3-1 社長解任の票読み
「社長……」
銀座七丁目、いつものワインバー個室。社長は独り、俺と吉野さんを待っていた。
「なんすか、その顔」
「……」
思わず笑った俺を、社長は睨んだ。
「なんすか、は失礼だろ、平くん」
「だってその顔……」
もう我慢できなかった。入口に立ったままゲラゲラ笑う俺を、社長は恨めしげに見上げている。
「目の下にクマできてるじゃないすか。それでも政治闘争を勝ち上がってきた百戦錬磨の、商社社長っすか」
「寝る暇が無くてな」
「平くん、失礼よ」
「すみません、社長」
一応謝ってから、席に着く。俺の脳外良心たる吉野さんに怒られたからな。
だが実際、社長はぼろぼろだった。クマだけじゃなく髪は乱れ気味だしシャツには脂が浮かんでいる。相当忙しいのは確かだろう。
「……で、それだけ慌ただしく動き回って、肝心の票読みはできたんですか。どうせその話でしょ」
「まあな……」
手でワイングラスを薦める。事前に注がれていたワインは、もうすっかり開いているということだろう。どろりと血の色の酒を、俺は味わった。鉄の味が口内に広がる。
「これだ」
テーブルに、社長は紙を広げた。手書きの名簿。手書きなのは、データ流出を恐れているからだろう。
そこにはこうあった──。
代表取締役会長 ◎
代表取締役社長 ◎
代表取締役専務 兼 金属資源事業部長 ○>退任:後任未定
代表取締役常務 兼 ミキモト・インターナショナル プレジデント ○>?
取締役 労務担当 ○
代表取締役副社長 △>?
常務取締役・最高財務責任者 △>?
取締役 兼 途上国権益探査室長 △>?
社外取締役(三猫銀行常務) △
常務取締役・経理担当(永野) ✕<★臨時取締役会提議:おそらく社長就任狙い
取締役 システム開発・外販室担当 ✕<平のダイヤ疑惑提議
取締役 兼 オルタナティブ資源開発事業部長 △>✕確定;永野派明言
取締役 兼 貴金属・レアメタル事業部事業部長 △>✕?
「?以外の読みは、まず確実だ」
「なるほど……」
「金属資源事業部長」の行を、吉野さんはとんとんと叩いた。
「海部さんが退任に追い込まれたのは、つくづく痛いですね」
「そういうことだ」
一気にぐっと空けると、社長はデキャンタからワインを継ぎ足した。
「なにせ代表権のある専務だからな。海部くんが辞めさせられて、取締役は大きく動揺した」
「そもそも海部さんは、次期社長候補筆頭でしたからね。それだけの実力者が追い詰められたってことは、反社長派は相当な力を持っている──って判断したんでしょうね」
「社長、睨みが利いてないじゃないすか。蟻の一穴でぼろぼろ味方が脱落するとか」
「……次なんか言ったら、こいつで殴る」
デキャンタの首をぐっと握り締めてて笑うわ。
「すんません。冗談が過ぎました」
「蟻の一穴どころじゃない。なんせ海部くんだからな。ダムに大穴だ。……それで、中立派が何人か永野支持に転んだ」
「これ見ると、社長派が四人、反社長派が四人。拮抗していて、中立派……というか態度不明が四人か……」
海部が残っていれば五対四。かろうじて社長が有利。おまけにもちろん現役社長のほうがなんだかんだで権力あるから、中立派は社長消極的支持が多いだろうしな。
「私と平くんが中立派と読んでいたふたりが、反社長派に転んでるわね」
「海部さんが辞めたからなあ……」
「しかも別に不始末とかじゃないしね。退任理由も、『一身上の都合』のままだし。……誰も信じていないけれど」
「そこに反社長派の不気味な力を感じるでしょうね、吉野さん」
「ええ」
「社長は当然として、会長ももう『上がり』の身。社長とは長い仲だし、今さら裏切る意味がない。ここまでが二重丸」
「海外事業担当の常務はそもそも国内にあまり居ないから、社内政治、まして社長追い落としとかのきな臭い陰謀に関係する可能性は薄いわね」
「労務担当の高田は、川岸左遷を俺と握った相手だ。その点からも社長派と見ていい。あの一件で反社長派に疎まれてるに違いないからな。反社長派に寝返ったとしても、碌なポストは与えられないのが明白だ」
「高田さんだろ。相変わらず君は口が悪いな」
社長が苦笑い。
「いいじゃないっすか。社長のこの読み、中々いいっすよ。少なくとも社長派の読みは正しい。反社長派の読みにしても、仮に間違っていたとしたらそれは社長派が増えるということになる。だから慎重に読んだこの仮定に問題はない」
「上から目線だな、平くんは」
呆れたように見つめられた。
「まあまあ。社長だっておべんちゃら抜き、出世も左遷も気にしない本音丸出しの俺だから、味方に引き入れたわけでしょ」
「まあ……そうだな」
「となると焦点は、どちらについているのか不明の四人か……」
「反社長派が臨時取締役会を発議した以上、少なくともふたりは確保しているでしょうね」
「勝ち目がなかったら、大荒れ上等の社長解任動議狙いの取締役会発議なんか、するわけないからな」
「俺の想像だと、副社長は転んでますね」
「鉾田か……」
社長が唸った。
「ええ。あいつは俺と通じていた。すごく率直な物言いのおっさんで、社内が荒れるくらいなら新勢力につくと明言してた。三木本商事の歴史に傷は着けたくない。社長追い落としが大勢ならそれに乗って、社長に傷を付けない形で円満に退任を促すと」
それに退任した代表取締役専務、海部の謎掛けに「鉾」が出てきたからな。暗に教えてくれた可能性が高い。副社長は寝返ったと。
「……あいつの言いそうなことだ」
苦笑いを浮かべると、社長はまた酒を飲んだ。
「なにせ三木本商事の副社長は、『上がり』ポジション。これ以上の出世は絶対にない。ならばなるだけ長い間、そこに留まりたいでしょうからね」
「社長退任が見えてきたら、あっさり乗り換えるわよね。反社長派の永野さんが次期社長に成り上がるなら、自分はこのまま副社長ポジションに置いてくれ……と」
「永野にとっても、副社長が味方につくなら、副社長ポジくらい継続させるだろうからな。重鎮たる副社長が入ったとわかれば、中立派の取締役説得にも使えるし」
それになにしろ副社長は、あの赤坂の謎クラブを通じて、永野の色仕掛けに転んでる。断れば浮気動画を公開する──くらいはさりげなく脅されていると判断するのが当然だ。
「となると、残り三人か」
「銀行マンは大丈夫っしょ。そもそも社外取締役で、三木本商事の社内闘争になんか巻き込まれたくないに決まってる」
「変に関わると、銀行内部の出世競争に悪影響でしょうしね」
「そうそう」
大取引先の商社で社長放逐陰謀に関わったとなったら、そら銀行内で立場なんかないだろ。他の取引先企業がドン引きするから。「三猫銀行は、融資先を奴隷かなんかと思ってるのか」とかな。
「これで一対一。残りふたりのうち、少なくともひとりは既に反社長派に転んでいる。それでなければ臨時取締役会を発議などしないからな」
「CFOの石元さん、それに途上国権益担当の栃木さんね……」
吉野さんは唸った。
どちらが裏切り者だろうか……。
知らず知らずのうちに、俺は眉を寄せていたようだ。顔を撫でて、俺は緊張を解いた。
さて……。