2
やはり友達なんて出来なかった。
今更の現実受容の末に、その原因を探した僕が行き着いた答えは、ただ一つであった。
僕が悪いから、嫌われるのだ。
僕が無能で、ダサくて、キモくて、馬鹿で、コミュ症で、モテなくて、話はつまらないし、気が小さいし、卑怯で人のこと利用するし………
こんな僕は、勉強だけができるから医学部に来てしまったけど、医師になんてなれるのだろうか。
医師として人を救う権利なんてあるのだろうか。
こんなにも駄目な僕の、この先の人生は、暗くて一人ぼっちで役立たずで、この世界のゴミとして周りに迷惑をかけながら生きていくのだろう。
こんなこと考える前に、勉強頑張らなきゃ、試験はもう近いのだから。
絶望に浸ってないで、マンションを出なくては、今日はコンビニバイトのシフトが入ってるのだから。
そうやって、沸き起こりかけた自己嫌悪と、絶望の未来の片鱗に身震いしながらも、日々をやり過ごすうちに、自分と未来への絶望が「死にたい」という言葉で表されるようになっていった。
そして、自殺はいけない、なんて自分に何度言い聞かせても、「死にたい」という脳内音声は消えなくて、僕を内側から押し潰して、ここに居られるスペースもないほどに押し潰された僕は、手にロープを握っていた。
自室のマンションのぶら下り健康器具に、同じくAmasanで購入したロープがハングマンズノットに結ばれている。
それでも、首を括れずに、またいつものような朝が来て、クタクタのチェックシャツを着て、遅刻ギリギリで講義室の前の席に(そこしか空いてないから)、教授から目を逸らしながら小さく座る日々。
寝られぬ夜、そして文字が全く頭に入らず、成績も崩れるように下がっていった。
唯一の勉強すら失った。
いつになったら、無価値な僕の人生終わるのだろう。
なんてありきたりなことを考えていたが、臆病で行動力のない僕でも、一線なんて案外、簡単に越えれられた。
何度目かの自殺企図の夜に、首を括ってやったのだった。
今日が僕の人生最期の日。
これが僕の最期の風景。
死にたくないなんて今更思ってみても、もう遅い。
これほどまでに生きていたいと思った日はなかった。
大き過ぎる絶望に押し潰されたのに、ないはずの希望を今更追い求めて、「もしかしたら僕の人生まだなんとかなるんじゃないか」、「死ななくてもまだいいんじゃないか」なんて最期の悪あがきに漏れた嗚咽は、マンションの部屋に、今更大きく木霊していた。
軋むぶら下がり健康器具は、本来掛からないはずの激しい負荷になんとか耐えて、死ぬ寸前の人間の遅すぎる抵抗にグラ尽きながらも、なんとか勝っていた。
それはまさに、死にたくないと死にたいの狭間で酷く大きく揺さぶられながらも、辛うじて死にたいが優った今を表しているようだった。
ゴオオオオォォォォォォォ
遠くなる意識の中で、突然の耳をつん裂くような地響きが、この世へ意識を、一気に引き戻した。
爆音により、意識とともに神経も戻り、破裂しそうな頭痛と激しい咳嗽反射に襲われた。
えづくような咳に反射的に四肢を大きくバタつかせたた反動で、ギリギリのところで留まっていたぶら下がり健康器具は前に倒れこんだ。
赤ちゃんの頃より授かったパラシュート反射のおかげで、膝と肘を強打するだけで済んだのは幸いなのだろう。
膝をさすりながら、今や身体の自由を奪っている首輪と化したロープを解く。
死に損なった動揺と生々しい身体の痛みに息を整えていると、激しい揺れに襲われた。
このタイミングで、地震か。
震度5くらいはあるんじゃないかという大きな揺れが長く、永遠に終わらないんじゃないかとふと不安になるくらいに長く続いた。
急いでテレビを付けると、やはり地震速報。
各地で同時多発的に地震が起こったようだった。
僕の人生初の自殺未遂の余韻は、大地震により掻き消されてしまった。
そして、その数時間後、大地震だと思っていた"それ"は、大地震よりもタチが悪いものだったと、人類は知ることとなった。
それは、魔王の侵略であった。
地面が直径約5キロに渡り、大きく裂け、その裂け目から奇異な生命体が次々と出現している姿がテレビに映し出された。
今まで人類が見たこともない姿をしたそれらは、人間が思う悪魔や怪物のような姿に似ていた。
地の裂け目の近くの民家はその謎の生命体により破壊され、中にいた人達がどうなったかはカメラを回すまでもなかった。
画面の向こうのセンセーショナルな姿に、遠い地にいるはずの人でさえ身震いしたほどだった。
その日から、絶望は平等に人々に与えられた。