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2-2 俺に甘える吉野さんがかわいい。これ本当に上司か……

「ねえ平くん」


 その晩ふたり、ホテルの食堂で前菜とサラダを食べているとき、吉野さんが口を開いた。


「なんです、吉野さん」


 関係ないけど、この前菜うまいな。イタリア料理ベースの食堂なんだけど、サラダの野菜ひとつ取っても味がある。普段食ってる「五時間洗濯して味が抜け切りました」みたいな野菜とは大違い。


 カルパッチョだって地場の魚が、白身のくせに味の濃い面白い奴。かかってるオリーブオイルも香りがガン強くて格別。これ特別な品だろきっと。こりゃ相当イケてるに違いないぞ、メインも。


「今後を考えて、一応あのビルに拠点を確保したでしょ。タマゴ亭案件は継続だし、経企の企画でも異世界に行ける。……だから私達、これまでどおりあっちの世界で遊んでいられる」

「そうですね。吉野さん」


 まあこれ、吉野さんの機転が半分だからな。さすが俺のかわいいエリート上司だ。


「でも思ったのよ。特に異世界にこだわる必要ないんじゃないかって。いくら平くんに力があるといっても、危険なことには変わりがないし。……ありがと」


 スタッフが前菜の空き皿を下げに来た。ついでに生ビールのおかわりを置き、バスケットで冷やした白ワインもついでくれる。ワインだけでもいいんだが、やっぱ夏はビールっしょ。ちゃんぽん上等だし。


 パスタの皿を置いてスタッフが消えてから、吉野さんは話を続けた。


「だってそうでしょう。私も平くんも、九月からはシニアフェロー。ざっと計算してみたけど、ふたり合わせれば年収何千万かの後半くらいにはなる。異世界から撤退したって、本社でまったり仕事してれば、それが手に入るのよ。危険なことなんてする必要はない」

「まあ、そうかな」


 俺はパスタを食べてみた。ニョッキのクリームソース。ニョッキって初めて食ったけど見た目芋虫みたいで、正直どうかと思うわw でももちもちしてて歯応え最高。スパなんかとは感触が違うな。


 バニラのような香りすらあるクリームソースがまたうまい。油分が見事に乳化してるせいか、ソースの舌触りはどこまでもなめらか。旨味あふれるソースのこってりした後味をドライな白ワインで流し込むと、得も言われぬおいしさがある。


 きりっと頭が痛くなるほど冷えた生ビールにも合うし、こりゃ「本日のおすすめパスタ」選んで正解だったな。


「異世界どころか、三木本を辞めたっていいわけだし。私が食べさせてあげたっていい」


 そこまで俺を思ってくれるなんて、男冥利に尽きる。まあでも吉野さんは、俺が食べさせてあげるんだ。責任を持って幸せにする。


「それに……いざとなればダイヤがあるよね、平くん」

「もちろんです」

「私、ダイヤの価値ってよくわからないけど、重さで多分もう数十キロあるでしょ。一生食うに困らないどころか、三木本の本社買収しても随分余るくらいじゃないの、あれ」


 以前退屈しのぎに、俺も計算してみたことがある。色やサイズなど考慮せず、以前天猫堂で買い取ってもらったときの重さ単価で単純に換算すると、手持ちのダイヤは俺が市場に卸す原石価格として一兆円といったところ。


 大きな粒は幾何級数的に貴重で高くなるはずだから、ざっくり最低でもその十倍。多分実際は三十倍とか五十倍だから、自動車メーカートップである猫田自動車の時価総額より大きい。泡沫商社である三木本本社どころか、天下のネコタを買収できるな。


 まあ実際にそんなの一度に市場に出したら暴落するだろうから、机上の計算は無意味だが。それにそんなことしたら、暴落で大損する南アのダイヤシンジケートが黙ってないだろ。俺と吉野さんが謎の死を遂げるくらいは起こっても不思議じゃない。


 でも目立たないように、市場を荒らさないように少しずつ売る分には、なんとかなるはず。こっちは道徳的合法的にダイヤを手に入れている。文句言われる筋合いはない。ふたりの生活費が出る程度にちまちま売っていけばいいんだし、そんなこんまい金、連中が気にするわけないからな。


「どう思う、平くん」


 スタッフがパスタの皿を下げに来て、また会話が止まった。メインは車海老と手長海老のグリル、それにアグー豚の炭火焼き。これもまたうまそうだ。


「たしかに、吉野さんの言うとおりです」


 すでに白は空いて、今はまったり濃い赤ワインに移っている。海老は香りが強く、魚介系ながら、しっかりした赤ワインにも負けない。豚は硬いが噛み締めれば噛み締めるほど旨味が滲み出てくる力強い逸品で、これまた赤でがっぷり四つに受け止めるのにふさわしい。


 いつもの半額弁当×なんちゃってビールも最高だが、たまにはこういうのもいいな。俺はどっちも好きだ。半額弁当だって我慢してるわけじゃなく、いいと思ってるから不満はない。それどころかコスパ最高なんだから、感謝したいくらいさ。


