題が山積のはず。そちらを優先なさいませ。そして今日は、おふたりの成功を祝いましょう。営業用の泡ボトルで恐縮ですが」


 グラスに注いでくれた。


「平様、吉野様、それに十二人の指輪仲間の健勝と活躍を、天猫堂と貴船家、そして私はお祈り申し上げます」


 きれいに磨かれたグラスに、細かな泡が立つ。水面で弾けると、香りが立ち上った。見事に手入れされた葡萄畑、その豊かな実りを感じさせる香りが。



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