Part Z‐3
紺色の帽子に耳を詰め込み、ズィーダは石畳の道を走っていた。夕日で淡い橙に色づき、街はゆっくりと一日の終わりへと向かっていた。住宅街は学校から帰る子供たちの姿があり、オフィス街は明かりがつき始める。洒落たレストランがディナーメニューの看板を出し、酒屋の店員が客の呼び込みを始めた。
「夕刊でーす」
家のポストに新聞を突っ込みながら、ズィーダは駆け足で住宅街を抜ける。広場の先には城へと続く大橋があり、既に顔見知りになった守衛が待っていた。
「ズィーダ!」
門の向こう側で、セシリアが両手を広げて待っていた。守衛達が微笑みながら見守る中で、ズィーダはセシリアの腕に飛び込んでいく。橋の中ほどに取り残された配達員の帽子を、守衛の一人が拾ってきた。
「ほら、感動の再会もいいですけど。お二人さん、門が閉まるまではあと二時間ですよ」
ズィーダの頭に帽子を乗せ、守衛は二人の背を押した。
城の門から右の庭へ入ると、白い石畳の道がずっと先まで続いている。芝生と草花が茂る中を進んでいくと、小さな白い東屋があった。庭の中にある澄んだ湖に張り出し、円形で柱は八本、屋根は透明なガラス製だ。周囲に植えられた薔薇が、ぐるりと手すりに沿って花を咲かせていた。
白磁の器に、紅茶とコーヒーが注がれる。ズィーダはセシリアの隣に座り、大きなカバンを足元に置いた。
「解放軍の情報は?」
一息つくなり、セシリアは真面目な顔になって言った。ズィーダはコーヒーを一気に流し込むと、二杯目を注ぎながら長い息を吐いた。
「芳しくありません。新入りじゃ大した仕事はもらえませんし、スパイじゃないかって疑われていますし」
「……どんなことをしているの?」
「大したことは。所詮ゴロツキの集まりですよ。壁の外で、壁をなくせと叫ぶ程度です」
「まるでデモ隊ね」
セシリアは苦笑する。
「……噂程度ですけど」
「うん?」
「この地区は、オリジナルの保護って名目で、警備がきついじゃないですか」
「ええ」
「なので、この地下に極秘の国連の研究所があるとか。偶発的に発生したアリウスの能力を研究しているそうですよ。アリウス達を監禁して」
ズィーダの言葉に、セシリアはじっとズィーダの目を見上げる。しばらくは笑みを浮かべていたズィーダだったが、そのまっすぐな視線に耐え切れず、目を泳がせる。
「笑えない冗談は嫌いなの」
「ただの噂ですよ?」
「それでも。……それを信じてアリウス解放軍と名乗っているなら、それを否定する権利はないわ」
セシリアは足を組んでカップを口に付けた。ズィーダは腕を組んで明後日を見遣る。
「……そういえば、ノアーズの話は知ってる?」
やや空いた距離を詰めるように、ズィーダに近付きながらセシリアは顔を上げた。
「ええまあ、多少は。宇宙も観光地になる時代になったんですね」
「でも、どうなのかしらね。コールドスリープ装置があるとか言っても、何年も何年も旅をしたりするのでしょう?」
「うん?」
「ウラシマタロウってお話を読んだことがあるけれど、そうなりそうで」
「………………」
ズィーダは口元に手を当てて黙り込む。
「ズィーダ、どうしたの?」
「いえ。ありがとうございます王女様」
にこっと顔を笑わせて、ズィーダは二杯目のコーヒーを飲みほした。
「でも、もしコールドスリープ装置に入ることになったら、王女様はどう思われますか?」
「え? そうね……うーん、やっぱり、どうしてもって場面にならないといやね。生きて目が覚めるかも分からないし」
「まあ自分もですね。記憶に影響が出るとも言われていますし」
ズィーダは立ち上がり、カバンを肩にかける。
「……ねえズィーダ」
「はい」
ガゼボを出たズィーダに、夕日が当たった。腰を浮かせて、セシリアはズィーダと向かい合う。
「あなたと会って、随分になるじゃない?」
「ええ」
「……私ね」
セシリアの手が、ぎゅっとスカートを掴んだ。
「ずっと、怖くて言えなかったことがあるの」
夕日が、壁の向こう側に沈んだ。ふっとあたりが暗くなり、吹く風に夜の涼しさが混ざり始める。静かにそよぐ風が、植木の葉を鳴らした。
「あなたは――――」
帽子の奥で、ズィーダはぐっと目を細めた。