「ただ、異世界って面白くないですか。……俺は好きかな」

「まあ……それは。……私も割と好き。ちょっと目立つと陰口されて出る杭は打たれるとか、その手の嫌なことがないし」


 ワイン二本めに入っているからか、吉野さん、今日はいつもより大胆なこと言うな。


「俺だってそうです。俺はどの部署でも厄介者扱いでさげすまれ、定期異動の季節が来ると必ず――いえ時期でもないときだって叩き出されて、あちこちの部署をたらい回しされてきた。……異世界は自由だ。そんな狭い世界の足の引っ張り合いみたいな面倒がない。自由に歩き回って、好きなことができる。それにはずっと関わっていたい。それに……」


 それに、俺には時間がない。異世界で蛮族の地に向かい、なんとしても延寿の秘法を入手しないと。それでないと、吉野さんを幸せになんてできないからな。


「それに……なに?」

「いえ……」


 酔って危うくバラすところだった。危ない危ない。いつも俺を気遣ってくれる吉野さんを、泣かせる気はない。


「それに俺は、異世界で生き生きしてる吉野さんが好きです。一緒にあのぽかぽかした草原をずっと歩いていられたら、俺はそれだけで幸せなんです」


 本心だ。秘密は話してないが、嘘はついてない。俺は吉野さんと、あの世界をサボりながらお散歩したいんだ。


「そう……」


 下を向くと、吉野さんはほっと息を吐いた。


「じゃあとりあえずは継続ね。辞めるのはいつでもできるし。……実は私も、それが平くんらしいって、内心ではわかってた」

「ありがとうございます」

「……ねえ平くん」

「なんです吉野さん」

「今晩、レナちゃんやタマちゃんは、まだ呼ばなくてもいいよね」

「はい?」

「だって、ふたりっきりの夜なんて、初めてでしょう。私達」

「は、はい……」


 ふたりっきりの夜か……。


 俺だってこの旅行、期待していなかったと言えば嘘になる。


 だってあの夢のような一夜からこっち、吉野さんとはなにもない。そもそも同じ部屋で寝ることがないし。たまに異世界の客間泊があったとしても、にぎやかな使い魔連中と一緒だから、普通に雑魚寝で終わる。


 もっと言えば、レナとも同じ。夢の中でこそ毎晩のように癒やしてもらってるが、現実世界は別。なんせ最近ではトリムがお泊まりにくるから、そういう雰囲気自体がない。せっせとふたりの世話する、女子寮の管理人かよって感じ。


 夢の世界があるから、なんとか我慢できるしな。夢でサキュバス能力を存分に使えるせいか、レナも現実でエッチエッチ要求してこなくなってるし。


 なので俺、これまで二十五年の人生で、たった一晩エッチなことをしただけ。なんだかモテてるような気にはなってたが、よくよく考えてみると、ただの準童貞じゃん、俺w


「たしかに、ふたりっきりなのは貴重ですね」

「そうでしょ」


 レナにしてから、普段は姿を隠したまま俺にくっついてくるところ、今回は覗くなと命じ、存在自体を封じてある。それは特に初日、もしかしたらの展開があるかもと考えたからだ。


「今日、ちょっと冒険してみたいんだ」

「冒険?」

「うん。私、いつも地味でしょ、ランジェリーとか」

「はあ……」


 なんとなく何度かはチラ見できたしな。高そうだけど地味な奴。地味だろうと俺は気にしない。吉野さんが好きなだけで、下着が好きなわけじゃないからな。でもまあ吉野さんも女子だ。気持ちはわかる。


「私、あの晩もそうだったし……」


 酔って少しとろんとした瞳で、俺を見つめてきた。あの晩ってのはもちろん、初めて結ばれたあの夜のことだろう。


 初めての痛みに涙を浮かべながらもけなげに俺の背に腕を回してきた吉野さんの姿が、またしても脳裏に浮かんだ。もう何百回も妄想で再現したシーンだ。


「だから今回、かわいいの買ってきた」

「か、かわいいの……」

「うん。恥ずかしかったけど、平くんの驚く顔を想像して、思い切って買っちゃった……。食事の後、お風呂入ったら、それを身に着けようかなあって」

「それを……」


 なんだなんだ。かわいらしい系白レースか? それとも大人っぽく上品な、輝くような白い絹。あるいはまさかの妖しい冒険ランジェリーとか。……ボンデージ姿で異世界を闊歩した人だ。女王様バージョンの可能性だってある。


 色っぽい艶々したボディースーツに髪を下ろした眼鏡の女王様姿。ベッドに腰掛ける俺の前で恥ずかしそうに佇む吉野さんの姿が、勝手に脳内構築されるーぅ。の、脳が暴走してやがるw


「だから今晩くらい……いいでしょう。私が平くんに甘えて、ふたりっきりをおねだりしても」


 かわいい。かわいすぎるぞ、俺の上司。


 さすがに俺のストッパーが外れた。


 黙ったまま手を伸ばすと、吉野さんの手をぎゅっと握り締めた。


 吉野さんの手は、赤くなった頬と同じく、火傷しそうなくらい火照っていた。

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