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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

羅刹童子

作者: 瀬浪遥妬

短編です

その日の夜は悲しみを誘う暗闇であった。



そんな暗がりを、男は手にした一升瓶をちゃぽちゃぽと音を立てて覗いていた。虚ろとした瞳は何を考えているのかよく分からなくて、少し不気味である。



男の姿はこけた頬にでっぷりとした下っ腹、それでいた息は酷く酒臭い。安蛍光灯に照らされた姿は、まるで現世に現れた化け物のようである。



その憔悴しきった顔を顰めて、男は一つ二つ思いを巡らせていた。



それは今後の生活についてである。男には金が無かった、勿論この先の未来も一欠片もなかった。



一筋の希望にすがれればと、財布の中をおもむろに確かめてはみるが、入っているのは、溜まりに溜まった埃と空虚感だけであった。男の顔は歪みに歪み、一周まわってまた憔悴しきった顔に戻る。とにかく明日も、飲んで吸って楽しまねばと焦燥感を膨らませていた。



どうにかして金を調達せねば。


ふと、一つの考えに至った。そうだ、妻から金を無心すればいいじゃないかと考えたのだ。



しかしその考えが、結局いつもたどり着く終点であることに、男は全く気づいた様子はなかった。



ならば善は急げ。


そういきり立った男は、自分が鎮座していた所から斜め前にある、古くさい扉に目を向けた。妻と子供が眠っている部屋だ。



男と妻の関係は冷ややかなもので、子供を一人もうけてからは情事のあれやこれやはなく、酒で乱れる男を見たくないからか、男の寝室から二つも離れた所で寝ているのであった。



男はぎしぎしと重苦しい音を立てる畳に眉を少しばかり顰め、ゆっくりと扉を開けた。


中は大して真っ暗という訳ではなく、男のいた部屋から明かりが漏れて二つの異なる影を捉えていたのだ。



一人は男の妻で、もう一人は男の子供である。ゆっくりと胸を上下させて眠るその姿は、さながら肉食動物の前で動けなくなった草食動物のようである。



妻の年齢は四十半ばといったところで、所々にシミやソバカスが出来ている、白髪が混じった髪は妻の年齢を正直に伝えているのだ。



「おい、起きろ」男は一言大きな声をだす。



びくりと身体を震わせ、妻と子供はゆっくりと動き出した。



「お前さん金はあるか?いや、金目のものでいい」酒で潰れた喉を唸らせ、妻の方に視線を送る。妻は一瞬だけ目を丸くして、その後は少し悲しそうにこう言った「そんなものは、昨日でなんにも無くなりました。あるのは生への執着、この子を育てるための渇望だけです」チラリと妻が子供の方へ視線を送る。子供は男と妻の言っていることを理解している様子はなく、眠そうな顔で暗い部屋の畳の腐った部分を爪で引っ掻いていた。



男は、その様子が酷く気に食わなかったらしく、なにも言わず子供に手を上げた。その行動は当然胸に湧き上がった羞恥を隠す為か、はたまたこの妻に対する怒りをぶつけたかったのか。なんにせよ男は子供を殴ったのだ。



子供はそのまま壁に叩きつけられ、少しもがいたのちに物言わぬ人形となった。


女は一つ甲高い金切り声をあげた。それがまた煩く男は今度は妻に拳を振りかざした。「お前たちは何様のつもりなんだ。この俺に奉仕もしないで、のうのうと生きてるフリばかりしやがって、ガキの心配をするくらいなら、俺の為に金を稼げ」少し息が上がり、肩を上下させながら怒りの言葉を吐いた。



これには妻も冷たい眼差しを送ることしか出来ず、小さな溜め息を一つついた。しかし、その態度も男を刺激するのには充分で、更に男は怒鳴り声を上げて酒瓶を握っていた方の拳を振り下ろした。



硬いものが割れる音に、様々な液体が飛び散って男の顔に少しついた、だが男は気にする素振りを見せない。「お前、お前が言うことを聞かないから、こんな事をしなくてはならないのだ」そう妻に言いかせる姿は、まるで自分自身に対する言い訳、懺悔のようにも聞こえる。



上がった息を整えゆっくりと妻を見下すと「もう、今日はいい、俺は疲れたから寝る」血と酒に塗れた妻のことを、無視して言いたい事を言い自分の寝室へとゆっくりと姿を消した。



男が目覚めたのはその次の日の夜であった。



雨がしとどに降り、そのうち世界が沈んでしまいそうな程勢いが強かった。



割れんばかりの頭痛に男は支配されながら、ゆっくりと身体を起こす、身体の節々が痛みを訴えているが、何時ものことだと割り切り、居間へと足を運んだ。



人の気配がない。


痛みで狭まる思考を必死に動かしながら、男はそのような結論に至ったのである。年季の入った薄汚いちゃぶ台の上を見ると紙が一枚と六文銭が五枚ほど置いてあった。何事かと酒で震える手でゆっくりと紙の中身を覗いた。



すると省略された短い文章で以下のように書いてあったのだ。

「いままでお世話になりました、子供は私が連れていきます。あなたの為に最後の餞別を置いておきました。探さないでください」この文を見た男の頭は、真っ白に染まった、なんて馬鹿なんだと後悔しても、もう遅い。何故なら男の手元には何も残っていないからだ。酒も空、煙草も湿気ている。挙句の果てには人生もすっからかん。



男はなにもない空虚感だけを携えて、土砂降りの真っ暗闇へと姿を眩ませた。最後に見せた後ろ姿は、どうみてもおぞましい鬼の背にしか見えなかった。





夢に塗れた兵は

儚さの半ばで折れていく


別れの言葉は空中分解

汽笛の音に紛れて霧散する


嗚呼せめて

あともう少しだけは

君の顔を見て笑いたいよ

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