Part W‐6
セシリアにとっては、一晩とも、永遠とも感じられる眠りだった。
コールドスリープ装置のカバーが閉じて、息苦しいと思う間もなく意識が落ちた。最後に見えたズィーダの顔は、遠い昔の思い出のようでもあり、つい先ほど別れたばかりの相手のようでもあった。
装置が解除され、一通りの解凍作業が終わっても、しばらくは体に障害が残ると言われた。足は感覚はあるが他人の物のようで、胃は何を入れても驚いて拒絶する。その反応で、やはり自分は長く眠っていたのだと実感した。
何年眠っていたのだろうか。周囲の誰も、それを教えてはくれなかった。ただ、自分が眠った時に外で戦争が起きていたこと、それが何年も、何年も続き、取り返しがつかないほどに文明が衰退してしまったことだけを告げられた。
足の代わりに電動車いすを。手の代わりに侍従を。丁重に扱われればそれだけ、自分が貴重な存在なのだと自覚した。自分が貴重になってしまうほどに、時間が経ってしまったのだと理解した。
「ズィーダは、アルファベットの順番で、自分に名前を付けているんだって言っていたわ」
「ええ。ズィーダから、アッシュ、ブライト、チェルシー、デンバー……そして俺まで、確かに、つながっていますよ」
ワーフは、胸元に手を当てる。
「俺は、ズィーダとは違う。でも、確かに、ズィーダの記憶は、気持ちは、全部ここに」
「……何世代……一体どれほど時間が経ってしまったのかしら」
セシリアは目を伏せた。その頬を、透明な雫が伝う。
「あの人は、約束を守ったのね」
肘掛けを掴んで、セシリアは腰を浮かせる。そのまま、ゆっくりと立ち上がった。足はようやく体を支えているようで、一歩踏み出せば倒れてしまうのが、セシリア自身よく分かっていた。
「目が醒めた時、あなたがいて驚いたわ。ついさっき別れた顔がいたんだもの」
セシリアは胸元で手を握る。
「……それで、とても怖くなった。私はもしかしたら、あの人に、とんでもない呪いをかけたんじゃないかって」
「まさか」
ワーフはきっぱりと否定した。顔を上げたセシリアに歩みより、ワーフはその肩と手を支える。
「呪いなんかじゃない。だって、」
勢い込んで口を開き、ワーフはぴんと耳を立てた。
「俺は……俺達は、ずっと、ズィーダの記憶の中のあなたにっ……」
ドアが開いた。
「……お取込み中かな」
ノックもせずに入ってきたのは、スーツの男だった。ワーフはセシリアの両肩に手を置き、すとんと車いすに座らせる。
「セシリア様。一通りの検査も済んだことですし、世間への発表と記者会見を行おうかと思っているのですが、いかがでしょうか」
「あなたがノックという最低限の礼節を身に付けたら、検討してもよろしいわ」
セシリアはふいと男から顔をそむける。男は背後で組んでいた手をほどき、開いたドアをノックした。面倒くささを隠そうともしないその様子に、セシリアは唇を尖らせる。
「よろしいですね?」
「……私が嫌って言ったらどうするの?」
「信頼しておりますから」
王女として、人類の代表になるべく育てられたセシリアは、個人の感情ばかりを優先しない――そう考えているのだろう。セシリアはワーフをちらりと見上げた。ワーフは姿勢を正したまま、表情を殺している。が、頭の上の耳はぺたりと寝ていた。
「三十分後にお迎えにまいりますので」
言い残して、男が出ていく。セシリアは露骨に溜息をついた。
「また、タイムリミットが三十分ね。逃がしてくれる?」
「いいえ」
きっぱりとしたワーフの拒絶に、セシリアは振り返った。
「あなた、私が好きなんじゃないの?」
「好きですよ。好きだからこそ、勝手はしません。俺には俺の立場があるし、あなたにはあなたの責任がある。意義ある逃亡とかならばともかく、一時の衝動で現在を捨てれば、それは取り返しのつかない傷を生みかねない」
「実体験?」
「所感です」
セシリアは車いすに深く座り直し、長い息を吐いた。
「しょうがないか。これ以上を望むなんて贅沢だものね」
「あと三年もすれば、あなたもお役御免でしょう。旧時代の、記録に残っていない部分はそう多くありませんし。コールドスリープ装置も、全容はほぼ解明されているって話ですし」
「ふうん?」
肘掛けに両腕を乗せ、セシリアは椅子から身を乗り出した。
「そしたら、念願かなって自由の身かしら?」
「俺は失業ですね」
セシリアとワーフは顔を見合わせて笑った。
「一服の時間くらいはあるでしょう。美味しい紅茶を淹れますよ」
「じゃあ、お話の続きをしましょう。あなたのコーヒーも淹れて」
「ええ。お望みの話をしましょう。……俺は僕じゃないですけど、彼の分まで、あなたのそばにいますから。あなたの心が休まる一助になれば」
ワーフは胸に手を当てて礼をした。
「……私が自由になったら……」
「?」
ワーフが首を傾げ、セシリアはさっと目を逸らす。
「いいえ。自由になるまで、待っててくれるかしら?」
「何年待っていたとお思いで?」
ワーフは耳を立てて笑った。セシリアは眩しそうに目を細める。
湯気の立つ紅茶が、ガラスの器に注がれた。受け取ったカップを、膝の上で、両手で包む。懐かしい香りと温かさが、ふわりと上ってきた。
「そうね。私は随分待たせてしまったわ」
セシリアはカップの熱を飲み込んで、揺れる水面に映る、自分の顔と向かい合う。泣き笑いのような表情に、また笑ってしまった。
「今度は私が頑張る番よね」
セシリアが軽くカップを掲げ、ワーフはにっと笑う。
「誠実な人、あなたの覚悟に」
「美しい人、あなたの決意に」
かつん、と二人のカップが鳴った。
(了)




