4-4 戦闘班、撤収判断
「廊下には人気がないよ」
三猫銀行大手町本店。白く輝く無機質な廊下。俺のワイシャツから顔を出すと、レナが見回した。
「予定通りだね、ご主人様」
「そもそも昼休み中だしな。皆、どこかで飯食ってるだろ。残ってた連中や早戻りした社員が廊下に見えないのは、戦闘班のおかげだな」
「今頃、オフィスでニュース画面にかじりついてるよー、絶対」
楽しげに、キラリンが俺を見上げてきた。オフィスの島デスク、あちこちに集まって小声で話す連中の姿が、目に浮かぶわ。
「そういうことだ、キラリン。それに目端の利く連中は、北に足を伸ばして無料弁当に並んでるだろうし」
イヤホンからは、タマゴ亭さんチームの大奮闘が聞こえてくる。いやサタン、意外に飯屋の看板娘、向いてるかもしれんな。「愚民愚民」笑い飛ばしながらもテキパキと、意外と丁寧に弁当をさばきまくってるし。罵倒してくる上から幼女が仕切る店とか、なんかヘンな属性の客が集まりそうだ。ガチ美少女のトリムや下町美人のタマゴ亭さんもいるから、ノーマル性癖の客にもフル対応できるしな。
「これは……異世界のタマゴ亭支店に、もっと本気になるべきかもな、俺達も」
「平さん」
キングーが突然、俺の袖を引いた。
「先の部屋のドアが開きました」
「こっちだ」
ふたりの腕を掴んで角を曲がる。視界の隅に映ったリーマンが、子連れの俺を、不審げな顔で見てた。そら、パパの職場見学って話なんか、そうはないしな。遠目だったから、シャツから顔を出したレナは、ネクタイの模様くらいにしか見えなかったと思うが。
俺達はさらに早足になる。騒ぎになる前になんとかしないと。
「エレベーターはまずい。キラリン、脳内地図で階段室まで頼む」
「うん」
キラリンは、すぐ先の角を指差した。
「そこを左。エレベーターホールになってるから、通り抜けて右。すぐトイレと給湯室があって、その先の扉が階段室。非常口灯があるから、すぐわかるよ」
「よし」
一階エレベーターホールというのに幸い、誰も待ってはいなかった。マジ戦闘班に感謝だわ。もう走るような速度で抜けると、ドアを開けて階段室に。エレベーターが数機動いているオフィスビルで、階段を使う奴なんかまず居ない。
目論見どおり無人の階段室で、上を見上げた。誰かが階段を降りてくる足音は皆無だ。
「ここなら大丈夫そうだよねー、ご主人様」
目の上に手を当てて、レナは上を覗き見ている。
「会議室は何階ですか、キラリンさん」
「うんとねえ、キングー。いくつもあるけど、コンプライアンス問題で役員が出てるし出席者も多いから……」
一瞬だけ、キラリンが瞳を閉じた。
「うん、十二階『椿の間』。まず間違いないよ」
「変わった名前だな。『第八会議室』とかじゃないんか」
「歴史ある企業だからねー、平パパ。会議室が全部、花の名前になってるんだ。椿はそもそも、三猫銀行がかつて所属していた財閥のイメージフラワーでね。それで創業者の猫崎三太郎があるとき──」
「三猫銀行のありがたーい歴史は、また今度。時間のあるとき、じっくり教えてくれ」
「早く上がりましょう、平さん」
キングーにまた、袖を引かれた。
ほぼ非常時専用の階段にコストを掛ける意味もないので、壁も階段自体も、かなり簡素な造りだ。階段室と各階フロアは扉で区切られている。火災時に、煙や炎を別フロアから隔離するためだ。
「ちょっとだけ待て、キングー。階段室は人気が無い。このチャンスに状況を確かめておきたい」
腕時計を見た。
──十二時五十八分十七秒──
あと二分もせずに、三木本商事臨時取締役会が始まる。当然だが、始まってすぐに永野の野郎が社長解任動議を提出するはず。解任動議は、あらゆる動議に優先して採決される。猶予時間はほとんどない。
スーツの内ポケットから、私用スマホを取り出した。エリーナが、戦闘班の現場を配信している。
「どうだ、エリーナ」
──平さん……──
スマホ画面には、炎のブレスを吐く巨大ドラゴン──エンリル──の姿が映っていた。
「警察が増えました。それで──あっ!」
画面が揺れた。
「うっ……」
「どうした」
苦しげな唸り声だ。
「なにかが……お腹に……」
自軍陣地に駆け戻る警察官の姿が、映っている。黒の制服。明らかに通常の機動隊ではない。
「SATが出たよ、パパ。暴徒鎮圧用ゴム弾で、エリーナを狙ったんだ」
エリーナも仲間だって、もうバレてたか。まあ時間が経った。その間、スピーカーで「危ないからどけ」とかもあっただろうしな。
「ゴム弾の射程は十メートルくらい。でもエンリルがブレスで牽制したから仕方なく、もっと遠くから撃ったんだ。だから『痛い』くらいで済んでる」
「どうする、ご主人様」
「平パパ」
「平さん……」
三人に見上げられた。
「エリーナ、この通話が終わったら、バンシースクリームで敵を無力化しろ」
「はい、平さん」
「そろそろ向こうも、殺傷能力の高い武器を使う段階だろう。危険だ。遠方からライフルで狙撃されては、エンリルはともかく、残りのふたりの命に関わる。スクリームで怯んでいる隙に撤収する」
「わかりました」
「ドラゴン形態を解くよう叫べ。そして即、スクリームだ。キラリンがすぐに行く」
「はい」
「よし、撤収開始っ!」
エリーナが大声を上げると、エンリルが頷いた。エリーナが大きく息を吸う。一瞬置いて、バンシースクリームが響き渡った。車両の陰で、機動隊やSATがうずくまるのが見えた。耳を押さえ、苦悶に顔が歪んでいる。
「行けキラリン。三人を異世界クラブハウスに飛ばせ。そこで待機だ」
「了解ーっ」
キラリンが頷いた。