1-2 ふみえパパ降臨
例のワインバー個室。吉野さんを前に、俺は自分の票読みを披露した。
「三木本商事は伝統的に社長ワンマン。だからこそ厳しい状況でもトップダウンで荒波を乗り越えてこられた。それを実現するために、会長職はほぼお飾りに設定されてます。社内権力はほとんどない。そういう立場の役職だけに、現会長も自分と会社の体面しか考えてない。要するに融和派というか、揉めるくらいならどちらか強い方につくでしょう」
「だから三角か……」
「ええ吉野さん。その意味であの食えない副社長と同じ。このふたりが転ぶだけで、五対六に中立が二。中立は反社長に流れることが多いでしょうし、社長派から裏切り者だって出てくる。社長はおしまいっすね」
「もう少し検討しましょう、平くん。……他の人を教えて」
「はい。専務の金属資源事業部長、つまり俺にやたらと咬み付いてきた川岸野郎の元上司ですが、彼はもともと次期社長レースの本命。このまま社長に続投してもらえれば自分が社長だ。反社長につくわけがない。反社長派が勝てば、当然次期社長は反社長派の親玉、つまり多分永野になる。そいつらを応援するわけない」
「当然ね。それに平くんとも通じているし」
「そういうことです。それでですね、代表取締役の肩書を持つのは、あとひとり。ミキモトインターナショナルのプレジデント。要するに三木本商事の海外事業統括ですね。金属資源事業部と並び、海外事業所管は、社長就任コースの本命だ。順調に行けば次の次は彼になるし、社長を裏切る動機がない。本人ともウェブ会議しましたが、本社が反社長で荒れてると知って、驚いてましたよ」
「海外にいるんだもの。反社長派が手を出すのも難しいわね」
「そういうことです」
吉野さんは、もうひとくち、ワインを口に含んだ。
「あと、代表権を持たない常務がふたり。ひとりはメインバンク三猫銀行からの落下傘役員で、向こうでの頭取レースの経験から、陰謀には強い拒否感がある。俺とも握ったし、これだけ反社長派が勢いを増しても揺らいでないから、反社長を隠すための芝居とはもう思えない。社長派と思います」
「いい判断ね、平くん。さすがだわ」
「もうひとりは例の永野だ。反社長ののろしを上げた張本人だし、反社長派で間違いない。というかこいつ、おそらく黒幕ですね」
「でも彼は経理プロパーでしょ。社内に政治力を広げられる部署じゃないわよ」
「あいつ、妙に寝技が得意なんですよ。謎の仕掛けをたくさん持ってそうです」
なんせあの赤坂の謎クラブで副社長を篭絡してたしな。女使って。その意味でマジ「寝技」だわ。他にもいろいろな手を使って、取締役連中や執行役員を手なづけてると思うわ。ガチ黒幕ならではの動きというかな。
「それに動機もでかい。なんせ経理役員なんて、商社で社長になれるはずないですからね。陰謀でも企まない限り」
「ここまでの読みは、まず鉄板というところなんでしょ」
「はい。あとはただのヒラ取締役。これが五人。こいつら全員、俺や吉野さんを追い出して三木本Iリサーチ社の役員に収まった連中だ。その経緯からもわかるように、ほとんどが反社長派か、せいぜい中立です」
「前に検討したときは、五分五分くらいの判断が多かったわよね」
「ええ。でもどうやらもう、すっかり旗印を明らかにしてますね、反社長で。社長派は、俺と握って川岸を叩き出した労務担当。彼は社長派で間違いない」
「あとは途上国権益探査室長か……。彼は食わせ者って、もっぱら社内の噂だもんね。志があってどちらかにつくんじゃなくて、力のあるほうにあっさり寝返るわよ」
「なので三角ですが、危険度は高い」
「うーん……」
吉野さんは唸った。
「社長、これもう相当まずいわね」
「はい。社長に宣言したとおり、俺ももう裏切ろうかと」
「また冗談」
くすくす笑った。
「残りが社外取締役ね。三猫銀行の常務さんだけれど、三木本でもちゃんと取締役会の票を持っている」
「メインバンクの立場を代表する野郎ですから、揉め事がいちばん嫌でしょうね。その意味で、どっちにも転ぶ。反社長が力を持てば、社長を説得して自主退任に追い込むでしょう」
「取締役会が社長解任動議で荒れるのは、メインバンクは嫌よね」
「ええ。銀行内でもこいつの落ち度になるから、頭取レースで敵に利用されるし」
その意味で、同じ三猫出身でも、ウチの最高財務責任者とは違う。あの石元はもう、三木本に転籍してるからな。人事的には銀行の尻尾はついてない。
「で、どうするの、これ。A4たった一枚だけれど、三木本商事にとっては超重要な情報でしょ」
じっと見つめられた。
「はい。約束通り、社長にこれをそのまま流します。社長にはまず、自派閥を固めさせないと。地盤を切り崩させないように」
「それに、三角の人の説得よね」
「ええ。あのハゲ、適当に出世を約束するでしょ。次の次は最低でも副社長だとか、常務だとかなんとか」
「いい戦略ね。……でもまた、そんなこと言って」
くすくす。
「私達、社長にはご恩があるでしょ」
「ハゲはハゲだし」
それに反社長派に転んだヒラ取連中の呼び戻しもしてもらわないとならないしな。俺がそう言うと、吉野さんは頷いた。
「たしかにね。さすがは平くん。私が大好きになった男だけあるわ」
ぎゅっと、両手で俺の手を包んでくれる。
「私……平くんの辛さを慰めてあげるね。トリムちゃんが魂の欠片になって、心に大きな穴が開いてるでしょ。私にはわかるよ。だって……平くんが大好きだから」
「吉野さん……」
中腰になった吉野さんの顔が近づいてきた。髪の毛がざっと流れ、吉野さんのいい香りを振り撒く。
「好きです」
「私も……自分より平くんが好き」
「……」
「……」
ふたり唇が重なる瞬間、個室の扉が勢いよく開いた。
「悪い悪い」
入ってきた男は、大声を上げた。
「遅刻してすまんな。出掛けにヤバい案件が湧いてさ。どうしても段取りつけないとならないで」
慌てて腰を下ろし、お行儀よくなった俺と吉野さんを見回す。
「君が平くんだね。ふみえから話は聞いてるよ」
「お父さん……」
吉野さんが微笑んだ。
俺にとっての「ラスボス」、ふみえパパがポップアップしたーっ!