7-5 サタン放逐
サタンの話は続いた。
「母様が亡くなってからも、あたしの魔力は伸びなかった。あたしは籠もったままで、側近による摂政政治が始まったが、やはりその異様さは、すぐに疑念を招いた。新サタンは出来損ないではないかと」
「なにしろ魔族は下剋上の世界に生きている。トップの凋落はすぐに察したことだろう」
湯気の立つコーヒーをサーブしながら、タマが唸った。
「そういうことよ」
トリムが渡したタオルで、サタンは涙を拭った。
「最初は静かだった。意外に皆、従っている。そう側近はあたしを励ました。今のうちに魔力を開放する訓練をしようと。……だがそれは、ルシファーめが有力魔族を次々に口説いて回る、その時間だったのだ」
もう一度タオルに顔を埋めると続ける。
「最後は一気だった。魔王居城をいきなり多くの魔族が取り囲み、攻撃を加え始めた」
「本能寺の変ね……」
吉野さんが眉を寄せた。
「かわいそうに」
「わずかな側近に連れられ、あたしは裏から脱出した。生まれたときからあたしを守ってくれた側近の多くは館に残り、サタン指揮下と偽装して堂々と戦い、そして死んだ。館が炎に包まれるのを、あたしは遠くの山道で見ていた」
また涙が流れた。もう止まらなかった。次々に湧いて出てくる。
「皆、死んだ。サタン脱出を知ったルシファーは、追手をかけた。あたしの側近はあれだけ強かったのに、追われる過程で、ひとりまたひとりと倒れていった。最後に残ったのは、爺……たったひとり。生まれてからずっと、あたしを教育してくれた爺……。爺は全ての魔力を開放して、あたしに化けた。影武者として。姫、強く生きなされ……と言い残し、ひとり隠れ家に残って。あたしは……そこから船で川を下った。漁師の船に偽装した、魔導船で」
さすがにそこは見つからなかった。ルシファーはすでに魔族を掌握した。側近をはじめサタン派の魔族は、全て粛清された。仮にサタンが死んでいなくても、魔力枯渇の小娘が落ち延びていようが、どうでも良かったから。それより人間の地への侵攻準備に忙しかった。
「絶望し、自堕落な日々を送っていたあたしに、ある日、女神が声を掛けてきた。使い魔にならないかと。投げやりになっていたあたしは、それを受諾した。どうなっても、今よりはマシ。平凡な魔力しか持たないあたしが、魔王などと名乗れるはずもなし、と」
「それなんだけど、前から疑問だったんだよな。使い魔候補は、使い手の能力や相性を元に、自動で選定されるという話だった。それを司る女神ってのがいるんだな」
「そうだよご主人様」
レナがテーブルの上から俺を見上げた。
「前も教えたじゃん。使い手候補が決まったときに、運命の女神が介入するんだ」
「レナも会ったことあるんだな。タマも」
「うん」
「ああ。……いずれボスも会えるだろう」
「どんな奴なんだよ」
「それは……女神だとしか」
わけわからん。
「いずれにしろこうして、あたしは甲の使い魔となった。存分に使ってくれて構わんぞ。あの契約書を守ってくれる限りは」
要するにルシファーの追っ手から守ってくれって話だよな。
「それはいいけどさ……」
それより、重大な問題がある。それは……。
「使い魔としてお前を召喚したのは、ルシファーと戦うためだ。その意味で、お前の望みと同じだ」
「おう……」
涙を拭うと、俺を見つめた。
「それはいい。このサタン、存分に力を発揮して進ぜよう」
「ルシファーには無敵の防壁がある。バリアって奴。それを破れるのは魔族のみと聞いた。――お前に破れるのか」
ストレートに聞いた。なにしろここがクリアできないと、戦うもクソもない。
「任せろ」
胸を張った。
「あたしは大魔王。ルシファーごときの防壁など、瞬殺だわ」
「……ご主人様」
レナが目配せしてきた。そうだな……。
「それは、サタンが本来の魔力を発揮できればだろ。今の状態で大丈夫なのか」
「それは……」
サタンは詰まった。
「そのときには魔力が全開にできる。……多分」
うーん……。
「信じてくれ、甲。魔力が注入されたのはたしかなのだ。……なぜかそれが表に出せないだけで」
悔しそうに唇を噛んでいる。
「あやふやな希望にすがるわけにはいかん」
ケルクスが冷たく言い放った。
「それは負け戦のパターンだ」
戦士だけに、戦いに関してはしっかりした考えを持っている。
「ルシファーは残忍で狡猾です。侮っていい相手ではありません」
バンシーのエリーナが付け加えた。なんせついこの間まで魔族に使われていただけあり、ルシファーの動向については詳しい。
「それにサタンの力がいかほどか、事前に知っておいたほうがいいだろう」
タマが付け加えた。
「ルシファー戦は総力戦になる。まず味方の力を能力を把握していなくては、勝利は望めん」
「タマちゃんの言うとおりね」
ほっと、吉野さんが溜息をついた。
「平さん、母上に聞いてみましょうか。ルシファーの動向など」
天使亜人のキングーが申し出てくれた。
「あたしもママに聞いてみるね、サタンの能力を開放できるかどうか」
キラリンはまだデザートを離さない。
マリリン博士か……。いやそれはどうだろうなあ、魔力測定とかはできるかもだけど、引き出すとかは……。仮に可能としても、いろいろ研究実験してからだろうし、とてつもない時間がかかりそうだ。
「キラリンもキングーもありがとうな。……ただ、今はそれより実戦だろ、まずは」
「そうですね……」
キングーも考え込んでしまった。
「それなら、ハイエルフの里に行こうよ」
トリムが手を上げた。
「なにかあるのか」
「トラエが困ってるんだって。聖地にモンスターが出るようになって」
「トリムの妹な。巫女になった」
ごろごろ寝転んだままスイーツをむさぼり食う「干物妹」だけどな、あいつ。
「ハイエルフの聖地なのにモンスターなんて出るのか」
「前代未聞だって。地下ダンジョンができてて、普段はその巣に潜んでて、夜な夜な外に出て聖地のエネルギーを吸い取るって。……ハイエルフの戦士やスカウトが討伐隊を組んだけど、地下の細い洞窟だから弓での戦闘が難しい上に、あちこちに穴があって迷路も同然。侵入者の気配を感じ取ると奥深くに籠もって出て来ないから、退治できないんだって」
「めんどくさそうな野郎だな」
「でもこのチームには、索敵……というか地図作りに優れたキラリンがいるし、なんとかなるんじゃないかな」
「なるほど」
たしかに、それはそうだ。
「うーん……」
俺は見回した。吉野さんタマレナキラリン、キングーにエリーナ、それにケルクス。皆、それがいいといった表情だ。
「よし。エリーナとサタンが加わって、俺達の布陣も変わった。訓練はいずれにしろ必要だ。実戦を通して、それを把握しよう。要するにアリンコみたいな奴だろ。そんなに苦労しないんじゃないかな」
言ってはみたが、これが「フリ」になると嫌だなあ……という、嫌な予感もした。
●次話から新章、「聖地のほころび」開始です!