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僕が、「東京大学医学部の5年生です」と答えると、よく「優秀なんだね」と言われる。
でも、もし僕が優秀なのだとしたら、きっとこんなにも生き辛くないはず。
もし本当に僕が医師になる資格があるんだとしたら、それはきっと世界が滅亡し掛けて、同級生達のような優秀な人達が多く死んでしまった時だ。
そんなふうに思うのは、僕が悪いからだ。
昔から勉強はできた。
数学は県で1番になったこともあった。
化学や物理は常に学年で1番であったし、苦手な国語でさえもトップと言えるような成績だった。
でも、これは自慢じゃない。
寧ろ、これがコンプレックスだった。
勉強だけしかできない僕は、成績に見合わないほど悪い思考力、応用力、記憶力のせいで、クラスの人達から常に”イマイチできない人”と思われていた。
だから、余計に馬鹿にされるのが怖くて、成績なんて言えるはずもなくて、ひたすらに隠すものだから、終いには学年でドベから数えた方が早いんじゃないかなんて思われたりもしていた。
そんな僕が、成績がトップであるにも関わらず、卒業式の式辞を述べるように先生に言われなかったのは、もはや必然であった。
(「たかが式辞にさえ」なんて言い方は今まで式辞を述べる役に選ばれた人達への愚弄になるのかもしれないが、)たかが式辞にさえ選ばれなかっただけだったが、僕は出来損ないな生徒だという自覚はやはり間違いでなかったのだと若干の失望に胸が苦しくなった気がした。
こんな僕の、出来損ないエピソードなんて長々とここで話してもつまらないだろうから、話を先に進めようと思う。
僕にとっては極当たり前に、そして周囲のものにとっては(家族でさえ)驚くべきことに、僕は東大理三に入学。
そして、入学早々に、選択を誤った。
なんとか今までの友人のいなかった僕の人生を変えてやろうと、必死で友達を作ろうとした。
大勢の優秀で明るくて人生の勝ち組の人達の集う講義室に、たった一人で足を踏み入れるのでさえ全身の力が抜けてしまいそうなほど緊張するのに、ぎこちない笑顔と吃りがちの挨拶をたまたま座った席の近くにいる人達全てに投げかけた。
蔑んだ目が目配せをしながら失笑、そして、嫌な間の後に「あぁ、おはよう」。
会話はそれっきりだった。
それでも、僕はなんとか友達を作ろうと、たまたま話しかけた彼らの話す横で頷いて見せたり、慣れない笑い声を上げてみたり、「俺も」と言ってみんなを白けさせてみたりした。
それでも、一人になるのが怖くて、友達がいない自分がもう嫌で、学食に一緒について行って、話に無理やり入って「俺も一緒に飲みに行きたい」って言ってみたりした。
白っとしながらも、それでも邪険には扱われず、「お前来るな」とか言われたりはしなかったし、彼らの飲み会の5回に1回くらいは誘われたりもしていた。
友達という存在にしがみついていることは分かっていたが、それでも「ぼっち」になった時の心細さが怖くて堪らなくて、「ぼっち」と笑われることが怖くて堪らなくて、馬鹿な選択を毎日し続けた。
そのうちに、友達である彼らも気付いてしまったんだろう。
僕は一人が怖くて、彼らを利用しようとしてるだけなんだと。
いや、単にあいつ、吃るし、テンパるし、ダサいし、キモいし、話もつまらないし、モテないし、このグループから追い出そうぜってことだったのかもしれない。
「お前、なんでここ座んの?」
「悪いけど、話しかけないで」
「俺がお前だったら自殺してるかも」
気付いたときには、こんな言葉を3日に1回は投げかけられるようになっていた。
それでもなお、一人になるのが怖くて、動けなくて、彼らと友達でい続けようとした。
そんな無理な関係は、この23年の蓄積された心の傷を、深く、大きくし、化膿させて、そして腐らせていった。